百年を確かめる
家を出ると、王宮に戻った。
魔術師の研究室が集まる棟に行く。ここは、王宮の敷地内では最もリーデリアが行く場所……いや、もうほとんどここにしかいなかったか。
研究棟は、仕事上部屋に籠ることが多くなり、部屋には防音もされていることから、静かな場所となる。
師匠が静けさを好んだため、よりひっそりした場所にリーデリアの部屋もある。
弟子になった頃から魔術師になっても、変わらず師匠の隣の部屋を使っているためだ。
もっとも、今はもう夜だから静かなのだろう。
「エイデン、きみはそこの部屋を使うといい」
「分かった」
言うと、早速エイデンは中に入っていった。
扉が閉まるところを見てから、リーデリアは向かいの自分の部屋ではなく、師匠の部屋の前に立つ。
ヴォルフから受け取った鍵で、開ける。
中は、暗い。カーテンが閉められていることで、月明かりも入ってきていないのだ。
魔術で灯りを作ると、部屋の中が明らかになる。
研究棟と言っても、器具などが並んでいるわけではない。
人によってそれぞれだが、師匠の部屋もリーデリアの部屋も普通の執務室のような作りだ。
寝起きもできるように、隣に寝室となる部屋がついており、ここで生活ができる。
師匠は完全にもうここで暮らしていたし、リーデリアもほぼそうしていた。
部屋の中は綺麗だった。
師匠は綺麗好きだったから、リーデリアと違って、ひどく散らかったところも見たことがない。
……だがこれは片付いているのではなく、部屋の主がいなくなり、ここを使っている痕跡がなくなった様子だった。
「師匠は──父は、亡くなったか」
「……はい」
百年、経ったのだ。
リーデリアの師匠は、リーデリアの父親でもあった。
娘であるものの、同時に弟子であるリーデリアのことを「弟子」と呼んだりしていた人だった。
元々が仕事人間で、母が死ぬまで全く記憶がなかったほどに関わりがなかったことが関係しているのだろう。
母が死んで、片親となった父はリーデリアと向き合うことになった。
そこで初めて娘に魔術の才があると知り、ほぼ王宮に住居を置きながらリーデリアにも置かせながら、魔術を教えることにした。
だから、親子の関係より、師弟という意識の方が強かった。互いにそうだっただろう。
リーデリアは父と呼んだことは記憶になく、もっぱら師匠と呼んでいた。
だが決して嫌いでも憎んでもおらず、尊敬していたし、好きだった。
母と共に放って置かれた期間があったとしても、きっと母がそうだったように、この人は根からの仕事人間で、無自覚なのだと感じた。
そして、父であり師匠の方も、リーデリアへの接し方にこそ迷えど、リーデリアを邪険にしたことは一度もなかった。
ただ、魔術を探求せずにはいられない人で、不器用な人だったのだ。
空っぽの机、座る師匠の姿が瞼の裏に浮かぶが、そこに師匠が現れることはない。
「師匠は、わたしがいなくなって、何か言っていたか」
「……不孝者が、と」
「その通りだな」
こうして再びヴォルフに会えたことは、普通ならあり得ないことだった。
「墓は、どこにある」
師匠のいなくなった部屋にはそれ以上入らず、リーデリアは外に出た。
夜、暗い中、リーデリアはヴォルフと二人で師匠の墓がある墓地を訪れた。
空は、月も、星もよく見える。
夜空の下にある墓は白くて、師匠の名前が刻まれていた。
だが、やはり師匠がここにいるという証はそれだけだ。リーデリアは師匠の姿を見ることは出来ない。もう、出来ないのだ。
墓にも、それほどの時間はいなかった。
魔術研究棟に戻ると、今度は自分の部屋に戻った。
師匠の隣の部屋を開けると、リーデリアの部屋は、ここもそのままにしてあった。
「師匠、紅茶です」
リーデリアが中を見ていると、その間にヴォルフが紅茶を淹れてきてくれた。
椅子に座ると、テーブルにカップが置かれる。
「ヴォルフ、きみはもうここの部屋は引き払ったのか?」
リーデリアの弟子であるヴォルフの部屋はリーデリアのもう片方の隣にある。
しかし、ヴォルフの部屋として、今日別の場所の部屋に入った。
魔術騎士にもなったようだから、立場が変わって、部屋を変えたのだろうか。
「いいえ。確かに立場上、研究棟よりあっちに部屋がある方が距離的に便利なのであっちを使っていますが、こっちの部屋は引き払っていません」
「そうなのか」
テーブルを挟んだ向かい側に、弟子も座る。目線の高さが、立っているときよりは幾分か差が縮まった気がする。
「師匠の魔術師の資格なのですが、明日一日では無理かもしれませんが、数日中には何とかします」
「ありがとう」
「それに当たって、ですが、俺の師匠であると明らかにしてしまっても構いませんか?」
「きみがいいのなら」
「いいも何も、です」
弟子は確認しただけのようで、微笑んだ。
「しかし、本当に、ヴォルフのお陰で近道が出来そうだ。学院に飛び級制度があったとしても、一年二年で卒業できる制度かどうか分からなかった」
時間も拘束されるし、と続けて紅茶を飲もうとした……が、弟子がさっきとは打って変わって思わしくなさそうな顔をしているのではないか。暗い表情だ。
「ヴォルフ?」
カップを置き、どうしたと声をかけると、彼は逡巡した様子を一瞬覗かせ、しかし口を開いた。
「……師匠、俺は、危険なことは反対です」
神々を消すということは、危険すぎる。
彼は言った。
リーデリアが神々を消すことが目的だと言ったことを指している。
リーデリアが百年の行方不明となった始まりの日、リーデリアは弟子と水に沈んだ町を見た。
そして、リーデリアが激昂して教会に向かい、神に攻撃したことはもう言った。学院でのことが事実だとも。
しかしながら、神々を消すということは普通に考えて危険だ。
神に矛を向け、その結果神に矛を向けられることを想像すれば、危険という言葉では収まらない。
「師匠は、神々が嫌いですか」
「嫌いだ」
「……あの洪水が、原因ですか」
リーデリアが百年姿を消すことになった日、共に見た光景。
リーデリアは少し考えて、首を横に振った。
「思えば、ずっと前からだったんだ。あの洪水の日、全てが溢れだしてきたに過ぎない。それまでは他の人々と同じく、これが世界の創りであり、仕方のないことだと思おうとしていた」
各地での被害を聞くたびにどこかで引っかかる部分がありながらも、これが世界の仕組みだと考えようとしていた。
神々がしているのだから、と。
普通の考え方で、そう考えるべきだと思っていた。
だがあの日、違うと強く思った。おかしい。
その思いは胸にずっとあり続ける。
「神々が黙って見ているわけはないだろうが、どうにかする」
リーデリアは本気だ。やる。もう決めた。そのためにここにいる。
「この世界には神が必要なのかもしれない。だが、人間を屠る神はいらない。人間にもそう判断する権利がある」
神々のそういった行いは、昔から続いてきたことのようではある。古い書物にも書かれている。
洪水が起きた。特大の雷が落ち、地上が火の海になった。雪が止まず、氷の世界となった。飢饉が来た。飢饉が続いた。
多くの人間が死んだ。
神が豊かさを与えるのだ。神が苦しみを与えるのも当然だ。神によって支配されている世界なのだから。
──そんな意志が読み取れそうな有り様だ
弟子が、目を歪めたから、リーデリアは優しく語りかけるように話す。
「誤解するな、ヴォルフ。わたしはこの世界が大好きだ。生まれ、育ち、きみと出会った」
この世界が嫌いなわけではない。
言ったが、弟子はそうではないと言うように頭を振った。
「……師匠は、何だかんだ言って、優しすぎる。そんなこと、しなくたって……」
弟子の声は、小さく、消えていった。
リーデリアは、聞こえないふりをした。
「なあ、ヴォルフ。わたしは、百年経った世界にきみがいてくれて、安心してしまったよ」
街の景観が少し変わり、百年経ったという事実が突きつけられた。もう、誰もいないと思い、会えないと思っていた。
再会の初日の終わり、思っていた胸の内を明かして紅茶を飲むと、懐かしい味がした。
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