異世界転生したら情報屋になっていた件-1
「鈴蘭や、今週、馴染みは現れたかね?」
「そ、そいつぁ大旦那」
「今週だけじゃない。先日の《港崎心中》が起きてから今日まで、何人お前さんのところへ顔を見せに来た?」
平身低頭。八徳に向かって土下座すらして見せた格好のまま、地面に顔を向ける呉服屋の問いに、鈴蘭は言葉を失った。
「ありんせん。一人も」
「興味は尽きぬが、通いに来るをする勇気は出ぬか。ハッ! なんとも、男たちの腰抜けのこと。それで……カオナシ殿?」
歯切れ悪く答える鈴蘭に、しかし感想を示す呉服屋はいまだ額づいている。その状態で呼びかけられて、八徳が平静でいられるわけがなかった。
「鈴蘭と、懇意になるか否かについて、一度分けて考えましょう。あくまで、取った客との主導権を握るのが花魁。それが彼女たちの格であり、高嶺の花を自負させる。そしてそれが遊郭自体の誇りとその価値の維持にもつながる」
「いいでしょう。では、情報屋としてあなたに動いてもらうことについて、お話ししましょう」
さすがは曲者。突拍子のない動きが八徳の即拒否をさせなかった。
話を続けることを八得に促させることができたからか、平身低頭の状態から、スゥッと顔と体を起こして、きれいな正座姿勢に落ち着いた。
「鈴蘭と馴染みになり、懇意となり、この娘と過ごすそのとき、鈴蘭の持つ情報を吸い上げ、活用してもらいたいのです」
「いえ、ですから、先ほども言いましたように、情報の秘匿性の高さが花魁の地位を守ることにも……」
「吸い上げるのは、外国人居留地の情報だとするならいかがです?」
「ッツ!」
出てきた申し出は、先ほどの話を聞いていなかったかのか? とも八得に思わせたが、そのあとに続く言葉が絶句させた。
「私があなたに鈴蘭の秘密と現状を告げた理由が一つあります。こと、この店の娘の情報なら、全てとは言わなくても、普通一般の人間では知り得ないものでも、吸い上げることができる立場にあると知ってもらうこと。それをあなたに知ってもらったうえで、この申し出を叶えていただきたいのです」
「ちょっと待ってください。何ですかそれは。おとぎ話の読みものじゃないんです。貴方は、二重間者を私に務めろというのですか?」
「いかにも! それに、間接的な影響はありましょうが、直接的な迷惑はヴァルピリーナ殿には掛からないものと存じます」
(いや、「いかにも!」とかちょっと雰囲気出して言わなくていいから。全然かっこよくねぇから)
「我々日本の情報をエゲレス側に伝える一方で、エゲレス側の情報を私にお伝えいただく」
エゲレスと日本の間を立ち回る二重間者。
やはり相当に面倒な話だったから、きっぱりと断言した呉服屋に対し、頭巾の中の八徳のコメカミは引きつった。
「たった今ご覧になりました。鈴蘭はエゲレス語を使えます。客人に、外国人居留地からの者もいるのですよ」
「ラシャメン(日本に寄港した外国人御用達の遊女)……ですか?」
「その言い方は、好きではありんせん」
「あ、いや……そうだな。すまなかった」
予想だにしない呉服屋の申し出。呻くように八徳が漏らした言葉に、
「馴染に一人おりんすが、manner(礼)をわきまえた得も格も高い方でありんす」
落ち着いたピシッとした鈴蘭の反応は鮮烈だった。
「聞いた感じじゃ、その客は、外国人居留地の中でも上の立場の人間ってことですか」
「そして、その者と過ごすときにはもちろん、エゲレス語で交流することになります。初めて会った時はそうでもなかったようですがな。最近になって鈴蘭は、メキメキとエゲレス語が上達している」
「私に、その男の情報をすっぱぬけと? 鈴蘭から」
「その情報が、ヴァルピリーナ殿との取引の中で知るものと完全一致しているとは考えにくいですからな」
(なるほど、そういうことか)
「彼女はエゲレス淑女。ここに遊びに来るのはエゲレスお
「外国人居留地における私の情報源が二つになるのです。いまだ鈴蘭一人では、その情報の解析や理解を持て余しましょうが、エゲレス語巧者の貴方がそれを支え、情報をまとめ、吸い上げるなら……」
「その情報も使える水準になると?」
えげつない。八徳じゃなくても知っている。情報を、エゲレス人の客から吸い上げる。そのとき間違いなく、鈴蘭にはその男と肌を重ねさせることになる。
先ほど呉服屋が、「自分の為とまではいわないが」……などと言っていたが、とんでもない。
鈴蘭に、エゲレスからの情報を吸い上げる為に、彼女の性を、
「まるで忘八のようだ」
「……私を軽蔑するでしょうか。構いません」
「貴方が構わなくても、私が構う。貴方の申し出に乗る。そうしたら、私も自分が忘八の仲間入りをしたと思うでしょう」
「でしょう。ですが、そのための、もう一つの申し出なのです」
「何が『その為の』ですか。わたしは‥‥‥」
呉服屋は、転生前の八徳の正体を知らないからこそ、こんなことが言えている。
しかし籠の鳥。自由に飛ぶことのできない遊郭遊女が生きるため、苦行を強いられていることを、ずっと見てきた八徳には、到底受け入れられない話だった。
『し、失礼するでありんす! あっ!』
「「「……あ……」」」
呉服屋に対する答えは決まっていた。勿論断るつもり。だから自分の考えを八徳は述べようとして……固まった。
締め切られ、内密な話をしていた座敷の外から、先ほど入室してきた鈴蘭同様に、声が聞こえてきた。
幼き声。そして、誰が入室を許可をしたわけでもないのに動き出した外からの声の主は、何かの拍子で手元が狂ったのか、細い腕で、障子を突き破ってしまった。
緊迫していたその場の空気の中で、お間抜けな事故が起きた。
『あぁ、障子がっどうしよう!?』
やってしまったことに対して、声の主の驚きと焦りはどうにも抑えが利かなかったようで、それが座敷の張り詰めた空気を緩和したからか、先は瞳を見開き、呉服屋と八徳を交互に見比べていた鈴蘭など、右掌で目元を覆い、肩を落としてため息をついた。
「コリン。お入り」
『え、あ、ハイ!』
落胆の混じる鈴蘭の呼びかけで、破れた障子は開く。
登場したのは、先ほどの声で予測できた通り、まだ幼い少女だった。
「まずは一つ目、常に落ち着きを持てといったろう?」
「申し訳ありません姉さん。わ、私は‥‥‥」
「二つ目、
「あっ!」
依然として疲れた表情の鈴蘭に指摘され、気付く少女は目を丸くした。
「お客さんがご到着したでありんす。姉さんをご指名との‥‥‥」
「今日は呉服屋の大旦那にお呼び頂くと伝えなかったかえ?」
「あ、でも‥‥‥」
「この店で、大旦那のご用事以上に優先するべきものなどありんせん。そこのところを、お前さんはいつになったら覚えてくれるのか」
「うぅ‥‥‥」
やり取りが、八徳に分からせた。鈴蘭と、コリンと呼ばれた少女の関係性について。
「大旦那、カオナシ様、大変お見苦しいところ。誠に申し訳ありんせん」
少女を窘め終わったところで、鈴蘭は三指を畳につき、深く頭を下げ、詫びを見せた。
「また、借金が増えたな鈴蘭よ」
「面目ありんせん」
まぁまぁ、と呉服屋は両手をつき出し、取り直そうとする。鈴蘭は明らかに恥じていた。
「借金が増える? 今の障子の破損によって? なら、この禿は、お前の禿か。鈴蘭」
「ハイ、コリンとお呼びくださればと」
「コリン?」
「名は別にありんすが、何分物覚えが悪く。何を言っても『懲りん』せんで、『コリン』と呼んでいるでありんす」
「なるほど」
聞いてみた八徳の予測は正しかった。
鈴蘭とコリンの会話の内容。コリンがたった今、作ってしまった障子の穴の修繕代は、鈴蘭へ借金として乗っかるらしい。
それは部下というか妹分というか。とにかく、誰か遊女の傘下に入った者の生活費や不始末を、遊女が責任を負い、反対に遊女の身の回りの世話や雑用を禿がこなす。遊郭の一般的な徒弟制度に則られた形だから、簡単に関係性は伺えた。
「お話は終わり。コリン、お客さんには今日はお会いできぬと。それともお前が私の代わりに相手をしてくれるかい? それならそれで、助かるのでありんすが」
「あ、いえ。わっちにはまだ‥‥‥失礼するでありんす!」
上司でも、姉貴分でもある鈴蘭に覗き込まれるような目を向けられ、コリンの顏は明らかにひきつった。あっという間に、逃げるかのようにコリンは姿を消した。
そそくさと逃げる間に、コリンは他の事への注意は散漫したのか。
たった今、入室する際に開けた障子は開けっ放し。はしたなく、廊下を走るドタドタという大きくて鈍い音もたったから、鈴蘭はまた項垂れた。
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