天に臨む
ついに、その日がやって来た。
全ての準備が整い、『実験』はいつでも出来る。リーデリアは主教会に向かった。
剣は、帯びているのがおかしくないヴォルフに預けてある。
史上初の大規模な『実験』に集まる魔術師たちの視線を受けながら、リーデリアは首都の基点とした位置に立つ。
周りは、いずれも緊張した表情をしていることから、張り詰めた空気が漂っている。リーデリアも緊張している。
だが、ためらいは一切ない。
首都に時刻を知らせる鐘が鳴り響き、時は満ちた。
障害にならないよう、全員を下がらせ、リーデリアは手を地につけ、魔術を発動した。
魔術はすでに刻まれ、地面に埋め込まれている。
発動すれば、連動するようにした魔術が中継の魔石を辿り、誘導され、各地に伝わり──この地にある魔力をも利用した巨大魔術が、顕現する。
全てが繋がったとリーデリアが感じた直後、一つの巨大な魔術式が、浮かび、空を覆う。
──成功だ。
周りの者たちは、単に伝達された証に魔術の灯りがつくだけだと伝えられている。
何が起こっているのか、成功したのか失敗したのかと、ざわざわしている。
ほとんどが見たこともないほどの大きさの魔術式を見上げているが、発案者であるリーデリアにも視線が向けられていた。
けれど、リーデリアはそれには構わない。
「ヴォルフ」
周りにいるはずの弟子の姿を探せば、弟子はすぐに進み出てきた。
剣を一本受け取りながら、次にエイデンを探せば、人の隙間からやっとのことで出てきた。髪がぐしゃぐしゃだ。
「準備はいいかい?」
「ああ、エイデン、頼む」
「全くお前は、恐れがないね」
神は、呆れたように笑うが、心外である。
「まあ、神座に戻ったあとの私の加護もあれば無敵だよ」
「きみの加護?」
「そうとも。直接手にかけることは出来ないが、彼らの力を弾いてあげることはできる。その剣がどこまでの範囲に及ぶか分からないけれど、安心して臨むといいよ。何しろ私は最高神だから」
「ああ、とっくに忘れていた」
神々を消す共犯になる最高神とは、これ如何に。
軽口を最後に、地上を後にした。
目を開くと、地上の景色はなくなっていた。
人々は消え、木々は消え、大地はない。周りはぼんやりとして見え、何度も瞬いても景色ははっきりしない。
建物の中、か。どうなのか。境目すらもよく把握できない。
それに、少し、息がしにくいような……。
「エイデン、ここは」
「お前の目的地だよ」
周りを一巡きょろきょろとしてからエイデンを探すと、傍らにいた神はくるりと回った。
服がひらめいた直後──金髪碧眼の人間の少年はいなくなっていた。あるのは、かつて見た神の姿。
長く流れる髪から、目の色まで、全てが周りの景色と同じく、以前と同じく正確な色が掴めない。
真っ白に見える衣を揺らめかせた神は、ここにきた人間を迎い入れるかのように大きく両手を広げ、微笑む。
「人間が足を踏み入れることはないはずの、神々の世界だ」
その姿は、この摩訶不思議に感じる空間に馴染んでいた。
地上で馴染んでいたように見えたことが錯覚だったようだ。神の纏う空気が、ここには満ちている。
──神にしか相応しくない場所
難儀な場所に来た。さっさと用を済ませるべきだと用件を思い出す。
「神々はどこにいる?」
「うーん、各々の住み処かな」
「住みか?」
「『家』と言った方が分かりやすいのかなあ。私たちは、天上にそれぞれ住む場所を構えていてね」
「一つの建物に住んでいるのではない、と。……それもそうか」
天がどれほど広いのかは知らないが、空は広い。大地が人間が分け合って住んでいるのに対し、天は両手で足りる数の神々しかいない。
地上で人間がそれぞれの家に住んでいるように、住みかは別々。
「それで、その『住み処』はどこにある?」
建物の中と曖昧に判断できる範囲に、エイデン以外に『その存在』は見えない。
「遠いか? そもそも天上であれば……離れていれば歩いて行けるのか?」
「大丈夫、私が連れて行くからね」
「それは助かる」
ここに来たように一瞬で移動するなら、臨戦体勢を整えておかなければならないだろう。
リーデリアは、慣れない手つきで剣を抜く。
「……師匠、剣の扱いは大丈夫ですか?」
「心配するな」
さすがに滑らかに剣を抜いた弟子の心配に笑う。
護身用に剣は習った方だ。多少の剣技のレベルの違いなど、神々が相手なのだから些細なことだろう。
「さあ、始めよう」
胸を騒がせる感情がいっぱいに満ち、リーデリアは冷静さを失わないように努めて、開始を宣言した。
神々の居場所はエイデンが突き止めた。
気配など少し集中すれば、糸を手繰るように簡単に分かると言った神により、神の住み処──『神殿』を一つ一つ巡る。
人間の姿を捉えた神々は決まって瞠目した。
そして手にした剣が『何』か知り、覚えていたのかはたまた思い出したのか、『凶器』を持った人間を排除しようと力で消しにかかってきた。
普通であれば、人間など一瞬で消滅しただろう。
だが、創世神が人間のために用意した剣は、無敵だった。
剣は神の力を弾いた。エイデンによる加護によることも混じっていたのかもしれない。
二柱の神が、油断させるために先に入りリーデリアたちが出ると横に退くエイデンの方に向かって「────」と、何か叫んだ。
エイデンと名乗った神の本当の名前だったのかもしれない。けれど、聞き取れなかった。
剣は、容易に神を貫き、神にあるはずのない死を与えた。
人間に憎まれるようになり、剣まで向けられるようになった神を罰するかのようだった。
「人間が、このようなことをしてただで済むと思っているのか……!」
哀れ。神も死に際は無様になり得るらしい。
それとも、元は人間だったと言うから『神殺しの剣』に貫かれ、神である部分が剥がれているのだろうか。
そう思うほど、神とは思えないほど無様だった。
どこぞの低級な悪党のようなことを聞いたリーデリアは、冷たくその神を見下ろした。
「だからだ。──神がそんなことを言ってどうする。完璧であれとは言わない。だが、そうやって軽々しく人間に危害を加えようとする思考回路を持っているからこうなっていると知ってくれ。きみたちを憎む人間もいる」
神の真上で、剣を振り上げる。
「きみたちのような神は、いらない」
貫く音は、しない。
肉を絶つ生々しい感覚もない彼らは、霞でも貫いているような感触だったが、『絶った』という実感だけはやって来た。
存在感の大きさがそうさせるのだろう。
息絶え、動かなくなる神は徐々に姿が光の粒となり、一つ一つ宙へ消えていく。
どこか、夜の空の元で何かと知らずに見たならば、どれほど美しい光景だったろうか。
「……さて、と」
「これで、六柱ですね」
「うん。終わりだ」
エイデンと、姿が見えなくなったこの世界を創った神を除き、六柱。
呆気ないとは言えない。神々による怒りの空気に包まれ、飲み込まれかけた。本能的に恐怖を覚えるレベルだった。
しかし本能よりも体を突き動かす意思は、消えなかった。
「すっかり静かになったね」
見ると、最後は部屋の隅に下がっていた『最後の神にして最高神』がのんきに微笑んで歩いてくる。
「……やっぱりきみの神経はおかしい部分があるぞ、エイデン」
神々を殺したリーデリアが言えることでもないだろうが、神々の虐殺が行われた場で、それほどゆったりとできるものか。
言えば、『同族』だろうに。
「うん、そうだね。私も少し意外で驚いているよ。こんなにも何も感じないもので、むしろやっと厄介者が消えたという心境だ。お前はどうだい? リーデリア」
「わたし?」
「お前の目的は達成された」
言われて、リーデリアに初めて実感のようなものが湧いた。
六柱、数えていたから間違いないと知っている。神々を消した。どれくらいの時間がかかったかは知らないが、消した。
「終わった、か」
呟くと、胸にぽっかりと穴が空いた感覚があることに気がついた。
──終わった。終わったのだ。
「心境的には、よく分からない。……ただ、がむしゃらに来たような気がする」
ここまで終わって、がむしゃらだったとやっと自覚した。
「そうか。私はちょっと何もいなくなったそれぞれの住み処を見回ってくるよ」
扉が勝手に開き、そこから出ていこうとする神に、リーデリアは呼びかける。そちらは見ずに。
「エイデン」
「うん?」
「約束は守ってくれ」
「もちろん。そうするための力を得るために一度、神座に帰って来るよ」
神座というものが何の関係があるのかは分からなかったが、リーデリアはそれ以上は問わなかった。
守ってくれるなら、何だっていい。
あの神の言葉を、どうしてここまで信じられるようになったのか。
苦笑しながらも安心を感じると──握り続けていた剣の柄が、力の抜けた手を滑る。
カラン、と剣が落ちた。
これはここに置いていっても構わないだろう。どうせ、勝手に地上に戻るという話だ。
でも、主教会に返さなければ、かの神官に疑いが向く日が来てしまうか。それならば、弟子に最後の仕事を頼むか。
憑き物が落ちたようだった。
目的が達成されたからだろう。リーデリアが、自分をこの世に留めていた目的が。
「さて、今度は大人しく死ぬか」
ぽつりと呟くと、一向に落ちた剣を拾う気配のないリーデリアに弟子が呼びかける。
「……師匠……?」
その声に、リーデリアは一度ゆっくりと瞬きをした。
弟子に、話をしなければならない。
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