エピローグ
リーデリアは瞬き、何度も何度も、視界を確かめた。
……死後の世界とは、このようなものなのだろうか。それにしては最後にある記憶の景色と寸分違わない気がする……。
と言うか、目の前に弟子もいる。何度か瞬いた先で、弟子の目も見返してきて、しばらく黙って顔を合わせていた。
「……師匠……」
「失敗じゃない。わたしは失敗なんてしていない」
「いえ、師匠の失敗は疑っていませんけど」
そうか。早とちりした。
しかしリーデリアとて嘘は言っていない。魔術は確かに解いたし……と、弟子をじぃっと見ていると、何やら違和感が。
「弟子、きみ、何か──」
気配がまるで、と言おうとして。
「間に合った間に合った」
という声が被さってきた。
随分聞き覚えのある声で、リーデリアは即座にそちらを見た。
「エイデン」
神が、立っていた。にこにことした笑顔を見て、リーデリアは既視感を覚えた。
死んだはずだった。そう思って意識が閉ざされたのに、目が覚めると、最後に見た覚えのある神の姿があった。……なんて、身に覚えがありすぎる。
「どういうことか聞こう、エイデン。きみの仕業だろう」
「正解。いやね、リーデリア、私が戻るまで待ってくれても良かったんじゃないかな。焦るとはこのようなことだった、思い出したよ」
「──わたしたちは死んでいないな」
聞いてもいないことを喋っている部分を聞き流し問うと、そうだよ、という返事。
「頼んだ覚えがない」
リーデリアが頼んだのは、弟子のこれからのことだった。
確かに弟子のこれからを撤回した覚えはないと言えばないが、この状況、この弟子の気配は何だ。
「とびきりの褒美をくれてもいいだろうと言ったのは、お前だよ」
「一体、何をした」
「新しい神としただけだよ」
「………………は?」
こんな間抜けな聞き返し、弟子の前でしたくはないが、仕方ない。
「神?」
「そう、きみたち、正確に言うとリーデリアのみだけど、神にした。彼の気配の違いに気がついたようだけれど、それはきみにも起きている変化だから安心するといい」
この神、時々とんでもなく突拍子もないことを言う。
リーデリアは理解しようと眉を寄せる。弟子の纏う雰囲気が、まるで神のそれに酷似していると感じたのは当たりだ。しかし。
「お前が他の神を屠ったことにより、天界には神はただ一柱となった。私だ。同時に権限、力全てが私に集まってきている状態なんだよ。だった、かな」
「……それで?」
「そこで、新しい神として採用だ」
「……なぜ」
「両方とも生きさせてあげようと思ったんだけど、残念ながら人間として生きさせるには、私の影響を受けすぎてもはや人間の域を越えた存在になるから却下だったんだよ」
「…………エイデン」
困ったように微笑む神。
その言葉に、ある考えが浮かんだ。
「わたしが頼んだときから、そのつもりだったのか」
ヴォルフのこれからを頼んだ。普通の寿命を体の年齢からまた過ごせるようにしてくれ、と。
だが、今の話でいけば、最初からこうする予定だった風に聞こえる。
「まあ、残りの本音で、この先私のみだと、忙しすぎるかもしれないと思って。──神々を一気に消したんだ、その後の責任を取る必要があると思うよ?」
この先、私が忙しすぎて地上のどこかを疎かにしてしまうかもねぇ、と神は嗤った。脅しに聞こえる。
とてもわざとらしい、脅しだ。
神を睨んでいたリーデリアは──ふっと笑った。
「……とんでもない神を残したな」
「褒められたと思っておくよ」
ああ現実味がない。不老不死の魔術を使ったと知ったときよりもっと現実味がない。
「それで、神となったとは、理解出来ないんだが、事実か?」
そんなことが可能なのか?と問うと、神はにっこりと笑う。
「元々リーデリアはこの世に戻ってきた状態で人の域を逸脱し、さらに私の干渉を受けていたから、ということも働いているだろうね。ああ、そっちのお前の弟子はおまけだ。正確には神ではない」
「神でなければ何だと?」
「どちらでもない存在。そう言うしかない。安心するといい。持つ力は半減だが、それこそ不老不死だ」
神は、基本装備で不老不死だという。神殺しの剣で殺されなければ、だろうが。
そんな例外を除けば、今回リーデリアが特別な形で一時的に成り立たせていた魔術のようなものでもなく、そんなものも必要なく、不老不死。
「……そもそも、わたしは、一度死んだはずの人間なのだが」
「私は神様だから──と言いたいけれど、他の神が消えて全権利と力が私にあった今回の特例だ。文句はあるかい? 私は最高神で、お前たちはただの神なのだけれど」
たちの悪い上司のような言い様に、リーデリアは息を吐く。
「どうして創世神は、神々の中に位を作り、エイデンを上にしたのか……」
「私が上にいて良かっただろう?」
どこからその自信が湧いてくるのか、甚だ理解に苦しむ。
「つまり、きみの部下だということだな。理解した」
本当は理解はしていないが、一旦受け止めた。
一通りを聞いたリーデリアは、傍らを見上げた。じっと話を聞いていた弟子が、気がついて見てくる。
「弟子、どうやらわたしたちは神の類いになったらしい」
「そうですか」
そうですかって。
「それで彼の部下にもなったらしい。どうする、即退職するか」
「俺は、師匠がいるならどこでもいいです」
「……きみは、時々自分の意志が無くなるときがある気がするぞ、弟子」
「師匠、そろそろ名前で統一して呼ぶことを要求します」
「今言うべきところは、そこか?」
弟子までもマイペースなので、どうしたものか。
リーデリアがあまり事態を受け入れられていないことがおかしいのだろうか。そんなことはない。
「神か。まったく想像がつかないな」
「つかなくていいよ。もうなっているからね」
「やはり神とは例外なく勝手だな」
ふう、ともう一度息を吐いた。
「しかし……この姿での採用か」
見た目では変わった様子のない自身を見下ろすと、子どもの姿だということが分かる。
「そのままの姿が一番簡単だったんだよ。そもそもその前の姿……見たことがあったかな」
「一瞬だけだが、きみが覚えているとは期待していない。……背が低いと、背の高い本棚に手が届かないんだ」
「大丈夫。宙に浮かべるよ」
ああ、そう。論点はそこではないのだが、本棚に届かないと言ったのは自分である。
手のひらを握ったり閉じたりしていたリーデリアは、下に落ちている剣を目にした。
出来心で触ってみようと、手を伸ば──
「あっ、止めた方がいいよ」
手が弾かれ、凄まじい音がした。
衝撃で軽くのけ反りそうにもなって、「師匠!」と弟子に支えられた。
「すまないな、ヴォルフ」
「大丈夫ですか、すごい音が」
大丈夫だと言って手を見下ろすと、激しく損傷していた。痛い。
「師匠」
「大丈夫だ。そのうち治るだろう」
「残念だけれど、簡単には治らないよ。神を損なうための剣であるわけだからね。さっきまで損なった側で経験済みだろう?」
普通の剣のように触れられ、振るえた剣が、触れられる距離にあるのに、もう二度と触れようという気は起こっていなかった。
あれは、駄目だ。本能が言う。
少し前までいた神々は、覚えていた云々の前に本能でこの剣が、自分たちを損なうものだと感じていたのだ。
リーデリアは血が流れる手のひらを握った。そして、弟子を見上げる。
「弟子」
「師匠、何度も言いますが」
「ヴォルフ──きみは、ぶれないな」
笑ってしまう。
「わたしたちは人ではなくなったらしい」
「そうですか」
「不老不死だ」
「そうですか」
「長さは計り知れないぞ」
「そうでしょうね」
「きみはそれでいいか。おそらく、きみは完全なる神でないと言うからには後戻り出来るぞ。そうだな、エイデン」
エイデンに視線をちらりとやれば、浅く頷きが返ってくる。
「けれどね、リーデリア。お前はまだ分かっていないんだね。なぜか私の方が分かっているようで不思議だよ」
「何が」
「彼に聞くといい」
釈然としないながら促されて視線を戻すと、弟子は、以前も見たような心底呆れた顔をしていた。なぜだ。
「そのまま死ななくて良かったですよ。神に感謝です」
「感謝?」
「師匠、俺はあなたとまだ一緒にいたかったんですよ」
「……うん」
「一緒にいられずに一人で生きるくらいなら一緒に死ぬ。それだけの話であり、一緒に生きられるのなら、どうするかなんて言うまでもないことだと思っていました」
弟子は、とても柔らかい笑顔を浮かべた。
この状況、本当の不老不死となってここに立っていることが幸福であるような、笑顔だった。
その表情に、リーデリアは目を奪われた。それも、つかの間。
「……きみは、本当に……」
馬鹿だなぁ、と言おうとして、嬉しいと思っている自分がいることに気がついて止めた。
そうだ。嬉しいのだ。
かつて自業自得で失った時間は取り戻せない。再会するまで、これからもその時間は存在しないと思っていた。
けれど、新たな時間を手に入れることができる。ここから、これから。
「ヴォルフ」
さっき、魔術を解くときでさえそうはならなかったのに、声が震えた。「はい」と、弟子はいつものように返事をした。
「まだ、わたしといる気は、あるか?」
「師匠といる気しかないです」
「それは、嬉しいな」
嬉しくて堪らない。
不意に泣きそうになって、下を向いた。ああそういえば、ヴォルフ、再会したあの日、きみの声は泣きそうに聞こえた。本当は、こんな気持ちだったのだろうか。
いつも通りの様子に、何でもないように言われる。それは、この上ない幸せだった。
「師匠?」
「……何でもない」
何でもない。リーデリアは笑って、顔を上げた。
顔を合わせることになるのは、当然のこと、弟子で。首を傾げているヴォルフを視界に収め、リーデリアは目を細めた。
きみがいいと言うのなら。
「仕方ない。神々を消した責任をとるとするか」
リーデリアは、弟子と共に新たな道を歩み、過ごすことにした。
*
太陽が暖かな光を地上に届け、新緑の瑞々しさが際立つ。野に可憐な花が咲き、春の訪れを告げる。
「ヴォルフ、いい天気だな」
「そうですね」
「でもそのうち、雨を降らせないといけないな。作物が育たない」
春になり、順調に雪が溶けた。ここから畑に作物が植えられ、夏、秋と実りを迎えていく。
リーデリアとヴォルフは、のんびりと山登りをしていた。飛んでもいいが、人に会う予定なので、目立つ真似は避けるべきだろう。
「ところで師匠、教会に何をしに行くんですか?」
「ん、ああ、神官を覚えているか」
「どの神官ですか」
「ダライアスという神官だ。彼にな、手紙を手渡しに行く。軽く約束したことを思い出した」
それと、剣を返さなければならない。天から落として、とある山に突き刺さっているのだが……。
あの神官は、信じるだろうか。リーデリアの何もかもを。
「ははは、楽しみだな!」
──大いに笑う師匠を見て、弟子は微笑んだ。
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