第20話 Same Old Story


 むかーし、むかしあるところに。

 一人の男がいました。

 彼は美男子でもなく、溢れる才能もありませんでした。


 ですが、彼は思いました。

 それがどうしたと。


 彼は勉強をしました。

 運動も娯楽も、色んなことを試しました。

 結果、それなりに色んなことができるようになりました。


 恋愛も試します。

 見た目が悪く、才能なんてなくたって、素敵な女性と交際はできないのかと、試しました。

 下手な鉄砲も数打ちゃ当たると言います。

 驚くくらいの素敵な女性と付き合うことができました。

 とても笑顔の魅力的な女性でした。


 彼は喜びました。

 だけど気づきます。

 こんないい女と付き合ってしまって、許されるのかと。

 人の交際に許すも許さないもありません。

 なのに、彼は思い続けました。

 こんな女性の側に居ていいのかと。


 人は言います。自信を持ちなよ、と。

 持つべき自信は持つべきだと、彼は客観的な特長についての自信は持っていました。

 女性への愛も十二分に持ってましたが、ついに恋人としての自信は持てませんでした。


 当然、待っている結果は破局です。

 しかし彼の恋人は素敵な女性でした。別れても良好な友人関係を築きます。

 彼は思いました。

 ここで腐っては別れた恋人へ失礼だと。


 再び彼は努力します。何度も何度も努力しました。

 多くの素敵な女性と付き合いました。しかし誰とも長く続きません。

 女性があまりにも素敵で、いつも自信を喪失してしまいます。


 そんなとき、1人の女性に出会いました。

 自分の笑顔にコンプレックスを持つ、普通の女性でした。


 彼はとても苛立ちました。

 笑顔は笑顔であるべきだと、彼は思っていました。


 そして彼は女性のために、できることを全てやりました。

 飾ることを知らないなら、飾る手段をと。

 彼女独りで自信を持てないなら、彼が自信の根拠になろうと。

 一の行動で足りないなら、十の行動を。

 十の言葉で足りないなら、百の言葉を。

 彼にできることは全てやりました。


 結果、彼女は自信を持ちました。

 そして、同時に彼に恋をしました。

 彼のことを慕っていると、伝えてきました。

 真剣に、熱意を持って。

 熱に当てられるように彼も彼女に恋をしました。

 交際に発展するのに、時間はかかりませんでした。


 彼にとっては、初めての分相応な恋です。

 背伸びをせず、自信も初めて持てました。

 やっと掴んだ幸せに大いに喜びました。

 彼女を愛し、共にいることの幸せを噛み締めました。

 彼女と過ごす全てが幸せでした。

 日常のあらゆることが幸せに変わりました。


 ですが彼は知りませんでした。

 今まで交際した女性が、素敵な女性だったからでしょうか。

 色んなことを学んだというのに、気づけませんでした。

 気づいていたのに、気づくことをしませんでした。


 世の中には、平気で愛を騙ることができる存在がいると。


 なんということでしょう。

 彼女は、彼のことをそんなに好きではありませんでした。

 彼の注いだ愛は、他の男に向けて全て費やされていました。


 彼は愕然としました。

 あれほどの熱意は、嘘だったのか。

 向けられた言葉は、嘘だったのか。

 向けられた笑顔も、嘘だったのか。

 交わした愛も、嘘だったのか。


 どこから、どこまでが嘘だったのか。


 彼女の嘘が発覚したのは電話の最中でした。

 愕然とする彼は、電話口の相手に聞きました。


 全部が嘘だったのか。

 しかし、彼女に言葉は届いていたのでしょうか。

 彼女から言葉を聞くことはできませんでした。


 聞こえてきたのは、なんと鼻歌です。


 通話の最中に都合が悪くなったので、音声を消していたようです。

 そして、彼には一言メッセージが届いただけでした。


――そういうこと。


 会話が成立していたのか。

 はたまた不成立だったのかはわかりません。


 しかし片や絶望に拉がれ、片や鼻歌と両極端な状況です。

 聞くまでもなくわかることです。

 つまりは嘘だったのでしょう。

 彼が幸せに思った全ては、相手にとっては嘘でした。

 幸福だと思った全てが虚構だったことを知りました。


 世の中の全てが崩れるような感覚でした。

 彼は疲れ果てました。

 次の恋をする気力は湧きません。

 しかし時が経てば、傷は癒えないまでも、隠すことはできます。

 彼は漫然と生活を続けます。

 

 日常を続ければ、機会はあるものです。

 ある日、女性と近づく機会が彼に訪れました。

 お酒を飲み、意気投合し、そのまま閨を共にすることになりました。


 しかし何故でしょう。

 彼の中に、何も沸き立ちません。

 好意も、情炎も、衝動もありません。

 それどころか、欲すらも沸き立たないことがわかりました。

 ただ暗い炎が腹の奥底に灯るだけ。


 なんということでしょう。

 彼は女性に恋心も抱けなければ、劣情すらも消失してしまいました。


 こうして分不相応な恋を続けた男は道を間違えて、とうとう下心すら持たなくなってしまいました。


◆◇◆


「おしまい、おしまい」


 登未は、そう言葉を締めた。

 月夜の指を握ったままだったことに気づき、手を開く。

 月夜は指を曲げていた。指の間に月夜の手が引っかかっている。


「いや、変な女に捨てられただけじゃん」

「ま、そうとも言う」


 呆れたような紅葉の言葉に、登未は頬を掻いた。

 一言で済ませば、紅葉の言った通りだった。

 捨てられただけ。


 よくある話だ。


 熱を上げていた分、反動が大きかった、それだけだ。

 同じ反応だ。

 誰もが聞けば、呆れたように口にする。


 よくある話だ。

 なんてことはない。

 登未は笑顔を紅葉に向けた。


「よくある話だな」

「もったいぶるから、深刻な話かと思ったよー」


 紅葉が肩の力を抜いて、溜息を吐いていた。

 そして空いたグラスにラム酒を注ぎ始めた。

 何をさせる気だろうと、俄に不安に思ったが、気にしないことにした。


 登未は視線を自分の掌に戻す。

 月夜の指が引っかかったままだ。

 離して良いはずだ。登未も手を下ろしたかった。

 何故、月夜は指を離さないのか。

 登未は目の焦点を、月夜の顔へと移した。


 そして登未は顔を逸らした。

 月夜が登未の笑顔を見ていたからだ。

 瞳に映る色が痛くて、登未は顔を逸らした。


「ほら、登未っち。罰ゲーム」


 かけられた声に助けられる。

 登未は紅葉に急いで目を動かすと、紅葉がラム酒を掲げていた。


「もったいぶった罰ー」

「すげえ罰だ。え? 侠気はないんですかー?」


 この場合の侠気とは、酒を独りで飲ませないという気構えのことを指す。

 紅葉にお前も飲めと抗議すると、既に用意していた。


「侠気はあって当然」

「さすが」


 登未は明るい声を挙げて、手を動かす。

 グラスを受け取るためだ。

 月夜の手を払うためではない。

 グラスを掴んで、登未は紅葉の持つグラスに縁を合わせる。


「じゃあ、いってらっしゃーい!」

「それそれーい!」


 威勢の良い声と共に、ラム酒を一息に呷る。

 度数の高い酒が、唇や喉に熱を伝えた。

 液体の通り道を、熱さが教えてくれるようだった。


「おーし。いっそのこと、空けるぞー」

「マジで言ってんの!? 潰し合いじゃん!?」

「ここまで戦っておいて何をいうか。決着はつけませんとねー」


 空いたグラスにラム酒を注ぐ。

 紅葉が悲鳴をあげているが、気にしない。

 大きなリアクションをしてくれることが、ありがたかった。

 紅葉を見るのが自然だからだ。

 少し多めに注いでしまったグラスを紅葉に持たせて、グラスを合わせる。


「ああ、もう! やってやる!」

「杯を乾かすのが?」

「乾杯だよ!」


 自棄になった紅葉が、グラスの中身を一気に飲む。

 登未も負けじと、グラスを空にした。


「日本酒もあるからなー」

「酔わせて、何する気なの!」

「俺にナニができるとでも?」

「できないんだよね!? わかってるよ!!」


 度数の高い酒は、早く酔いが回る。紅葉のテンションは高い。

 相当、飲み慣れているように思えた。知らず、場の空気は暖まっていく。

 登未は空気に任せるように、はしゃぎながら紅葉と酒を飲んだ。


 何故なら、そうしたかったからだ。


◆◇◆


「……意外と粘ったなー……」


 月夜の部屋のベランダ。

 登未は煙草を咥えながら、ベランダの柵に寄りかかっていた。


 紅葉と潰し合いを始めて、一時間が経過して、試合は終了となった。

 結果は、紅葉のノックアウト負けである。

 夜の世界では、勝ちと言って過言ではない。酔ったもん勝ちだ。

 ラム酒を片付け、ウイスキーも日本酒も瓶に僅かに残る程度だった。


「普段から、飲み慣れてそうだなー……」


 鼻から煙を吐き出し、空に散らしていく。

 薄曇りの空だ。雲に覆われているが、月の位置はわかる。

 ぼんやりと眺め、もう一度煙を吐く。

 唇が熱を感じた。視線を向けると、殆どが灰に変わっていた。


「っと」


 慌てて、携帯灰皿に灰を落としたところで、ベランダのガラス戸が開く音がした。

 視線を向ける。


「ここに、居たんだ」


 月夜が立っていた。

 日本酒の瓶と小さな器を二つ持って、登未を見ていた。

 まだ飲む気なのかと、登未は苦笑を浮かべる。


「まだ、飲むの?」

「ん……、でもほんの少しだけだし」

「ま、いいけどね」


 登未は月夜の足下に目を向ける。

 裸足だった。屋外であり、ベランダに素足で立てば汚れてしまう。

 サンダルは脇に置いてあるのに、穿かないのは何故だろう。


「汚れるよ?」

「いいもん。わたしの家だし。それに登未くんも裸足だし」


 登未も裸足で立っていた。部屋に戻る前に拭けばいいと思っていた。雑巾や布団ばさみなどを入れた棚が置いてある。月夜は棚の上に酒瓶と器を置いてから、登未の横に肩を並べた。


「曇ってるね」

「んだなー」


 雲に覆われた夜空は、特に見るものがない。

 登未は柵に背をつけ、そのまま腰を下ろす。

 座るなら部屋に戻れと言われそうだ、と登未は苦笑しながら、月夜を見上げる。

 月夜は柵に腕を乗せ、その腕に顔を載せ、登未を見ていた。


「……どした?」

「……てっきり、帰っちゃったかと」

「さすがに一言もなしに、帰らないよ」


 紅葉が酔い潰れたことで、飲み会は終了した。

 月夜は紅葉を寝室へ運び、登未は居間の後片付けを受け持った。

 空き缶をまとめ、食器を流し台へ運び既に洗い終えている。


「ここで、何してたの?」

「特に、何も。夜風に当たりたいなって」


 登未はポケットを探り、煙草を取り出す。

 煙草の箱をじっと見る。

 いつから、この煙草に変えただろうかと思い返す。


(なんてくだらない思考なんだろう)


 音が鳴らない程度に、静かに鼻から息を出汁、箱から一本取り出して咥える。

 月夜の視線を感じるが、煙草に火を付けるのだ。

 煙草の先端を見るのは、おかしなことじゃない。


「……酔ってないのに?」

「いいや、多少は酔ってるよ」

「嘘だあ」


 しかし、月夜の声に目を動かした。

 どこか棘を感じる。

 月夜の顔を窺うが、大半が腕と髪で隠れている。

 わかる情報は少ない。登未をじっと見ていることしかわからない。


「……ね、登未くんさ」

「ん?」

「酔ってないよね」

「……まあな」


 これだけつらつらとまともに話してしまえば、さすがに見抜かれる。

 登未は白状した。降参するように両手を挙げた。

 しかし、酔っていないのは月夜も同じに見える。


(聞くのは野暮ってものだろうか)


 あるいは、やぶ蛇かもしれない。何故だが、そう感じた。

 だから、登未は無言のまま月夜に視線を向け続けた。

 月夜はじっと登未を見ている。

 何か言いたそうにしている、それは雰囲気で伝わった。

 登未は月夜を見たまま、言葉を待つことを決める。

 幸い、見る対象は月夜だ。


 夜風に髪がなびき、均整の取れたスタイルを眺めるのは悪くない。

 どんなに観賞していても、飽きない被写体だ。

 願わくば、背景は星天であって欲しかったと思った。


「……さっきの、さ」


 長い沈黙の後、月夜は口を開いた。

 登未はやっぱりかと思いつつ、言葉の続きを待ち構えた。


「むかし話だけどさ」

「ああ。うん。よくある話だろ? やあ、情けないね。我ながら」


 渇いた笑いを浮かべてみるが、月夜の反応はない。

 登未は笑うことを止めて、再び月夜を鑑賞する。


「……よく、ある話なの?」


 よくある話。

 英語で言えば、『same old story』。直訳すれば、むかし話と同じように、だ。


「……割かし、多いんじゃないかな」


 登未は肩をすくめる。

 嘘は言っていない。

 男女の関係で、どちらかから一方的に関係を切られることは、よく耳にした。

 相手が騙していることも、よく聞いた。

 それが原因で心に傷を負うことも、なくはない。

 嘘ではない。


「そう、なんだ」


 月夜はようやく登未から目を離した。

 柵においた腕に額を押しつけている。

 どうしたんだろう、不安に思ったが、どこか声を掛けるのが憚られる気がした。


「……あのね」


 どうすることもできず、沈黙に身を任せていると、月夜が顔を動かさずに声を出した。


「わたしも、むかし話知ってるんだ」

「……へえ?」


 月夜が柵から身体を動かして、登未の横にしゃがみ込んだ。

 目を丸くしながら、登未は月夜の顔を見る。

 顔には笑顔が浮かんでいた。


 登未は眉をぴくりと動かす。

 他人がそれをするのを初めて目にした。


「ね、登未くん? 聞いてくれる?」


 感情を隠すための笑顔とは、こうも見ていて悲しいのか。

 登未は今までの自分に対して、少しだけ反省した。

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