第24話 一汁三菜、おまけ付き
「……ねえ、登未っち?」
テーブルに皿を並べて、茶碗にご飯をよそっていると対面に座る紅葉が訊ねてきた。
登未は苦笑を浮かべて、しかし紅葉が何を言おうとしたのかを直感する。
責められるより早く謝罪すべきだろうと、登未はご飯を紅葉の前に置きながら謝る。
「……まあ、なんだ。威勢の良いことを言っておいて、その、すまん」
あまり豪華な食事を作ることができなかった。
予想に反して月夜の冷蔵庫に物がなかったので、ほぼ登未の家から持ってきた物だ。
基本的に1人分の食材を買う癖がついているので、品数に問題がある。
時間的猶予もなかった。まだ一品トースターに入れている。
「そんなこと、ないと思うけど……」
「……うん、いただきます」
本心か、フォローの言葉かはわからない。だが月夜たちは恐る恐るといった感じで箸を伸ばしていた。
登未は固唾を飲んで、横に座る月夜の様子を見守る。
朝ご飯の基本は、一汁三菜だ。味噌汁に主菜に副菜、副々菜。
味噌汁は、朝食用に砂抜きしておいたシジミがあったからまだ良いが、主菜としてのパンチは弱いし、副菜も副々菜も微妙な出来だ。一皿にまとめてしまったのも、物足りなさに拍車がかかっている気がする。
(むう。せっかくコンロが四口もあったのになぁ)
平行で料理が作れるというのに、時間も足りなくて納得できるものが作れなかった。
各人の前に並んだ料理を見て、登未は溜息を吐く。
主菜として、用意したのは出汁巻き卵だ。
卵を溶いて、出汁を合わせて、それだけでは物足りないので、もう一つ仕込んだ。
「わ、鮭だ」
月夜が弾んだ声を出した。言葉通り、鮭を焼いてほぐして入れておいた。自分の朝食用の鮭の切り身一つでは3人分に足りないので、卵の中に入れてボリュームを増した。
「ピーマンって、こんな料理があったんだね……」
副菜として用意したのは、ピーマンの焼き浸しだ。ピーマンを多めの油で焼いた後、ショウガと出汁と醤油を合わせた調味料に和えて馴染ませて、鰹節をふりかけた。
「きんぴら食べたの久々だあ」
「……これって、くるみ?」
赤い野菜が足りないと感じたので、にんじんと舞茸を使った副々菜として、きんぴらを作ってみた。酒のつまみ用にあったクルミをアクセントに加えたが、成功しただろうか。
登未は不安な眼差しを紅葉に、そして月夜に向けていた。
はたして及第点か、落第か。
結果はどのように判定されるかと、冷や冷やしながら見ていた。
「えっと、登未くん?」
横に座る月夜に声を掛けられた。
登未が視線を向けると、月夜が顔を赤くして、茶碗を差し出していた。
茶碗の中身は、空だ。
「あの、おかわり……?」
月夜の皿を見ると、おかずは半分ほど残っていた。
食が進んでいるらしい。塩分は控え目にしたつもりだが、失敗したか?
考える登未の前に、紅葉からも椀が突きつけられた。
「あたし、味噌汁おかわり」
「お、おう」
椀に、おかわりを入れ、そっと二人の前に置く。
すぐに紅葉は椀を取ると、ずっと口をつける。
月夜に関しては、目を輝かせておかずに箸を伸ばし、ご飯を口にかっ込んでいた。
「……味は、どうだろうか?」
「うん。おかわりするくらい美味しい」
輝いた目を登未に向けて、月夜の顔が喜色満面の笑みを見せた。
紅葉は、おかずを見て小さく呟く。
「よくもまあ、こうヘルシーな感じでまとめてくるよね……」
敗北感を滲ませる言葉だった。
女子の食卓に並べる以上、ヘルシーかつ栄養も考えるのは普通だろう。
更に、女子の胃袋が貪欲だと知っている。満足感が必要なはずだ。
そこだけは考えた。気になるのは味の評価だ。
「……合格、なのか?」
「……静かだと思ったら、アホなこと考えてんのね……」
紅葉の呆れた顔を見慣れてきた。しかし気になるのだから仕方ない。
登未は眉をよせて、紅葉の評価を待った。
紅葉は肩を一度すくめて、そしてきんぴらを箸で摘まんで口の中に入れる。
「美味いわよ。腹が立つくらい」
「……そっか。よかった」
登未は、深く長い安堵の溜息を吐いた。
安心したので、登未は食事を始める。出汁巻き卵に箸を入れて、口の中に入れる。
(……むう)
自己採点では、80点だ。しかし、仕方ないと言えば仕方ない。
初めて使うコンロと、フライパンだった。
使い慣れているフライパンと違い、その差から焼き加減に失敗していた。
(次は、失敗しない。……が、機会はないだろうな)
漫然としない想いを胸に、咀嚼したものを登未は飲み込む。
横から視線を感じた。月夜が口を動かしながら、登未を見ている。
何だろうと思い、月夜が声を出すのを待った。
月夜は口の中の物を飲み込むと、首を傾げた。
「……ねえ、登未くん?」
「んー?」
「なんか、不満そうだね?」
「まあ、うん。もう少し美味しく作れたな、と」
「……え、充分美味しいよ?」
月夜はショックを受けたように目を開いた。
しかし、登未は月夜の瞳より気になることがあった。
「いやあ。コンロを使い慣れれば、もうちょいと美味しくできる」
月夜の頬に付いたご飯粒だ。
気づかないのだろうか。何とも勿体ない絵面である。
「……ほんと?」
「せっかく使わせてもらったのに。せめて家からフライパン持ってくりゃ良かった」
半分ほど上の空で、登未は月夜と会話を続ける。
目線で気づいて欲しいと願うが、どうにも気づかないようだ。
「じゃ、また家に来て、作る?」
「……いいの?」
またキッチンを使わせてくれる機会をくれるようだ。悔しいので、せめて自己評価で90点は超えるくらいに習熟したいと思っていた。登未は月夜の頬に付いたお弁当のことを忘れて、目を合わせる。
「うん。むしろ、ご飯作るの教えて欲しいかな」
月夜は少し俯くように顎を引き、しかし登未を上目遣いで見てきた。
頼み事をするときの表情なんだろうな、と登未は思った。
なんとも卑怯な仕草を覚えやがると、心の中で鼻を鳴らす。
可愛い顔で可愛らしく頼まれて、拒否できる男はそう居ないだろう。
「はあ、別にかまわないけど……」
しかし教えるほどの力量ではない。今日に関して言うと、時間がなかったので、出汁も市販品の白だしを使い、あまり凝ったことができなかった。釈然としない表情でいると、対面の紅葉が不思議そうに問いかけてきた。
「ねえ、登未っち? あんたは、普段からこんな朝ご飯作ってるの?」
「いや。平日は食わないかな。休みの日は、作るけど」
今日も前日が男だらけの飲みを想定していたので、シジミの味噌汁の用意だけはしていた。
かと言って、そんなに力を込めて作る気はなかった。
他者に振る舞うのと、自分1人では献立が変わるのも当然だ。
独り者が飯に拘っても悲しい。
「自分が食べるためなら、最悪トースト焼くだけだし」
登未は何となく月夜の顔を眺める。舌鼓が聞こえてきそうな様子に、思わず口元を緩める。
そして未だに頬にご飯粒がついていた。いい加減気になってならない。取りたくなった。思わず腕が伸びる。その最中――
「いや、登未っち。あたしは別にそれでよかった」
紅葉からげんなりした声が聞こえた。少々受け入れがたい言葉であり、登未は苛ついた。文句を言わなければと眉をよせて、ぐるりと首を動かし紅葉を睨む。
「たわけ。顔の良い連中が、気の抜けた朝飯を取るなっての」
「……あー。あたしはどこから突っ込めばいいの?」
「まずは鏡を見てからだな。今はまだいいかもしれんけど、そのうち肌にダメージいくぞ?」
指を突きつけようとした。しかしご飯粒がついている。
勿体ないので、ご飯粒を口に入れると、そのまま指先を紅葉に突きつける。
「おおかた、今でも肌荒れに困るときがあるだろう」
「あるけどね。いや、あのさあ」
「野菜が足りねえ。かと言って肉も食えよ。バランスよくだ」
「あかん。無意識や、この男」
どうも話を聞いてくれてない気になる。紅葉は頭を抱え始めた。登未は首を傾げつつ、自分の箸を進める。ふと横の月夜の様子を見ると、箸が止まっていた。顔を赤くして俯いている。
(なんだ、こいつら?)
登未は不思議に思いつつ、食事を平らげ、ごちそうさまと告げる。空になった食器をまとめると、キッチンへ運んでいった。オーブントースターに入れてある物が気になっていた。中身を確認すると、良い塩梅のようだ。
「珈琲でいいか?」
じきに月夜たちも食べ終わるだろう。食後の珈琲を淹れようと登未は思っていた。
お湯を沸かしつつ、女子二人が珈琲を飲めるか不安になったので訊ねる。
「え、あ、うん。えっと、嬉しいけど、うちに珈琲なんてないよ?」
「ん。持ってきてる」
登未はカバンから珈琲豆の入ったキャニスターと、電動豆挽き、珈琲サーバーにドリッパーを取り出してキッチンに並べた。珈琲豆を電動豆挽きに入れてボタンを押し、一気に砕く。
挽きすぎないよう注意してボタンを放し、ドリッパーに紙をセットし中身を入れる。
コンロで火にかけているやかんに目を向ければ、沸騰直前だった。
火を止めて、揺らす。湯気の具合から90度未満、80度以上といったところだろう。
「こんなとこ、かな?」
注ぎ口が大きいため、湯量に注意しつつ静かに少しだけお湯を注ぐ。
粉砕された珈琲豆が湿った状態になったので、待つこと30秒。
今度は少しずつお湯を注いでいく。
珈琲豆が膨らむ。ドーム状に膨らんだところでお湯を止め、少し小さくなるとお湯を足す。
ドームを作り続けるのがいいと聞くが、実際は一気にお湯を注ぐな、ということだ。
ちょっとずつ繰り返していくと、周囲に珈琲の匂いが広がった。
「わ、いい匂い……」
声が聞こえた。月夜が自分と紅葉の食器を持って片付けに来たようだ。
登未はドリッパーを注視したまま、月夜に話しかける。
「おう。腹は何分目ってとこだ?」
「えっと、いっぱいじゃ、ないけど?」
サーバーに珈琲が三杯分溜まったので、ドリッパーを取り除く。最後まで置いておくとえぐみが生じてしまう。
「甘い物は、別腹派?」
「…………別腹、かな?」
目を逸らして腹部に手を当てる月夜は目を逸らした。登未はくっと笑うと、カップに珈琲を注いでいく。カップを二つ、月夜に渡す。
「持ってってくれる?」
「あ、うん。……、今の質問はいったい?」
登未は自分の分のカップをキッチンに置いたまま、オーブントースターへ向かう。
そして焼いていたものを取り出す。
「デザート、食べたくない?」
アルミホイルで作った型で焼いていたチーズケーキだ。
クリームチーズを牛乳と卵に砂糖、そしてホットケーキミックスと合わせて型に流し込み、焼くだけでできる、簡単なんちゃってチーズケーキだ。
「こんなのも、作ってたの……?」
「本当は冷やすまで時間が欲しいとこだけど」
目を丸くする月夜に肩をすくめた後、登未はチーズケーキを3等分する。焼きたてのチーズケーキも乙な物である。気持ち自分のを小さくし、皿に取り分けて盆に載せると、自分の珈琲と一緒にリビングに戻った。
「…………、ねえ登未っち」
「お? チーズケーキ苦手な人か?」
「……いや、君は女子か、何かなの?」
ケーキを紅葉の前に置くと、ソファーに座る。
月夜が同じく、紅葉の前に珈琲を置き、登未の横に座った。
相変わらず隣に座る月夜をちらりと見て、紅葉に視線を向ける。
「つかいもんにならないけど、ちんこは付いてるぞ?」
「そう言う話じゃなくてさ……。いや、いいけど」
紅葉はケーキにフォークを突き刺し、口に入れると、顔をしかめた。
「なんだ、不味かったか?」
「いや。うん、なんでこんな簡単に美味しいお菓子作れるの?」
女子としての矜恃を刺激しているようだ。不満なら、お菓子作りすればいいのに、と登未は思ったが、いざ作ろうとすると面倒なのは否めない。
材料を用意し、計測し、レシピ通りに作る。
お菓子は手順さえ間違えなければ、そこそこの物ができるが、その手順が何より面倒だ。
「……、試行錯誤の結果かな。失敗もいっぱいしてるよ?」
登未の記憶では、色々やらかしている。バケツプリンを作ろうとしたときに試作段階で無理だと悟ったり、メロンパンを作ろうとして難易度の高さに頓挫したり、など。
「……、一応聞くけど。色々、女と付き合ってたって聞いたけど、だいたい振る舞ってるの?」
「ん? ああ、うん。割と好評かな?」
たまに通常の概念と違う品を作り出してしまい、美味いけどこれは違うと言われるが、概ね喜んでもらえた記憶がある。
「参考に聞くけど、登未っちさ、付き合ってるときの家事とかって?」
「んー。して良いなら、させてもらったなぁ。弁当も作って良いなら作ったし、掃除も喜んで」
「……尽くすタイプなの?」
「さあ、どうだろう。考えたことなかった」
珈琲に手を伸ばし、口を付ける。会心の出来ではないまでも、巧く淹れられたようだ。
飲んだ後、ふと思いだし立ち上がる。
食材を入れてきたカバンを掴み、席に戻ると、月夜が珈琲を飲んでいた。
「どう、味の方は?」
「うん。なんだろう。お店で飲むより苦くない」
「……これ以下ってことは、きっとその店、作り置きしてんぞ?」
煮詰めた味は、苦い。質の悪い豆を使っていれば尚のことだ。
忙しいからと、事前に用意していた珈琲を温めて出している可能性がある。
「あたしは、全然酸っぱくないなぁと。すっきりはしているけど」
「酸っぱいって、もしかして自分で淹れてる?」
「ん。彼氏がたまに」
「じゃあ、自家焙煎の珈琲豆を勧めてあげて」
缶コーヒーもそうだが、酸っぱさが際立つ珈琲は高い確率で焙煎して時間の経った豆だ。
有名チェーン店で珈琲豆を買って、ドリップしても味わえるのは、古くなった酸っぱさであり、珈琲の味わいの酸味とはまるで違う。
「……そんな知識はいったいどこから……?」
「近所の珈琲屋さんが、安いは美味いわ、店長は禿げてるわと中々ファンキーな店があってな。行くだけで勝手に知識が身についていく」
「禿げの情報、要らないから」
一番重要な情報なのに、と登未が笑っていると、袖を引かれた。
視線を向けると、月夜が登未を見上げていた。
「ねえねえ、登未くん。近所って、本当に近所?」
「ああ、うん。5分くらいかな? 目の前の通りまっすぐ行って――」
登未が場所を教えるが、月夜はピンと来ていない様子だ。
もう少し営業を頑張れよと登未は心の中で店長に声援を送る。
「んー、まあ。長いこと住んでても、知らないところ多いからなぁ」
「知らない道もあるもんね……」
登未と月夜は顔を見合わせて苦笑する。長く住んでいても、足を向けなければ気づかないことは多い。
生活に使う範囲は意外と狭いのだ。知らない場所はたくさんあった。
「ま。俺もまだまだ、新規発見するけどな」
「へえ」
「いつの間にか食パン専門店ができていてさ」
登未が近所の店について、月夜に教えていると、ふと紅葉から音がした。
何かと思って首を動かすと、掌に拳を落としていた。
「……どした?」
「ああ、うん。ちょうどいいと思って」
何がだ?
登未が訝しげな視線に変えると同時に、紅葉の顔は笑みに変わった。
「登未っち。今日の予定は?」
「……洗濯?」
「月夜、あんたは?」
「わたしも、洗濯かな」
「つまり、暇ということね?」
家事があると告げたのに、さらりと無視された。
登未は月夜と顔を見合わせて、首を傾げる。
「登未っちさ。月夜にこの辺の隠れスポット教えてあげてよ」
「………………なんで?」
唐突だった。確かに話の流れで、月夜が知らない店など登未が知っているという話だったが、それでも案内するのは、また別の話だろう。
「いいじゃん。近所に住んでんだし、教えてあげてよ。月夜って暇さえあれば家に引きこもるんだし」
しかし紅葉からは話を譲る様子は窺えない。
それに、月夜がインドアと誰が信じるか。登未のスマホには月夜が昨日買い物に出かけていたことを示す画像がある。紅葉たちと温泉旅行に行った画像も昨夜確認している。
登未は、そう紅葉に指摘すると、月夜は目を泳がせて頬を掻いていた。
「えっと、まあ。確かに買い物は行くけど、それ以外は家でぽけっとしてる、かな……」
「……あのなあ」
家にこもるということは、すなわち運動を怠ることでもある。
それなのに、食事のカロリーを気にする素振りを月夜は時たま見せていた。
「カロリー気にするなら、外を歩け」
「や、あの、用事がなくて」
どうやら月夜には出不精の癖が少しあるようだ。
登未は月夜を睨んだ後、大きな溜息を吐き、そして――
「という訳だよ。登未っち」
したり顔で笑う紅葉の顔を嫌そうに登未は眺める。
何事かを企てているのは、明らかだ。
思惑に乗るのは釈然としない。しかし、釈然としないのはもう一つある。
「わかった。この引きこもりを散歩に連れてけばいいんだな?」
「うん。ちょっとカロリー消費させて、動かせてあげてね」
月夜とは違い、裏のある笑顔を紅葉は登未に向けている。
企んでいる顔なのに、どうして様になるのだろうと、腹が立った。
これだから、美人は――と登未はとりあえず近くにあったクッションを紅葉の顔に投げつけることにした。
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