第18話 不能の証明

「……ごめん。なんて言った?」


 片手で額を押さえた紅葉が、馬鹿を見るような瞳で登未を見てきた。

 当然の反応だと思ったので、登未は平然と言葉を繰り返す。


「ちんこが勃たない」


 登未の言葉に、紅葉は頭を抱える。

 

「……他に言い方、ないの?」

「わかりやすいでしょ」


 言って欲しいなら、機能不全やErectile DysfunctionつまりはEDなど難しい単語を使っても良い。ただ受け手に理解を期待する言い方だ。月夜が戻ってくるまでに会話を終わらせ、紅葉に理解させるため、分かりやすさを優先した。


「……マジなの?」

「疑うなら、試してみれば?」


 乾いた笑いを浮かべて、登未は肩をすくめる。

 不能の問題を横に置いたとしても、愚息が微動だにしない自信があった。


(まあ、エロ画像を見せられて反応するほど若くないけど)


 紅葉が精々試せるとすれば、スマホで扇情的な画像を探して見せつけるくらいだろう。

 好みの問題もあるが、そんな二次元の画像に即応するほど登未は思春期の延長戦を行なっていない。枯れ果てて以降、見ることもなかったのだが。


「んー……」


 紅葉は唸りながら、登未を眺めていた。

 値踏みするような瞳だ。

 悩んだ後、紅葉が膝歩きで近づいてきた。

 パーカーのポケットからスマホを取り出して操作した後、画面を見せる。


「……これは?」

「片腹痛い」


 水着画像だ。顔は幼いが、驚くほどの巨乳の女性で、胸を寄せている。

 激しいギャップに人気は高いのだろうが、登未には響かない。

 感想を口にするが、紅葉の目は登未の顔を見ていない。

 股間を凝視している。

 あまり直視しないで欲しいと思ったが、事実確認ならば仕方ないと諦めた。


「……じゃあ、これ」


 今度はかなり直接的な画像だ。

 AVのキャプチャ画像だろうか。裸の女性が男優と行為を行なっている。

 おそらく、検索ワードが恥ずかしいことになっているだろう。

 後で後悔でもすればいいと思いつつ、画像を冷めた目で見る。


「……うーん」


 紅葉はスマホをテーブルに置いて、腕を組んで考え出した。

 例え何を検討し仕掛けて来ても、登未の登未が反応することはない。

 証明は完了した筈だ。登未は紅葉から視界を外し、天井を見上げる。


(あー……、煙草吸いてえ)


 煙で肺を満たしたかった。情けなさを暴露したこともあり、心は疲弊している。

 やさぐれた気持ちに煙草が恋しかった。

 月夜が中々戻ってこないこともある。よほど冷蔵庫の奥にビールを詰め込んでいるのか。

 登未はキッチンに目を向け、再度ベランダに戻って煙草を吸おうかと思った。


 じっ。


 聞こえた音に目を瞬かせる。

 ファスナーを動かすような音だ。

 なんだろうと思うよりも早く、腕を掴まれる。


「えっ」


 柔らかかった。掌が脳に向けて情報を伝達する。

 暖かく、柔らかく、豊かな感触だ。

 登未が慌てて顔を動かすと、


(――馬鹿じゃねえの)


 紅葉の着ているパーカーが開けていた。

 更に言えば、淡い水色の下着が見える。

 その上に己の手があることも目視確認した。

 流石に動揺した。

 何をしているんだ、こいつはと登未は身体を硬直させた。

 反対に紅葉に動揺はない。

 掌から伝わる心拍数に変化がなかった。

 登未の股間を注視して、そして目を丸くする。


「本当だ……」

「……信じてもらえてなによりだ」


 驚く紅葉の手が、腕から離れた。

 登未は急いで紅葉の胸から手を離す。


「すご……、なんで?」

「だから、不能なんだって。服を戻してくれ」


 登未は苦虫を噛み潰したように、顔をしかめる。

 とても良い眺めではあるが、反応しない自分に苛ついてしまう。

 眺めていれば、心に毒が溜まっていく。

 まさに言葉通り、目に毒な風景だった。


「うわあ……」


 残念なものを見る目とは、紅葉の今の瞳を指すのだろう。

 パーカーのファスナーを上げながら、紅葉は同情すら感じる瞳を向けていた。


「信じてもらえたな?」

「まあ、うん」


 登未の言葉に、紅葉は頷いた。自分の身体を張ってまで確認したのだ。これで信じなければ、どうやっても信じられないだろう。登未は溜まった苛立ちを抜くように鼻を鳴らした。


「なら、わかるな? 俺があの子に何も思うところはないって」


 月夜の身体目当ててで、月夜に近づき、優しくしている。

 紅葉はそう思って、登未を警戒した。

 だが、登未はそもそも月夜の身体を目的にできない。

 最終的に抱けないのならば、無駄でしかない行為なのだから。


「ん、なんか、ごめんね?」


 頭を掻きながら紅葉が謝罪を口にした。

 意味のない謝罪は、普段は聞きたくないと思う登未だが、今は受け入れる。

 心から謝って欲しいと本気で思っていた。


「……いいよ。ちくしょう」

「月夜には、黙っておくね?」

「それも、別にいいよ。吹聴して回るような子じゃないだろうし」


 それで月夜が安心するなら、別にいいと思った。

 紅葉が登未を警戒したのは、推測だが過去の出来事が原因だと思った。

 親友が外敵を排除するほどの異性絡みの出来事だ。

 登未が不能とわかり、安心できるのなら公開してもらっても構わない。


「はあ、登未っちって凄いね」

「はいはい、そうでございますね」


 褒められても不愉快なだけだ。登未は手を振って紅葉に離れるよう促した。

 しかし紅葉は離れず、スマホを操作している。


「うーん。一気に最終手段まで行ったけど、本当に不能さんなんだね」

「……最終手段?」


 紅葉の言葉に、登未は片眉を上げて怪訝な顔つきとなった。

 その口ぶりでは直接攻撃よりも温いものの、えぐい手段を用意していたように聞こえる。

 訝しげに紅葉を見ていると、スマホの画面を登未に見せてきた。


「ほら、こんなのを見せようと悩んでた」

「ぶっ!?」


 映っていたのは月夜の画像だった。

 温泉か何かだろう。お湯に足を入れて、縁石に腰掛けた姿である。

 髪の毛をタオルでまとめた、一糸まとわぬ姿だった。

 笑顔でピースサインを向けている。

 朝の通勤時の感触でわかってはいたが、やはりスタイルが良いようだ。


(写真として残すんじゃねえ)


 想像以上に完璧だった。自分が不能なのが心底悔やまれる。

 目を奪われるという言葉を実感した。

 視線を動かす気になれない。

 しかし直視し続けるのは理性が止めろと叫んだ。登未は慌てて顔を逸らす。


「……ちょっと。不能なんじゃないの?」

「……よく見ろ。俺の不能さんはぴくりともしていない」


 登未の様子に紅葉は目を尖らせた。しかし登未は胸を張って股間を指さす。口で説明した通り、一切膨らんでもいなかった。ジャージ素材なので、誤魔化しは効かない。


「んー。確かに。でも現物のあたしよりも反応が大きいことが、納得できない」

「知らねえよ」


 大きく反応して欲しかったのだろうか。紅葉のときも驚いたが、唖然としていたこともあり、そんな気配りなど出来るはずがない。登未はがっくりと首を項垂れた。流石に限界だった。煙草を吸おう。登未はポケットから煙草と念のために持ってきた携帯灰皿を手に立ち上がろうとした。


「あ、登未っち。連絡先交換しよう」

「はあ?」


 紅葉に呼び止められ、浮かせた腰を途中で止めた。交換する必要性と意味が感じられなかった。共通項が月夜の存在のみで、連絡を取り合う理由が読めなかった。


「うん。交換してくれたら、この画像あげよう」

「……、友達を売るなよ」


 登未は頬を引き攣らせた。溜息を吐いて、スマホを取り出す。

 必要性はわからなかったが、紅葉が更に妙な手札を切りかねないと思った。

 下手に抵抗して、危険度の高い画像を見せられる危険性を加味し、メッセージアプリの自分のIDを表示し、スマホをテーブルの上に置いた。


「……不能でも、欲しがるもんなの?」

「いや、マジで送らなくて良い。もっとヤバいのを見せられると思っただけだ」

「なるほどねー。まあ、後で色々嫌がらせするね」

「この野郎……」


 紅葉の笑顔に、登未は明確に嫌そうな顔で応じる。からからと笑いながら登未のスマホを片手に、自分のスマホを操作する紅葉に舌打ちを残し、登未はベランダへ行こうとした。


「お待たせー」


 月夜がビールを盆に載せて、ようやく戻ってきた。

 銘柄を確認する。発泡酒ではなく、ビールだった。

 素晴らしい、と登未は月夜の友人を称えたくなる。


「あれ、煙草ですか?」

「あ、ああ。うん、ちょっとベランダ借りるわ。灰皿は持ってきたから汚さないと思う」


 せっかくビールを持ってきてもらったが、煙に飢えていた。

 登未は携帯灰皿を月夜に掲げて見せる。


「あ、登未っち。中で吸ったら?」

「は?」


 紅葉がスマホを登未に放り投げてきた。乱雑な扱いに抗議したくなったが、それよりも紅葉の言葉が気になる。非喫煙者にとって、煙草の臭いは不快なものだ。月夜が受け付けるはずがない。いい匂いに満ちる部屋を汚すのも偲びない。


「……何言ってんの?」

「だって、あたし普通に吸うし。あ、月夜ー。煙草吸いたいー。灰皿ー」

「はいはい」


 月夜が苦笑しながら、灰皿を持ってきた。

 使い込まれた灰皿だ。何度も使用していることが窺えた。

 目を瞬かせて月夜を見ていると、月夜は苦笑と共に舌を出した。


「友達、半分くらい煙草吸うんですよ」


 月夜自身は吸わないが、他の友人は喫煙者とのことだ。

 煙草は吸っているときよりも、翌日の方が臭いが気になる。

こんな良い匂いの部屋にしているのに、と可哀想に思ってしまう。


「嫌じゃないの?」

「まあ、ちょっとは。でも慣れたと言いますか、もう今更だなって」


 火を付ける音がした。目を向けると、紅葉が煙草を吸い始めていた。

 割と渋い銘柄の煙草を吸っている。

 月夜に視線を戻すと、肩をすくめ、そして掌を差し出された。


「大丈夫ですんで、気にせず、やっちゃってください」

「……、そっちが良いなら、ありがたいけど」


 登未は諦めて、腰を下ろす。せっかく灰皿まであるならと、紅葉の横に座った。

 月夜も登未に続いて座る。そして月夜は登未に缶を手渡した。


「はい、ビールですよ」

「あ、ありがとう」


 礼を口にするのは嫌だと言っておきながら、つい言ってしまうほどに動揺した。

 月夜との距離は近い。


(なんで隣を堅守するんだろう)


 月夜と紅葉に挟まれる形になった。オセロなら、登未は美女に変化している。

 向かい合った方が話をしやすい気がするのだが、月夜が何を考えているのかわからない。


「そういや、登未っち。その煙草、変な銘柄だけど、どこで売ってるの?」

「あ? ああ、うん。ギリギリだけど自販機で買える」


 登未が手にしている煙草を見て、紅葉が訊ねてきた。緑色の小さな箱だ。ウルグアイ製の煙草ではあるが、マニアックな自販機に置かれる程度に知名度はある。


「変わった臭いだね」

「吸った臭いは歯磨き粉だけどな」


 煙草の箱に鼻を近づいて珍妙な顔つきとなる紅葉に苦笑しつつ、登未は煙草を口にする。オイルライターで火を付けながら、息を吸う。煙の中に、仄かなハーブティーのような香りを感じつつ、煙を吐き出した。


「おー、変わった香りだ」

「……吸う?」

「わ、もらうもらう」


 紅葉に煙草を差し出していると、反対側から視線を感じた。

 月夜だ。目を丸くしていた。


「ど、どうした?」

「い、いえ。なんか、さっきまで重たい空気だったのに、一変してるんで」


 登未と紅葉との話す雰囲気が変わったことに驚いているようだ。

 確かに、月夜が席を離れるまで、痛々しさと言っても過言ではない空気だった。

 棘のある雰囲気は消えていた。月夜が疑問に思うのも無理はない。

 しかし、何と説明したらと登未は悩んだ。

 愚息の不能の改めての説明は、さすがの登未にも厳しい。


「うん。詳しくは後で語るとして、とりあえず登未っちが安全だってわかったから」

「もう、だから言ったのに」


 紅葉が登未を挟んで月夜に笑いかけた。月夜は不満そうに頬を膨らませる。


(どっちか、離れてくれねえかな)


 居心地が悪かった。女子に挟まれて会話されるならば移動したいと思うほどだ。

 しかし煙草に火を付けた以上、下手に動けば灰が撒き散ってしまう。

 吸いきるまでは我慢しよう、そう決めて登未はビールのプルタブに指を掛けた。


「そうだよ、飲まないと。月夜は何飲む?」

「えっとね、洋梨にしようかな?」


 登未が飲み始めたことに誘引されたのか、月夜と紅葉もそれぞれ酒を手に取った。

 雰囲気の悪さは改善できた。再び賑やかな飲みが始まった。


(この距離感はねえだろ)


 安全と判断したからだろうか。二人の女子は恐ろしく近くに居る。

 改善を試みない方がよかったのかと登未は俄に後悔した。


(……なんだかな)


 しかし左右から、姦しくも楽しげな笑い声を聞かされれば、文句は言えない。

 登未はビールを喉に流しつつ、二人を邪魔しないように静かに笑うことにした。

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