大立ち回り、これ《港崎カオナシ捕物帳》

アルファでミステリー2位になりました。24hのやつですが。ありがとうございます。

コンテンツ対象のほうは、さっぱりですが。

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「カオナッ……!」


 八徳にとびかかる侍の光景に、一瞬のちの惨劇を予想したのか。呉服屋旦那の絶叫は、途中で声のない物に転じた。

 秒もかからぬうちに、包丁を双剣とみたて、その刃はたやすく八徳の肉にブズリと突き立つはず。


「ヒュッ!」


 それが届くか届かないかという一瞬。細く息を、短く吐いた八徳。侍に向けたすきの先を、顏に目掛け突き込んだ。


「ハァッ! 素人がぁっ!」


 もとより、間合いを取るため八徳が向けた鋤先。

 それゆえ第一撃は、そのまま直線的に、突きを繰り出すがせいぜいであろうことは、侍に読まれていた。

 鋤を握った八徳の腕が動くか‥‥‥という初動。侍は頭を下げて顔を低くし、あっさりと突きを躱す。その流れで八徳の懐に潜り込んだ。


「ヘッ! トーシロー舐めんなっ!?」

「ガバァッ!」

 

 しかし間合いを取るため、先に分かりやすく鋤先を向けたのも、予測しやすい突撃に至ったのも、全ては呼び水だとしたらどうだろう。

 懐に入り切った、面が低い位置にある侍。八徳に致命傷を与える為、その間合いを詰め切ろうとせん勢いが例えば‥‥‥


「どしたどしたぁ! まだただの一発目だろうが!?」


 利用され、男の向こう正面。八徳がその勢いとは全く逆の方向へ、思いっきり膝を突き出したならば。


 正面衝突。 


 相手自身の力と勢いを利用し、更に相反する方向への勢いと、八徳自身が力を上乗せした膝蹴り。きっとただの膝蹴りの、二倍も三倍も威力があるに違いなかった。


 とてつもない衝撃。低くしていた侍の顏は抵抗も出来ずに跳ね上がり、体は大きくのけぞった。

 

「どこ‥‥‥見てんだ? お侍様ぁ!」

 

 終わらない。


「ぐふぅっ!」


 一瞬でも隙を見せた相手に対し、八徳の攻撃は終わらない。


 男が大きくのけぞり、胸を反らして天を仰ぐような体勢となった一瞬。人体急所である鳩尾に向かって、飛び膝蹴りを突き込んだ。

 膝蹴りの痛みに耐えきれず、もろ手をもって顔面を覆い抑えていた侍の、がら空きの胸に更に膝が突き刺さる。

 視界を塞いでしまったその一刹那が致命的。無防備、死角であり、気が緩んでしまった腹部に、衝撃が差し込まれた。

 鳩尾から喉へとせり上がる苦しさと、こみ上げる気持ちの悪さ。絶痛。

 慌て胸を両手でかばう侍の必死さとみすぼらしさよ。腰を追って背中を丸める姿、立ちながらにして《くの字》そのもの。


「うがぁっ!」


 さぁ、その姿勢は、男の重心を前方に集めた。

 見逃さず、八徳は一気に間合いを詰めた。

 胸を抑える男の前半身に背中をくっつけ、背中越しになりながら両手でもって、男の顏両頬を鷲掴み、腰を起点に一気に前方へと引きずり込んだ。


「ガァッハァァ!」


 密着した腰がテコの原理となって、頭を力点として無理矢理投げ飛ばすその動き……《首投げ》。

 地面に、背中を思いっきり叩きつけられた侍は、その瞬間、肺の中の息全てを吐き出さざるを得ず、その後も呼吸がまともに出来ず悶絶していた。


「まだまだぁっ!」

「ちぃっ!」


 天を仰ぐよう、大の字に倒れた侍への八徳の追い打ちは終わらなかった。

 その顔を目掛け、思い切り右足を踏み込んだ。後頭部を接地する地面と挟み込み、頭部そのものを、砕き爆ぜさんばかりの勢いで踏み抜くつもりだった。


 だが八徳が踏み込んだ右足。何とか身をよじって侍が回避したことで、地面に突き立った。


「おのれ! きさっ……!」


 転身してサッと立ち上がった侍。

 態勢を整えるそぶりを見せながら、強い殺気のこもる血走った目で、八徳を射貫いた。

 「どう殺してやろうか」と、両手の包丁のニギリを確かめたところに一拍の間があったのは、ソレを考える為。


「ホイッサァ!」


 そんな考える一瞬すら、八徳は与えない。

 ガチィっ! と、一つ響く固い音。男が右手に握っていた包丁が吹き飛んだ。握り手に向かい、八徳は鋤を思い切り振るってぶつけたことによるものだった。


「なっ!」


 呼び水に乗せられ初撃を喰らい、連撃を浴び、随分危ないところまで押された侍。

 ここにきて、更に得物の一本を、無理やり奪い去られた。


 ……となれば、猛烈な痛みを全身に感じ、体力的にも大きく削がれた、圧倒的不利な男の戦力は、包丁の消失によって更に、大幅に低下した。


 特に最初の膝。顔の痛み薄れてきてもなお、大きな影響を侍に、引き続き及ぼしていた。


「ぶはっ! ブハァッ!」


 鼻の骨を折ったのか、先ほどから鼻血は止まらず。だから、呼吸が、できない。


 息が上がる。呼吸の回数は上がり、体力はさらに消耗し、体は熱くなっていく一方。

 さすがの侍も実感しているようだった。追い込まれ? いや、追い詰められているのだと


 焦りが、心を体を蝕んでいくのを感じているのか、明らかに侍の顔は苦悶に歪んでいた。

 

 そして、そんな侍に向かって……


「お……い?」

「ま、待てぃおんし……」


 頭巾をかぶった八徳は、ゆらぁりと一歩踏み出し……


「ま、待て」


 それでいて……


「い・く・ぞぉぉぉ! 下郎がぁぁぁぁぁ!」


 追撃の手は一切緩めない。


「まっ!」


 さぁ、今度一気に間合いを詰めたのは、状況を有利に進め、勢いを味方にした八徳。

 押し切ろうとしているのが、八徳が繰り出す一撃一撃の、鋤による重さで侍に分からせた。


 八徳横薙ぎの一閃を、侍は何とか左の包丁で受け止めた。


「グゥッ!」


 得物の長さを利用した遠心力も相まって、受け止めた包丁の握り手は強烈に痺れたようだ。 

 

「なんと!」


 受け止められた鋤の先。瞬時に、振るう鋤の持ち手を滑らせた八徳は、次は持ち手であるを、こんのように振るった。

 男にとっては、包丁で受け止めた鋤の先が、フゥっと姿を消したかと思うと、突然反対の持ち手が眼前に飛び込んできたように見えただろう。


 二撃、三撃。力と重心と回転の力の良く乗った八徳の攻撃を侍は何とか凌ぐしか出来ないでいた。

 四合、五合。ぶつけられる攻撃を、包丁で凌ぎ続けてきた男の、握り手と腕の疲弊も限界。

 得物の長さによる間合いも違い、体力的にも出来た圧倒的な差は、戦いが長引けば長引くほど開いていくようだった。


 鋤先がついている方と、ついていない持ち手。鋤の両端を、存分に操る八徳の、常識からかけ離れた戦い方。

 肉体的ではない、侍はとうとう、心理面からの狼狽も刷り込まれた。完全に八徳が醸し出す獣のような雰囲気にのまれてしまったように見えた。


「やるじゃねぇか! じゃあこれならどうだ!」


 今、横浜港崎この通り。

 見守る野次馬たちには、信じられないことが起きていた。そしてそれはそのまま、決着に至った。


 勝負にかかって押し込もうとするも、押し込めきれない八徳。地面を蹴って少しだけ間合いを取ると、ザクっと 地面に鋤を突き立て、


「ムゥン!」


 気合一喝。

 掘り起し、鋤先を振り上げることで、掘った土砂を、大量に男にかぶせる。それが勝負を分けた。

 いきなり砂の散弾を浴び、油断できない状況下で、男は視界を奪われた。

 細かい砂利が目に入り、手で顔を侍が覆ってしまったところに大きなスキができた。


「ま、待ってくれ! 目つぶしとは卑怯な!」

「てめぇ! 上方の小競り合い、命のやり取りで奇麗汚ぇ気にしてきたってぇのか!?」

「まて、まて……」

夜街よまちの侠客……なめんじゃねぇぞ固羅コラァァァァァァ!」

「……ぃやぁめぇぇろぉぉぉぉ!」


 思いっきり、八徳は鋤を振り上げた。思いっきり八徳は振り下ろした。もはやこの時には八徳も、男からの反撃があるかもしれないことに対する防御の意識は捨て、一撃だけに注力した。


 遠心力が、鋤先の重量が、八徳の腕力が、そして八徳の魂の叫びが、無防備となってしまった男のドタマに直撃。


「開府300年の泰平の世。東方の侍が腑抜けになっちまってもな、その間、遊郭ができて、侍が問題を起こして。それを取り押さえたのは……いったい誰だと思ってる? それが始末屋。町の男なんだよ」


 小さく、最後八徳がつぶやいたセリフは、おそらく侍には届いていない。それを喰らって、侍が、崩れ落ちないわけがないのだ。


「カオナシ殿、貴方‥‥‥」


 お侍。それも世論を二分する、幕府派と攘夷派の殺し合いが散見できるような西方あがりと見受けられる剛の者。

 それを、頭巾をかぶった怪しげな、遊郭のすれ違いが倒して見せた。


 そのすれ違いこそ、先日えにしが出来、今日接待してやりとりしたときに見た八徳、もといカオナシ。

 ゆえに、この結果に終始見ているだけだった呉服屋は、絶句してしまっていた。


 呉服屋だけではない。騒動の行方を見守っていた者たちも、押し黙っていた。


「……どいてくれ」

 

 あたりは、シンと静まり返っていた。その中で、動き出したのが八徳だった。


 静かに声をあげ、ふらりとどこぞへと歩む。向かった先は、先ほど接待を受け、鈴蘭を紹介された妓楼だった。

 本当はこの見世に逃げ込むはずだったが、もう目と鼻の先というところで、襲われてしまったのだ。

 一言二言、見世の者と交わして、帰ってきた時には、酒の入った大徳利を八徳は下げていた。


「さすがは始末屋勇猛果敢。いや、今や異世界でのうのうと生きている俺には、言われたくない……か? 最期燃やした命の炎。見事だった」


 今回の一件で、このくだらない侍の為に犠牲となった始末屋の下っ端を、弔うためだった。

 たっぷり中身の入った徳利。栓を空け、遺体に直接かからない様、その足元すぐ近くに、打ち水のように酒を広げた八徳は、両手を併せ黙とうした。


「よぉ! アンタが始末屋大将かい?」


 合唱を終え、おもむろに、始末屋たちを率いている年長の男に呼びかけた。

 今のことがあったから、始末屋大将と思しき男は、目を丸くしたまま微動だにしなかったが、八徳はそれでも構わなかった。


「良い若ぇがいるじゃねぇか。この場は、あとは頼んだ」


 足幅は肩幅と同じ広さに、少し膝を曲げ腰を落として頭を下げる。両手は膝の上。

 侠客としての最敬礼を、送って見せた。


『どけ! 奉行所である!』

『どかれよっ! 道を開けよ!』

「……あ゛」


 その時だ、頭を下げたままの八徳は、どこぞ遠くから聞こえる息まいた声に、ゾクッと身を震わせた。


(この声ってぇのはぁ‥‥‥)


 聞きなじみがあった。だから寒気に襲われた。


(お奉行‥‥‥)


 聞き違えようがない。転生する直前。八徳が、まだ始末屋八徳として、最期を迎えるときに、その場で聞いたもの。


(まさか、エゲレス側に生かされていると知られるわけにゃあ行かねぇし)


「呉服屋殿」

「へ? あ、ハイッ?」

「接待、ありがとうございました。申し訳ありません。私は、今日はこの辺でドロンさせていただきます」

「……は?」

「ドロン!」 

「あ、カオナシ殿っ!」


 奉行所の臨場が近づいているというなら、この場に八徳が突っ立ているわけには行かなかった。

 拍子抜けの声をあげた呉服屋に取り合わず、わざとらしく両の手指で忍者宜しく印を汲むと、そそくさと立ち去った。


 影から影へ。遮蔽物に身を隠し、臨場の為に駆けつけようとする奉行所の者たちとすれ違い、やり過ごしたのは言うまでもない。


「ん? どうした? また何か起きたのか? いや、そんなこと気にする余裕もないな」


 遊郭の大門を過ぎたあたり。先ほどの現場と思われる方面から、ドッと歓声が沸き立ったのを聞いて立ち止まった八徳。

 しかしすぐにその場を離れ、また物陰に隠れた。カオナシのまま、家に帰って庄助たちに挨拶をするわけにはいかない。

 頭巾を脱ぎ去り、それを誰にも見られていないかどうか、不安し、人の目を気にするように帰り道を往った。


「いらっしゃ……あ、八徳さん、今日は結構に遅かったのじゃないかい?」

「へい、すいやせん。商談が、長引いちまいやして」

「そうかい? まぁ、日を跨がず帰ってこれてよかったね。おかえり」

「おかえりなさい。八徳さん」

「……ただいま、帰りやした。若、姉さん」


 そうしてしばらく、長い一日を終えて、牛鍋宿六庵に到着。

 いまだ営業中にて店に出ていた庄助と綾乃に向かって、ニコリとはにかんだ。

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