第21話 その『むかし話』を完成させるには

 むかし、むかし。あるところに、1人の女の子がいました

 女の子は周りから可愛いと言われていました。

 色んな人が、可愛いと言いました。


 大人が言いました。あなたは可愛い。

 女の子が言いました。あなたは可愛い。


 可愛いは、女の子にとって仲が良いという意味でした。

 女の子は周りともっと仲良くなりたいと思っていました。

 だから可愛くなろうとしました。

 幸いにも周囲と仲良く過ごせていました。

 

 ですが男の子からは可愛いと言われませんでした。

 それも、そうです。

 異性に可愛いと面と向かって言う子なんて、そういません。


 女の子は、男の子がよくわかりませんでした。

 次第に男の子と接しなくなりました。

 親の教育もあり、女の子は女子校に通います。

 男の子と縁が全くなくなりました。


 子供の頃は、特に気にしませんでした。

 ですが高校生になり、女の子は恋に興味を持ちます。

 周囲に彼氏持ちが出始めたからです。

 

 彼女らの話に興味を持った女の子でしたが、男の子は苦手です。

 たまに友達と余所の高校の男子と遊ぶ機会がありましたが、女の子は苦手に思っていました。


 離れたところから、チラチラ見られるのが苦手でした。

 無遠慮に近寄ってくるのも苦手です。

 面と向かって可愛いと言われるのも苦手になっていました。


 可愛いは仲の良さを表す言葉ではないと気づきました。

 その裏に欲が見えてしまい、言われることが苦手になっていました。

 

 裏表のない男性はいないんでしょうか。

 悩む女の子は、1人の男の人に出会いました。


 高校の教師でした。

 皆と友達のように接してくれる先生でした。

 女の子に可愛いと言わない初めての男性でした。

 それでいて優しい。格好良くはありませんが、初めての異性に、女の子は惹かれます。


 初恋と思っていました。

 女の子なりに、少しずつ、少しずつ、仲良くなろうと頑張ります。


 そして、高校卒業の日。

 生徒と教師の関係では無くなる日です。女の子は教師に告白しました。


 当然、成功なんてする筈がありません。

 教師にとって、女の子はただの生徒の1人なのですから。

 女の子に教師は言います。


 君のそれは、恋ではない。


 女の子はわかりませんでした。

 恋とは何なのか。初恋とはどうすればできるのか。

 幸か不幸か、女の子の進学先は女子校ではありません。

 男子は多く存在します。

 接する機会が増えれば、どうにか理解できると安易な考えでした。


 だから、失敗します。


 優しく接してきた年上の先輩がいました。

 他の男の人とは、ほんの少しだけ違いました。

 積極的ではあるけれど、こちらの様子を伺いながら接してくれました。

 それだけで、女の子は勘違いします。恐る恐るですが、懐いてしまいます。


 ある日のことでした。

 皆で遊びに行ったとき、先輩と二人きりになりました。

 そこは個室でした。すると男性は、どう動くでしょう。

 自分に懐く女子を前に、二十歳前後の男性はどうするでしょう。


 女の子は乱暴されそうになりました。


 偶然友達が助けてくれたため、女の子に大事はありませんでした。

 でも女の子は、ますます男の人が苦手になりました。


 男の人の下心が怖くなりました。

 男の人に接するのが怖くなりました。


 こうして、恋をしたかった女の子は、異性に怯える女の子になってしまいましたとさ。


◆◇◆


「おしまい、おしまい」


 むかし話を終えるように、月夜が言葉を締めた。

 登未は静かに月夜を見つめる。笑顔のままだった。

 見ていて辛さはある。しかし登未は言葉を待った。

 月夜は、何故こんな話をしたのか。意図を知る必要があった。


(ただの自分語りではない、よな)


 登未がむかし話風に、過去を語った。触発されて話し始めた訳ではないはずだ。

 話し出す直前の表情からも、それは明らかだ。

 笑顔で隠そうとした感情は何だろう。怒りか、悲しみか。いずれにしても負の感情に類する。

 隠す意味もわからない。大きな悩みを持っている、それだけが伝わる。


(……なんだかな)


 声に出さず、登未はそっと息を吐く。

 先ほど、紅葉が服をはだけたときに、目に毒だと思った。

 今の月夜の方が、よほど目に毒だと登未は感じる。

 直視していると、心が疲弊してしまいそうだった。


 磨り減りそうな心を護るために、選べる選択肢は二つ。

 目を閉ざし、月夜を見ないこと。

 または、目を開けて解決に導くこと。きっと解決の糸口を掴むだけでもいい。

 情報を探る。

 登未は月夜を注視した。


 沈黙が続く。

 どちらかが口を開くまで続く沈黙だ。

 我慢比べのようだと思いつつ、登未は月夜の言葉を待ち、観察を続けた。


 根負けしたのは、月夜だった。


「……ねえ、登未くん? どうかな、わたしのむかし話」


 月夜は笑顔を顔に貼り付けたまま、首を傾げた。

 

「さっきみたいに、言わないの?」

 

 言葉を求められている。しかし登未には言うべき言葉がわからない。

 月夜は登未の回答を待たないようだ。

 すぐに言葉を続けた。


「よくある話だって」


 登未が続けた言葉だ。口にした記憶もある。何度も耳にした言葉でもある。

 誰かに話せば、高確率で返ってくる反応だ。

 月夜は、そんな言葉を口にして欲しいのだろうか。


 登未は眉を寄せて、月夜を見る。

 変化したのは表情だけだ。

 しかし月夜はどこか安堵したように、だが顔を歪めて続けた。


「あのね、皆は言ったよ。よくあるって。仕方ない、そんなこともあるって」


 周りは慰めようとしたのではないか。

 登未はなんとなく、そう思った。

 

「ねえ、よくある話なの?」


 答えは言えない。

 男子が苦手という話は、良く聞く話だ。

 高校教師に恋をするのも、昼間聞いたばかりの話だ。

 距離の詰め方を間違い、男が勘違いし、調子に乗る。

 それも理解できてしまう。


 おそらく、全てが集約するのは珍しい。

 しかし、個別で見れば『よくある話』である。

 だが、登未は口にできない。


「よくある話だったら、……なんなの?」


 そうだ。その通りだ。

 よくある話であれば、仕方ないとでも皆は言うつもりなのか。


「みんな、傷ついているんだよ? ってことかな?」


 誰しもが傷を負いながら生きている。

 だから、傷つくのは当然とでも言うのだろうか。

『ボクはその痛みを知っていますし、耐えました。だから貴方も耐えましょう』

 そう言いたいのか。


「苦しいのはわかってるから、我慢しなさいってことなのかな?」


 登未は月夜の顔をじっと見つめた。

 笑顔を保つのが難しそうで、今にも泣き顔に変わってしまいそうだと思った。


(周囲からの優しい『見当違い』の言葉、か)


 判断基準はどこにある、そう問えば、多くの物が基準を自分に物を考えると答えるだろう。

 良識に照らし合わせて、という者もいるが、それも結局自分の価値に従っている。


 例えば、道で転んだとする。

 そのとき、概ねの人間が騒がない。

 転んだ痛みを知っているからだ。

 痛いが耐えられることを知っている。

 だから痛がったとしても、掠り傷だから大丈夫と答えるだろう。


 それと同じだ。

 自分の経験と照合し、許容範囲内であれば、耐えられるから大丈夫と応えるだろう。


 当人がどれほどの怪我を負ったかなど、一切考慮せずに。


「ねえ、登未くんなら、わかってくれるよね?」


 月夜の言いたいことが、何となく見えてきた。


 よくある話と断じられ、痛みすらも無視される辛さを、共感して欲しい。

 そして、おそらくもう一つ含んでいる。

 月夜が、登未を見て思ったのならば、もう一つあると想像していた。


「わたしたち、頑張って、頑張ってるのに、その努力もよくある話で片付けられるんだよ?」


 傷を癒やすために、努力をする。

 しかし、傷自体が誰にも理解されてないならば、その努力も理解されない。


「わたしたち、何をやってるんだろうね……」


 月夜が俯く。目が登未から離れた。登未は反対に目線を上に向ける。

 曇天模様の夜空を見上げて、息を吐いて、そして吸う。


「そうだな……」


 上を向いたまま、登未は呟いた。

 月夜にかけるべき言葉を探すため、とりあえず口にした呟きだ。


 僅かな猶予時間の中、登未は考える。


――登未が過去の話をしたことで、月夜の心の傷を刺激してしまった。

――全ての責任とは言わないまでも、原因の一つが登未にある。

――ならば慰めるのは、必然である。


(いや、違うな)


 考えてはみたが、どうにもしっくりこない。

 登未は顔を戻して、月夜を見る。

 顔を伏せている以上、表情は見えない。


(笑顔は、笑顔じゃなきゃだよな)


 自分を棚上げする考えだが、登未は強く思う。

 月夜が虚偽の笑顔を浮かべるのが許せなかった。

 笑えば、眩いほどなのだ。

 毎朝、月夜を目にしたときに、浄化されそうになっているのだ。

 感情を隠すために浮かべる笑顔なんて、月夜がすべきではない。


(変な風に拗れやがって。このアホが)


 傷など、傷ついても構わない人間が負うべきで、綺麗な人間が好んで負ってはいけない。

 覚悟を決めた登未は月夜を見ながら、口を開いた。


「……、むかし話がどうだったかって」

「……え?」

「聞かれて、応えてなかったよな?」


 月夜が顔を上げた。月夜の瞳が登未の顔を捉える。思わず、少しだけ視線を泳がせてしまったが、仕方ないと思ってもらおうと、登未は頬を掻く。


「素直に答えて良いかな?」

「いい、けど……?」

「じゃあ、言うけど」


 登未は腕を組んで、難しそうな顔を作る。

 不安な顔に変わった月夜を見て、状況を忘れて吹き出しそうになるのを堪えた。


「お前のむかし話な、起承転結の、転と結がない」

「…………え?」


 月夜の頭上に疑問符がたくさん見えた。良い具合に混乱してくれたようだ。

 素直に慰めて、耳に届くような者が、悩みを拗らせる訳はないのだ。

 まずは、月夜の間違いを指摘する。


「ほら、文章作成のコツで言わなかったっけ? 企画書でも提案書でも何でも、ストーリーがいるわけで。その中に、起伏もなくて主軸もないと、結局最後に『で?』って言われるぞって」

「……え、あ、はあ」

「お前の話はな、起承で終わってんだ」


 月夜の話はこうだ。

 起にあたる部分で、女の子がどういう人かを語り、

 承に当たる部分で、女の子が恋に対して、何をして何があったのかを語った。


「『承』であったことを受けて、『転』でどうしたんだ? そして『結』でどうなったんだ? それがないのに、『どうかな?』と言われても、未完成ですね、と答えるしかできねえじゃん」


 呆気に取られていた月夜の顔が、少し悲しげに変わる。

 登未の反応は意図していたものではない。分類すれば突き放すような言葉だ。

 しかも変な解釈をされてしまったと、悔いている様子だった。


(本当に、わかりやすい子だな)


 登未は苦笑を浮かべると、腕を伸ばす。

 俯いている顔を上げさせようと、月夜の頭に手を載せる。

 

「で、気づいてないの?」

「……、何が?」

「転と結に至ってないって、言ってるんだけど。今が『転』なんじゃねえの?」


 傷を負うような事件を受けて、どう転じるのか。

 月夜は、転じ方に苦しんでいるのだ。

 物語は終わっていない。

 終わらせてはいけない。

 月夜の頭に載せた手を動かす。


「聞くけど。異性に怯える女の子は、どうしたよ?」


 きょとんとする月夜の頭を撫でながら、むかし話の主人公は何をしているのか訊ねる。

 髪の感触が心地よい。


「なんだよ、この髪、すげえな。毎日手入れ大変だろ。さっきほっぺ触ってびっくりしたし」


 相当努力している証拠だ。

 結果は嘘を吐かない。月夜の髪を指で梳きながら、登未は月夜に笑いかける。


「可愛いを維持して、どうするつもりだよ」

「だ、だって」

「だって?」

「皆、裏で言ってるから……」

「はあ」

「可愛ければ許されると、思ってるとか……」


 陰口もしっかりと把握しているらしい。わざわざ裏で話していることを、見つけてきて落ち込む要素を増やすこともないのにと登未は苦笑する。せっかくなので、情報は追加しておく。


「ああ、聞くな。うちの男どもなんて可愛いから許すとかも言ってるな」

「それって、可愛くしてないと、許されないってことだと、思って……」


 なるほど。その発想はなかったと、登未は目を丸くする。頭が回るネガティブ思考は厄介なものだと思うが、賢いならば目先を変えてもらいたかった。


「なあ、むかし話の女の子は、可愛くしていることが怖くなったんじゃなかったの?」


 指に伝わる月夜の髪の感触はどうだ? 滑らかで絹を触っている気分になる。

 手入れを充分にしている。顔はどうだ? 肌の荒れなどどこにもない。

 カロリーを気にするのは何故だ? 服装はどうだ?

 可愛いを放棄している人間ができることだろうか。


「えっと、いや、でも」

「むかし話の女の子は、大学を卒業して就職は、どこにした?」


 探せば、女子の多い職場はあったはずだ。男から遠ざかり避難することはできた。

 しかし月夜は男の多い会社に就職した。

 逃げることを良しとしなかったからではないのか。


「接しやすい人を見つけて、『試し行動』をしていたのはなんでさ?」


 登未に対して、距離感が近かった理由だ。

 試し行動。

 子供が大人に対して、敢えて悪さをして、愛情を確かめる行動。

 異性に対して、敢えて遠ざかる行動を取り、気持ちを確かめる行動。

 月夜が登未にしていたのは、登未の許容範囲を計る行動だと思っていた。

 理解していた。

 月夜に対して思うところはなかった。しかし拒否する理由もないのだ。

 だから、平然と全て受け入れていた。

 月夜が何を思うのかまではわからなかったが、今ならわかる。

 味方が欲しかったのだと。


「そして、むかし話の女の子がさ。今、苦しんでいるのは何故だ?」


 認めてしまえば、諦めてしまえば苦しさなど生じない。

 苦しいのは足掻くからだ。

 現状を認めないと、打破するために藻掻いているからではないのか。


「気づく人は気づけるんだ」


 登未は月夜の頭を撫でながら、どこかで口にした言葉だなと思った。

 思い出せなかったが、気にはしない。

 口を少し開けて、ぽかんとしている月夜を見ながら、登未は目を細める。


「あのな。月夜」


 狼狽していた瞳が止まった。

 目をぱちくりとさせて、登未を見た。


「勝手に物語を締めないでよ。お前は努力を続けてるんだからさ」


 俺は諦めてしまったが、と言葉が浮かびそうになる。

 でも、全力で自分の意思が表面にでないようにした。

 今の月夜に、おくびにも出してはならない。

 だが、代わりに想いを言葉に込める。

 努力が気づかれないのなら、おそらく言われたことのない言葉だろう。


「だから、がんばれ月夜」


 心の底からの応援を、月夜に向ける。

 瞠目していた月夜の瞳は、徐々に細くなる。

 目蓋に閉ざされ、月夜の瞳は見えなくなった。


 言葉を咀嚼しているように、月夜は静かに目を閉じ思考に耽っている。

 夜の光の少ない空間で、瞳を閉じて座る美少女の姿は何とも絵になる。

 何も考えないのはもったいなく、登未は考える。


――さて、空は曇天だ。

 だが、雲もどこかで途切れて月は見えるだろう。

 月だって欠けていき姿を消すが、翌日から再び徐々に顔を出すだろう。

 月夜の名の通り、直ぐに明るい姿が見えるだろうか――。


(いや、これは臭すぎるな)


 浮かんだ考えが酷い。

 慣れないことはするもんじゃないと、登未は煙草を口に咥えた。


――煙を吐くことは、溜息を隠すのに使えるな。


 これが自分らしい考えだと、音も出さずに登未は口角を上げた。

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