菓子を食す



「師匠?」

「──ヴォルフ」


 リーデリアとフェルマンが立ち止まるところにやって来た姿は、黒い服。

 トレイを手にした弟子だ。


「何をなさっているんですか?」


 歩み寄ってきた弟子は、自然とリーデリアの持っている箱に視線を落とす。


「魔石を少し」

「それなら俺に言ってくだされば」

「ヴォルフ、きみは仕事があるだろう。わたしより、きみの方が忙しいと認識しているぞ」


 ヴォルフは最初はリーデリアの目的に反対したが、リーデリアの意志が固まっている限り、協力する姿勢を見せていた。


 そのため、入り用なものは自分に言ってくれればと言われていた。


 しかし地位を持つと、それなりの仕事がある。リーデリアの方が「暇人」だ。


「時間が全くないわけではありません」

「そういえば、弟子、何を持っている」


 何だか、甘いにおいがする。


「ケーキです」


 そう言うと、弟子は手にしたトレイの上を見せてくれた。

 茶器一式に、取られた銀色の蓋の中には、ケーキ。

 あまい、いい匂いが鼻腔をくすぐる。


「時間があったので作ってきました」

「……カルヴァート卿が菓子作り……?」


 半ば呆けたような呟きが聞こえた。フェルマンである。


 ヴォルフを凝視していた彼だったが、リーデリアが見て、ヴォルフが見ると、はっとしたように会釈をした。


「彼は運ぶのを手伝ってくれてな」

「そうなんですか。後は俺が」


 空いている手をヴォルフが差し出し、フェルマンに箱を渡すよう促すと、フェルマンは箱を渡す。


「師匠、部屋に戻るんですよね」

「カルヴァート卿」

「──何か用か」


 フェルマンの呼びかけ。

 弟子の声音がわずかに変わった。柔らかさというものを全て剥いだようだった。


 声の質のベースは同じだ。だが、違う。

 この声を聞いたことがある。再会した牢で、だ。


 視線を向けられたフェルマンは、緊張気味な様子だったが、その目をちらりとリーデリアに向ける。


「その方と──私が目撃した神々を攻撃した人物は同じ人ように見えますが、これは事実でしょうか」

「別人だ」

「……ヴォルフ、無理があるぞ」


 目撃したと言っているのに。


 しかし、予想外にもフェルマンは「そうですか」と言って、「失礼致します」と一礼して去っていった。


 彼は、確信していたことを尋ねて、どうしたかったのだろう。


「師匠、行きましょう。紅茶が冷めます」

「……弟子、きみはバランス感覚がいいな」


 右手にトレイ、左手に箱。


「箱はわたしが運ぼう」

「高さを考えると、視界が塞がると思います。危険です」


 フェルマンと同じことを言われ、リーデリアはそのまま歩き出すことになる。


「彼のことは覚えているか?」

「さっきの彼のことですか?」

「そうだ」

「フェルマン・ベガーです」

「どうして、彼を弟子にしなかった?」


 ヴォルフがこちらを見たことが分かった。


「聞いたんですか」

「話の流れでな。きみの人望が厚いようでわたしは感慨深い」

「それなりに実力があり、指示にミスがなければ自然とついてくるんでしょう」

「才能だな」


 それは才能だ。


「彼には確かに弟子になりたいと言われたことがありました。ですが、俺にはそういうことは向いていませんから」

「そうか?」

「そうです」


 そうは思えなかったが、弟子はそう判断したようだ。


「……将来優秀な魔術師となる人材に請われたなら、教えるべきだと師匠は思いますか?」

「教えるべきか、と聞かれると考えるところだな。教えを請われた側が教えたいと思うのなら教えればいいと思う。だが、全員にそうするべきだとは言えない。きみのように向いていないと思う人もいるだろう」


 そう思いながら教えるのは、きっと難しいことだ。


「わたしの場合は向いているか向いていないか考えたことはなかったが」

「そうなんですか?」

「きみがいた。引っ張りあげるべきだと思い、見つけたのはわたしだった」


 そして、師匠となった。


「フェルマンくんは、弟子入りしても魔術師の資格はもらえないのに、弟子入りが禁じられているわけではないと言っていた」

「確かに禁止はされていませんが、制度的には廃止されていますよ」

「それでも弟子入りしたいと思われることは、すごいことだと思うぞ、ヴォルフ」


 そうかもしれませんね、と弟子は言った。



 リーデリアの部屋に戻ると、魔石が入る箱は一旦隅へ置いておく。


 ヴォルフが紅茶を淹れ、ケーキを切り分けて乗せた皿をリーデリアの前に置いてくれた。


 昔からのことで、弟子も向かい側に座る。

 戻ってきてからは、初めてだ。


 早速リーデリアは、ケーキにフォークを入れる。完璧な見た目のケーキは「いつも通り」、店で売っていてもおかしくない。


「弟子、最近は菓子作りはやっていなかったのか」

「不味いですか」

「いいや、文句なしに美味しい」


 美味しいとも。

 店で売られているものより、好みだ。


「ただ、きみがあまりに奇異な目で見られていたから」


 ここに来る道中も、少しの人数にも関わらずすれ違った全員がヴォルフを見、手にした茶器が乗ったトレイを二度見していた。

 さらに「──お菓子を作っていたらしい」とか何とか聞こえた。


 すると、当の弟子が微妙に呆れたような目をした。


「師匠以外に、誰に作ると言うんです?」

「……わたしの師匠とか」

「師匠のお師匠は、甘いものより辛いものの方がお好きだったでしょう」

「そうだったな。今度墓に唐辛子でも供えておこうか」

「やめてください」


 リーデリアの師匠に作っていたとしても、最近ではないか。


 リーデリアは弟子のケーキをまた一口食べた。


「美味しい」


 よく、魔術勝負をしては勝ったリーデリアが何がきっかけだったか、菓子作りを要求したのだ。


 ああ、思い出した。

 大体は街にお使い、もとい使い走りにしていたが、パターンが限られてきたなという理由だけで、そんなことを言ったのだ。横暴な師匠である。


「そういえばな、弟子。きみはわたしとの勝負に一回も勝ったことがないが、昔わたしに一度でも勝っていたらきみが望んだことは何だ?」

「昔、ですか」


 弟子は、考え込む目をした。


「単に、逆に使い走りさせたんじゃないでしょうか」

「……もったいない使い方だとは思わないか?」

「師匠はよくそうしていたじゃないですか」

「わたしの勝率が十割だったからだ」


 毎回考えるのも、大変なものなのだ。







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