勝負する
ひとまずは疑いようもなく弟子を認めると、ヴォルフが牢の錠前を開け、リーデリアにつけられた枷を取った。手がすっかり軽い。
「ここまでしてもらって何だが、出てもいいのか?」
「構いません。……師匠はそのまま処刑されるつもりだったんですか?」
「いいや」
答えは、いいや、だ。
処刑されるつもりなんてなかった。このまますんなり死ぬようなら、百年前エイデンに魔術を放ったあと、とうに死んでいただろう。
遠慮なく牢から出て、鉄格子無しで弟子と並ぶ。
背が高くなったな。いや、リーデリアが縮んだから、そう感じるだけか。
こんなに見上げることになるとは……。
「それで、師匠、今までどこにいたんです」
「それはまぁ、長い話になる」
何も百年どこかをほっつき歩いていたわけではないので、何か多くの出来事があって話が長くなるのではない。
ただ、ややこしいのだ。
「それよりわたしがいなくなったあと、わたしは一体どのように扱われた? ……きみは、どうした」
ずっと気になっていたところを尋ねた。
百年経っていることはもう間違いないのだ。百年前、リーデリアが突然いなくなったあと、どうなったのか。聞ける人物が現れたではないか。
弟子は、少し考えたあと、話し始める。
「……俺は、師匠が戻って来なかったため、師匠が行った教会に行きました」
リーデリアは弟子を残し、教会へ向かった。そして、それきりだった。
「でも、師匠が入ったと思われる場所の扉が開かなくなっていました。その後師匠は見つからず、行方不明とされ、今日まで来ました」
「それで、きみは」
「扉の向こうに師匠がいるかもしれないと思うと、俺は、死ぬわけにはいかなかった。──待った甲斐がありました」
さっき連れ込まれたという罪人の特徴を聞いて、もしかしてと思いましたよ、と彼は深く息を吐いた。間に合って良かった、と。
「……その辺りもじっくり聞きたいが、長くなりそうだ」
先程流れてしまった、不老不死の魔術云々について聞かなければならない。
中々、現実味がまだ薄いが、ただそれさえ分かっていれば今は良いことがある。彼は、間違いなく自分の弟子だ。
そうだな、とリーデリアは一人頷いた。
思ってもみず、あり得ないと思っていた再会に、複雑に混ざりあった感情が胸に渦巻いていた。安心、嬉しさ、または──。
「ひとまず、一度、わたしは学院に戻らなければならないな」
「学院?」
「そこは知らないか。わたしは今、魔術師になるために学院に通っていてな」
今日は行事だったのだが、そこに神々が現れて……と、つらつらと話しながら、歩き始める。
エイデンのこともある。一度戻らなければ。
何はともあれ、地下牢から出ようではないか。
弟子の横を通りすぎる瞬間、空気を切る音がして、とっさに足を止めた。
体の前に刃があり、剣で行く先を阻まれていた。
弟子が腰に帯びていたもので、この場に二人しかいない限り彼がしたことでもある。
抜くのが速い。予備動作に気がつかなかった。内心かなり感嘆する。
しかし、これは一体何の真似だ。
「弟子、一体何のつも──」
「師匠、百年経ちました」
「? ああ、知っている」
百年。
再会するとは思わなかった弟子。さらにその弟子の姿が、数年程度しか時間が経っていないように見えるから、何だかずれを感じる。
それがこの行動と何が関係があるのかと怪訝な目で見ると、ヴォルフの薄青の目がリーデリアを捉えていた。
その目付きを、リーデリアは知らない。考えも、読めない。
「俺は、当然成長しました。──勝負してください」
「いきなり何を言い出す」
心の底から聞き返した。
びっくりした。
勝負とは、出し抜けに何だ。
しかし、弟子の真顔は変わらない。
「昔から、勝負する度に負けた方が何でもいいから一つ、言うことを聞くというルールでしたね」
元々は、勝ったときに褒美をあげるために始めたことだった。魔術の技術も上がる。
もっとも、実力差はそうひっくり返ることはなく、リーデリアばかりが勝っていた。
勝つ度に街まで本やお茶を買いに行ってこいだの、美味しいお菓子がいつでも食べたいから作れだの、もっぱらお使いからちょっとした無理まで言っていた。
まあ弟子にはお菓子作りの才能があったらしい。ケーキは美味の限りだった。
「だから、俺が勝ったら一つ言うことをきいてください」
唐突なタイミングはよく分からないが……どうも弟子は、何やら欲しいものがあるのか何か、望むことがあるらしい。
だが、と、リーデリアはフッと笑う。
口角を上げ、記憶より背丈の差がある弟子を下から不敵に見上げてやる。
「自信を折られたくなれけば、やめておけ」
「言ったでしょう。師匠がいなくなってから、百年経った。俺はその間に、力をつけました」
「……いいだろう」
成長、力、という言葉にリーデリアは受けて立つことにした。
百年、自分がいない間、自分がいなくなったあとの弟子のことをリーデリアは知らない。知りたいと、思った。
場所を移ることは考えず、どちらも言い出すことはなく、地下牢の通路で、互いに距離を開く。
ヴォルフは剣を収めた。
勝負とは、魔術を用いての勝負だ。武器は魔術、または体術も可。
距離を開き向き合った弟子の立ち姿に、リーデリアはすでにかつてとの違いを感じた。
この弟子は、このように立つ者だっただろうか。
以前が堂々としていなかったわけではない。
今が、他を寄せ付けないような自信を纏い、何をしても揺らぎそうにない思わせる立ち姿なのだ。
「先に聞いておこう。きみが勝てば、何を望む。弟子」
「俺が勝ったら」
弟子が、手のひらで宙を撫でる。魔術式が浮かび上がる。
始まりの合図はない。向き合えば、どちらかが先に始めればいい。
「師匠には、俺の目の届く範囲にいてもらいます」
「何だって?」
予想した種類のものではない「望み」に、またも心底聞き返した刹那、前から光の矢が向かってきた。
「おっと」
さっ、と魔術を展開させ、防ぐ。
狭い範囲だ。避ける選択肢は元よりない。
ばちばちと、弾けるような音がして、魔術がぶつかる。
強くなった。
初撃を防いだ時点で分かった。予想していたよりも──感覚が覚えていたよりも強い魔術が、リーデリアの防御の盾を破ろうと激しい音を立てる。
消滅させるにも少しの時間を要し、リーデリアの口元に笑みが浮かんだ。
未熟だった技術は洗練され、力も余すところなく発揮され、無駄がない。
魔術の矢が止まらない前方で、強大な魔術式が構築されようとしていることが分かった。
攻撃を緩めないために複数の魔術式を高い威力で発動しながら、さらに高難度の魔術を扱う。
戦場にでも立てば、どれほどの魔術師分の役割を果たすだろう。……それくらいに、見違えるほどの技量を感じた。
「だが、わたしの方が強い」
リーデリアは笑う。
弟子は本気だ。以前の勝負の具合を思い出し比べると、殺す気か、とも思う。
しかし彼は分かっているのだ。今でもまだ足りないと。どれほど威力の高い魔術を放とうと、届かせるにはまだ足りないと。
「──ヴォルフ、きみが百年経っても、わたしのことを師と呼んでくれるのならば、師匠としてまだきみの前に立っていなければならないだろう」
声は、弟子には届かなかったはずだ。
リーデリアは、魔術を迎え撃つための魔術を構築する。
魔術式の初めから、最後に至るまで、強い魔力を込める。
魔術を完成させたのはヴォルフの方が先だった。すぐに、リーデリアの盾を破るであろう魔術は前に至る。
リーデリアの魔術の完成は一瞬後だった。その魔術式が完成したとき、空気が震えた。
そして、瞬時に放たれた魔術は正面からヴォルフの魔術を撃ち、砕き、──轟音を立てて、静かになった。
「……」
前方の様子を遮る土煙か何かを払うと、破壊された壁に入った亀裂の中心に、崩れ落ちている弟子の姿があった。
……あれは痛そうだ。
壁の破壊具合は、魔術が直接当たって砕けたのではない。魔術を受けた弟子がぶつかって、ああなったと考えるべきだ。
避ける場所はないのだから。……やりすぎたか。
明らかに勝負はついたことで、リーデリアは走っていく。
「弟子、大丈夫か」
ヴォルフは気絶はしていなかった。
どうも防御の魔術を準備していたらしく、魔術は直接体に受けなかったが、威力に押されたようだ。
どちらにしろ衝撃がすごいことには変わりないだろうが、怪我は。
「怪我は」
「いえ、どこも。打ち身くらいだと思います。骨が折れたりヒビが入ったという感覚はないですね」
「……わたしはやりすぎたかと思ったのだが、頑丈だな」
これでヒビが入っていないのか。
軽く驚愕に値する。
「成長したと言ったでしょう。勝てませんでしたけど。……師匠、また強くなっていませんか」
「そうか? 百年も眠れば、休息は十分ということか」
「眠って……? いや、魔力貯蓄量は決まっているので、休息が長かろうと最大の力は変わらないはずですが……」
「細かいことは気にするな」
ほら、とリーデリアは手を差し伸べた。
しかし、ヴォルフはその手をすぐには取らず、目を細め、下を向いてしまった。
「ヴォルフ、どうした。頭を強く打ち過ぎたか?」
「……本当に、師匠ですね」
「今さら何だ」
リーデリアより余程すんなり受け入れているように見えていたのに。
「師匠は、相変わらずですね」
声が、泣き笑いのような声に聞こえた。
しかし、顔を上げた弟子は、少なくとも泣いてはいなかったから気のせいだった模様。
リーデリアの手に、その手が触れる。百年という時の流れに取り残されたリーデリアだが、その手を随分久しぶりに握った気がした。
そうやって弟子の姿を見下ろしていて、リーデリアの頭にある考えが頭を出した。
「……弟子」
「はい」
「きみは、いや、その前に一つ。わたしが神々へ攻撃したことによる罪人の立場なのだが」
「それは気にしないでください。俺が何とか宥めます」
「宥められるのか」
神々を攻撃した者を、公開処刑までしようとしていたのに。
「はい。どんな手でも使いますから」
弟子は微笑んだ。
その笑みに含みがあることに、リーデリアは気がついていなかった。考えることがあり、そのための障害がなくなったと分かったからだ。
「きみは、今、それなりの立場にあるのか」
「はい」
「そうか……」
リーデリアを牢に入れた者への、あの様子、接され方を思い出していた。
あれはまるで偉い者を前にしたような、畏怖する者を前にしたような、そんな感じだった。
それに、リーデリアのことをどうにかできると言った様子は、そうする力があると裏付けるかのようなものだ。
「どのみち、あんなことになったからにはわたしは学院を退学してしまおうかと考えていたのだが」
「……退学?」
ヴォルフが、ピタリと動きを止めた。
おお、思ったより重い。弟子、自分でも起きようとしてくれ。
両手で弟子を引っ張りあげながら、リーデリアは深く頷き話を続ける。
「そう、退学だ」
「学院に、戻るのでは?」
「荷物やらがあって、どちらにしろ戻る用事があるんだ」
「そう、だったんですか……」
ヴォルフは、何やらため息をついた。
「しかし昨今、学院を出なければ魔術師になれないらしいな」
「そうなりましたね」
「だがわたしはそんなに悠長な時は送っていられない。弟子、今すぐわたしを魔術師にすることは可能か?」
今、リーデリア・トレンスは魔術師とは言い難い。と、言うより言えないのだろう。
魔術師の証は無くし、再発行してもらうにも、百年前の人間ということになっている。
もしも名前がまだ残っていても、ただの同姓同名と言われるがおちだろう。
──リーデリアを知る者がいなければ
ヴォルフは虚を突かれた表情をしたあと、一度ゆっくり瞬き、笑みを溢した。
「やりましょう」
ぐっと手に力を入れながらの、力強い返事だった。
いい弟子を持った。
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