第28話 てりやきって言うけど照ってない気がする
「てりやきとは、はたして何なのか」
登未は自分の手元のハンバーガーを噛み、断面を眺めながら月夜に訊ねた。
照り焼きと銘打っているが、よく考えると照り焼きなのだろうかと悩んでしまう。
醤油を基本にした甘みのあるタレを肉に塗って焼けば、照り焼きになる。
照りとはいったいなんだろう。
考えなくともテラテラと光っていれば、要件は満たせる。
だが、少なくとも目にしている肉に、そしてソースに光沢はない。
「んー。何って言われても、今まさに登未くんが食べてるのが、てりやきバーガーだよ」
月夜は両手でハンバーガー持って、かぶりついている。
もはや定位置になりつつある登未の隣、今は左側に座っていた。
ソースが頬に付いていた。登未が食べているのと同じソースの色だ。
「……こう、ほらブリの照り焼きとかで出来映えに苦しんでる身としては、簡単に照り焼きを名乗られるのは悔しいというか、なんというか」
気づいていないのか、後で拭くつもりなのか、いずれにしても気になってしょうがなかった。
登未は月夜の頬に手を伸ばし、親指でソースを取る。
月夜が目を丸くしたので、気づいていなかったようだ。登未は親指を月夜に見せてソースが付いていたことを示す。
「……なんか、そういうの自然にするよね」
月夜が苦笑を浮かべていた。月夜の表情から、女の顔に勝手に触るのは確かに無礼だろうと思った。しかし昨夜既に触って嫌がられなかったことも知っているし、普段から近い距離感で接してくるのは月夜だ。頬のソースを拭う程度で嫌がるのなら、少しは距離を取って欲しいと思った。
「せっかくの可愛い顔に、残念なアクセサリーをつけんなし。気になるわ。抗議をするなら、頬にソースとかそういうの付けないように食べなさいな」
登未は親指を舐め取った後、自分のハンバーガーに齧り付く。肉とレタスとバンズのバランスが程良い。
「……まあ。登未くんだからで、納得しているけどね」
月夜はそう漏らすと、控え目にハンバーガーに口を付けた。この調子で食べれば顔にソースは付けないだろう。言ったことをすぐに反映してくる勤勉さは望ましい。登未は笑いながら、ポテトに手を伸ばす。
「それで、どうするね?」
「どうするって?」
「まっすぐ帰るか、せっかくドンキに来たから寄って行くか、かな?」
「うーん、買い物はしたいけど……、お店に行ったらすごい買い物しそう」
生活必需品はなんでも揃っている店だ。店内を眺めていると、つい色々と買い漁ってしまった経験は登未もある。
「できたら買う物をチェックしてから、また来たいなって」
「荷物持ちは、付き合うとしますかね」
荷物持ちも必要だろうが、無駄な買い物を抑える人もいた方がいい。
登未がそう提案すると月夜は微笑みで答えた。
しかし、買い物をしないとなると、次なる問題はこの後だ。
(ここで、解散というのも一つの手だけど)
1人で出歩くのを嫌がる節が月夜にはあった。一緒に歩いてみて、よくわかった。
肩を並べて食事していても理解できる。
周囲の男の目がすごい。視線を集めている。
(気持ちはわからんでもないけどな)
目を見張りそうな可愛い子が、表情豊かに話している。楽しそうに笑う顔など、正直なところ芸能人やモデルでも太刀打ちできないのではと、登未はぼんやりと思ってしまう。
(俺以外の男じゃ、たぶん落ち着いた会話なんてできねえだろうなぁ)
欲という概念が枯れ果てた登未でもなければ、見惚れるか、のぼせ上がって動揺するか、一縷の望みを掛けて口説くか、いずれかの選択となるだろう。
(寄ってこられたり、狼狽えられたりしたら、鬱陶しいんだろうな)
月夜が独りで行動すれば、いずれかの事態に直面すると登未は予測した。
そんな状況が続けば、確かに単独で行動するのは嫌であることも予測する。
(1人で帰れとは、まあ、言えないわな)
登未はコーラを飲みながら、月夜を見る。ちょうどハンバーガーを食べ終えるところだった。
今度は頬にソースは付いていない。それでも紙ナプキンで口元を拭いている。
(やればできんじゃねえか)
ポテトを囓り始めた月夜を見て、登未はテーブルに頬杖を突いた。手で口元を隠すようにしながら、月夜を眺める。
「どしたの?」
「ん、じゃあちょっと寄り道して帰ろっかね、って。どうだろうか?」
「どうって、もちろん。お休みなんだから、遊ばないと」
インドア派の人間が、何を口にするのだろうと登未は、掌の下で唇の端をあげた。
しかしそうなると、何をしようという話になる。
このまま散歩を続けても良いが、歩き慣れていないものを連れ回すのは気が引けた。
「あ、そういえば」
「んー? どうかした? 登未くん」
「いや、さっきカラオケの話になったなぁって」
月夜に海の説明をしたとき、カラオケの採点の話をしたことを登未は思い出した。
おそらく紅葉や他の友人と頻繁に行っているような口ぶりだった。
都合良く、カラオケは上の階にある。
「行ってみる?」
登未は天井を指さしながら月夜に訊ねた。
軽い気持ちで口にしたものの、登未は眉を動かしそうになるのを堪えた。
月夜の顔に僅かだが影が見えた。なんだろうか、と登未は考える。
カラオケは行っているようなので、歌うことが嫌いではないのだろう。
そうならば躊躇う理由はどこにあるのか。
考えつく懸念材料は、二つ。
一つは、好んで歌う曲が、一般的ではないこと。
もう一つは、上手ではないということ。
「何歌っても、俺は楽しめるタイプの人間だぞ?」
「……なんか登未くんは守備範囲広そうだけど」
少なくとも、登未にとっては大した問題ではない。
なにせ、自分自身がその二つに該当する。
「……まあ、俺自身、歌は上手くはないんで、アレだけどな」
「や、そういうんじゃなくて、だけど」
本当に気にしないことを月夜に告げてみるが、月夜の顔に浮かぶのは迷いだった。
原因を考えようにも材料が足りない。
もう少し反応を見るか、話を聞かないとわからなかった。
原因が見えない以上、カラオケは止めた方がいいかもしれない。
登未は判断し、口を開く。
「あー……、他にもゲーセンとかあるけど? ここのゲーセンはきちんとしたゲーセンだ」
「……きちんとしてないゲーセンってなんだろ?」
「クレーンゲームしかない、コインゲームばっかだ、などなど偏ってないってことかな?」
「ふうん……」
月夜は気のない返事を返した。興味がないというよりは、違うことを考えているように思える。登未はどうしたものかと、飲み物のストローに口を付けた。
何の気なしに飲んでいて、ずずっと中身がなくなった音が鳴った頃、月夜は頷いた。
「……うん。カラオケ、行こう」
月夜の言葉に、登未は思わず目を丸くする。
避けたい理由があったのではないかと、月夜の顔を見返した。
しかし、月夜は登未の目を見て、口を開いた。
「わたし、登未くんと一緒にカラオケ入ってみたい」
どこか決意じみたものを瞳に感じ取った。そこまで気合いを入れるような決断だったのかと、僅かに驚きつつ登未は曖昧に頷くことしかできなかった。
◆◇◆
「えっと、とりあえず3時間で。登未くん、煙草吸うよね?」
ハンバーガーショップを出て、エスカレーターで二階に上がるとすぐにカラオケはあった。
登未が財布の中の会員証を探していると、月夜がさっさと受付と会話を始めていた。
「え、あ、うん。吸えるなら吸いたいけど。あ、これ会員証」
「じゃあ、喫煙の部屋で、3時間でお願いします」
登未から会員証を受け取った月夜は受付に渡した。
そして部屋番号の書かれた台帳を手に、月夜は廊下の部屋番号を目に進んでいった。
(なんか、やる気に満ちているような)
鼻息が荒い。実際にはそんなことはないが、気負いのような気配を月夜の小さな背中から、登未は感じ取る。何があったのかはわからないが、何事もあまり気を張りすぎては失敗するのが世の常だ。登未は嘆息混じりに月夜の両肩に手を伸ばす。
「おい」
「うひゃあん!?」
想像以上に大きな声を出して驚く月夜は、びくりと肩を震わせた。首を動かして、肩を掴んだまま離さない登未を恨めしそうに見てきた。
「な、なにするの? びっくりした」
「いや。よくはわからんけど、いやに肩に力が入ってたから」
力を抜けと言わんばかりに、月夜の肩を揉む。筋肉の少ない肩だ。しかし絶妙に硬い。
首回りを中心に凝っている。姿勢の悪い状態が多い証拠だ。
「……すげえ、肩こってね?」
「えと、登未くん?」
「スマホとか見過ぎなんじゃねえの?」
ただ一言告げて、少しは落ち着けと言うだけのつもりだった。
しかし、こうも不健康な肩を触ってしまっては、無視はできない。
登未は歩きながら、月夜の肩を揉みしだく。
「お前、この肩はないだろう? ちょっと後で時間よこせ。こんな肩は許せん」
「あの……、廊下ですることはないんじゃないかな?」
「……それもそうだけど。部屋はどこだ?」
「そこ」
月夜がすぐ脇の部屋を指し示した。登未は部屋の扉を開けると、再度月夜の肩に手を載せ身体を押し込む。4人から6人用の部屋だった。テーブルを挟んでソファーが二つ置いてある。
さすがは喫煙可能の部屋といったところだろう。
室内に残る微妙なヤニの臭いに、むっと眉をよせつつも、喫煙者の業であり、自らも撒き散らしている悪果であると肩を落とす。月夜は気にならないのだろうかと思って、視線を下げて月夜の頭を眺める。
(……、なんだろね?)
肩には力が入っていた。コリとは違う硬さだ。登未は唸ると、再び指に力を込めた。
揉んでいる内に、硬さは抜けていった。程なくして、月夜が首を後ろに向けた。
「……そんなに、肩揉みたいの?」
「20代前半で、この肩こりを飼う段階で文句を言う舌はない」
登未は鼻を鳴らすと、月夜は苦笑を浮かべた。
月夜の肩を押したままソファーの前まで移動すると、上から力を込めて月夜を座らせる。
登未も月夜の背後に腰を下ろして、月夜の肩もみを再開する。
「そんなに、凝ってるかな」
「ぶっちゃけ、風呂にでも沈めて温めた後、30分くらいかけて揉みたい」
「そんなの、家じゃないと無理だよ」
「知っているか、ここの複合施設には温泉があるんだぞ?」
「さすがにお風呂入りにくる準備してないよ」
月夜はカバンの一つも持ってきてない手ぶらだ。化粧直しすらできない。
当然の弁であり、登未はどうやって月夜の肩こりを解消すべきか検討を始める。
「いや、待って登未くん。わたし達は歌いにきたんだよ?」
「……ん。そうだな。後で覚えてやがれ」
「何されるんだろ……、わたし」
不安がる月夜から手を離し、登未は立ち上がった。時間をかける以外に、月夜の肩こりへの解決方法が見当たらない。しかし歌うことを目的にカラオケに入って、違う行動で時間を無為に潰すのは得策ではない。
「ドリンクバー行ってくるわ。なに飲む?」
「あー、じゃあ……、なに飲もう?」
「俺に聞かれても」
「登未くんは何を飲むつもり?」
「カロリーのないと言われているコーラ」
「……あれって、実際カロリーって?」
「あるぞ? 表記しないで済むと言われる基準があって、それ以下なだけ」
「……まあ、気にしていたら飲めないもんね。わたしも同じので」
「あいよー」
登未は扉を開けて、廊下に出て行く。ドリンクバーは遠くない。グラス二つに氷を入れて、機械に設置しボタンを押す。黒い炭酸の液体がグラスに満たされていく。
(1人になって、少しは落ち着いているといいんだけど)
月夜が何に緊張しているのか、登未は考える。
カラオケ自体に忌避感があるのではない。
状況的に、登未と一緒に来たから、なのだろうと推測していた。
(昨夜聴いた、むかし話と関係あんのかね)
もう少し様子を見よう。何か辛そうならば、強引にでも出て行こう。
登未は胸の溜まる重たい空気を吐くように、深く溜息を吐いた。
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