第7話 電話に起こされて
『え!? 今帰ってきたの!?』
「んー。そだよー、ただいまー」
『普段よりも遅いじゃん!? 大丈夫なの!?』
「うん。平気だけど?」
『……なんか、今日は元気だね』
「そうかな。あ、ご飯食べるから煩いかも」
『今から、ご飯なんだ……、社会人って嫌だ』
「バイトから帰って遅くにご飯食べてる人に言われたくないなぁ」
『何食べるの? 太るよ?』
「ふっふっふん。カロリーを考慮しておでんを食べるよー」
『へー。普通のお弁当かと思ってた。明後日くらいに体重計に乗って後悔するみたいな』
「普段のわたしなら、そうだった。でも、今日のチョイスはわたしではない!」
『はあ、誰の入れ知恵?』
「先輩に教えてもらったんだー」
『へえ、普段教えてもらってる人? でも聞いてた話だと、そんなことを教えるようには……』
「ん。違う人だよ」
『ふうん? どんな人?』
「すごかった!」
『……なにがあった』
「怖い人にアレコレ調べろって言われて、わかんなくて困っていたら助けてくれた!」
『……それ。そもそも、どういう状況よ?』
「なんかトラブってて、今日中になんとかしなきゃいけないらしくて、凄い怒鳴られてた」
『ダメ会社じゃん』
「ほんとね。でさ、調べても全然わかんなくてさ。で、困ってて気づいたら近くに居て」
『はあ』
「電話をばって、奪われて、ほんのちょっと営業さんとお話しただけで解決」
『すご』
「ね! すごかった! びっくりした」
『ふうん。で、その人って、男だよね?』
「うん、うちの会社って男の人だらけだし」
『どうせ、下心があるんじゃないの?』
「それがね、全然そんな気配がしなくて」
『あんた、そう言ってだいたい嫌な気持ちになってたでしょ』
「でも、帰り道一緒になったんだけど。全然」
『なんで一緒なの!?』
「偶然、一緒の電車だったんだ」
『つけられた?』
「違うよ。なんでって聞くより早く、定期券で住んでる駅を見せてくれたもん」
『手際良いな、その人』
「ね? ふふ」
『なに? まだなんかあったの?』
「あとね、あとね。駅も一緒で、向かいの家に住んでた」
『やば。なんなの、その偶然』
「ね! びっくりした」
『世間って狭いんだね。じゃあ、他にも偶然の一致があったり?』
「今、確認してる」
『…………今?』
「うん。CONE教えてもらった。絶賛、情報交換中」
『なんというか。……あんたが、男とメッセやり取りするのって初めてじゃない?』
「そういえば、そうかも?」
『感想は?』
「スタンプが可愛い」
『……若い人なの?』
「んーん。あ、ほら。高校のときの数学のせんせー居たでしょ?」
『あー、うん。翔ちゃん?』
「そうそう、翔太くんと同じくらいかな? たぶん」
『35とかそれくらいかあ、奥さんとかの影響かな?』
「独身だって」
『じゃあ、彼女?』
「いないってさ」
『……へえ』
「なに?」
『いや、意外と調べてんだなって』
「ち、違うよ。話の流れで知っただけだし。それに」
『それに?』
「なんか、彼女の話とか触れて欲しくなさそうな感じ?」
『ふうん?』
「あ」
『どした?』
「既読つくけど、返信が途絶えた」
『……寝たんじゃない?』
「そうかも。わたしも寝ようかな」
『歯、磨きなよ』
「うん。じゃ、おやすみー」
◆◇◆
「うおっ!?」
枕元に置いたスマホから鳴る着信音に、登未は跳ね起きた。
朝から登未に電話を掛ける者はいない。
あるとすれば、会社からだ。
寝坊して、寝過ごして、上司から遅刻を咎められるケースしかない。
「はい、宇田津です!」
寝起きで混乱した頭のまま、登未は表示も見ずに通話ボタンをタップする。
耳に当てて、叱責の覚悟を即座に決めた。
『あっ、やっと起きたんですか!? 遅刻しちゃいますよ!?』
女の声だった。上司の声ではなく、更に登未は混乱する。
声の主は、聞き覚えが――なくはない。
思わず、耳に当てたスマホを顔から離し、画面を確認した。
「……飯田、月夜?」
月夜からの電話だった。画面の上には時刻が表示されている。
普段、起きる時間より少し早い。7時だった。
登未はカーテンを開けて、窓の外――向かいのマンションの上層を見た。
「……もしもし?」
『おはようございます! って大丈夫なんですか!?』
上層階の一室に人影がある。月夜だ。ベランダに出て、こちらを見ている。
「おはよう、後輩。大丈夫って、なにがだ?」
『始業時間ですよ!? 間に合うんですか!?』
「余裕だ。むしろいつもより早い」
男にとって、朝の身支度は短時間で済む。
もちろん、営業職やイケメンなど身なりを気にする者ならば、話は別だ。
朝食を取り、髭を剃って顔を洗い、髪を整え、朝のニュースや新聞を確認して、家を出る。
サラリーマンとして模範的な行動は、このようなものだろう。
しかし身なりを最低限しか整える気のない登未にとっては違う。
精々シャワーを浴びて、歯を磨き、髭を剃る程度だ。
急げば、ものの数分で事足りる。
『え、……今からで間に合うんです、か?』
「男なんで、起きてから10分あれば身支度は整えれるんでね。てか、なんなの? 朝から」
月夜の表情は登未からは見えない。しかし月夜も同じだろう。
無駄とはわかっていても、月夜を睨みながら登未は電話の理由を尋ねた。
『あの。メッセージ送っても、何の反応もなかったんで、てっきり寝過ごしているのかと』
「メッセージ……? ちょっと待ってくれ」
気まずそうな月夜の声に登未は眉根を寄せる。一言断りを入れて、登未はスマホを操作し、メッセージアプリを確認する。
100数件の新着メッセージの通知があった。
確認してみると、『おはようございます!』から始まり、いくつかのスタンプが続き、そして寝ていると判断したのか、慌てるメッセージに変わっていた。
反応のない登未に業を煮やした月夜は、電話をしてきたのだろう。
(……そっか。連絡先を交換したんだっけか)
登未は昨夜のことを思い出す。
互いが、信じられないくらい近所に住んでいることが判明した。
思わず呆け、そして笑い出してしまった。
愉快だった。
これまで絡んだこともなかった相手だ。
それが、同じ沿線に住んでいるどころか、使う駅も同じ。
更に言えば、住む場所も近所だなんて、偶然が過ぎる。
これまで気づかなかったのも併せて、ただただ愉快だった。
有り得ない偶然に笑いが止まらなかった。
ひとしきり笑った後、月夜は登未に向かってスマホを差し出した。
『奇遇加減が面白すぎる。もうちょっと話がしたいので、連絡先を交換しましょう』、と。
断る理由が、その時は思い浮かばなかった。
不思議なテンションになっていたこともあり、登未は月夜に従った。
(そりゃあ、まあ。連絡先は交わしたし、夜遅くまでメッセージのやり取りはしたけど)
他に偶然の一致はないかと、寝るまで互いの情報を確認しあった。
というよりも気づけば寝ていて、そのままぐっすりと眠っていた。
メッセージの再開は、朝の6時半から続いている。
勘違いはあったものの、寝坊していると心配してくれたようだ。
登未は頬を掻いて、スマホを耳に戻す。
「もしもし?」
『あ、その、なんか申し訳ないです……』
恐縮しきった声だった。普段なら寝ているところを起こしてしまったのだ。無理もない反応だった。しかし善意で起こしてくれたのだ。月夜が縮こまるのも、登未が怒るのも的が外れている。
「いや、こっちこそ。起こしてもらったのに、すまんかった」
『い、いえいえ。もったいない言葉です』
「俺は殿様か何かか。畏まらないで」
通話をスピーカーモードにして、登未は窓から離れる。
ここまで明確に目が覚めてしまえば、二度寝もできない。
ベッドに腰を下ろし、スマホを枕に置いた。
身体を伸ばして調子を確認する。良好だった。
「とりあえず、もう起きた」
『そう、ですね。あの、宇田津さん、何時に家を出るんですか?』
枕元の目覚まし時計を見る。ゆっくりと準備しても、30分もかからないだろう。
「遅くても30分後、かな?」
『はやっ!? もう少しゆっくり準備してもらえますか?』
「いいけど、なんで?」
喉が渇いていた。枕元に置いてあった水のペットボトルを手に取り、封を開ける。
口をつけて、水を喉に流し込む。温い水が、食道を通っていった。
『えっと……、よかったら一緒に行きませんか?』
水が逆流しそうになった。咳き込みながら、登未はスマホを睨む。
「……いいけど、なんで?」
『や、あの、無駄に起こしてしまって、ちょっと申し訳なくて、昨日のこともありますし、朝ご飯でもご馳走したいなと』
月夜が何を考えているのか、よくわからなかった。仕事を手伝ったことなど、気にしなくていいことだ。朝の電話も、少々早いが、いつもよりも抜群に目が覚めてくれたので、ありがたいと思うほどだ。
「気にしなくていいんだけど」
『でも……』
しかし、承服しかねると月夜の声が言っている。朝から問答を繰り返すのも、無益に思えた。
登未とは違い女性である月夜が、朝の身支度には時間を要するのは、当然のことだった。
(これ以上、無駄な時間を使わせるのも、な)
ダメ社員と一緒に通勤したことを目撃されたならば、何を言われるかわからない。
しかし定期券に記載された会社の最寄り駅は異なる。共に会社に入ることはない。
それならば、月夜の外聞に傷が付くことはない。
判断した登未は苦笑を浮かべた。
「わかった。準備が終わったら、連絡くれ」
『あ、いいんですか?』
「ああ。急がなくていいから。まだまだ時間があるし」
一時間あれば、月夜の準備は終わると思った。
それでもまだ、出社してもチャイムが鳴るまで時間がある。
駅前のコーヒーショップで朝食を買ったとしてもお釣りが来る。
「とりあえず8時目標でいいか?」
『あ、はい! すぐに準備します!』
「はいはい。んじゃ、また後で」
通話終了のボタンをタップする。
窓の外に目を向ければ、ベランダから月夜が室内に戻る姿が見えた。
思いよらぬモーニングコールだった。
スマホから目を離して、深く息を吐いた後、立ち上がり、自分の寝間着に手を掛けた。
シャワーを浴びようと思った。
服を脱いで、浴室に足を踏み入れて、鏡に映る自分を見る。
冴えない顔は変わらないが、口角が上がっていた。
どうにも、朝から月夜に会うのが楽しみなようだ。
(さて。あの美人は、どんな格好で来るんだかな)
困ったものだと登未は笑みを苦笑に変えた。
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