第13話 光。妹。終わる日常。




5





「明日香ッ!」




悠人が自室に飛び込むと、妹はベッドでぐったりしていた。カーテンから差し込む日差しが明日香の身体を赤く染めている。




「おい、明日香!しっかりしろって!」




丁寧に整えられたシーツの上で、明日香が辛そうに顔を傾ける。吐く息は熱く重い。




「…おにい、ちゃん…?」




家に向かうまでに「ひょっとして、妹の冗談では」と勘ぐった悠人だが、明日香は今までこの手のウソはついたことはなかった。悪い予感は的中し、あまりの焦燥に悠人は目眩がするようだった。




「…帰って、きてくれたんですね…」




明日香のか細い声に、悠人の中の不安がいや増しに増す。頭に血が上り、耳の奥で鼓動の音が聞こえる。妹の弱々しい姿に、どうしようもなく胸が痛んだ。




「大丈夫か…?急にどうしたんだよ」

「ごめんなさい、お兄ちゃん……急に具合が」

「思ったより大丈夫そう……か?」

「はい、お兄ちゃんの顔を見て…少し、落ち着きました」

「そ、そうか…」

「友達と帰っていたら、なんだか急にフラっと来てしまって…」

「珍しいな、お前がそんなことになるだなんて」




悠人の脳裏に不意に、知らせてくれた少女との会話がよぎった。




『明日香が、倒れた…?』

『はい、今は家で安静にしてますが――私ではダメだったので、お兄さんを呼びに戻りました』

『? ダメってどういう――』

『とにかく、早く戻ってあげて下さい。』

『あ、ああ…』




――思えば、随分とそっけない対応だったと思う。




「お兄ちゃん…?どうか…、しました?」

「あ、いや…明日香の友達、だよな?あの背が高くて…キレイな感じの子」

「カレンさんのことですか…?お友達ですよ」

「そうか…」

「? カレンさんが何か…?」

「いやいや、特に何でもないよ」

「むぅ…」




曖昧に笑う兄にブラコン妹は拗ねたように唇を尖らせて、




「なんだか気になりますけど、仕方ありません。多少の浮気は見逃すのが良き妻の資質です」

「妻ってなんだ妻って」

「ふふふ…、ウフフフフ…」

「なにわろてんねん」

「こうしてお兄ちゃんは私に甘やかされることで、もはや私以外の女に興味を持てなくなっていくんです。他の女の人はここまで甘やかしてはくれませんから…」

「…たまにな、明日香が何を言ってるか本気で分からない時があるんだが」

「フフフ、計画通りです」

「…まあいいけど。それより、明日香は何か欲しいものあるか?」




悪役っぽく笑う妹の頭に手を当てながら、兄は優しく問いかける。熱は高くはないようだが、顔は赤くなり、瞳はとろんとして潤んでいる。暑かったのだろう、制服の上着は床に脱ぎ捨てられていた。




「お兄ちゃんが傍に居てくれれば……平気です」

「お前な……他にもっとあるだろ」

「いいえ、他には何も……」




明日香は目を瞑って悠人の手をぎゅっと掴んだ。触れる手は本当に燃えるように熱を帯びている。




「お兄ちゃんのことを考えながら帰ってたら……、身体が火照って……これは割と、日常的によくあることなんですけど…」

「そ、そうか…。それはそれでアレなんだが」

「特に一人の夜はツラくて…、お兄ちゃんが今すぐ一緒に寝てくれるともう思い残すことはないんですけど」

「断る」

「お兄ちゃんに陵辱されるシーンをあれこれ想像してしまった日はもう…」

「はい、その手の話はもうやめようか明日香。身体に障るぞ」

「えっ?お兄ちゃん、今なんと…?」

「身体に障るから大人しくしてろって、な?」

「お兄ちゃんが身体に触るだなんて……淡白なお兄ちゃんが今、私のお身体に触るんですか…?それは触ってほしいですが」

「何言ってんの?いいから、寝てろって」

「お身体に触りますよ…甘い熱を持て余した弱り妹のお身体に触りますよ…お身体に触りますよ…」

「脳みそバグってんの?その手の話は断固拒否と言ったろ」

「ごめんなさいお兄ちゃん……お詫びに脱ぎたてのパンティをプレゼントします」

「止める気ないよね?話聞いてる?」




妹のヤツは相変わらずブレーキが壊れている――ウチの妹、長瀬明日香は超がつくほどのブラコンなのだ。世界広しといえどもココまでのブラコンは他に居ないだろう。断じて居てほしいわけではないが。




「ああっ!お兄ちゃん!やっぱり欲しいものがありました!」

「なんだよ、急に大きな声出して…」

「ふふふ、これは大いなるチャンス……私としたことが、熱のせいで危うく見逃すところでした…」

「なんだよ、ブツブツ言って……で、何が欲しいんだよ?」

「えっと、それはですね」




赤い顔の妹はこほんこほん、と咳払いをして




「お兄ちゃんのハグが欲しいです!だっこしてほしいです!」

「断る」

「お兄ちゃんのチューが欲しいです!」

「ハードル上がってるじゃんか、断る」

「お兄ちゃんの愛情いっぱいの、ねっとりしたディープキスが欲しいです!」

「却下」

「お兄ちゃん!?お兄ちゃんはどうして私の欲しいものをくれないんですか!私の夢の光景を!」

「モラルに反するからです。」

「理不尽には怒るのが人間です!私はどんな時でもお兄ちゃんとイチャイチャできれば良いんです!キャッキャウフフしたいです!」

「そんなものは今すぐ諦めなさい!」

「私の夢…、私の希望…、私の光――誰にも奪わせたりはしません!」

「それは違う!明日香、普通じゃない……それは危険な光だ!」




潤んだ瞳の妹が危ないことを口走っている。しかし握る手は熱く、元から怪しい精神こころはともかく身体は辛そうだ。




「アホな事言う元気があるのは分かったけど、お前、本当に大丈夫なのか?ものすごい熱いぞ」

「実はちょっと苦しかったり…」

「お前な…ったく、強がるなってのに」

「今日のは……今回のは、今までとは違って、まるで、昨日の夜に感じたような……ああっ…!」

「お、おい…。しっかりしろっての!」




急に悶え苦しみだした妹の白い手を、悠人はとっさに握り締める。細い指は随分と頼りなく儚く、傍に居るのに居ないような不思議な感覚に囚われる。




「お前、すごい汗だぞ…!明日香?!」

「はぁ、はぁ…お、にいちゃん……っ!」




荒く息をする明日香は本当に辛そうだ。シャツの上からでも分かる大きな胸が何度も上下して、唇を噛んで漏れ出る息と声を押し殺している。




「あぁ…っ、お兄ちゃん……身体の中に何かが……っ燃えるようです…っ!」




ワイシャツのボタンを一つ二つと無理やり外し始める明日香。真っ白のシャツから覗く薄青の下着が艶かしく生々しく、咄嗟に目を逸らす。




「う……、産まれる、、、、……っ!」

「は…?」

「来ますっ…!来ちゃいますっ!」

「おい、何を言って――」

「ああっ!お兄ちゃんに会いに……っ!あああっ!」




明日香のうめき声と共に突然、視界が真っ白な光に塗りつぶされる。




「っ! な、なんだ…!?」




悠人の目の前で明日香の全身が白く輝いていた。

浮かび上がる光はまるで、明日香の身体から魂が出ようとしている、そんな光景で――




(なんだこれ…!?明日香の…!?)




悠人はとっさに光を掴もうと手を伸ばす。だが、光は悠人の手のひらをすり抜けて――明日香の傍らに霧のように凝り集まる。




「こ、これは…?」




そして、その光はゆっくりと人の形へと、少女、、へと姿を変えていった。呆然とする悠人の前で程なくして身体から放たれた光は収まり、少女の姿がはっきりと認識できるようになる。




「あぁ………んんっ…‥」




少女は恍惚とした微笑みを浮かべ、甘い吐息をこぼしている。

悠人と同い年に見えるが、その様子は外見に不相応なほど妖しく艶めかしい。




「ふぅ……、やっと……、やっと抜けられた……」




腰に届く亜麻色の髪を揺らし、大きな瞳には涙。白い肢体はまるで光そのもののように輝いていた。人域を逸脱した美貌を持つ少女は神々しく、悠人はしばし見惚れてしまう。




「き、きみは………?」




息を呑んだまま呆然とする悠人に、少女は目を合わせて優しく柔らかに微笑む。

そして、眠るように目を閉じて――――




「ん――……ちゅ♡」




悠人はこの日、見知らぬ少女に唇を奪われた。




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