第3話 茜色の出逢い




3





目的地の駅前は思いのほか混み合っていた。繁華街に近いこともあり、学生やサラリーマンでごった返している。




「人多いな…、これだとデパートの方も…」




横断歩道にて、信号待ちの一団に飲まれながら独りごちる。



駅前は悠人と同じ学園生が多く、この様子だと早帰り組がゲーセンやカラオケにも散っているはずだ。きっとその流れはデパートにも波及しているはずで、買い物も時間がかかってしまう――そうなれば、とてもとても面倒くさい。




「…ささっとプレゼント買って帰らないとな」




なぜなら、手早く済ませなければ帰った時の妹がうるさい。『浮気』だの『愛人』だの『不貞行為』だのと泣きながらのたまうのだ。これが非常に面倒くさい。




「…こんな事なら、もっと早くから準備しとけばよかったっての……」




後悔先に立たず、だ。


真っ赤な信号を後悔ともに睨みながら悠人は深々と溜息。そして、




「…うわ」




無意識に驚きの声が漏れてしまう。


横断歩道の向こう側、人でごった返しているその場所に一人の少女が立っていた。




「び、美人って普通に歩いてるんだな…」




ついで意味不明な感想も漏れてしまう。


これまでもカワイイ子と評される女子を見たことはあったが、彼女はそんな生易しいレベルを超えていた。



恐らくは自分と同じ高校生だろう、すらりとした身体はありがちなデザインの制服に包まれている。しかし、それを着ているのが彼女のような超美人であれば平凡ではなくなる。全身から活力と気品が満ちていて、人を惹きつけてやまない魅力を感じさせる。



現に、信号待ちしている男どもの視線をまるごと釘付けにしていた。




「世の中にはああいうキレイな人がいるんだな…」




透き通る氷のような雰囲気はクールビューティーというやつだろうか。細く軽そうな金色の髪が、行き交う車の風圧に揺れていた。




「…っと、あんまり見てちゃ悪いよな」




クール系美女から視線を外せば、信号はちょうど赤から青色へ。雑踏の中を悠人も美女も横断歩道を歩き出し――




「…掴まえた」

「は?」




すれ違いざまに手を握られる。クールな碧い瞳に射抜かれる。




「キミ、ちょっと着いてきて」

「えっ…あの、俺は向こうに――」

「いいから黙って」




冷たい手に引かれてUターン。今来た道を引きずられるように戻され、




「…ちょっと走るよ」

「な、なんで――ってちょ!?」




有無を言わさず駆け出す美女。通行人に肩と肩がぶつかりながら、困惑する悠人も危うく背中を追いかけるが




「あの…すみません!俺が何かしました!?」

「いいから」




戸惑いながらの問いかけはぴしゃりと弾かれる。無言の美女は意外にも俊足でぐんぐんと走る速度を上げていく。




「こ、これってドコまで走れば!?」




そのまま悠人は美女に手を引かれて人混みを抜け、それから交差点を渡って狭い路地へ突入。



高いビルの谷間を突き抜けたと思ったら今度は通りのスーパーへ入り、店内を一周して再び外へ――どうやら、彼女は誰かに追われているらしい。




「なあ!一体誰から逃げてるんだよ!?」

「…」

「ストーカーとか?それともヘンタイとか?追ってくるヤツなんて誰も居ないけど!?」

「…」

「おいって!こら!無視すんなっての!」

「…いいから黙って着いてきて。少しの間でいいから」

「ハイそうですか!ってそんなワケにいくかっての!」

「…大きな声出さないで。うるさい」




頑なすぎて取り付く島もない。冷たく尖った雰囲気で、事情を話す気はないらしい――それなら、俺は彼女に一つだけ知りたいことがある。




「ならこれだけは教えてくれ!君の名前は?」

「…?」




薄っすらと汗が滲む横顔、走りながらこちらを向いた瞳には戸惑いが浮かんでいる。まさかそんなことを訊くとは思ってなかったんだろう。




「こうなってるのも何かの縁だろ? 名前教えてくれよ」




名前を知れば、またどこかで会えるような気がするのだ。どうせ手を貸すなら名前くらいは知っておきたい。




「……………つかさ、八神つかさ」

「分かった!八神さんだな!」

「…つかさでいい」

「了解、じゃあつかさって呼ばせてもらうな。俺は長瀬悠人、よろしく!」




親睦の為にニッコリ笑ってみたが、クールに無視された。話でもして緊張を和ませようと思ったのだが、彼女は周りを警戒して追手を撒くことに必死だ。




「安心してくれ、つかさ。俺は実は正義の味方なんだ」

「…?」

「今のこの姿は世を忍ぶ仮の姿!その正体はえーっと…、まあ正義の味方なんだよ」

「???」




何いってんのコイツ、的な顔をされる。美人はどんな顔しても美人だからトクだよな、じゃなくて




「実はさ、つかさを連れていきたい場所があるんだよ」

「…正義の味方じゃなくて、ただのナンパ男?」

「言った後にしくったと思ったけど!そうじゃなくて!追手を撒きたいならいい場所がある!」

「えっ…、ちょ、ちょっと!」




困惑する美女の腕を無理矢理ひっぱり、悠人は目をつけていた小さな喫茶店へと飛び込む。寂れた店は案の定お客はいなかった。




「いらっしゃい…って悠人じゃねぇか、暫くぶりだな」

「おっちゃん! 裏借りるぞ!」

「なんだよ急に――ん?その子は?」

「俺の彼女、、だ!追手が来たらうまく誤魔化してくれ!」

「はあ? どういうことだよ?」




ダンディな髭店主の呆けた面は完全スルー。勝手知ったる悠人はカウンターを横切って厨房を抜けて、そして、無骨に錆びたドアを抜ければ――




「そう! そこは公園なのでしたー!」

「はぁ、はぁ………そう」




悠人がややオーバーテンションで言ってみるも、つかさの反応は素っ気ない。というより上がった息を整える為にそれどころではないようで、見てわかるほどにグロッキーだ。もうこれ以上彼女を走らせるわけにはいくまい。




「ココは子どもにとって安心安全ゾーンなんだ。見てみ、あそこには交番がある。しかも警察官のおっちゃんは超親切で優しい」

「…はぁ、はぁ…んっ、はぁ…っ、そう」

「さらに怪しいヤツが居てもココは見晴らしがいいからすぐ分かるしな。今んとこそんなやつは見当たらないぞ、安心してくれ」

「…はぁ、はぁ…、はぁ…っ、そうね」

「つまりだな、ココに逃げ込んだ時点で俺たちの勝ちは決まった!ココから先は俺のターンだ!」

「…はぁ、はぁ……………はぁ」




走っている時はツラそうな顔を見せなかったが、実際のところはかなりムリをしていたようだ。安心させるため補足情報やカッコイイオーバーリアクションもキレイに無視されてしまった。最後の『はぁ』は溜息だったような気もするが。




「まあ、とにかくだな。もう心配ないってことだぞ、良かったな」




疲労困憊の美女に、にっこりスマイル&無害度120%で手を差し出してみる。ピンチを乗り越えた後には友情の握手こそふさわしい。



しかし、膝に手をついて息を整えていたつかさは手と顔を交互に見た後で




「……やだ、笑顔が凶悪……」

「なんてヒドイことを!!」

「うわ、しかも手もベトベトしてるし…」

「仕方ないだろ!走ってたんだから!あとその手を握って離さなかったのそっちだろ!?」

「…人のせいにする男ってサイアクだと思わない?」

「これは完全に貴方のせいですよね!? 俺の体質もあるかもしれんけど!」

「キミのせいでもあるんじゃん」




そう言ってクスッと笑う。ショートカットの金髪が頬に一筋張り付いてちょっとドキッとしてしまう。




「もしかして、キミって女の子と手を繋ぐの…はじめてだった?」

「あ、あるに決まってるだろ! バカにすんなっての!(※ただし妹)」

「ホントかなぁ…『ただし妹だけど』とか思ってそう」

「ぐっ…!」

「あ、図星だった? ゴメンね」




つかさは元から信じてなかったようだ。獲物を見つけたネコみたいな笑みが口元に浮かんでいて――――か、カワイイ…くそ!美人は何言ってもいいからトクだよな!?




「ね、あのさ――」

「は、はい! なんでありましょうか!」

「? どうかしたの? なんで気をつけ?」

「なんでもないであります!」




つかさに見惚れてた、なんて言えるはずもない。しかし、何を勘違いしたのかつかさは申し訳さなそうに目を伏せて言うのだ。




「…ごめん、今日って予定あったんだよね?」

「へ? ああ…、まぁ、一応は」




ココまで逃げてくるのに夢中で、明日香のプレゼントをすっかり忘れてしまった。

時刻は既に夕暮れを過ぎ、肌寒くなった今はもう夜。たとえこれから戻ってもデパートは閉店間際で碌なものは買えないだろうし――これはマズった。




「…ごめんなさい、私――」

「いいって、別に。もう済んだことだし」

「でも…」

「いいってば、マジで困ってたんだろ?」




へたり込んでいる美女に謝らせて喜ぶ男などいない。それに、逃げていた時の彼女は本当に切羽詰っていた。必死で走って逃げていたのだ。




「とにかく、俺もつかさも何事もなくて良かったよ。」

「…ん」

「理由は話したくないだろうし、詳しく訊かないけどさ…オトコ関係?」

「…まぁ、そんな感じ…」

「そか」




歯切れ悪く答えるつかさ。彼女ほどの美女であれば、言い寄る男とのイロイロがあるのだろう。



なぜ自分を連れて逃げたのかは不明だが、彼女の名も知れたし手も触れたし、おまけに意外に大きい胸が跳ねるところも間近で見られて――おまけに女の子らしい仄かに甘い匂いも…




「…何かヘンなこと考えてない?」

「かっ、考えてませんよ!?」

「…ウソ。後でえっちな自撮り画像でも送らせる気でしょ」

「そんなこと考えてないっての!あとリアルすぎるだろ!」

「ウソね。薄い本みたいなことしようとか考えてるんでしょ」

「女の子ってそういうの詳しかったりすんの!?考えてませんからね?!」

「ふーん、どうだか」




ジトっと横目に睨まれる。胸を庇うように抱き締めて警戒されるが、つかさを脅そうなどとは一切考えていない。えっちなことを考えていないと言えば嘘になるが、そんなに多くは考えていないのだ。




「ってことはちょっとは考えてたんじゃない」

「人の心をナチュラルに読まないでくれます!?」

「わかりやすい顔してるのが悪いのよ――それで、今日はどんな用事だったの?」

「え、ああ、実は妹にプレゼントを贈ろうかと思って買い物に」

「ワオ、優しいのね」

「…なんだよ、バカにしてんのかっての」

「まさか、感心してるのよ。キミ、いいお兄さんなのね」




つかさは見直した、と言わんばかりに目を輝かせている。短いスパンで自分の評価は上下しているようだ。




「今からでも大丈夫なら、買い物付き合うけど?せめてもの罪滅ぼしに」

「いや、今からだと…ちょっと難しいかな。あんまり遅くなると妹がうるさいし」

「そう…、ごめんなさい」

「もういいっての、それより女の子が貰って嬉しいものを教えてくれない?俺そういうのよく分かんなくって」

「そう、ね…。キミってモテそうに見えないしね…」

「………隙きあらば毒を吐きますよね、つかさパイセンって」

「パイセンって…、たぶん同い年でしょ?私はルミナスの二年だけど?」

「あ、同い年だ。俺は彩色学園の二年」




ルミナス――私立ルミナス女学院といえば超お金持ちのお嬢様学校だ。広大な敷地にドーム型のスポーツ施設やホテルのような学生寮が完備されており、一種のレジャー施設のようになっているらしい。男の自分からすると完全に別世界である。




「それで、同い年のキミは今まで妹さんに何をあげたの?」

「あー…えーっと…それは……」

「なによ、歯切れの悪い」

「それって、どうしても言わないとダメなやつ?」

「教えてもらえないと、私もうまくアドバイス出来ないし」




『で、どうするの』とクールに見つめられて逃げ場がない。そもそも、クール系美女の視線をまともに受けては男子として平静ではいられない。




「あー、えーっと、そのー…」

「…優柔不断の男ってサイアクだと思わない?」

「あー、分かった!言うよ!言いますっての!」

「大きい声出さないで。…それで?」

「……花と手紙」

「お花?」




つかさは意外な答えに目を瞬かせて、悠人は微かに目を伏せる。




「ああ…、ウチってあんまり余裕ないし、ケーキとかは準備できてもプレゼントまでは手がまわらないから」

「…そう」

「だから公園で花を摘んで、あとは俺が手紙を書いて贈ってたんだ」




言ってしまって、すすけた過去を思い出す。なんと情けない男なのだ、俺は。たった一人残された家族である妹に、誕生日もクリスマスもプレゼント一つ満足に贈ってやれないだなんて。本当の本当に情けない――



こうしてぎゅっと締め付けられた胸の痛みは――いかばかりの、ものか。




「バカね、落ち込んでるの?」

「…うるせぇ、金持ちには分からない悩みだっての」

「ホントにバカね。それって最高のプレゼントじゃない」

「――え?」

「自分のお兄さんが摘んできてくれた花と手書きの手紙だなんて、私が貰ったら感動して泣いちゃうかもね」

「え…」




バカみたいに呆けた自分の声。言ってしまった、と後悔するみたいに笑うつかさ。




「貰ったその子はきっと心から喜んでるわ。どんな高価ものより価値のあるものだもの。でも、残念なのはお兄さんはそれにちっとも気づいてないってことかしら」



つかさの声は穏やかで、誂っている雰囲気はなかった。ガランとした公園を満たして、立ち尽くす悠人の周りを優しく震わせる。ただ呆然と聞く悠人は宝石のような碧い瞳に射抜かれ、静かに息を呑む。




「女の子はね、どんな高価なものよりも、どんなキレイなものよりも、心が込められていればそれが一番なの。お兄さんの贈ったものこそ、その子が欲しかったものよ」




不意に立ち上がって、もう一度つかさは微笑った。



なんとなく、笑顔に悪戯な気配を感じて――その可憐さに目を逸らす。失敗したかもしれない、そんな予感が脳裏を過って




「だから、私の時もヨロシクね?」

「は、なんで…」

「だって私、カノジョ、、、、なんでしょ?」

「あ、あれは説明が面倒でとっさに言っただけで――」

「…言い訳がましい男ってサイアクだと思わない?」




そう言ってネコみたいに悪戯っぽく笑う。




「これってマジメな主張ですよね!?」

「はいはい。それじゃ、今回はそういうコトにしといてあげる」

「なにこのおざなり感!」




ムダにテンション高く声を上げるが、たぶん、無駄な抵抗だった。誰も居ない茜色の世界に、風が。




「じゃ、またね…――ゆうくん、、、、




心臓を、掴まれた。


夕日をバックに、つかさはくすぐったいみたいに笑って。





――そうして、空を染める夕日の中へ彼女は帰っていった。





「――はっ!? 俺はここで何を…ってプレゼント!?」




その後、街を駆けずり回り、閉店間際の花屋飛び込んだときに初めて、つかさがプレゼントを選んでくれなかったことに気づいたのは余談である。


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