最低の師匠になる
リーデリアは、弟子の方を振り向いた。
そして、謝る。
「すまない、ヴォルフ」
このことについて、きみに、一度も謝っていなかった。
唐突な謝罪に、弟子は戸惑った様子になる。
「いきなり、何ですか」
「きみを弟子にしたのはわたしだ。そして師匠とは弟子を教え導く義務がある。わたしはあの日、その義務を放棄したも同義だ。きみを一人にした。厳密には一人ではなかったかもしれないけれど、わたしは、きみの側から消えた」
「師匠、何を、言っているんですか。どうして全部終わった今、そんなこと……」
弟子は、聡い。不安を過らせたが、リーデリアは微笑みを浮かべる。すまない、弟子。
再会したとき、安心した、嬉しかった。だが日に日に強くなっていくのは、後悔に近いものだった。
「ヴォルフ、わたしは今、ほぼ意思だけでこの世に留まっている」
学院で、二柱の神が地上に現れたあのときにわかった。
この憎悪こそが、自分をこの世に留めているものなのだ。体を構築しているものだ。
普通なら発動するはずのない不老不死の魔術式──「何か」で補われ、それは形を成した。「何か」は、憎悪だった。果てしないまでの、憎悪。
「『思い』が足りない部分を埋めるとは、非論理的だ」
足りない部分を補ったどころか、理論をひっくり返した。
これを「魔法」と言うのだろうか。
「わたしは百年前の『あの日』、神々が憎くて憎くて堪らなくなった。怒りが抑えられなくなり、消さなければならないと思った。そして、あの日、
いや、一回死んだ。
ほぼ死に足を突っ込んで、一時的に無理矢理戻ってきている状態だ。
「わたしは、まもなく、死ぬ」
弟子は、言葉を失った。
たぶん、急で何を言ったのか処理できていないのだろう。
「きみを連れてくるかどうか、とても迷った。黙っていなくなるのは酷だ。だからと言って、言って行くのは反対が強まりそうだった。結局、きみを醜いことに巻き込んだな」
連れてきても、連れてこなくても、酷だ。
連れて来ずに手紙を残して間接的に知らせれば、今度こそ勝手にいなくなったことになる。
連れて来て、こうして直接伝えても……。
「わたしは成したいことを成した。わたしの魔術を形にしていたものはなくなり、わたしは消える」
「……嫌だ」
「きみが使った不老不死の術式のことだが、解くことは出来る。作るより、意外と解くことの方が簡単だからな。わたしだけかもしれないが。だが、これにはリスクがあって、あとのことはエイデンに辻褄合わせを頼んで──」
「師匠!」
不老不死のまま、生きさせるわけにはいかないと考えていた。
百年は長い。それなのに、いつまで生き続けるか分からない状態など、やはり人間には相応しくない。
「ヴォルフ、きみはわたしを責めなかったな。わたしは、責められるべきことをしたのに」
あのとき、リーデリアより心揺さぶられたのはきっと彼だった。弟子は、親を同じような状況で亡くしていたから。
だからリーデリアは、余計に許せなくて──結果、大切にしなければならないものを置いていってしまった。
置いていった。きみを、置いていったのだ。
そして、百年も過ごさせてしまった。百年は、長い。
「違う! 師匠が思ったことは、間違いではありませんでした。したことも……俺は、師匠にまた会うことが出来ただけで嬉しかった。だから、今度こそいなくならないでくれればいいでしょう……!」
「すまない」
それは出来ないことだった。
「どうして!」
胸元を掴まれた。こんな風な乱暴なことをされたのは、初めてだった。
「すまない」
すまない、ヴォルフ。
謝ることしか出来ず、どんな顔をしてもいいか分からず、微笑み続けるしかなかった。
その前で、弟子はどんどん表情を崩していく。崩れていく。
「そう知っていたら」
ぐっと、胸元を掴む手の力が強まり、引き寄せられた。
「俺は、協力しなかった! どれだけ師匠が急いでいるように見えても、全てが終われば師匠とまた、以前のように過ごせると思っていたから……こんなことなら、止めていた……!」
「無理だ、弟子、きみにわたしは止められなかった。どうあれ、わたしは最終的にはやっていただろう。それに止めるなんて、魔術を制限させ、どこかに閉じ込めることなんて、きみには出来ないだろう?」
きみは優しいから。昔から、生意気な口をききながらも、優しい子だった。
そんなことは分かっている。微笑んで言えば、ヴォルフは今にも壊れそうな表情になってしまった。
そして、
「出来ましたよ……」
薄青の瞳から、涙が零れ、落ちた。
「師匠を、二度と失わないためなら」
消え入る声は、リーデリアの肩に消えた。
涙を隠すように体を折り曲げた弟子が、額をリーデリアに押し付けた。
「俺は、一度病で死にかけました。自分の死を予期して、でも、師匠がまだ、扉の向こうにいるかもしれないのに死ねなくて」
「ヴォル──」
その体は、震えていた。
「俺は、待った。師匠は、俺が、どんなに嬉しかったか、分かりますか。牢で、師匠を見つけたとき、どれほど嬉しかったか。一緒に連れて来てもらうために、長かったと言いましたが、あの瞬間、過ごしてきた百年なんて、些細なことに思えた。師匠の声が聞ければ、そこにいるのなら、もう、どうでも良かった」
どうでも良かったんだ、と弟子は、酷く、酷く、苦しそうな声をした。
それなのに、どうしてそんなことを言うのかと、そんなことになるのかと彼は押し殺した声で言った。
「あなたがこの世界にいなければ──意味がない」
絞り出した声が、紡いだ言葉を聞いた瞬間だった。
リーデリアの中で、明確には分からずじまいだったことのピースがはまった。
「──ヴォルフ」
声が、掠れた。
顔が見えない弟子を見下ろし、無意識に伸ばした手が、指先が震えた。
「まさか、きみは」
彼は、リーデリアを待っていたと言った。
そのために、と。最初から言っていた。
もっと早くに、気がつくべきだった。目的で、他の思考が曇っていたのだろうか。
弟子は、リーデリアを失うことを恐れていた。それは、単に、百年前姿を消したことが関係しているのだと思っていたけれど。
怨嗟から解き放たれたリーデリアは、まさか、まさか、と気がついた。
「きみが、不老不死の魔術を補ったものは……」
リーデリアは、本来意図した形とは異なり体の時間が逆行していることや目覚める時間を要した。
弟子もまた、体の時間が巻き戻ったようで、そのままに時間が止まった。
両方本来の意図とは異なる効果となったものの、それは大した問題ではなかった。
本来発動しないと思われていた魔術式が働いたのだ。どのように捻れてもおかしくない。捻れ方は似ていた。
だが、発動したこと自体は重要で──それぞれが魔術式の不足部分を「何か」で補ったことになる。
リーデリアが自分がそうであると自覚したから、彼も、何かで補っているとは推測していたが……。
「エイデン」
リーデリアは、神を探した。
神は、いない。
だが、「何だい?」と声だけが聞こえた。姿は依然として見えない。聞こえているなら、構うことはなかった。
「エイデン、きみは、ヴォルフのことにも気がついていたな」
「崩れてしまうだろう、と、言っただろう?」
リーデリアのことにも気がついていた神は、肯定した。
「お前は、気がついていなかったね」
気がついていなかった。
弟子もまた、リーデリアと同じだったらしい。強い思いを抱き、この世に留まる形、力、体を得た。
──
「負の感情よりも、正への感情の方が物事を正しくしがちだ。だが、脆くもある。彼をこの世に留めているものはよく働いている。だけど、お前のために待っていたのなら、普通に考えてお前が消えれば彼も消えるだろうね。全てを成り立たせていた核が消えるんだから」
ヴォルフはリーデリアを待っていた。そのために魔術を使った。
だが、リーデリアは消える。目的を果たし、歪な憎悪は消えたからだ。辛うじて形を保っていた魔術は崩れる。
そうすると、ヴォルフを留めていた魔術式を補った思いの核も意味を成さなくなり、彼も消える。
……何ということだろう。
神から答え合わせをもらったリーデリアは、呆然としていたが、弟子を見ているうちに、落ち着いてきた。
「……馬鹿だなぁ、きみは」
リーデリアは勝手に激昂し、神に向かっていった。彼を置いていったのだ。それなのに。
「どうして、わたしなんか、待てた……」
どうしてだ。
リーデリアの体に額をつける弟子の頭に触れた。
戻ってきてからは、全く手が届かないことで一度も撫でることはなかった頭を撫でる。
「あなたが、俺の師匠だからです……。まだ師匠に褒められたかった、まだ名前を呼ばれたかった、まだ、一緒にいたかった……」
「わたしは、きみに後悔を作らせたか」
「そうですよ。何せ、幸せを与えてくれた人が、消えて、特大の不幸を与えてきたわけですからね」
「そうだな」
きみが言うなら、そうなのだろう。
リーデリアは、考えた。
最も大切な弟子を見て、頭を撫でて、考えた。この弟子に、すべきこと。
リーデリアを待っていた弟子。そのために不老不死の魔術式を使い、百年もの時を過ごし、リーデリアの前に現れてくれた。
憎悪を胸に神々を消すことしか考えられなかったリーデリアを危惧し、結局一緒に来た。
死ぬと言って、それなら意味がないと言った弟子。
「弟子」
「別れの類いの言葉なら、もう受け付けません」
「違う」
リーデリアは、弟子の顔をそっと上げさせた。
頬を包み込み、顔を合わせる。
「わたしは、今から、師匠にあるまじきことを言うぞ」
途中までは素晴らしい師匠だったつもりだったのになぁ。
少なくとも、百年前のあの日からのリーデリアは、師匠の風上にも置けない人間だ。
それならそれで、開き直ろう。
「きみの魔術式を解いてやろう。わたしが作り、きみも使った魔術式は完璧ではない。おそらくだが、魔術式を解けば積み重ねた時間が襲ってくるだろう。もはや老いることなどなく、消滅するくらいだと予想するぞ」
だからエイデンに、神に辻褄合わせを頼んでいた。
リーデリアは憎悪で歪な魔術式で存在を確立させたが、それはエイデンの助けがあったからだ。
神は、魔術式を補ったのではなく、魔術により辛うじてこの世に留まったリーデリアを安定させたに過ぎなかった。
憎悪という負の、歪な感情。人ならざる何かに変化していてもおかしくなかったという。
そこを、エイデンが力を貸してこの世で存在できるように調整してくれて、リーデリアは目覚めた。
そのように辻褄合わせが出来るのではないか、と思ったのだ。
魔術を解いた途端に死ぬかもしれない弟子だが、外見の年齢からまた歳を重ねる生き方ができるようにすることも可能なのでは、と。
事が全て上手くいったなら、景気付けにとびきりの報酬をくれたっていいだろう。
確かに事はリーデリアの目的でもあったが、エイデンとてそれを望んでおり、自分たちがそれを成すのだ。
だが、この弟子は。
「一緒に死ぬか、弟子」
変わらず美しい色合いの薄青の瞳を覗き込み、リーデリアは愚かで仕方ない提案をする。
「わたしは一度死んだ身だ。消える。どうする、弟子」
時間差で消えるか。今一緒に消えるか。
一人で、まだ生きるという選択肢はもう弟子の中にはないようだから。
「師匠と一緒なら」
本当に馬鹿だなぁ、きみは。
即答に、苦笑する。
「きみのその即決力は、どうなっているんだろうな。もう少し、吟味した方がいいと思うぞ」
「即決力は本来褒められるべき技能だと思います」
「内容によると言っているんだ」
成長したのか、ある意味退化した部分もあるのではないか。
「覚悟はいいか、我が弟子」
「はい、師匠」
どこまでも迷いのない弟子の体に手を当てる。
感覚を研ぎ澄ませれば、鼓動を感じる。強く、強く。弟子の時間を止めている魔術式を手繰る。
魔術を掴んだリーデリアは世界で最も大切な弟子を見上げた。最後の覚悟を問うためではない。
今こそ、こう約束するべきだろう。
百年待たせた弟子に、せめて。
「約束しよう、ヴォルフ。今度は、先にいなくならない」
リーデリアは、弟子の不老不死の魔術を解いた。
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