供述書整理
(どうにも符合しねぇ)
場所は外国人居留地、ヴァルピリーナの屋敷内。
時は、日課の瓦版の読み聞かせを終えてしばらくが経った頃。
上等な用紙を目いっぱい汚した八徳。
汚したというのは、先日鶴見から港崎遊郭に訪れ、”カオナシ”こと亀之助が殺される一部始終を見ていた一太郎から吸い上げた供述を紙全体に落とし込み、整理するためだった。
いわば八徳の捜査手帳のようなもの。これをにらむ八徳は、浮かび上がる事件の不明な点に首をひねってばかりだった。
(俺が臨場する時にはすでに始末屋によってしょっ引かれた下手人。花魁だっていうじゃねぇか)
それが、一太郎から耳にした供述。
犠牲者である《亀の字》こと亀之助は、一人の花魁に殺された。
(ちょっとドジも多いお調子者だが、気のいい性格。それが、亀之助の本性だって、一太郎は言っていたが……)
一太郎が亀之助を知っていたのは、当日、別々で港崎遊郭に来ていたものの、二人とも鶴見村の出身。顔見知りであったことからだった。
後先を考えない、少しおバカなところがあるらしいとの一太郎の談。しかし……
(そもそも遊郭は夜の街。日常の閉塞感から解き放たれたいとして客たちが訪れる桃源郷。酒に女に、ハメを外しにやってくる。当然普段のタガが外れりゃ馬鹿にもなるだろうが。そんな男たち溢れるような遊郭で、ちょっとした馬鹿によって殺されるものか? 許容範疇な気がするが……)
何かしらの馬鹿を、亀之助は花魁にしてしまったから殺された……という一太郎の証言は、八徳には懐疑的だった。
一応、組み立てた推理もある。
臨場する前に鈴蘭から聞いた。カオナシが遊郭に溢れ、勇名のおこぼれに預ろうとして、様々な遊郭、花魁に声をかけていたという件について。そしてその後、呉服屋が広げた大風呂敷によって、カオナシの馴染みが鈴蘭であることが触れ回った件について。
これが、今回の事件に深くかかわっているのではないかと。
(亀之助は港崎に訪れてから、まず、件の、のちに下手人となった花魁を抱いた。そしてその足で、頭巾を被って”カオナシ”を演じ、あわよくば鈴蘭とのお遊びに興じようとして……先に抱かれた花魁から『侮られた』と怒りを買い、殺された)
首を、横に振った。腑に落ちないことが幾つかあった。
(だがぁ、それに怒って花魁が亀之助を殺したのだとしたら、少なくとも”カオナシ”として頭巾をかぶった中身が亀之助だと、花魁は知っていたことになる。あり得るのか? だとするなら亀之助は、その花魁を抱いた後、彼女の目の前で頭巾を被るか、鈴蘭のもとへと遊びに行くことを伝えていたことになる)
いくら一太郎の言った通り、亀之助がお調子者だったとしても、さすがにそこまでおまぬけなことはできないと八徳は考えた。
自分に置き換えてみる。寒気がした。
例えば、馴染みの鈴蘭を抱いたとして、そのあと、「ちょっと他の花魁と遊んでくるね♡」なんて言おうものなら……
(寒気がしてきた。いや、余計な心配か。本当に、アイツとの関係が崩れた可能性も……)
ワシワシと、強めに頭をかいた。いつの間にか考えるべきものとは違う事柄に腐心しそうになったからだった。
「と、は、い、え?」
頭を切り替えようとして、知らずのうちに声が漏れた。しかしそこから先はまただんまりだった。
(それでも、殺すところまで至ってしまったのはやりすぎだ。そもそもその為に、俺たちがいた。遊女を軽んじ、浮気に手を伸ばす阿呆ども仕置きする始末屋が。それに……)
遊郭の裏の顔。かつての八徳の生業であった始末屋。
単に問題が起きたら出張るだけではなかった。代金の回収や喧嘩の仲裁だけではない。
遊女に対して仁義を欠いた男に、遊女に代わって仕置きを施し、その遊女の鬱憤を晴らす役割。いわば復讐屋としての側面もあったから、今回のところで人死にまで至ったのは正直なところかなり衝撃的。
(反対に、その怒りをあえて飲み込むことができたら、花魁としての器のデカさは男性客に知られるところになる)
そんなことも思った。
八徳が臨場した時にはもう、下手人花魁は始末屋たちにしょっ引かれていたから、確認する手立てはないが、市太郎から聞いた話では、亀之助を殺した花魁は、どこかの妓楼の《散茶女郎》格だというのは聞いていた。
女郎格の中では一般の部類に入る。とんでもない開きのある格子格とは違って、遊ぶための費用は、何とか市井の男たちにも手が届くくらい。
富豪たちからの指名が入る格子格女郎は、取る客の人数の多少ではなく、質で勝負する。ゆえ、自尊心の高さから、客を振ることさえある。
一般格の散茶女郎は違った。多くの客を取ってなんぼだった。
なら、仮に亀之助が、鈴蘭のところでのお遊びに挑戦しようと花魁が知ったところで、花魁が我慢できたとするなら、「あの花魁は他の花魁と遊ぶことを許してくれる」……つまり、「多くの花魁との掛け持ちが出来る花魁」と見られ、複数の花魁との浮気を望む一部の男たちから、一定の評価にもつながるはずだった。
(もちろん、自分が取った客の浮気を許すことになるから、花魁としての格自体は浮き沈みなくても、女としての格は下がり、ほかの花魁からは軽んじて見られるわけだが。それだって、客の男への口止めをしっかりしておいて、他の花魁にさえ分からなければ、別に問題はないはずなんだぜ?)
なのに、殺すか?
客の男の浮気を胸にしまうことができれば、客からの使い勝手の良い花魁だと評価されることにつながり、始末屋に頼んで浮気のお仕置きを願えば、女としても、花魁としてもその面目を保つことができる。
……殺すのは、どうあっても身の破滅しか未來が残されない、最悪の選択であるはずだった。
(それを、禿から新造に上がって、何年も修業してやっと一人前の遊女になった奴が簡単に選ぶとは思えない)
今は昔、始末屋だったら八徳。今やもはや始末屋ではない八徳。
ゆえに、彼が今、行っているのはあくまで始末屋のまねごとに過ぎない。
思いもしなかった”自分が殺される”という事件が発生して、久しく昔のように捜査を始めた。
組みあがった推察によって、おそらく”カオナシ”が殺されたのは、別の女を抱いた”カオナシ”が鈴蘭も抱こうと息巻いたことが裏目に出たからだと予測した。
としても、せめてその復讐を始末屋による復讐にとどめておくべきだったこと。死を持った制裁に、何の利点もないことを知っていたはずの下手人が、自らそれを実行したとする謎だけが残ってしまって、それがどうにも八徳の中で腑に落ちなかった。
【のう、カオナシ】
【ん~?】
現場検証が開けて翌日。既に通訳報告も終え、”自分”が殺された事件に集中していた八徳。チャリンチャリンと音を鳴らしながら、貨幣を数え、今月の商いによる支出を再計算しているヴァルピリーナに呼びかけられた。
【……ん?】
あまりに、捜査情報の精査に意識を向けてしまっていたから、それ以外への注意が散じていた。
そして今、返した答えをふと思い出し、ハッと目を見開き、ヴァルピリーナの方へ振り返った。
【ぐ‥‥‥ガ‥‥‥】
絶句した。視線の先のヴァルピリーナが、怒りの孕んだ笑みを浮かべながら、計算のためかけていたメガネを外し、まがまがしい瞳を向けて来ていたからだった。
【やはり、お前が、カオナシじゃったか】
威圧するように、感情がはっきり伝わるように、至極大きな声で、強い語気で、そして一言一言をつむぐ彼女は体を震わせていた。
ヴァルピリーナは、頭巾をかぶる八徳を、日本人の商人と商談するときに重宝していた。
しかし八徳がヴァルピリーナのところ以外で、遊郭で、《カオナシ》として活動していることまでは知らないはずだった。
それが……今日、たった今の問いで、知られることになってしまった。
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