第5話 再会は突然に
――長瀬家の朝はいつも早い。
「あ、お兄ちゃん…、おはようございます」
「おはよ、明日香…」
覇気のない兄に対し、にっこり微笑む妹。だらしない格好の兄と違い、身支度を綺麗に終えてお行儀よく席についている。
今日も長瀬家の食卓には卵焼き、焼き魚、漬物といった『日本の朝食』が色鮮やかに並び、美味しいそうな湯気を上げていた。
「あら、悠人くんも起きたのね。おはよう」
台所にて振り返りながら微笑む叔母の秋穂。すらりとした和風美女がお団子ヘアを軽やかに揺らしている。
炊飯器からは炊きたての瑞々しい香りが立ち上り、コンロにかかった鍋からは味噌汁の湯気が漂っている。別のテーブルには栄養バランスに配慮された色とりどりのおかずたちがお弁当へ美味しそうに詰められていた。
「相変わらず、ウマい料理つくりますよね…」
「ふふふ、ありがとう。でもまだ食べてないのに味がわかるのかしら?」
くすくすと艶っぽく挑戦的な笑みを浮かべる秋穂。意地悪な物言いだが、声はどこか嬉しそうだ。
「食べたのは一度や二度ではないですし、見れば味は想像つきますよ」
「まあ、悠人くんってば食いしん坊なのね」
キッチンで微笑う叔母はまるで人妻のような雰囲気だ。家庭的な雰囲気の秋穂はエプロンがよく似合っており、母性と共に妖艶な色香を放っている。それもそのはず、着ている服が
「でも今はこういうセーターが流行っているのね、知らなかったわ」
「…流行ってるというか、それは…」
「悠人くん、死んじゃダメよ?」
「ぜったい知ってて買いましたよね!?」
秋穂が身に纏う胸と背中がばっくり開いたエッチなセーターはかなり際どい代物だった。直視したら、一度も城へ攻め入った事のない男は命が危ない(婉曲表現)
「服はともかく、相変わらず朝から豪勢ですね…」
「そうでしょう? 殿方のハートを掴むにはまず胃袋から。じっくりじわじわいきますからね♡」
「…なんだろ、美味しそうなメシなのに…急に胃が」
「それより悠人くんはもう少し早く起きた方がいいわよ?せっかく作った料理が台無しになっちゃうかと心配したわ」
「はは、面目ないです…」
「フフッ、昨日の夜は激しくしすぎちゃったかしら♡」
そう言って秋穂は困ったように頬に手を当てる。どこか妖しい流し目を送られる悠人は昨夜の
「はは…。今度はもっと早く起きるようにしますよ…」
いつもどおりなら、悠人も早く起きられたのだ。しかし、この場に居る肌のツヤツヤした女性二名がそうさせてくれなかったのだ。
「明日は私が起こしてあげますね、お兄ちゃん!」
「いえ…、大丈夫です…」
「明日香ちゃんはゆっくりしてていいのよ? 悠人くんは私がキモチよく起こしてあげるから」
「いえいえ! お兄ちゃんを起こすのは妻であるこの私の仕事ですから!」
「いいえ、元気におっきしてる
「むきい!なんですか!その妖しい言い方は!何をする気なんですか!」
「なにって…
睨み合う二人をどこか遠い目で見つめる悠人――昨日の夜は、本当に大変だった。
明日香と秋穂はひとしきり言い合いを繰り広げた後でなんとか和解。その後『明日香の入学祝い&秋穂の歓迎会』を開いたのだが、それは長い夜の始まりにすぎなかった。
片付けは自分の仕事、と皿洗いを申し出る悠人。シンクに向かうその背中を抱きしめ、柔らかい巨乳を押し付けて
秋穂の誘惑に負けじと対抗する妹はお風呂に一緒に入ると主張し、説得にアホみたいな時間を費やし疲労困憊する悠人。
やっと寝られるとベッドに倒れ込めば、布団の中から際どい下着の秋穂が出てきたのは殆どホラーだった。
その後も『見回り』と称して代わる代わるやってくる明日香と秋穂の『夜這いテロ』に、ケイケンのない悠人がぐっすり眠れるわけがなかったのだ。
「とにかく、朝飯はゆっくり食べよう。いただきま――」
「お兄ちゃん!私があーんして食べさせてあげます!」
「あら…? それは作った私の権利ではないのかしら」
バチチチチチッッッ……ッ!!
朝の爽やかな空気に、一瞬火花が散った(気がした)
「家では私がお兄ちゃんに『あーん』するのが決まりなんです!昔から!」
「おい、しれっと捏造するなや」
「残念だけど、そんなルールは昨日までよ。今日からは保護者の私に従ってもらうわ」
「断固反対します!横暴です!妻である私をなんだと思ってるんですか!」
「妻だとかそんなものは認めてませんし、悠人くんに『あーん』するのはお母さんの権利よ」
「何言ってるんですか!そんな権利こそ認められません!」
立ち上がって「反対です!反対!」と抗議に喚く明日香。キリリと瞳を輝かせて主張する姿はなんだか様になっている。主張している内容は不適切だが。
そして、秋穂が言い負かされるはずもなく
「今日からは新ルール第一条『悠人くんのお世話はすべてお母さんが担当する(下のお世話も♡)』に従ってもらうわ。異論は認めません」
「カッコの中が不穏すぎる!」
「そんなの認められるはずがありません!お兄ちゃんと私の間には秘密裏に決めた厳格な兄妹ルールがあるんです!下のお世話だっていつも私がしてるんですから!」
「だから捏造するなってのに!」
「とにかく私が食べさせてあげるんです!これは長瀬家有史以来の絶対ルールなんです!」
「いいえ、私よ。この料理には私の愛と、それ以外のものもたくさん込められてるんだから」
「今度から普通に作ってもらっていいです!?」
「私だって妹シェフのオススメ『ねっとり甘々卵焼き~愛情と誘惑のキスを添えて~』をお兄ちゃんのお口に運ぶんですっ!」
「そんな卑猥なものは断固として食べないからな!?」
「だから俺は自分で食べるってのに…」と俯く悠人の干からびた答えは聞こえないし聞いてない。
グラマラスで大人の魅力満載の秋穂も、アイドルのようなエネルギー全開の明日香もどちらも元気に言い合いしている。悠人は当事者の筈なのになぜか蚊帳の外だ。
「でも、なんでこの人たちこんな元気なんだ…ヴァンパイアって割と身近にいるのかもな…」
悠人はしみじみとした感慨を抱きながら、やたら美味い卵焼きを口にした。
5
賑やかすぎる家と違って、学園は平和だった。
窓の外に広がる青空はどこまでも高く、伸びてゆく高層ビルは山々を切り取っている。頬杖をつく悠人の眼前にはいつもの街がいつものように佇んでいた。
一方で教室では授業前の煩雑な空気が広がって眠いだの、寒いだの代わり映えのないおしゃべりが広がっている。
(変わらない光景がこんなに愛おしいとは…な、)
疲れたように遠くの風景へ思いを馳せる悠人。
二年になってもクラスのメンバーは殆ど変わらず、変わったといえば特進クラス
との入れ替わり数名と代わり映えも乏しい。しかも、うちのクラス2-Bは担任教師まで同じだという。これでは一年とほぼ同じと言っていいかもしれない。
思えば、学生生活はほとんど同じスケジュールを繰り返し繰り返し、卒業まで繰り返す日々なのだ。変わらないことの方が多いのは当然とも言えるかも――
「…これってさあ、ループ世界に閉じ込められてると考えていいと思うんだよ」
「悠人…、お前、何言ってんだ?」
現実逃避していれば、ガイのヤツが頭を叩いてきた。むさ苦しいポーズを取りながら「んー?これはプロテインだな」とかアホなことも呟いている。
「ついにおかしくなったんだろ?筋トレしろよ、筋肉がすべてを解決してくれる!」
「…お前の赤点は?」
「スクワットしろ!ダンベルを使え!プロテインを飲め!筋肉は裏切らない!」
「ねぇ、赤点は?」
「腹筋はすぐに結果が見えてくるからオススメだ!初心者はまずは腹筋を鍛えろ!」
「スルーして答えない気か」
「俺様の得意分野は体育と保健体育だからな!モテのために他の分野はいらねーワケよ」
なぜか得意げに胸を張るマッスルガイ。ブ厚い大胸筋が目の前に強調され、純粋に気分が悪い。今朝見た美女の谷間とは凄まじい落差だった。
「でもさ、勉強ができるやつはモテるらしいぞ。ソースは冬夜」
「うるせぇ!とにかく筋トレをする男はモテんだよ!筋トレで成功体験ってのを重ねるんだよ!」
「おかしくね? 剴さんてモテてなくね?」
「男はなァ!みんなモテたいから筋トレしてんだよ!マッチョが女どもにモテないなんてウソだろ!?」
「主語が…おおきい、です…」
「お願い筋肉!めっちゃモテたーいんだよ!!」
「うるさいぞ! お前たち!」
後ろの席で冬夜が眉間を抑えて怒ってくる。正統派イケメン(内面を除く)は今日も朝からイケメンだ。
「お前たちが騒がしくない日はないな、朝の静かな時間くらいは落ち着いたらどうなんだ」
「そうだ、冬夜!お前も筋トレしろよ?なっ、なっ?」
「なんだその妙な圧は…今はゲームをしてるんだ。邪魔をするなよ」
「なんだよ、ゲームって?」
「ふふん、シスター育成ゲーム『しすぴっち』だ」
冬夜が珍しく得意顔でゲーム画面を見せびらかしてくる。どこかで見たようなたまご型ゲーム機の中で白黒のドット少女がゆらゆら揺れている。
「これはだな、自分の妹に勉強や運動・礼拝の時間をスケジューリングして立派な
「えっ、シリアルキラー育成ゲーム?」
「悠人…、お前は何を言ってるんだ」
「しすビッチ? がははは、なんだそのエロいゲームは」
「ビッチじゃない!ふざけるな!お前たちは全く話にならん!」
そう言って冬夜は不貞腐れてしまった。ぷりぷり怒った顔もなぜか女子には人気らしく、チラチラと熱視線を向けられている。イケメンは内面に問題があっても許されるらしい。
「おーい、バカども席につけ」
一人の教師が入ってきた瞬間、騒がしかったはずの教室が一瞬で静寂に包まれる。我がクラスながら危機管理能力は流石と言えた。
「喜べ、野郎ども。今日はビッグニュースがあるぞ」
ニヤリ、肉食獣の如く凶悪に笑う男の名は
それもそのはず、強面の成田先生は『パンチで校舎を割れる』だとか『電話一本で全国の暴走族を集められる』などのトンデモ伝説もあったりもする。堂々とした恰幅のいい男前であり、わが校の名物教師なのだ。
「新学期そうそうにな、転校生のショータイムだ。 おい、入っていいぞ」
「…失礼します。」
「――は」
あまりの衝撃に、声が漏れてしまう。
入ってきた金色の少女は目の前を通り過ぎて、男前教師の隣、見慣れた黒板の前、その場所で、
「はじめまして、八神つかさです。そこの長瀬くんの、カノジョです。」
な、なんだってえぇえええええええええええっっっ!!?
野郎どもの悲鳴が響く中、あの日の少女が微笑っていた。
やけに綺麗な、涼やかな笑顔で。
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