第32話 臆病なわたしと、不能で優しいあなたと。
問題を解決するために、どうすればいいか。
登未くんは教えてくれた。
だから、わたしは実践する。
必要なのは、起きている現象の正確な把握と、問題点の抽出だ。
そして抽出した問題点の対処を提示する。
そのために、現象の正確な把握をしなければならない。
「登未くんの、その、お、……が不能なのって、なんでなの?」
確認のためとは言え、聞くのはとても躊躇われる。
言葉にしたことなんて、一度もない単語だ。
「すまん。なんて?」
登未くんが意地悪そうな顔で問い質してきた。
え、言わないとダメなの?
「え、っと、お……ちんが不能」
「聞こえないんだが」
「……んちんが」
「あー? 聞こえねえな」
珍しいSっ気に満ちた顔で登未くんが嗤っている。
明らかに冗談だ。思わず大きな声が出た。
「聞こえてるよね!? 聞こえてなくてもわかるよね!? なんで言わせたいの!?」
「……俺の股間が膨らまないから、何だってんだ」
なるほど。その言い回しなら、少し恥ずかしくない。
「あー……、そう言えばよかったんだ」
「はい、大きな声で。りぴーとあふたみー。股間が膨らまない!」
「こか……、じゃなくて。言わせたいだけだよね、やっぱり」
乗せられるところだった。
ジト目で見てみると、登未くんは目を逸らして肩をすくめた。
やっぱり冗談だったみたいだ。
緊張していたのに、力が抜けてしまう。
……もしかして、緊張を解してくれたのかな?
「で? 俺の機能不全さんに、何の文句がある?」
登未くんは冗談を止めて、話を元に戻した。
背中を押されている気分だ。わたしは、一度深呼吸をして、言葉を続ける。
「いえ、問題点を確認したくて」
登未くんの表情はとても嫌そうだ。
眉間のシワが凄い。ちょっと痛そうだ。
でも、瞳は暖かい。
登未くんは表情を作るくせに、目が嘘をつききれない人だ。
丸一日ずっと一緒にいて、気づいている。
とても優しいって、気づいている。
「登未くんが、不能となった理由。それは、トラウマから、だよね?」
「……まあな」
「結果、女性に下心を持たない植物系男子となった。そうだよね?」
登未くんは小さく頷いた。少し恥ずかしそうである。
あれ、植物系男子って、ダメな言葉だっけ?
ああああ、ごめん。登未くん、そんなつもりはないんだよ、本当。
わたしは気を取り直そうと、胸に手を当てて言葉を続ける。
「一方、わたしも問題を抱えています。わたしは、男の人の下心が怖い」
わたしは男の人が怖い。
でも、わたしは登未くんなら平気だ。
女として興味を持たれていないから、だとは思う。
もし、女として見られたら――たぶん登未くんも怖く感じるんじゃないかと思う。
でも、今日一日ずっと一緒に居て、観察して、色々試して、よくわかった。
わたしを女として見ないから、平気なだけじゃない。
登未くんは優しくて、そして落ち着くんだ。
たぶん、わたしが一緒に居て苦じゃない男の人は登未くんだけだ。
「わたしたちは改善を望み、しかし一人では儘ならない。そうだよね?」
登未くんは、こくりと頷いた。ついさっき確認した。
女性に対して、好きになって、結婚して、子供が欲しいと昼間言っていた。
はっきり言って、わたしのことは二の次で良いと思っていた。
登未くんが苦しんでいるのが、嫌だった。
努力して、報われなくて、それで諦めるなんて、嫌だった。
昨夜、登未くんが励ましてくれた。
わたしを理解してくれた。どうしたらいいのかと考えてくれた。
じゃあ、登未くんは?
わたしだけが理解者を得て、一人だけ解決なんて嫌だった。
「登未くんは、トラウマの克服。わたしは、男の人に慣れたい」
だから考えた。
わたしの問題も解決して、登未くんの問題も解決できる方法はないのかと。
昨夜からずっと、考えた。
対処方法のヒントはもらっている。
一度、深呼吸をした。目を閉じて、胸に手を当てて、息を整えた。
「だから、……わたしは提案します」
緊張する。たぶん、顔も赤くなっている。辺りが真っ暗で良かった。
二人の問題の真因は、記憶だ。
ふとした拍子にフラッシュバックする記憶が問題だ。
登未くんは言った。
記憶は忘れる以外に、上書きすれば良いと。
嫌な記憶は、良い記憶で上書きしてしまえば良いんだと。
一緒にカラオケに行って理解した。
入る前は怖かったのに、入ってからは恐怖も何もなかった。
それどころか、楽しかった。
6時間も一緒に歌って、足りないと思うくらいに楽しかった。
これからカラオケに入って思い出す記憶はどっちだろう。
襲われそうになった記憶か、それとも登未くんとの熱唱か。
どっちを思い出すかと言われれば、おそらく後者だろう。
記憶の上書きという意味を理解した。
たぶん、もっと繰り返さないとダメなんだと思うけど。
もっと楽しい記憶で塗り潰さないとダメなんだと思う。
そのための場が必要だ。
互いが抱える嫌な記憶を塗り潰す、関係が必要だ。
だから、わたしは、その関係を提示する。
「わたしと、恋愛ごっこをしよう」
恋愛じゃなく、恋愛ごっこだ。
本当の恋人じゃ、登未くんを傷つける。
キスをしたり、えっちなことをしたり、そういうことをしない「ごっこ遊び」だ。
ただ遊んで、笑って、楽しむだけ。
友達よりも親密で、でも恋人よりも距離のある関係。
そんな、ごっこじゃなきゃダメだ。
そうじゃなければ、登未くんの問題も治らないし、傷ついている登未くんを癒やせない。
「……なんだかな」
あ、登未くんが、口癖を言っちゃった。
結局、この口癖は使いどころがよくわからない。
諦めなのか、つっこみなのか。
この反応だけではわからない。恐る恐る聞いてみる。
「……、どう、かな?」
「プレゼンは、理解した。うん、初めてにしてはいいんじゃないかな?」
おっと。まさかの仕事モードだ。
そう解釈されるとは思わなくて、呆気に取られる。
「問題点の整理から、解決方法ってきちんと順序立てたな、偉い偉い」
「えっと、いや、そうじゃなくて」
「ただ、解決方法の説明が甘かったな。あれじゃ、端から聞いてちゃ、何故解決できるのかの説得力に欠けるな」
プレゼンの感想が聞きたいんじゃなくて、提案内容について触れて欲しいんだけど……。なんか、頑張って考えて、色々勇気出して言ったのにと思っていると、登未くんは頬を掻いた。あれ、様子がおかしい?
「でも、聞いてるのが俺だけだから、その点はいいよ。昨夜、俺が話した内容だな? うん、記憶の上書きのためってことだな」
よくよく見てみると、目が合わない。登未くんにしては、珍しい。
ちょっと早口だし。
「なるほど、いや、確かに「ごっこ遊び」な。うん、そうだな」
あ、これ。照れてるんだ。
貴重な登未くんの照れだ。
しかし、そんなに照れる内容だったかな?
あれ?
わたし、これ、告白みたいなことしてるんじゃ?
途端に頭に血が上ってく。
「よし、落ち着け。後輩。考えなしで行動するから、そうなる」
わたわたとするわたしの肩を登未くんが掴んだ。
近い近い近い。
離れて、ちょっと離れて。
「ご、ごっこ遊び、恋愛ごっこだから!」
「わかってるわかってる。本チャンじゃあない」
「た、ただ遊んだり、一緒にいたりだけだから!」
「そうだな、キスとかセックスは無しだぞー。どうせできないけど」
直接的なことを言わないでよ!
登未くんはわたしを見て、笑い始めた。
笑い事じゃないよ! ああ、もう顔が熱い!
「落ち着けって。よく考えろ。今日みたいなことをするってことだろ?」
今日みたいなこと……、遊んだり、一緒に居たりするだけ。
うん。まあ、たしかに? 今日のことを繰り返すだけと言えばそうだけど。
「なら、構えることじゃないでしょ」
「……そ、そうだけど」
「まあ、普通の付き合うだと、他にもあるけどね」
「……たとえば?」
「毎日、どっか遊びに行ってないでしょ、世間の恋人って」
「……まあ、そうだね」
「ただ家で一緒に居るだけとか、ご飯作ったり、食べたりとか」
……そっか。言われてみると、恋人って言っても普通に一緒に過ごすだけの方が多いのかもしれない。色々構えすぎていたのかも。
「お前さんの予行演習も兼ねてってとこかな?」
登未くんがわたしを見て笑うので、思わずむくれてしまう。しょうがないじゃん、男の人と付き合ったことないんだし。
「……って、あれ?」
話が落ち着こうとしていない?
口に出して、首を傾げていると、登未くんが頭に手を乗せてきた。
傾けた首を元に戻される。
「俺としては、「恋愛ごっこ」に付き合ってくれるなら、ありがたいよ」
「……えと、それじゃ」
「おう。悪いけど、頼んでいい?」
登未くんが笑いつつ、両手を合わせてお願いしてきた。
えっと、あれ、わたしと「恋愛ごっこ」するってこと、なのかな。
混乱するわたしを尻目に、登未くんは難しそうな顔を浮かべた。
「でも、ルール決めなきゃな」
「ルール?」
「ああ、うん。遊びにはルールが必要でしょ?」
また、予測もしてないことを言い始めた。
言ってることは正しいんだろうけど。
「そうだな、こんなところでどうだろう?」
しばらく考え込んだ後、登未くんが指を立てた。
そしてルールについて、口にした。
一、宇田津登未と飯田月夜は、一般的な恋人関係の行動を真似る。
二、一般的な恋人関係にない行動の場合は、双方が良しとしたものにつき認める。
三、知人への公開は極力禁ずる。信頼できる者にのみ明かしてよい。
四、双方の合意無しに、過度な接触行為を禁ずる。
五、片方の本当の恋愛の支障になってはいけない。
六、上記に反した者は、罰ゲームを課する。
「知人の公開って、周りからバレないようにするの?」
「そりゃ、ね。周りに言っても、ナニソレ? って返されるだけだし」
確かにそうだ。彼氏と何が違うのかと言われると、困る。
隠した方が平和に過ごせると思う。
「本当の恋愛の支障って?」
「もし、本当に好きな人ができたら、絶対に邪魔になるぞ?」
「まあ、そうかも、だけど」
それでは、問題解決ができないままということも有り得るんじゃないだろうか。
でも、それならそれで良いかもしれない。
登未くんが、誰か女性と付き合うことができるんなら、それはそれで良いことだ。
そんな事態になるってことは、登未くんの問題が解決していることを指すんだし。
「罰ゲームって?」
「告白禁止、かな」
「……なにそれ?」
罰ゲームに告白する、というのは良く聞いた。
そうじゃなくて、告白禁止とは聞き慣れない言葉だ。
「ルール五に対しての処置ってとこ」
「本当の恋愛の支障?」
「そ。反する場合って、「ごっこ遊び」じゃなくて、マジになったときじゃないかなって」
よくわからない。そうなんだろうか。
でも、登未くんに好きな人ができたら、わたしはどうするんだろう。
今は笑って背中を押すけど、もしかしたら邪魔をしてしまうかもしれない。
初めから決めておくことは、必要なことかもしれない。
「ま。四から六のルールや罰ゲームは、俺にしか適用されないから。気にしなくていいよ」
……それは、わたしのことを好きになるって言ってるのと同じなんだけどなぁ。
別にいいけど。
今は違うみたいだし、もし、そうなるんだったら、登未くんが改善してる証拠だ。
わたしももしかしたら、男の人が怖くなくなって、誰かを好きになるかもしれない。
そうなったら、たぶん登未くんを気にして動けなくなるかもしれない。
先のことを考えると、あった方が良いんだろうなあと納得した。
「……ほんとう、よく頭が回るね」
「即興なんで、穴がありそうで怖いけど」
「うん、わたしは大丈夫」
登未くんは、持っていた缶コーヒーを掲げた。
わたしも缶コーヒーを持って、登未くんに向けて腕を伸ばした。
「始めましょうか。『
「あはは。英語で言うとかっこいいね」
「レディ ラブ オール とか言うか」
「なにそれ?」
「お互いに零点を指す言葉かな? テニスとか卓球の試合前に言ったり」
「へえ。ラブってゼロの意味もあるんだ」
「なんでも、フランス語で卵という意味でロェフってのがあって、それが変化したって説」
「あ、なんか良いね。卵から始めるって」
わたしなんて、卵から孵ってないひよこ以前だ。
そこからラブを知るために試合を始めるのは、中々良い感じじゃないだろうか。
「じゃあ、俺はなんだ? 色々拗らせて卵が腐ったか?」
「ええっと」
「ベトナムにホビロンってのがある。あ、調べちゃダメだぞ? 調べちゃダメだからな!」
「なに、その煽り」
気になるじゃないか。後で調べよう。うん。
しかし登未くんは、何でも知っているなぁ。
「でも、まあ。色々改善して、早く治しますかね」
「わたしは、ゆっくりでもいいけどね」
「……気づけば40手前とか、やだなぁ」
(その頃は、わたしは結婚適齢だけどね)
心の中で舌を出して、わたしは持っていた缶コーヒーを合わせる。
ずっと待ってたのに、話が長い。腕が疲れた。
中身の少ない缶がぶつかって、カンと音が鳴った。
「じゃ、登未くん。ラブゲームの開始ってことで」
「おう。勝ち負けは知らんけど」
こうして、わたしたちは、『恋愛ごっこ』を始める。
ただの思いつきだし、色々見えない傷がボロボロでてくるし。
……それ以前に、登未くんが正常化したらモテ始めそうな気もする。
そもそも、えっちができない以外の問題がないもん、この人。
えっちなんて、できなくても人を好きになれると思うんだけど、どうなんだろ?
好きってのは、身体に直結する話じゃないと思う。
じゃあ、なに? と言われると、わたしにはわからない。
不能なこの人、下心が怖いわたし。
互いに身体を求めない関係なら、好きって何かわかるかもしれない。
「あれ? ……それだと、わたしは」
「どした?」
ふと変なことが思いつきそうになった。
登未くんが声をかけてきたので中断できた。
そうだよ。うん。わたしの今の感情は、別にいい。
『恋愛ごっこ』が終わったとき、どんな感情になっているのか、それでいいんだ。
だけど、うん。
恋愛ごっこを始める前に、一つだけこの場で改めてもらいたいことがある。
「ねえ、登未くん」
「ん?」
わたしは、登未くんに顔を近づける。
身長差から、必然的に見上げる形になった。
至近距離から登未くんの目を見て、睨み付ける。
恋愛ごっこをするならば、ここは修正しておきたい。
ううん、恋愛ごっこ関係なく、修正したい。
「ちゃんと、名前で呼んで」
後輩や、お前さんとか、そんな呼び方は嫌だ。
きちんと呼ばれたのは、……昨夜の二回だけだ。
ちょっと、思い出すと顔が熱くなりそうだけど、我慢する。
「……会社じゃ、飯田さんって呼ぶからな」
「うん、わたしも宇田津さんって呼ぶ」
念を押された。登未くんは大丈夫だと思うけど、わたしはちょっと自信がない。
でも、うっかり名前を呼ばないようにしよう。
「……なんだかな」
うん、やっぱり。この口癖は諦めるときの言葉みたいだ。
登未くんは、わたしの額に手を当てて、ぐっと押した。
腕力に逆らえなく、わたしと登未くんの距離は開く。
いつものように、ちょっと困ったような苦笑を浮かべて、登未くんは口を開いた。
「わかった。じゃあ、よろしく月夜」
「うん。よろしくね、登未くん」
罰ゲームは告白禁止 ~恋が苦手な新人と不能な社員の恋愛ごっこ~ S.A技師 @hidden2018
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