祝言。重なる面影、二人目の妻。

蛇に睨まれた蛙

「随分と……久しぶりでありんす」

「へ、へい」

「久しぶりでありんすなぁ。確か前回は、そうそう、わっちが意を決して伝えた思いにそっぽ向き、わっちとの一席を蹴飛ばし、恥をかかせてくれたような」

「め、面目ねぇ」


 《蛇に睨まれた蛙》というのは、こういうことを言うのだろう。

 先ほど、始末屋の八咫から一通りの話を聞いたのち、声をかけてきたのは、鈴蘭が身を置く妓楼で暮らし、働いている男。その者に、鈴蘭の元へと連れてこられてしまった。


 今、八徳が相対しているのは、キセルをくわえて煙たゆたわせたまま、肘置きに体を預け、猟奇的な目で、口角を吊り上げた鈴蘭。

 いや吊り上げたというより、どことなく引きつっていた。

 なんとか怒りを抑え込もうとしていて、しかし抑え込めていないのはよくわかって。


 だから八徳といえば……正座。うつむいていた。話し言葉も、だいぶ下出したてに出ていた


「『面目ない』と言われなんしか。悪いと思っていたと? それならば、もっと早く、謝罪行脚に来てもよかったのでござりんせんか」

「えぇと、いや、まったく」


 客との関係で主導権を握るのが花魁としての腕の見せ所。とはいえ、ここまではっきり上下の立ち位置が出来ていることは珍しかった。

 確かに花魁は、客の祝儀(支払い)によって生かされている存在ではあるが、その客は、花魁が選ぶのが常。特に、格子格とも高級遊女になると、そもそも客を振ることだって珍しことじゃなかった。


 裏を返せば男は、花魁を、「蝶よ花よ」と持て囃し、気を使うことにいそしむもの。


「では、どうしてこの港崎に来たことを、わっちは妓楼の者から知ることになりんしたのか」

「……え?」

「見世の者は、どこぞ始末屋と話していたところを見かけたのだと。普通、港崎に訪れしは、夜妻に、夫として会いに来るためのものでござりんせんか? だというのに、始末屋との話を優先させたということなんし」

「あ、あのぅ……」

「まさかとは思いしんすが、今日は見世のモンが声を掛けたからいいものの、それがなければ、そのままわっちに会わず、港崎を出たなどとは言わんせんで」

「い、嫌だなぁ。そんなことあるわけないじゃ……」

「カオナシ様? ワッチは、席を蹴られたことよりも、今日二の次にされたことが気に入りんせん」

「……ハイ、スイマセン」


 そこから見ると、カオナシと鈴蘭との関係は異常。

 本来ここまでコケにされたなら、鈴蘭は八徳を振ってもいい。だが、いまだ二人の関係は成立していた。

 夜妻として、この港崎遊郭では疑似夫婦となす鈴蘭との関係。とはいえ、今この夫婦の関係は、絶賛最悪だった。


「い、いやぁ~その、ホラ、前回が前回だから。顔を出しずらくって」

「わっちが、一度のことで、怒り収まらぬ器量の小さい女に見えると?」

「俺のところでもいろいろあったんだ。前に話が出た、外国人居留地のこと覚えているか? クビになっちまって」

「わっちとの関係を続ける条件。大旦那が求めた、わっちから異国の情報を抜き取ることのはず。第二の情報源を作り出すという目論見にて、主様がもともと身を置いていた第一の情報源については関係ござりんせん。クビになったから、わっちのもとに来られない? もはや、言い訳にすらなりんせん」


(あぁ、もう本当に嫌だコイツ)


 妓楼に呼びつけたくせに、声を掛けるとツンとして取り合ってくれない。八徳はため息を禁じえなかった。


「きゃ、客足……」

「待った」


 何とか、話題をそらさねばならない。

 とにかく自分が責められる話から、鈴蘭の目をそらそうとした。しかしそれは……


「二度と前と同じ手は食わぬ……とまでは申しませぬが、お聞きになりたいでありんすか。本当に?」

「ふ、含みがある言い方じゃないか」

「主様が大立ち回りする前に逆戻り。客足は、一気に引いていきんした」

「うぐっ! 藪蛇! ち、ちなみに……なんで?」

「主様が、情けなくどこぞの遊女に殺されたからでありんしょう?」

「俺のせいかよ!」

「まったく、カオナシ様が、他の女に恨み買われて殺されるような浮気者でなければ。三甲堂の若旦那、”カオナシ様”。わっちの馴染みは立て続けに殺された。わっちは今や《呪われ花魁》。犬も食わん、腫物はれものでありんす」


 聞かぬが仏だったかもしれない。


「主様に興味を示し、殺到した旦那衆。『鈴蘭に関わると碌なことがない』と。さぁ、主様。わっちはどうすればいいでありんすか? 新進気鋭は鈴蘭の、呪い恐れて馴染みの客は離れゆく。妹分のコリンも抱えた身ながら、わっちは、お先真っ暗」


(うん、気のせいじゃない。気のせいじゃないぞ~。俺、間違いなく攻められてる)


主様ゆうめいじんのなじみとして、箔がついたかと思いきや、却って”カオナシ様”が殺されたことで、わっちへの打撃はとても大きいものとなりんした」


 自分のせいではないはず。しかし言ってることは何となくでも理解できてしまうから、何も言い返せない八徳は、顔中に、びっしりとよくない汗をかいていた。


「懇意が二人立て続けに殺されんした。カオナシ様の話を聞こうと殺到してきた旦那衆も去っていった。いよいよ本格的にわっちの馴染はいなくなってしまったというのに。それでなお、主様までわっちから遠ざかろうとするのなら、わっちはいよいよもって……」

「う……宴を、開こう?」


 責め立てられることが心苦しくてならない……から、逃げ出すように、絞り出すように、八徳は鈴蘭に語り掛けた。

 

「主様? 今、なんと?」

「宴を。店を総揚げで」


 それを耳に入れた鈴蘭は、顔をうつ向かせた……が、口角はツイッと吊り上がっていた。

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