『世界を変えろ』
準備に入る
王宮に戻るや、人目につかない内にそそくさと部屋に。
剣を隅に置き、目立たないようにする。いつ、弟子に話すかな。
椅子に座ったところで、行って帰っての休息無しにした疲労を感じ、ちょっとだけと机の上に突っ伏した。
「師匠?」
声を、意識が捉えた。
ちょっとだけと思って、どれくらいこうしていたのかと、ぼんやりする目を擦りながら、周りを見た。
「……ヴォルフ」
弟子がいた。
ぱちぱちと瞬き、瞼の重さを振り払いつつ見ていると、「師匠、いつ帰ってきていたんですか」と言われた。
「さっき──だったかどうかはもう分からないな。休息無しで帰ってきたから、少し寝ていたようだ」
伸びをして、椅子の背にもたれていると、驚いていた様子だった弟子は、
「お帰りなさい」
少し、ほっとしたような表情をした。
「ただいま。……そういえば、日数は分からないと言って行ったな」
そうだった、そうだった。
剣だけ借りて来たから……と、ちらと横の方を見たリーデリアだったが、そうだとヴォルフを見上げる。
「教会使用の許可は取れなかった」
実はそれを主要な目的としていなかったため、全く正式なやり取りはしていないし、粘ってもいない。
「魔術の研究で通るかは分からないが、駄目なら国を発展させるためだとか、土地の魔力濃度を測定したいとか何とか言って申請して、ある程度のものが運び込め、作業できる環境にすればいいだろう」
もう何でもいい。先は見えている。早く早くと、急かす部分がある。
「それなら、申請書を用意しました」
「申請書?」
「今のところ二つ、巨大魔術の研究目的もしくは師匠が今仰った魔力濃度の測定目的で作りました。ですが、教会に魔術師資格のある者がいて、魔術への理解があると考えると、研究でも行ける可能性があります。そちらの方が『騎士隊』も堂々と動かせます。それほど大規模なものとなると、研究者のみでは難しくなりますから」
すらすら、と話す弟子にリーデリアはぽかんとする。それから、
「……わたしの信用はゼロか……」
教会の方が自分がしておくと言いながら、確かに正確には交渉なんてしていない。
だからそんなリーデリアが言えることではないだろうけれど、ちょっと落ち込む。
「いえ、師匠、別に師匠のことを信用していなかったのではありません。ただ、直接許可を取っても正式な申請書を通しての体裁は整えることになっていたはずなので、その手間を省こうと」
それで複数作ったのだという。リーデリアがどの理由で許可を取ってきても、すぐに取りかかれるように、と。
リーデリアは余計に申し訳なく思った。言わずもがな、交渉していないからだ……。
「弟子、きみの成長にそろそろ頭が追いつかなくなりそうだ」
まだ一日も経っていないのに、すでに二つ整えていた弟子に、初めて敵わないと思った瞬間であった。
「けれど、少し変更をしよう。昨日のことだったか、きみが言っていただろう。巨大魔術という言い方では一体何に使うのか、となるかもしれない。そこを変更しよう」
*
数日後から本格的に、大きく周りも動きはじめた。
申請書──長距離の魔術伝達の実験研究申請が通り、必要なもの、人材の投入が決まった。
この申請は、個人でする以上の大規模な研究であるときに提出するものだ。
中身を審査され、投資する価値があるとされれば、通り、通常とは比べ物にならない予算などが下ることになる。
通ったということは、特権が受けられることになったのだ。
基点の方は、教会とのやり取りを行っているところだと言う。
ヴォルフは、そのうち許可が出る予定だと言った。
とは言え、『第一回大規模実験』までに行うことのほとんどはリーデリアの一人の作業が多い。
他の者が関わるのは、『実験』準備の数日前くらいからだろう。
計画通りにするとすれば、各地で魔術の用意をすることになる。考案者のリーデリアが回って行くには時間がかかる。
そこで、今回の試みを理解した監督者が各基点に最低でも一人ずつ必要となる。
そして、用意の効率化のため投入される『黒騎士隊』にも作業をスムーズに進めるために前もって仕組みを教えておく。
早速大量に用意された魔石が運び込まれてくる。
「師匠、大丈夫ですか、この量」
ヴォルフが心配そうにする。
申請の際、長距離の魔術伝達の実験研究という内容に変えた。
結果的には巨大魔術が出来上がるのだが、それには長距離間で魔術を操るという試みも入っている。と言うより、それが上手くいかなければ、失敗するので要でもある。
今回の巨大魔術の試みは、各地を丸ごと覆うほどのものを計画している。
やり方は、各地の基点で魔石に刻んだ魔術を発動する……のだが、主教会で発動すれば、呼応して発動できるような魔術式にしている。
主教会での魔術式と、連動する魔術式。
これにより、一人の魔術師が遠く離れた教会で魔術を発動し……ということができる。
使用する全ての魔石にはリーデリアのみで魔力、魔術を刻む。リーデリアが制御できるように。
「問題ない」
問題は距離が広がり、どのようになるかだ。
一回目予定日はリーデリアにとっては実験日ではない。実行日だ。
絶対に成功させる。
その日から、リーデリアの一人での黙々とした作業は始まった。元々魔術の開発とは、一人での試行錯誤が多い。
それに、──
この試みは、以前のような純粋な探求心から行うものではない。いくら申請の結果、有用な研究と認められても、私的利用によるものだ。
魔力と集中が切れるか、ヴォルフに止められるか、エイデンに邪魔されることによっての中断を挟みながらも、リーデリアは同じ作業を繰り返した。
「……お」
目を開いて、一瞬、自分が何をしているのか分からなかった。
かけられている毛布、横たわっている状態と、順に把握して、仕事部屋の隣の部屋だと理解した。
寝起きでふらふらと隣室へ出ると、誰かが、机を見ていた。
弟子だ──横顔が、険しかった。その手が、机の上の紙を握る。
「弟子」
はっと、弟子がこちらを見る。
「師匠、起きましたか」
「うん。寝る前の記憶がないのだが……」
「机に突っ伏していたので、俺が運びました」
「そうだったのか。ありがとう、弟子」
じゃあ続きをするか、と首を回しながら魔石の入っている箱から、もう癖のように魔石を取り出す。
「ヴォルフ、どうして取る」
取ったばかりの魔石を取り上げられて、魔石を取っていった手の持ち主、弟子を見る。
ヴォルフは、首を横に振った。
「ヴォルフ?」
「今日はもう休んでください。師匠には明らかに休息が足りていません」
「そんなことはない」
「あります。そんなことがないなら、俺が机の上に突っ伏した師匠を発見したのは何ですか」
「それこそ、まあ、一時的な休憩だ」
「限界が来て、ですよね」
弟子の顔には笑顔はなかった。
「心配しすぎだ、弟子。以前にも似たようなことはあっただろう。わたしはのめり込むとそういうことがある」
だが、首を横に振られる。
「師匠は、今、急ぎすぎているように見えます」
「急ぐ?」
「はい」
弟子は、視線をリーデリアから外し、何かを見た。机の上だ。
何かの紙の上に手のひらを乗せ、にわかにそれをひっくり返した。何も書かれていない裏面になる。
「俺は、それが少し、怖くあります。今師匠が行っている準備は巨大魔術のためですが、そのためではない。……その先の目的がある。それに向かってあまりに真っ直ぐ、教会から戻ってきてからさらに速く突き進んでいくことが、不安です」
百年経ち、様々に成長した弟子が、不安と言った。
リーデリアが声をかける前に、ヴォルフは視線を戻して、「日程が決められているわけではありません。休んでください」と言って出ていった。
リーデリアは、すぐには動けなかった。
何に、そんなにも衝撃を受けたのだろう。
一つだけ、分かったことは、純粋に魔術を突き詰めているのではないという違いを、弟子は感じていたのだ。
机の上を見て、弟子が裏返したものを引っ張り返すと、彼が見ていて握ろうとしたものは、行う予定の実験計画書だった。
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