第19話 月夜にとっての登未。


 宇田津 登未という人は、どんな人か。

 飯田月夜――つまり、わたしは考える。


 見た目に特徴はない。特筆するような良いところはなく、でも悪いところもない。

 整った顔ではない。しかし顔の部品に変なところはなく、肌も荒れてない。

 背も低くなく、でも高身長でもない。スリムではなく、太っているのでもない。

 髪を染めている訳でもない。かと言って床屋でカットをしているような雑さもない。

 しかし髪をワックスで整えたりはしない。


 ちぐはぐだ。

 なんだか、よくわからない人だ。

 髪型と同じように、いつでも整えられるのに、整えていないだけみたいだ。

 整えても無意味とも思ってそうである。


 会社の人も言っていた。

 宇田津は変な奴だと。

 飲み会で先輩社員たちが言っていたのを覚えている。


 ぱっとしない。

 ぬぼっとしている。

 やたら細かい。

 話が長い。

 電話ばかりで仕事していない。

 残業ばっかだけど、実際は何してんだか。

 皆が悪口を言って、皆が同調していた。


 でも、直に見て思った。

 全然、違う。


 本当なのは、見た目くらいなものだ。

 仕事は早い。他の人よりも綺麗な資料を短時間で作る。

 問い合わせも僅かな情報しかないのに、超能力者みたいに的確に答えをくれる。

 それだけでも、凄いと思った。

 皆の評価の低さが信じられないほどに。

 そしてわたしの見る限り、悪口を言ってる人たちからは仕事ができる雰囲気はない。

 不思議だった。


 あの人は、それだけじゃない。

 びっくりするくらいに、優しいと思った。

 質問しても、答えだけじゃなく、考え方まで教えてくれる。

 押しつけでなく、自分で考えられるようにと配慮してくれた。


 通勤を一緒にするようになってから、ますます実感する。

 毎日疲れるだろうに、それでも細やかな配慮を続けてくれた。


 よくわからなくなる。

 何故、この人はこうまで優しくしてくれるのだろう?


 この人から感じるのは、距離感だ。

 だから混乱する。

 他の男の人みたいに、わかりやすければこんなに混乱なんてしなかった。


 距離を詰めれば、嫌そうにする。

 だからと言って邪険にはしない。丁寧に、優しく気配りをしてくれた。


 わからない。

 本当に、わからなかった。


 こんな人は今まで見たことがない。

 無駄に優しい人には気をつけた方がいい、そう思っていたけど。

 興味の方が勝った。


 そもそも距離を詰めると嫌がることがわからない。

 嫌がるだけで、避けることはしない。

 メッセージを送っても、起きていればすぐに返ってくる。

 会社で近寄ってこないけど、避けるのでもない。

 問い合わせなどで訊ねに行くと優しさが伝わる。

 一緒に会社に行くときも、素っ気ないけど気配りを感じる。


 言葉にしてくれないので、わからない。


 なんで、避けないのか。

 避けないなら、喜んでいる?

 でもどうして、踏み込んでこないの?

 こっちが踏み込むと、距離を取るのに?

 距離を取るのに、どうして優しいの?

 全部が、わからなかった。


 親友の紅葉にだって言えない悩みだった。

 たまたま、紅葉にあの人のことを聞かれた。

 どうか、と聞かれても、わたしは無難に答えるしかなかったけど。


 でも紅葉が、あの人は下心を持っているに違いないと言われ、思わず反論した。

 そうだったら、わたしは困っていないんだ。

 紅葉は納得しなかった。そして、試そう、という話になった。


 紅葉は、わたしが男の人にもう、、騙されないように、気を使ってくれる。

 今回もそうなんだろう。思い出すのも嫌な記憶で二度とあんな目には遭いたくない。

 紅葉の気配りは嬉しい。

 だけど、わたしは違うことを考えていた。


(もう少し、理解できるかも)


 あの人、宇田津 登未という人物を理解したかった。

 通勤時、仕事中、帰ってからのメッセージのやり取り。

 これだけじゃ、足りない。

 だから紅葉を止めず、わたしたちは誘う方法について考え始めた。


◆◇◆


 帰り道で偶然会ってしまい、せっかく立てた計画は崩れた。

 けど一緒にお酒を飲むことができた。


 でも、こちらの狙いをいきなり見破られた。

 気まずい空気が流れてマズいなぁと思っていた。

 なのに、それもいつの間にか消えていた。


 あの人と紅葉は、友達のように接している。

 何があったのか、と驚いた。

 

 紅葉は癖が強い。ずけずけと踏み込み、言葉を出すので嫌う人は少なくない。

 わたしは隠されるよりも付き合いやすいと思っているけど、他の人は違うらしい。


 登未っちと呼ばれても、ため口で会話をされても、平然としていた。

 わたしが『登未くん』と呼んでも、気にしていない。

 ほんっとうに、わからない。


 会話も、不思議だった。

 とにかく面白い。というよりも話がしやすい。

 こっちの話を楽しそうに聞いてくれる。


 男の人が興味を持たなそうな話、たとえば服やメイクの話にも食いついてきた。

 食いつくどころか、詳しい。

 どのファンデーションブラシがいいかと話を始めたときは、びっくりした。

 そもそも、男の人ってファンデブラシなんか知らないのが普通じゃないだろうか。

 わたしが使っているのより、良さそうな印象だった。

 今度買いに行こうと心にメモした。


 他にも様々な話をしてくれた。

 甘い物の話は、実に興味深かった。リーズナブルなものからお高いものまで。

 できたら抹茶スイーツを知りたかったけど、一言も挙がらなかった。

 ダイエットの話も、実に興味深かった。胸が減らないダイエット方法は助かる。

 マッサージの話は、不思議だった。背骨の辺りを触られて寝る姿勢が悪いと言い当てられた。

 

 わたしたちの話も、面白く膨らませてくれる。というより予想外に膨らむ。

 下着の話なんか、びっくりだ。登未くんを困らせようと紅葉が話題に出した。

 そしたら、あのメーカーは女性的に何歳まで許されるか、と返してきた。

 まだ許されるらしい。着けていたので、安心した。


 この人は、何を話したら困るのだろう、そう思わせるほどだった。

 紅葉は面白がりながら、会話を次々に話を振っていた。

 女子会でも出ないレベルの下ネタに突入した。


 正直なところ、苦手な話題だ。

 えっちな話は、あまりわからない。汚い話はあまり好きではない。

 登未くんは呆れ顔だけど話し続けているけど、わたしの言葉は少なくなる。

 お酒を口にして話題が去るのを待っていると、登未くんの目が一度わたしを捉えた。


 なんだろうと思っていたら、紅葉と会話を続けながら、スマホをテーブルの上に置く。

 口は止めていない。実は女子なんだろうかと思うほどだ。

 なんで追従できるんだろう。守備範囲の広さに舌を巻いていると、調子に乗った紅葉が、少なくともわたしですら不快になるレベルの下ネタを話そうとしていた。


「はい、アウトー」


 登未くんは笑いながらスマホをタップした。クイズ番組みたいに『ブブー』と鳴った。


「は?」

「紅葉選手、下品すぎる発言につき、罰則が科せられます」

「待って、なにそのルール?」

「ほれ、はい。罰ねー」


 傍らにあったボトルを掴んだ登未くんは、紅葉の前にあった小さいグラスに少しだけ注いだ。

 登未くんが持参したボトルだ。透明な液体に満ちている。

 紅葉がすごく嫌がっているけど、何のお酒なんだろう。有名なのかな?


「聞いてないっ!」

「へえ? いや、いいぞ? 逃げても」

「そうじゃなくて!」

「よしよし。じゃあ、俺も付き合うとする。まあ、飲め」


 登未くんは自分のグラスにもお酒を注いだ。

 嫌がる紅葉にグラスを持たせて、有無を言わさず乾杯した。


「えっ、ちょっ、ああ、もう!」


 紅葉は慌てたけど、登未くんが一息で飲んだのを見て、すぐに続いた。

 よくはわからないけど、飲まないと負けみたいだ。

 飲んだ後、紅葉は顔をしかめて、水を飲んでいた。


「ああっ、きつい!」

「テキーラよりマシだろ」

「似たようなもんでしょ。なんで平気なの」

「平気ではないけど、一杯くらいならなぁ」


 登未くんは平然としている。よほどキツいお酒なのか、紅葉が苦手なだけなのか。

 わからなかった。

 少しだけ興味が湧いた。

 登未くんをじっと見てみる。


「……ん、飲みたいの?」


 ほら、気づいてくれた。

 すごいなあ。

 登未くんはこっちを見たまま、少し考え込んでいた。

 なんだろ? 

 一度紅葉を見て、目で会話していた。なんだろ、本当に。

 紅葉が肩をすくめると、登未くんは空いたグラスに、本当にほんの少しだけ入れた。


「ちょっと、味見だけしてみ?」

「……これだけ?」

「まあ、味見だから」


 不満を告げると、笑顔で返される。どうやら、譲ってくれないらしい。

 仕方なく、ちょっぴりのお酒を口の中に入れる。


「っ!?」


 目を丸くした。今まで感じたことのない味だ。味と言うより熱い。

 唇も舌も熱かった。

 驚いて、急いで飲んでしまった。そしたら熱さが喉まで続く。


「けほっ!?」

「ああ、ほら。水飲んで水」


 咽せていると登未くんが水を手渡してくれた。わたしは水を急いで喉に流す。

 温い水で飲みやすい。飲み干したグラスを口から離して、ほうと息を吐く。

 だけど、今口にしたのは、なに? これがお酒なの? 脇で苦笑する登未くんに聞く。


「なにこれ!?」

「これが、ラム酒。世界で唯一絶対に俺を裏切るお酒だ」

「裏切るんだ……」

「こんな酒を一気飲みする。それを罰ゲームとする」


 登未くんはわたしからグラスを奪うと、紅葉に向けて笑いかけた。

 どうやら、あまりに酷い話題はアウトらしい。


「えっ、判断基準わからないじゃん!」

「わかれよ、下ネタにも限度があるわ」


 いつの間にかゲームになっていた。

 もしかして、わたしに気を使ってくれたのかな。

 話ながら、登未くんはラム酒を三つのグラスに入れ始めた。

 罰ゲーム用のストックとして置いておくらしい。

 どこか楽しげだ。わたしを気遣ってのことじゃないかもしれない。


「それじゃ、登未っちの不能を月夜に説明できないじゃん!?」

「大声で止めてくれませんかね」


 はて? 不能ってなんだろう?

 今の会話からだと、下ネタ話なのかな?


「ねえ、登未くん登未くん?」

「……なんだね、後輩さんや」

「不能ってなあに?」


 登未くんの顔が停止した。すごい、人ってこんなに鮮やかに表情が固まるんだ。

 思わず手を伸ばして頬を突きたくなる。

 というか突いてみよう。おっ、思ったより柔らかいんだ。


「やめい」


 登未くんに指を握られた。ちょっと恥ずかしい。

 温かいなぁ。あと思ったより柔らかい。へえ。


「いや、ちょっと。そこの後輩さん? 思いっきり失礼なことを俺は言われてる」

「あ、失礼なことなんだ」

「……わかってないのか、マジで」

「うん。考えたけどわからなそうだった」

「あー……まあ、そうだろうな」

「5分考えてもわからなそうなときは、素直に聞けって登未くんに言われたもん」


 おお、嫌そうな顔だ。教科書があるなら載ってそう。

 感心して眺めていると、登未くんに鼻を摘ままれた。

 でも、登未くんの顔はわたしに向いていない。紅葉を見ていた。


「おい、そこの保護者」

「違う。あたしは別に保護者じゃない」

「この場合は似たようなもんだ。こいつは、どこまで知識があるのか不安になった」


 むう。指を掴まれ、鼻を摘ままれたままだ。

 どうしよう。振り払えばいいのかな。


「少女漫画に書いてることなら、大抵座学のみで習得してると思うけど?」

「……最近の少女漫画は色々卑猥だが?」

「エロ本レベルではないところで」


 あ、こっちを向いた。よし来い! わたしは戦うぞ!


「……酔ってるなぁ。さっきの酒のせいか?」


 呆れたような目で見られている。あはは、面白い。

 でも、失礼な。わたしは酔ってはいない。ちょっと気持ちよくなっているだけだ。


「え? 全然、酔ってないよ?」

「そうかい。何本に見える?」


 鼻を摘まんでいた手を離して、登未くんは指を1本立てた。

 素直に答える。


「そうか。間違えるやついるんだ……」


 あっ、小指も立ててた。

 騙された。


「一応、聞くけど。質問は継続中?」

「うん。不能って、なに?」

「……それは、覚えてるんだな。なんて、説明しましょうかね」


 登未くんは嫌そうな顔のままだった。しかし、ふっと笑ったように見えた。

 不思議な顔だった。本当に笑顔なのか、わからなくなる。

 不安になった。指が握られたままだ。暖かさに、安心した。


「よし。昔話風でどうだ?」


 小馬鹿にされているようだ。

 人をなんだと思っているんだ。思わずむくれてしまう。


「むかーし、むかし」


 わたしの指を掴んだまま、登未くんは話し始めた。

 むくれるわたしを見て笑っている。


 でも、やっぱり思う。

 これは、笑顔なんだろうか? 

 やっぱり不安になる。

 登未くんの手の中で、わたしは指を曲げた。

 わたしの指が登未くんの指の間に挟まる。


 なんとなく、指を引っかけたまま、わたしは話を聞くことにした。

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