O・MO・TE・NA・SHI

【さて? 意図を聞かせてもらおうじゃねぇか】

【何がだ?】

【ウチの若旦那と姉さんを引っ張った理由だ】

【何も。ただ、外国人居留地入口で見かけた故な。あの場で騒がれてもかなわぬ。ならば、日頃飼い犬のお前の面倒を見てもらっている彼らに、飼い主として、もてなす形で感謝を示そうと思ったまで】


 外国人居留地入口前で、庄助と綾乃に邂逅したヴァルピリーナが、居留地内の屋敷に招いてから1、2時間が経った。 

 その中で、エゲレス語を喋れるという事実を庄助たちに伏せたままにしていた八徳は、しかし今は二人の前で、ヴァルピリーナに問いかけた。


 それが出来る理由があった。いま、庄助も綾乃も、とあること以外にまるで意識が向けられて否からだった。


「凄い。凄い! 異国の食肉文化はここまで!」

「『食肉は野蛮ではない』のだと、これらに諭されている感覚がいたします!」


 日本ではまずお目にかかれない、異国の牛肉料理が、所狭しと押し並べられていたからだった。


【お前もどうじゃ? ここに奉公に来ている時には口にできぬ代物であろ?】


 少女には似つかわしくない、ねっとりとした色香のある視線をもらう八徳は、それよりも、庄助たちの驚き様に白目をむきそうになった。


「オアジ、ドーデスカ?」

「美味。まさしく美味しいです!」

「ヨカッタ。ニポンジン、ニクタベナイ。デモ、ウシノニク、has a potential」

「蓮はポテ‥‥‥」

「多分、牛の肉にゃ、万人に受け入れられる資質があると言っているのかと」

「そ、そうかもしれないね。いやこれは‥‥‥驚いた」


 肉を調味料で焼いたステーキなるもの。

 同じく調味料と多種多様な野菜で煮込んだグラーシュなる汁物。

 他にも牛肉を使った料理がズラリと並べられ、これを庄助たちはご馳走になっていた。


「特に”ぐらっしゅ”なる汁物が凄い。肉は煮すぎると硬くなる。牛鍋だってそれが懸念」

「ホロホロと口の中でほどけ、サクリと歯切れもいいですね!」


 庄助も綾乃も、遠慮という言葉を知っている。現にソレを日々無意識に実行している。それらをまるで投げ出したかのように、お行儀なく出された食事に手を伸ばす様、異国の料理に、相当なる驚きを見出したに違いなかった。


【八徳、お前の若旦那、なかなか味がわかるようだ】

【若を舐めるんじゃねぇよ。もともと宿六庵はただの居酒屋だ。跡取りとして、ずっと親っさんに仕込まれていた。そして親っさんは、ほとんど周囲に例を見ない牛鍋屋業態の展開を若に一任したんだ】

【へぇ? 突出せしは、調理の才。そして繊細な味覚か】

【お前も知っている通り、日本での食肉の敷居は高ぇ。特に牛なんざ、田畑耕す用途に使われる。土にまみれた畜生の肉喰いたくねぇってな】

【なら、その前提で牛鍋屋を始めるとは、相当な賭博だ】

【若は料理に関しちゃ一級品。その腕があれば、あの人が作った牛鍋なら、その概念を打ち砕ける】

【ほう、根性のかけらもないただのお坊ちゃんかと思ったが、なかなかどうして、人には必ず、秀でているところが一つくらいはあるらしい】

【言い方!】


 ふてぶてしい物の言い方を、満足げな笑みで放って見せるヴァルピリーナに八徳は釘をさした。


【八徳】

【なんだよ】

【この者たちに、私から牛肉を購入させろ】

【‥‥‥なるほど、それがこのご馳走の意図か】


 ご馳走に忙しい庄助たちを前に、硝子杯に入った赤葡萄酒をくるくると回し、クイッと口元に傾けたヴァルピリーナのおもむろな発言に、八徳はニヤッと笑った。


【日本向けの商売は、まだまだ手探りな部分が多いでな。何が売れて買われぬのか、いまいちハッキリしておらぬ。ゆえに一つの品だけを見定め、仕入れて売る専門卸より、手広く扱った方が却ってよい】

【いいのかよ。売れない物を分からず揃えるってことだろ? 買われなければソレにかかった元手がまるまる損だ】

【だから、商機があるなら掴みとりたいものだな。確実にだ。まぁただ? 今後はそういったギャンブルも少なくなろうて】

【本当かよ】

【他人事にするな? その為にお前を飼っている。何が売れ、必要としないのか。その情報を日本側から効率よく吸い上げるために、日本語を主とし、現地に溶け込んでいるお前が、我々の言葉をもって伝えてくれる。だろう?】

【へいへい。せいぜい、うちの若たちに吹っかけるはやめてくれよ】

【ちゃんとお前が仕事をしてくれるなら、そのあたりは加味してやるさ】


(女は化けるものだが、どうもこいつは、化けるというより化物だ)


 八徳と話すときに見せるのは、人の生肝を喰らうような悪鬼羅刹の笑み。

 が、料理に躍起になった庄助たちを見やるときは、見惚れるほどの美少女違いない微笑みを見せていた。


【さて? 慣れぬプロモーションを受けた彼らだが、そろそろか?】


 腹黒さを、見事なまでに清純よろしくな表情で隠してしまえるヴァルピリーナが、八徳は時々人間のようには思えなかった。


「若、姐さん、ヴァルピリーナ嬢が御用で」

「あ、スミマセン!」


 あまりに料理に注力しているから、改まって声をかけられ、庄助は慌てて背筋をピンと、座りをただした。

 因みに、ヴァルピリーナを”殿”と呼ばず、”嬢”と呼んだのは、庄助たちへ、彼女に対する緊張を取り除くため。


「オフタリ、ギュウニク、カッテホシイ」


 晴れやかな笑顔。ヴァルピリーナが八徳を見るときの怪しく艶やかな視線はナリを潜め、庄助と綾乃を見る目は、パッチリと明るいもの。


「ショスケサン、アヤノンサン、ヨロシク」

「しょ、しょすけさん‥‥‥」

「綾乃んさん?」


 舌ったらずな日本語。そこは、良いだろう。エゲレス人のヴァンピアーナが慣れぬ日本語を使うのだから。

 だがソレを、屈託ない笑顔で、可愛らしい素振りで口にしたとしたらどうだろうか。


(この……女狐ぇぇぇ!!)


 男なら、異人であっても美少女の華やかな笑顔と可愛い声での舌ったらずな呼びかけに、コロっと行くだろう。

 女なら、日本人とはまた違った彼女の美しさに、西洋人形を愛でる様な感覚を覚えるかもしれない。


「ギュウニク、オイシイ。ギュウニク、ウレル」

「確かに、牛肉の可能性には、目を見張るものがありました」

「日本人がこれら味を知ったら、牛肉への敷居は低くなります。牛肉の需要は高まる。牛鍋を既に始めている庄助様が、先行者利益を手にすることだって」


(あ、あっさりと手玉に取りやがった)


 最初出逢った時の、警戒感は全くない。

 呼びかけのたどたどしさに可愛らしさを覚えてクスリと笑ったものの、二人とも、異人ヴァルピリーナを受け入れているようだった。


「だけど、ヴァルピリーナさんから買うとなると‥‥‥」

「えぇ、他の同業他店との兼ね合いもありますし。買い付けを持ち回り制にするなら、他の同業他店がこれまで仕入れていた牛肉の購入元を無視することになってしまう」


 ただそれが商売の話となると、夫婦候補は慎重になった。

 

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