退屈する
学院生活は至って普通に送ることができていた。
クラスで浮くこともなく、トラブルもなく。
一週間が経って、慣れるには十分な時だった。
朝起きて、登校して、一週間ローテーションの授業を受け、寮に戻る。週の終わりは休日で届けを出せば学院の外に出られるが、門限がある。
学ぶ内容は進んでいくが、言えば、学院生活は繰り返しだった。
「エイデンくん、もてるね」
「うん? ああ、そうだな」
エイデンは変わらず大層人気のようだ。特に女の子に。
今も席で囲まれている。それは神だぞ。
そしてエイデン自身はにこにこしているが、十中八九話は聞いていないだろう。それでも女の子たちは構わないらしい。
仮にも神だから、機嫌を損ねたら……と、考えたことがそういえばなかった。
エイデンが怒るところが想像できない。機嫌が傾くこと全般が、だ。
何しろリーデリアが殺そうとしたのに、許した神だ。
だからリーデリアは四六時中エイデンの隣にはいない。
寮は、リーデリアと同じくルームメイトがいないようで元から懸念はなかったが、あの様子では、違う学年になっていてもいいかもしれない。
「それにしても、いい時期に編入してきたね」
現在空いている席でリーデリアの隣にいるのは、クラスの委員長をしている女の子だった。
年のわりにしっかりした子だと思う。
今は、リーデリアが初の日直で、日誌を書くことになって教えてくれているのだ。ここにはこんなことを書けばいいよ、とか。
「いい時期?」
「うん。もうすぐね、七年生が卒業論文とか、ええっと、配属試験?の前に、学院で学んだ証を発表するイベントがあるんだって」
学院の卒業は、個人の実力によって伸ばされることもあるが、十一、二歳からの入学が許され、七年制。
卒業は十八程度とされていると聞いた。
「へぇ。それは見てみたいな」
「毎年、合作ですごい魔術を見られるみたいなんだけど、……雨、止むかな」
どうもそのイベントとやらは、外でやるようだった。
教室の窓の外は、三日前から雨が降り続けていた。登下校の地面はもうぐちゃぐちゃだ。
学院には、神に祈る時間があった。
普段から毎日、何もなくても祈るのが国民の習慣だ。
日頃の感謝、実りへの感謝──ここのところ生徒の多くは天気の快復を祈っているのかもしれない。
もちろん一方的にではなく、雨の恵みに感謝しながら、だ。
そこで、少し苛々した強い感情が生まれ、文字を刻む手が止まった。
「あ、その授業の先生の名前はね──」
ちょうど授業名の横に教師の名前を書くところだったので、委員長の女の子が教えてくれた。
放課後になり、寮に戻るのではなく図書室へ行く。
寮に戻ると、共同スペースはそれなりに限られているし、個人の部屋には男女は異性の方へ行くことが厳禁となっていたり不便だが、図書室は十分な広さがある。
人とすれ違うときには普通にすれ違うことがほとんどだが、たまに前からやってくる生徒で目の色に気がついて隣にいる生徒をつんつんしたりする生徒がいる。
これは、いつまで続くのだろう。
生徒の数を思えば、まだ続いてもおかしくない。
学院に通うことが魔術師になるためのたった一つの道で、この学院が国で最もレベルが高いのであれば左右色違いの目をした生徒が他に一人くらいいてもいいと思うのだが……。
「しかし、思った以上に退屈だな」
「何が?」
「授業が」
自分で決めたこととはいえ、決められたことを、それも知っていることを学ぶのは予想以上に退屈だった。
学校に通うのは初めてで、師匠以外の人に何かを学び、誰かと机を並べて学ぶのは新鮮な思いがした。
が、それは最初だけだった。
これが七年……いや、かなり短くしたとして一年続くのでも、随分と気が遠くなる気がする。
「リーデリアは優秀な魔術師だったのかい?」
「エイデン、魔術師には階級がある」
教科書のどれかに、魔術師の階級を記したものがあった。
思い出して引っ張り出し、ページを捲ると、エイデンに見せる。
「わたしは、以前は最高位をもらっていた」
一番上の位を指し示し、教科書を閉じた。
リーデリアがこの外見年齢の歳の頃には、すでに魔術師になっていた。
当時は魔術師に弟子入りし、魔術師となるのは、師の魔術師と弟子の力量次第で遅くも早くもなるものだった。
リーデリアは、天才と呼ばれる部類だった。
それに、弟子のときだって、今のような決められた時間を過ごしてはいなかった。
師匠からの課題の期限など、期限といったものはあったが、毎日毎日時間の過ごし方を決められていた覚えはない。
部屋に籠って魔術式の開発をしていたが、それは興味が尽きないことだったからで、外にだって、街に行くくらいなら気軽に出ていた。各地を回ったりも。
既存の魔術式を学ぶより、魔術式を作ることの方が好きだ。
不老不死の魔術式だって、一から組み立てた。
あれは元は、昔々の王が魔術師に作るように命じたらしいが、作れなかったという話を聞いたからだった。
自分ならこうすると、つまり興味本位で、まさか使うことになるとは思ってもみなかったが。
図書室に入ると、独特の静かな空気に包まれる。
同じように放課後、図書室へという生徒がすでに机についている姿がちらほら見られる。
長い机の横を歩き、目ぼしい席を探していると、ふと、主がいない席に広げられたままの教科書とノートが見えた。
「ほう」
最近初歩中の初歩の魔術式ばかり見ていたリーデリアは、思わず立ち止まった。
それは、魔術式の構築の仕方を解説した本だった。つまり、一から魔術式を作り、場合によってはオリジナルの魔術を作る方法。
「学院ではこうして魔術式の構築を学ぶのか……これは、何年生の教科書だ」
ちょいっと、教科書のページを摘まんで見る。
「まだ下級生なのに、魔術式の構築に興味があるの?」
本に影がかかり、顔をあげた。
制服を身につけた、上級生と思わしき背の高い男子生徒がいた。どうもこの席の主のようだ。
男子生徒は、顔を上げたリーデリアを見て、目を瞠った。
「もしかして、噂の、編入生?」
「噂?」
「神様の祝福を受けた目の色をした女の子と、美少年」
美少年。
どうやらエイデンの評判は美少年として広まりつつあるらしい。
見たところ、四、五年ほど上級生だ。
この学年にまで広がっているとは……。
教室の辺りに上級生の姿が多いのは、もしやこのせいか。珍しい編入生とやらを、見てみておく心境。
……物好きだな。見て、実際に面白いことが起こるわけでもないだろうに。
「へえぇ、すごいな。話には聞いたことはあったけど、本当にいるんだ」
何やら男子生徒は若干興奮したように覗き込んでくる。リーデリアの目に関心がいっているようだ。
ああ、こういう反応を知っている。研究肌の人間だ。
「先生たちも話してるし、どうやら超有望株らしいな」
「へぇ、そうなんですか」
「あっそうだ、魔術式に興味があるなら、魔術式研究会に入らないか?」
「魔術式研究会?」
何だそれは。
聞くと、授業外でも魔術式を作ろうとしている会だそうだ。
そんな集まりが学院には他にもあるのかと思っていると、教師の許可を得てはいるが、勝手に作ったのだという。
授業外までそうするとは、熱心な集まりと言えるだろう。
メンバーはまだ三人だそうで、全員五年生より上、将来有望な下級生にぜひ入ってもらいたいと語っている。
……魔術式もまだろくに扱わない一年生だということは分かっているのだろうか。
「あいにく」
どのみち、リーデリアは断った。
研究会に入らずとも、本業だ。
残念そうな上級生と別れ、とある一角の席に落ち着く。
「さあ、エイデン、課題を終わらせよう」
本日の課題は数学と、魔術式の書き取りだった。
魔術式とは暗記が大事だ。理解もするが、結局のところ記号として覚えてしまうのが、ほとんどだという。
実際の魔術式発動の際、見ながらやれないこともないが、まずスマートではない。式が歪むし、暗記していないということはミスしやすくなる。
暗記することが実質決まりで、試験にも記述の問題が出るらしい。
「思うのだけれど、こんなことに意味があるのかい?」
「手が覚えるかもしれないだろう」
「かもしれないと言っている時点で不確か極まりないよ、リーデリア」
「そうごちゃごちゃ言う奴は、まず進んで覚えようとしないタイプなんだ、エイデン」
この神は中々に勉強に向いていない。
神に才能云々を言うのもおかしいが、才能で生きるタイプだ。
「きみは魔術師を目指しているわけではないから、気が進まないのかもしれないが……。きみがわたしについてくると言ったんだ。それなら、わたしが言ったことは守る努力をしてもらいたい」
「確かに」
努力とか神に言うのも何だな、と思ったが、意外にも素直に、神は書き取りを再開させた。
……こうして見ると、ただの生徒だ。
飲み込みは早いどころではないので、単純作業が嫌なのだろう。それはリーデリアもそうだ。
本音では、こんな書き取りなんてしていられないと思う。
「エイデン、わたしについてきて楽しいか?」
「楽しい? そう言うよりも、新鮮と言った方が正しいかな」
「いつまでわたしについてくるつもりだ?」
「私の諦めが──いや、私の気が済むまで」
気が済むまで、か。
リーデリアはまた魔術師になるつもりだから、成り行きでついでに入学させたが、この神は魔術師になるのだろうか。
就職、したり、するのか。
するのか?
──激しく、空を引き裂かんばかりの音が轟いた
「!」
雷だ。
静寂が基本の図書室内のあちこちで、悲鳴が上がった。
雷はそれ以上鳴らなかったが、近くの窓から覗く外は雨がひどい。
それどころか、風が吹き荒れ、雨は斜めに、右方向へ、左方向へ地面に叩きつけるように降る。
「雨が続くな。……それも、とびきりの嵐になった」
「取っておいた酒でも飲まれたのかもしれないね」
前で、エイデンが平然と書き取りを続けながら言った。
「神は酒なんて飲むのか」
「うん、まあ嗜好品だね。酒はうまい」
見た目は成人していない少年の姿は、普通にそう会話する。
──酒ごときで、実りを促す以上の大雨が降り、洪水が起きては堪ったものではない。
「だからわたしは、きみたちが嫌いなんだよ」
ぽつりと言葉に、自分の耳で聞いてから、自分で言ったと自覚して、手で口に触れた。
胸がざわつくような感覚がして。
ふと、前を見ると、美少年が涼やかに微笑んでいた。
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