異世界転生したら情報屋になってた件

永真遊郭の八徳、港崎のカオナシ-1

注.)史実では、永真遊郭と港崎遊郭は同時代に存在しておりません。

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(き、き‥‥‥来てしまった)


 八徳が白目をむいて呆然としたのはしょうがないことだった。


「なんと、如何なされたカオナシ殿。杯が渇いておりますぞぉ!? ささ、お前たち。酒をお注ぎ酒を!」

「さぁ、ヌシ様?」

「まだまだ酔われるのは無粋ってものでありんす」


 部屋‥‥‥というより座敷。柱なんて物凄い彫刻が施されているし、襖やら屏風やらに描かれたものも見事。

 火の灯された紙灯籠一つとっても決して安いものではないが、夜がまだ始まったばかりの時間帯とはいえ、日は既に暮れたうえで大変な明るさ。大量に、紙灯籠は配置されていた。

 

 そんな場で、遠慮一切なしのどんちゃん騒ぎ。

 軽快な拍子で打たれた太鼓。続く三味線の音は散って飛ぶ。その調に乗って、歌い、底が抜けた様な大声で笑っているのは‥‥‥


「いやぁ、楽しんでおられますかなカオナシ殿。それではもう一杯! 私たちの出会いの証に!」


(呉服屋の‥‥‥親父ぃ!)


 何を隠そう、先日ヴァルピリーナの商談で出会ったばかりの呉服屋の旦那だった。

 上機嫌。両手に華とばかりに、左右に遊女たちを侍らせ、全て自分の女だというかのように自らに抱き寄せた。


(やべぇ、苛立ちしかわかねぇ!)


 まさかのことだ。だから転生してこのかた久しく感じていなかった狼狽という感覚に、八徳はこの場で囚われた。


「折角の遊郭。そしてすべてが私持ち。是非、心行くまで存分に楽しまれよ」

「ハハハ‥‥‥」


(来ちまった。来ちまった……)


 それはそうだろう。遊郭で精いっぱい生きて、遊郭の為に死んだ八徳が‥‥‥


(来ちまったぁぁぁぁぁ!! 遊郭にぃぃぃぃぃぃぃぃ!)


 呉服屋旦那の接待として、港崎遊郭に連れてこられてしまったのだから。


「それで大旦那? こちらの主様について、紹介してくれないのでありんすか?」

「ヒッ!」

「カオナシ殿ではワッチらもこちらの主様に申し訳がたたないでありんす」

「ヒィッ!」


 外国人居留地で働いている日本人の正体を知られないように、頭巾をかぶっているため、カオナシと彼らから呼ばれている元遊郭始末屋八徳。

 幾ら遊郭の裏側にも通じていたとはいえ、お客として遊女たちと接するのはこれで二度目だった。

 というより、紅蝶は幼馴染で気心も痴れた間柄だったから。本当の意味で、初めて出逢った遊女のもてなしを受けるのは人生初。

 呉服屋旦那に八徳の紹介をねだる、今日初めて会った遊女二人が、左右から八徳にしだれかかってきては、彼もどうしていいか分からなかった。


 それに、ここは永真遊郭ではなく、港崎遊郭だった。


「なんとも反応が可愛らしいじゃござりんせんか」

「大旦那のお連れ様だっていうなら、こちらも誠心誠意おもてなしを」


(コエ―よ! 女郎の笑顔がコエーよっ! 紅蝶の時とは全然ちげぇよっ!)


 女の味を知ったのはつい1、2か月前の事。始末屋として生きてきたとは言え、基本的にはウブ。だから慌てふためいてならなかった。

 

「うん! そうかそうか! お前たちも知りたいかっ!」


 が、それが呉服屋旦那には面白くてならないらしい。


(楽しんでんじゃねぇ! 助けろよ!)


 ‥‥‥皮肉なものである。

 八徳は遊郭の裏の裏まで知っている。勿論取った客と過ごすときに浮かべる表情のほぼすべてが、偽りであることも知っているし、彼なら一目で理解できた。


「だが、私も知らん!」

「えぇ?」

「そんな殺生なぁ」


(っていうか気づけよっ! 女郎たちのこの商売用笑顔に!)


 間違いなく、八徳にとって嬉しくない遊郭を使った接待。もてなしをする、笑顔に心がこもっていない女郎たち。

 そして、そんな接待は多分‥‥‥呉服屋旦那にとっては上手く行っていると思っているように見えた。


「失礼するでありんす」


 接待を受けたのは完全なる失敗。呻きたいのもこらえ、この苦行をどう切り抜けてやろうかと考え始めたところで、座敷とそれ以外を隔てる障子の先から、少し甲高い声が聞こえた。


「鈴蘭かい。入っておいで」


 騒がしい座敷内ではあるが、良く通る声。

 終始笑顔だった呉服屋旦那は、一つ深い息をつき、障子の先へと顔を向けた。

 まもなくススっと静かに障子が開かれ、明るさに満ちた座敷とは打って変わって、日が落ち、闇に飲まれた廊下から、スゥっと浮き上がるように、他の遊女に負けず劣らずな豪華な着物を纏った女、鈴蘭が現れた。


(へぇ? 出で立ちも顔立ちも鮮やか。だが、たおやかさ、しおらしさがそれらを嫌みにさせない。悪くない。間違いなく、人気の得られる商品・・だ)


 第一印象として、八徳に浮かんだのがコレ。ここはさすが、遊郭で生きてきた者の感想。

 並みの男なら、一目見て恋に落ちるほどの美貌に対し、商品と切って捨てた。

 美貌と器量と才能で、客を取り合う夜の街が長いから、美女つわものどもは見慣れていた。それも、持つことを禁じられた恋愛感情を差し引いた、贔屓目ない物の見方によって。


 どのような雰囲気、顔立ちが人気となるか。近い将来、その花魁がどのように変わっていって、どんな風格を纏うかまで、八徳もとい、カオナシには予測が出来るほどだった。

 

「カオナシ殿。鈴蘭という、私が水揚げ(遊女としても女性としても初体験)相手を務めた花魁です」


(って自慢かよぉぉぉっ!!)


 次いで、言われた内容に、思わず八徳は心の中でツッコミを入れた。この助兵衛親父をどうしてくれようか‥‥‥とすら思った。

 夜の街で自然に鍛えられた審美眼をもって、評価した鈴蘭。ただそれだけなのに、呉服屋旦那の言いようが、「どうだ羨ましかろう?」とでも聞こえるからやるせない。


「お久しぶりでありんす。大旦那」

「変わりはないかい?」

「ハイ、おかげさまで。今日この場に御呼びたてなんし、感謝の言葉もござりんせん」


 ただでさえ遊女二人が手に余る上、水揚げ相手を自慢したいのか、3人目の遊女を呼んだ呉服屋旦那。

 正直一遍も面白みを感じず、帰りたくなった八徳は、普段イラつきを禁じ得ないが、それでも職場のヴァルピリーナの元が恋しくなった。


(あぁ、帰りてぇ‥‥‥)


「カオナシ殿」

「ハイ?」


 一刻も早く抜け出したい。そんな考えに捕らわれたことで、呉服屋旦那に対して油断やスキを見せまくる。


「件の花魁です。《港崎心中》で死んだ三甲堂跡継ぎに懇意にされていた‥‥‥ね」

「おっ‥‥‥とぉ?」

「「「お、大旦那!?」」」


 そんな八徳だからこそ、いきなりの告白の破壊力は抜群だった。


「心中事件の当事者がいる。なので呼び寄せました。酒の席の話のネタには丁度いい。」

「……宜しいので? 基本、遊郭遊女の不始末は、外部に漏らさないのが筋と聞いています。現に、少し前に起きた永真での一件。未だ当事者の遊女の名前は上がっておらず。永真の中だけの秘密とされているようなのに」

「《始末屋八徳横恋慕》ですか。少し性格が違う。あれは遊郭の中で起きたこと。これは遊郭の外で起きたこと。どちらにせよ、心中した三甲堂跡継ぎの女房は、夫を刺し殺す前、鈴蘭の名を連呼したという。それを聞いたものは多いですし、その情報も、何度か瓦版にも出ました」


 驚きを隠せず、問い返した八徳は声を震わせた。特に《始末屋八徳横恋慕》という、八徳のあの事件に銘打たれた呼び方を聞いたとき、キュッと拳を握った。

 登場したばかりの鈴蘭も、酷く動揺を見せていた。事件の話、殺害当時に自分の名が叫ばれたくだりでは、ビクリと身を波打たせた。


「それでもやりすぎとお見受けします。特に遊郭の情報の秘匿性の高さは、もはや遊郭の対外的な武器でもある」

「でしょうな。昨今など特に。幕府派と攘夷派のお侍連中が、情報の保管や伝達の為に利用しているところもあるでしょう。その情報を他に知る者があったとして、店の楼主くらいのものでしょう」

「言ってしまえば、その情報と秘密を守る口の堅さと、心の強さが見込まれている。安心感があるから、そういう秘密のある連中は、遊女を話し相手として選ぶ。いや、そうでない遊女は遊女ではない。遊郭では、生きていけない」


 仕事中、外国人居留地にあるとき、また、今日のような接待の時、正体が知られないようにと頭巾をかぶっている八徳。しかしながら……


「先日の商談より思っていましたが、貴方は大人物。その考えは今日強くなりました。港崎の大見世は、高級遊女の中でも格子格を複数人侍らせてなお、浮気扱いされていない。それが許されるほど信頼が店から置かれ、お遊びの実績もあるから鈴蘭の水揚げも託された。それまでに一体どれだけ金を、貴方はこの妓楼に落としたのか。ですが‥‥‥」

「ぬ、主様‥‥‥」

「ならば貴方がいくらこの妓楼で生きていなくとも、もはやこの店の権力者であり実力者に等しい。店の一部と言ってもいい。だというに、貴方が世話し、世話になっている妓楼に対し、その暗黙の掟を破りなさるのですか?」


 いわば遊郭の暗黙の掟が、このように破られたことについて、始末屋としての元の地が出すぎてしまった。

 今のセリフを受け取った鈴蘭は、驚いたように八徳に目を剥いていた。

 先は、あれほどそのウブさをからかっていた遊女たちも、絶句していた。


 ただ一人、ムスッと八徳の言を受け止めていた呉服屋の旦那に至っては、急にニッと笑うに至った。

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