遊郭じゃ、始末屋一流客五流

花魁の名折れ

「カオナシ様」


 視線が突き刺さるは百も承知の八徳。しかしあえて気付こうとはしなかった。


「あの、お客さん、宜しいのでありんすか?」

「気づくな。気づくなよぉ。気づいたら負けだ。負けというか‥‥‥られる。そんな気がする」


 たとえそれが、目の前で共にお手玉遊びをしているコリンが、気付くようにと八徳に、目配せと呼びかけをして示してようが、相手にしなかった。


「カオナシ様?」


 明らかにコリンの顏は戦々恐々としていた。そして後ろからは咳払いが何度も聞こえてきた。


「カオナシ様には、幼女偏愛の趣向がありんすか? それとも‥‥‥」


 八徳を呼ぶ声は低く、けんも伺えた。

 気づかないようあえて務めていた八徳だが、ここまで来ると、今更自分に殺気を送っている者に向かって、意識を向けることが怖くも感じた。


「生息子(童貞)じゃ、女一人と顔向けする根性すらありんせんか?」

「だ、か、ら、生息子じゃねぇし! Cherry boyじゃねぇし!」


 だが、その抵抗はあっさりと破られた。というより、心の琴線を発言で触れられ、頭巾をかぶったカオナシこと八徳はあっさり、非難の主である鈴蘭に食って掛かった。


「……あ」

「やっと、わっちに顔を向けてくれたでありんすね」

「今のはズルいんじゃないか? 鈴蘭」


 全くもって、彼女の手の上で踊らされた八徳。男を手玉に取ることの慣れた鈴蘭に、八徳が抗うことは出来なかった。


「大旦那からお聞きしんした。カオナシ様は生息子なのだと」

「だーかーらー」

「申しつけられしんす。カオナシ様の水揚げ(卒業式)は、わっちに努めてもらいたいと」

「あ、あの人は‥‥‥」


 顔色一つ変えず、淡々と口にする鈴蘭と、その内容の裏に、刹那の間、呉服屋旦那の下品な笑みが閃いた気がした八徳は、四肢を畳に付けた状態で、がっくりと頭を垂れた。


「コリン」

「ハイ、姉さん」

「覚えておきなんし。殿方を真の殿方にするのも、花魁でありんす」

「覚えしんす」

「覚えるなっ!」


 そんな状態の八徳を捨て置きコリンに語り掛ける鈴蘭に、情けなさを覚えた八徳は悲鳴じみた声をあげた。

 というか、10歳にも満たない禿の少女に、自分についてこのように言われるのが恥ずかしくてならなかった。


「お前も、わざわざコリンに言わなくていいから」

「あれまぁ、これも教育でありんす。寧ろわっちから言わせてもらえば、カオナシ様こそ不粋モン」

「ブスッ!?」

「そうでござりんしょう? 懇意の遊女は夜の妻。そのわっちを前に、わっちとの一席で、カオナシ様はコリンを呼びつけになりんした」

「うっぐ!」


 遊郭の育ちだからこそ、鈴蘭の《無粋者》の一言は響いた。

 廓言葉を操る遊女たちの中で、空気の読めない、男らしくない、思い切りのない、ケチなど、男を最もこき下ろすときに使われる言葉だと知っているからだった。


「異論が?」

「異論も異論だ。そもそも懇意なんちゃ呉服屋殿は言ってたが、多く見積もったって今回は《裏》(遊女と会って二度目)だろうが。前回の宴は《初回》(初めて遊女と会う)。だったら《馴染》ってのは普通三度目で‥‥‥」

「ほぅら、だから言いんした。無粋モン。口を開けば言い訳でござりんすなぁ」


(あぁ、もう嫌だコイツ)


 鈴蘭の言うしきたりは、八徳も知っていた。

 異世界に少しずつ慣れてきた八徳から見れば、《初回》はお見合い、《裏》はお食事会になるだろうか。

 《馴染》というのは結婚に相当するとみられていて、便宜的に夫婦になったとも遊郭で見られるゆえの、床入りが許される。

 ゆえに、本来なら八徳の言い分の方が正しいのかもしれないが、既に呉服屋の思惑に乗ったことで、この大店では、八徳は鈴蘭とは《馴染》となり、夫婦になったと捉えられている。

 鈴蘭の不満をそのまま受け入れるとなると、八徳鈴蘭夫妻は、祝言(結婚式)をあげ、さっそく夫婦仲が不良になっているということだった。


「俺がお前と懇意の関係に至ったのは、呉服屋殿が、外国人居留地の情報をお前さんから吸い上げさせるためのものだ。お前もそれはわかってるだろう?」

「知れたこと。ですがカオナシ様。それにしたって遊女には遊女の誇りというものがありんす。主様がわっちの夫になった今、夜の妻としての仕事を遂げられねば、ソレは花魁の名折れでござりんせんか」

「いや、いやいやいや、好きでもない男に抱かれて嬉しくないだろう!?」

「嬉しい嬉しくないの問題ではござりんせん。格子格は鈴蘭の、生き様の問題でありんす」


 きっと何言ってもこれはダメだと八徳は理解した。

 慌てて考えを述べる八徳に対して、冷めた目で、表情で、いけしゃあしゃあと述べる鈴蘭。


(まぁ、ホラ、確かに鈴蘭はめっぽう別嬪で、コイツと肌を重ねられるってなぁそりゃあ、他の男どもに対して優越感はないわけじゃないが……)


 どことなく開き直ったような感じがまた、八徳には痛かった。


(先日の、あのヴァルピリーナの言葉を受け取った昨日今日で、抱けるわけがないだろうがよ!?)


 別に、八徳は聖人君主を演じたくて、鈴蘭とのコトを回避したわけじゃない。どうにもヴァルピリーナに言われたセリフが、今日この遊郭に向けて歩みを進めていた時から、グルグルと頭をめぐっていたからだった。


「あ、あれからどうだ。客足は戻ってきたか?」

「主様には関係のない話ではござりんせんか?」

「い、いいじゃないか。お前の稼ぎが戻ることも一つ、呉服屋殿にとって嬉しい知らせとなるだろうし」


 まさに男らしくないというべきか。それが、話題を変えることに繋がらせた。

 そしてそれに対し、明らかに鈴蘭は顔を強張らせた。

 ジッと、鈴蘭は八徳を見やる。対して頭巾をかぶった八徳は、へへへと乾いた笑い声を上げていた。


「コリン、いいよこの場は」

「あ、いや鈴蘭。コリンにはまだ、この場にいてもらってだな」

「安心なんしカオナシ様。もう、今日は諦めしんした」


 ほどなく、諦めたようにため息をついた鈴蘭は、しなやかにコリンに向けた。

 コリンはその声を受け、深々と鈴蘭に頭を下げる。下げる頭は自分にではなく、八徳に向けるべきだとたしなめられ、慌てて八徳に向かって頭を下げたコリンは、部屋から出て、廊下へと消えて行った。


「客足の話」

「ん?」

「正直、カオナシ様には助かりんした」

「……どういうことだ?」


 目を伏せておもむろに口を開く鈴蘭。八徳は、その意味が解らなかった。


「あの後、大旦那とカオナシ様がお帰りになったその後日、この港崎には”カオナシ様”が溢れたことはご存知でありんしょうか?」

「カオナシが、溢れた?」

「夜の侠客、顔無き英傑。殺し撒いたぁ侍は、上方上がりの剛の者。通りすがりのカオナシが、エンヤコラサと投げ倒し、当身あてみ鋤技すきわざ八面六臂はちめんろっぴ♪」

「な、なんだいきなり」


 猶更分からない。答えることもなく、いきなり鈴蘭は歌い出した。


「この歌を当人に歌えるのは、わっちくらいの者でありんすなぁ」


 そしてあまりの分からなさに、八徳は頭巾越しにボサボサと頭を掻いた。

 氷女宜しく、全く表情を変えなかった鈴蘭は、明らかに楽し気に笑った。


「噂というのは、しばしば尾ひれが付くものでありんすが。主様の活躍はソレに違わず。先日は、存分に腕っぷしを振るっておりんした」

「み、見てたのか?」

「騒ぎはここからすぐ近くで起きんした。あの騒々しさを認め、見ずにはおれんでしょう?」


 八徳は面を喰らった。見られていたというのがわかって、バツが悪くなったのが、頭を掻いたのち、首筋を欠くことにもつながった。


「あのお侍様をカオナシ様が叩きのめした後でありんす。その時のことが讃えられ、この町で、いつの間にやらカオナシを遊郭の英雄として持ち上げた歌がうまれんした」

「遊郭の、英雄だと?」

「ただし、その英雄というのが……これまた随分な節操無しでありんして。頭巾をかぶった沢山のカオナシがこの港崎に現れ、『大見世仲見世の格子格以上の花魁と会わせろ』だの、『タダで遊ばせろ』だのと注文を付ける始末」

「……へ?」

「いろんな見世で。いろんな遊女に。それも同時に。主様は、この鈴蘭と懇意になってなお、浮気者でありんすなぁ」

「お‥‥‥い。まさかお前、それを……」

「信じる訳がありんしょう。只今の堅物のセリフ。どう考えたところで、主様には、いろんな女と遊ぶ度量も器量もありんせんな」

「馬鹿にしてるだろ」

「褒めているのでありんす」

「そうは、聞こえないんだがな?」


 少し頭が痛くなった。

 自分が英雄など、恐れ多くて言うつもりはなかった。英雄とまで言われる男が、夜の街で育つはずがないとも思っていた。

 だというの、あの一件はそのように評価され、おこぼれに預かろうと、真似する者が現れたということ。


「俺に、そんな価値はないよ」


 真似をする奴も真似をする奴で恥ずかしいが、真似された、大衆が持つカオナシ像の誉れ高そうな偶像化に、恥ずかしさを覚えた八徳は自嘲的に笑った。


「ゆめゆめ……」


 だが‥‥‥


「わっちの前で、たとえそれが冗談であろうとなかろうと、主様が、主様自身を『価値が無い』と断じること、まかりんせん」

「それは、お前の格に響くか」

「さすが主様は、よう遊郭遊女を知っておりんす。わっちなど、未だ足元にも及ばん格子格の姉女郎たち、馴染み客には目が飛び出るほどの金持ちや、著名な絵師、物書きなど文化人。高位官職を拝したお侍様がおりんすが……」

「いや、どーみても、馴染みにするならそういう客たちだろう?」

「それら姉さんたち一人として、主様のような、実在する英雄を馴染みとする花魁はおりんせん。『カオナシとの懇意』。それは姉さんたちすら持っていない、わっちだけの箔。ゆえに……」

「お前……」

「この鈴蘭、自ら『価値が無い』と処する夫の夜妻となったつもりはござりんせん」

「それは、すまなかった」


 鈴蘭が、八徳の卑下を許さなかった。


 確かに格を考えた場合、鈴蘭の言い分はもっとも。

 決して鈴蘭は、取りなしたつもりで八徳に言葉を放ったのではないかもしれないが、それでも、自分以外の者がそのように言ってくれた事実に、八徳もほころんだ。


「心ばかりの感謝を、主様には寄せているのでありんす。あの一件で、カオナシ様の謎に迫らんとする旦那衆からの指名が殺到することになりんした」


 伝えるべきところは伝える。それが済んだら説教はお終い。

 カオナシの話に戻る鈴蘭は、楽しげだった。

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