第6話 残業明けに食べる肉まんの味

 飯田 月夜という女性を一言で言えば、と問われると、何と答えるか。

 殆どの者が、綺麗、あるいは可愛い人と返すだろう。


 メイクも服装も派手さはない。だからこそ、素の月夜が見える。

 白鳥が着飾るかと言わんばかりだ。尤も、本人がそう考えているとは思えないが。

 

 だがしかし、月夜は新卒の若者だ。

 美人、と呼ぶにふさわしい落ち着きや深みを有していない。

 称するならば、美少女の方が似合っていると、登未は感じていた。


 色々考えてみたが結論として、月夜の外見は抜群に優れている。

 では、中身はどうだろうか?

 どのような性格の持ち主なのか、登未は考える。

 

 平時に仕事で絡むこともなく、トラブル時の慌てる姿のみしか登未は知らなければ見てもいない。会社で見たのは、恫喝する営業から逃げ出さず真面目に取り組む姿だけだ。

 

 おそらく、真面目な性格なのだろう。

 登未はそう捉えていた。


(しかし、どうなんだろうな?)


 登未は描いていた人物像の修正について検討を始めていた。


「おでん、おでん~」


 鼻歌を歌う月夜を横目で見ながら、登未はそっと息を吐く。

 帰り道の途中で、登未と月夜はコンビニエンスストアに立ち寄った。

 登未にとってカロリーは特段気になるものではない。

 早めに帰宅したこともあり、たまには良いかと缶ビールと幾つかの総菜、そして温かいお茶と肉まんを買った。


 カロリーを気にする系の女子たる月夜は、隣のレジで会計を済ませるところだ。

 電車内で登未が提案した、厳選おでん種を選んだようだ。


 しかし登未が店員に肉まんを追加した瞬間、月夜は凄い勢いで登未を見た。

 不思議な表情だった。

 裏切り者、という魂の叫びと、食べたいと言わんばかりの輝きが混在された顔だった。


(食べりゃいいじゃねえか)


 肉まん一つなど、たかだか300キロカロリー。女性的にどう考えるのかはわからないが、リカバリーは幾らでも効く筈だ。しかし月夜は、おでんを店員から受け取ってもなお、登未を見ている。どうやら葛藤しているらしい。


(やっぱ、食べるの大好きっ子なのか?)


 服の上から判断できる月夜の腰は、細い。多少腹に肉が付いたところで、何か問題になるとは思えない。食欲に葛藤する姿から想像してみても、普段から食べてそうな雰囲気だ。


(腰以外に肉が付くってことかね? 知らんけど)


 何にしても、物欲しそうな顔で見られることに、登未は問題を感じている。視線に辟易し始めた登未は嘆息すると、店員に顔を向けた。


「あー、肉まん。もう一つ、お願いします。袋は分けてください」


 隣から発せられる圧力が増す。

『二個も食べるんか、ワレ』と凄まじく睨まれている気がした。

 視線を合わさずに、店員から肉まんを受け取り、外に出る。

 無言の重圧を背中に受けながら、コンビニから出る。

 圧力は後ろから追ってきた。

 道には誰も歩いていない。登未は振り返り月夜の顔を見る。


(なんて顔だ)


 月夜は新卒の社員だ。

 年齢を確認したことはないが、二十歳は超えているはずだ。


(子供か)


 月夜は頬をやや膨らませて睨んでいた。

 眉を寄せて、眼を尖らせようとしているが、愛くるしさしか伝わってこない。

 深く息を吐いた登未は、肉まんの入った袋を月夜の顔に突きつける。


「ほれ。やる」

 

 一瞬、呆けた月夜の眼が大きく開き、そして輝きを発する。

 しかし肉まんに手を伸ばしてこない。まだ葛藤をしているのだろう。

 無駄な足掻きだと、登未は鼻を鳴らした。月夜の表情で、既に答えは出ているのはわかっている。些か強引にでも、持たせてやれば陥落するだろう。登未は月夜の持つおでんの入った袋に肉まんを入れてみる。


「……!」


 無言のままだが、瞳が煩い。

 目は心の鏡、とはよく出来た言葉だと思った。

 喝采が聞こえてくるようだ。

 肉まん一つでここまで心が沸き立つのは、何ともお手軽に思え、そして微笑ましい。

 くつくつと笑いがこみ上げて、喉が音を立てる。


「や、ちょっ、ち、違いますから! ただ、肉まんくれたのが嬉しいなって!」

「ああ、はいはい。そうっすね」


 登未が笑い出したことに気づいたのか、月夜は慌てて取り繕い始める。下手に構えば、へそを曲げるかもしれない。登未は自分の肉まんを袋から取り出し、齧り付く。


「え、ここで、食べるの? ……んですか?」

「熱いうちに食べるのが美味いだろ」


 行儀が悪い、と言いたいのかもしれないが、登未は時間を惜しむサラリーマンだ。

 歩きながら食事をすることの罪悪感など、とうの昔に枯れ果てた。

 大口を開けて、登未は肉まんにかぶりつく。

 口の中に熱い肉汁が溢れる。

 The無難、という味付けだが、熱さが美味い。大きめの挽肉の塊を咀嚼し飲み込む。


「うめー」

「うう」


 早く食べろと言う意思は伝わったようだ。月夜は肉まんを受け入れた。

 しかし左手にはおでんの入った袋、右手には小さなカバンと、手が塞がっている。

 おでんの袋に肉まんを置いたことは失敗だったかと、困っている月夜を見て思った。

 せっかく陥落しつつあるのだ。一気呵成に攻めるべきだろう。

 登未は肉まんを口の中に詰め込み、月夜の手からカバンと袋を奪う。


 何か言いたげな様子の月夜だったが、口が肉まんで埋まった登未は言葉を発せられない。抗議をしたとしても、無言を決め込むつもりの登未の意を知って、月夜は諦めたようだ。登未が持つおでん袋から肉まんを取り出した月夜は、小さな口を開けて肉まんに口を付ける。


「ん~~っ!」


 目を細めて、月夜は喜色満面の笑みを浮かべる。熱々で美味いことは確かだが、肉まん一つでここまで喜べるのは、本当に羨ましい。改めて登未は月夜を見て笑いそうになるが、口の中の処理に忙しい。飲み込んで、一息付けようと、先ほど購入したお茶のペットボトルを手に取る。そして、ふと思いつく。


「ほい。お茶」

「え、あ。ありがとうですっ」


 せっかくなので、お茶もサービスしておこうと思ったので月夜に渡す。

 月夜が美味そうに食べるので仕方ない。

 しかし、と登未は顔を上げる。

 コンビニの前で買い食いなんて、久々だ。

 いつぶりかと思い返してみれば、大学時代まで遡ってしまった。


(こいつは、どれくらいぶりなんだろう?)


 月夜に顔を戻して観察する。育ちがよさそうと思っていたが、買い食いをあっさりと受け入れたので、創作物でよく登場する箱入りのお嬢様、という訳でもないようだ。月夜にとって、大学時代は一ヶ月と少し前の話だ。今のように、友達とコンビニ前で買い食いも頻繁に行なっていたのかもしれない。


「ごちそうさまでしたっ」

「はいはい。んじゃ、行くか」


 両手を合わせて、月夜は満面の笑顔を登未に向けてきた。肩をすくめて、登未は歩き出す。

 月夜が隣に並ぼうとしている。登未は月夜と反対側の手で、奪ったままのおでんとカバンを持つ。


(別に、重たい荷物ではないけど)


 何となくだが、女性に荷物を持たせる気になれない。女性的には色々入っている自分のカバンを、どうでも良い男に持って欲しくない心情も理解はしている。が、明確に抗議をしていないので、多分大丈夫なのだろう。かと言って、無言で歩くのは、どこか気まずい。


「たまに食べる肉まんは美味いな」


 取り留めない言葉を月夜に向ける。

 異論は無いと月夜は笑顔を返してきた。


「ホントですね。でも、こんな時間に間食は怯みますね」

「なに、たかだか300キロカロリーだぞ? 卓球でも2時間やってれば消費できる」

「そんなに卓球続けられないですよー」


 腹部を擦りながら眉根を寄せる月夜に向けて、登未は鼻を鳴らす。


「そんなん言ったら、飲み会なんてやってれんくない?」


 社会人となれば、仕事帰りに同僚と飲んでいくことは頻繁にある。アラカルトで注文しても、コースを頼んでも締めに炭水化物やデザートが出てくる。飲み終わった後に、ラーメンを食べる者も少なくない。遅い時間にカロリー過多の食事を摂取することになる。


「飯田さんなんて、頻繁に誘われるでしょ?」


 新人で、ましてや可愛い女の子ならば、上司含めて誘われることは想像に容易い。登未の部署では、飲み会好きが多いこともあり、カロリー問題など早期に折り合いをつけないと大変だ。

 月夜の顔を見て呆れた視線を向けると、月夜は登未の視線から目を逸らした。


「誘われるんですけど、正直なところ苦手でして……」

「会社飲みが? 飲み会が?」

「飲み会、ですかね?」

「大学でサークル飲みはなかったの?」

「あるにはあったんですけど、どうにも合わないというか、なんと言いますか」


 月夜が説明を始めたので、登未は静かに聞く。

 曰く。月夜はサークルに所属していて、飲み会も結構な頻度で開かれていたらしい。

 しかし月夜が参加すると、雰囲気が悪くなることが多かった。

 男子は先輩同輩後輩のいずれも月夜と話そうと躍起になり、頻繁な席替えが始まる。

 女子はそんな男子を見て表には出さないものの、険悪さが見え隠れしていた。

 そのため、学期初めや末の飲み会に顔を出す程度に留めていたとのことだ。


「あ、でも。友達とは飲みに行ってましたよ? 宅飲みとかも、それなりに頻繁に」

「……なんかその話だと女友達としか飲んでなさそうな?」

「まあ、はい。そうですね。気兼ねなくお酒飲めますから」

「会社でも、普通に飲めば良いと思うよ?」

「そうなんですかね?」

「どうなのかね?」


 首を傾げる月夜に合わせて、登未も首を傾げる。

 本来ならば酒の席というのは、多少羽目を外しても問題ない。

 少なくとも新人を交えて行なう会社での飲み会は、会話の機会を増やし、為人ひととなりを知るために開催される。


 酒を飲み愉快になるなら、それでいい。

 酔って口が軽くなり、不満事項を口にするのも、後で役立てる。

 最近の若者は、飲み会を嫌う節があるが、会社での生活は長い。

 性格の摺り合わせに近い行為を避ければ、単純に軋みが生じてしまう。


(まあ、上司がそれを理解している必要があるけど)


 上司や先輩社員が、把握していれば有益だ。しかしただの憂さ晴らしなら有害な場となる。

 説教に始まり、悪口が飛び交うような飲みの場は帰りたくもなる。

 月夜の属するチームのメンバーの顔を思い浮かべて、登未は小さく唸った。


「……けっこう愚痴が多そうな連中だな」

「まあ、多めでしたけど。愚痴もまあ、良いんですよ。色々会社のこともわかるし」

「変な先入観が生まれてませんように」

「あはは……。それはそれとして。ただ、困ることは他にありまして」

「ほう、聞きましょう」


 人差し指を立てて、月夜は登未に顔を向ける。近い距離から見上げてくる月夜の視線をたじろぎながら登未は受け止めた。


「作法がさっぱりなんです」


 予想外の回答が来た。登未は月夜から顔を逸らして、足下を見ながら考える。

 飲み会の話題で作法に困っていると月夜は口にした。

 そもそも飲み会に作法などあっただろうかと登未は考え始める。


「……ああ。友達同士とばかり飲んでるんだもんな。注文したりとかわかんない?」

「まさに、それです」


 上司連中に話しかけられるため、会話に集中していれば卓の状況など把握できない。

 友達と違い、上司や先輩相手では、食事の好みも想像できなく、追加注文で何を頼めば良いのかもわからなくなってしまう。空いたグラスに酒を注ぐことも、新人には求められる。慌ただしく慣れない場でおろおろしていれば、終いには気が利かないと思われる。


「なんか、どう振る舞えば良いのか、よくわからなくて」

「慣れるしかない気がするけど……」

「その慣れる場がないんですよね……」


 肩を落とす月夜の姿に、思わず同情してしまう。

 飲み会をこなせなくて、起きる問題など然程ない。

 しかし気まずさに困るのは想像できた。


(かと言って、どうしようかね)


 対応方法について、登未は考える。

 簡単な解決方法はある。

 経験が足りなければ、増やせば良い。

 飲みに行けばいいのだ。

 そして、その場でアレコレ教えるのが、最も早い。


(でも、うちの会社の連中を誘う訳にもいかんし)


 会社の飲み会の訓練の場に、同僚を使えば本末転倒な気がした。

 色々新人に教えている姿なんて、登未個人として見られたくもない。

 月夜は友人とは飲むらしいが、その場に参加するのも気が引ける。


(それって、つまりはデートになっちまうんだよな)


 登未が月夜に飲み会の諸々を教えるためには、二人で出かけることになってしまう。

 あまり、採りたくない選択だ。登未は眉根をよせる。


(さすがにデートはないな。……っと)


 他に方法はないだろうかと思案し始めたところで、ふと気づいて立ち止まる。

 周囲を見ると、見慣れた景色だ。

 毎日、朝と晩に見ている風景である。

 つまるところ、登未の住むマンションの前に着いていた。

 4階建てのアパートと言っても疑わない、小さなマンションだ。


(俺んちに、着いたわけだが)


 横を見ると、月夜も足を止めていた。

 道路を挟んだ向かい側の高層マンションを見上げている。


(はて?)


 どうして月夜が止まっているのか。登未が立ち止まったから、月夜も止まった。

 それだけ、ではない気がした。

 不思議だった。嫌な予感がする。登未は率直に思った。

 使う電車の路線が同じだったときに感じた感覚だ。


「あー。俺んちは、ここなんだけど」


 登未は自分の住むマンションの自分の部屋を指さした。

 対する月夜も、同じように指を向ける。

 予測通り、高層マンションの上階を指していた。


「わたしの家、です」


 住んでそれなりに長い。

 登未は就職して、10年。

 月夜は大学を越えて、5年目だ。


(お向かいさんだったのか)


 互いに初めて知る事実に、口を開けて呆けてしまった。

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