第8話 ブラコンと日常生活



7




同日夕方、午後六時。




「お兄ちゃんがあんな美人さんと仲良くなるなんて…由々しき事態ですよコレは」




カゴへとニンジンを放りながら、妹がブツブツ呟いている。




「お兄ちゃんに近づく女子が私以外に居るだなんて……想定していませんでした」

「…さりげにヒドイことを言われている気がするな」




カートを押しながら、明日香の背を睨む。


馴染みのスーパーは主婦たちで緩やかな人口密度が保たれ、今は悠人たち兄妹もその一部。呼び込みの声が響く店内は夕暮れのゆったり感とタイムセール特有の殺伐さが入り混じって落ち着かない雰囲気だ。



明日香も心なしそわそわしながら、兄の顔をじっと見つめる。




「お兄ちゃんはつかさ先輩と、どうやって仲良くなったんですか?」

「あー…、仲良くなったというかだな、うーん」




悠人は腕組みしつつ、どう説明して良いものか思案する。


街中の全力疾走からの転校生として再会の流れを思い出すと、つかさとのエピソードはどうもウソのような冗談のような話だ。晴れた日の突風のようで、まるっきり現実味がない。




「言っても信じないと思うけどなぁ…」

「私はお兄ちゃんの言うことなら何でも信じます!」

「……俺、お前にウソついてるけど? 割と日常的に」

「それでもです! 私のお兄ちゃんを信じないで、一体どこの誰を信じるんですか!」




じっっっっっっっっっと見つめてくる黒髪ロングの優等生。

一点の曇もないガラスの瞳には茶化す雰囲気など一切なく、百パーセントの信頼で満たされている。妹からの真っ直ぐな視線を受け取るこちらとしては、純粋に信頼されて嬉しい、というよりちょっと恥ずかしい。




「さあ、ちゃんとお話してください!」

「…分かったよ。実は、かくかくしかじかでな」

「ええっ!?入学式の日にそんなことが!しかも転校してくるなんて大胆です!」

「『かくかくしかじか』しか言ってないのによく分かったな!?」

「私はお兄ちゃんの事なら何でも分かっちゃうんです。えっへん」

「俺に訊いた意味とは…」




胸を張ってふんす、と鼻を鳴らす明日香さん。鳴らすなよ、鼻を…




「コトの経緯は分かりました。ですが、お兄ちゃんの気持ちがわかりません」

「俺の気持ち?」

「ええ、そうです。可愛い妹を見ればいつもデレデレするお兄ちゃんですが、一般的でノーマルな美人にも反応するのか…気になるところです」

「一部捏造が含まれてますよ」

「お兄ちゃんはつかさ先輩をどう思ってるんですか?」

「そうさなぁ…」




カートに肘をつきながら当該人物をゆっくり思い返す。


すれ違いざまに強引に手を引かれたこと、振り向きざまの笑顔が眩しかったこと、クールな表情で飛び出す爆弾発言、感情の読めない突き放すような言動、そして理由不明のカノジョ宣言…――




「つかさは何してくるか分からん、コワイ美人だと思ってる。感覚的には『黒ひげ危機一髪』みたいな?」

「お兄ちゃんは相変わらず警戒心強いですねぇ」




豆腐をかごへ入れながら、半ば呆れるように明日香が微笑う。




「どうして女の子をココまで警戒できるのか…先輩は優しくて良い方でしたよ?」

「出会い方が悪かったんだよ」

「そうなんですか? お兄ちゃんが難しく考えすぎな気もしますけど」

「……そもそも美人は信じられん。油断した途端に『絵』とか『壷』とか売りつけてくるからな、俺は騙されんぞ」

「お兄ちゃんは偏屈ですねぇ…でも、そこがまたそそる、、、んですけど♡」

「……………。明日香のおかげでこう、、なったんだぞ」




重度のブラコン妹に「一緒にお風呂入りましょう!」だの「お兄ちゃん、今から私は着替えます!ドアは開いてますから!開いてますからね!」だの長年に渡り誘惑され続け、既成事実化を避けるために手に入れた危機回避能力。悠人はそれだけはパーフェクト妹にも勝っていた。




「でも、先輩はお兄ちゃんのタイプじゃないっぽいので安心しました!」




言いながらニッコリ笑う明日香。冷蔵棚のひんやりした空気を浴びて、なぜか満足気に頷いている。




「先輩はたしかに女性として魅力的でしたけど、私に比べるとまだまだのようですね」

「…美人だとは思ってるけど?」

「いえいえ、それだけではウチのお兄ちゃんは騙せませんよ」

「なんでだよ?」




明日香は「待ってました」と言わんばかりに人差し指を立てて




「お兄ちゃんはマイナー思考といいますか、ちょっと変わった女の子が大好物ですから!」

「おい、俺がいつそんな事――」

「だって私のコトが大・大・大好きですし! きゃっ♡」

「自分が変わってるって自覚はあったんだな…あと捏造はやめてね」



熱っぽいデレ顔の妹を冷ややかに見つめる兄。が、効果なし。



「お兄ちゃんは変わった体位を毎晩のようにチャレンジするので、私もタイヘンなんです♡」

「お前は会話できねぇのか」




頬を染めてイヤンイヤン身悶えする明日香。


清楚な女子高生が艶かしくトリップする姿は、店員や買い物客など男どもの熱い視線を集めてしまっている。しかし明日香は気にする様子も全くなく、艶っぽく腰を揺らしたままだ。兄としては発言含めてちょっとは気にして欲しい。




「お兄ちゃんに愛されすぎて困っている私ですが、油断は大敵といいます。慢心せずに気を引き締めていこうと思います!」

「緩やかにお兄ちゃんを加害者にしていくのは止めようね」

「そこでJKデビューを決めた私も、これを機にキャラ変更を考えた方が良いかもしれません。ヘッドホンなど分かりやすいアイテムを――」

「…なに、やってるの?」

「えっ?? お兄ちゃんはヘッドホン萌えはしないんですか?」




野菜コーナーで、妹が奇抜な格好をしている。真面目そうな女子高生のアホな姿におばちゃん達も目を丸くしている。




「大根を二つ耳に………って、歴史の教科書で見たヤツじゃねえか」

「最近人気なんですよ? 日本史は得意ですし、黒タイツは私も履いてますし…キャラ的には近いものが」

「昨今ではそんな奇想天外なキャラが流行ってるの? 俺には人気ないですけど」

「そんなバカな!」




外人のようにオーバーリアクションで後ずさり、がっくり肩を落とす明日香。妹のヤツはいつも以上に落ち着きがない。つかさとの邂逅では冷静だったように見えたが、内心では随分と動揺していたらしい…ライバル出現とか考えてるんだろうか。




「マズいです!キャラ変更に失敗してしまいました!このままでは正妻の座を奪われてしまいます!」

「謎すぎる焦りを覚えるなっての…さっさと買い物終わらせようぜ?」

「今は買い物どころじゃありませんよ!」

「スーパーはお買い物をするところですよ」

「はぁ…、お兄ちゃんは分かってませんね。」




ちっちっち、と指をふる妹。はんっと見下した目が軽くムカつく。




「いいですか、お兄ちゃん。これは正妻防衛戦なのです。防衛戦ではチャンピオンのプレッシャーはとてつもなく大きいのです!一刻も早く『愛してるよ、明日香』と言って私を安心させて下さい!」

「…出だしからもう分からないんですけど」

「つかさ先輩は日陰者でパッとしないお兄ちゃんとは対称的な方でした。お兄ちゃんが永遠に持ちえない華々しいオーラも気品もあって……私もアピールしていかないとマズいって事です!」

「妹がさりげにヒドイ!」




ぐっと拳を握って気合を入れている明日香だが、発言の毒には気づいていない。それだけ本心に聞こえて悠人の心にグサリと突き刺さる。




「お兄ちゃんは――あれ、どうされました?」

「なんでも、ないぜ…」

「元気だして下さいお兄ちゃん!ほらほら、今日の晩ごはんはお兄ちゃんの好きなハンバーグを作りますよ」

「そんなカンタンに元気は出ないんだぜ…」

「しかもチーズをINしちゃいます!とろっとろで美味しいですよ!」

「………………ありがとな、ちょっとは元気出た」

「それは良かったです!ついでに結婚届も出して下さいね♡」

「ハハハ」




悠人は笑って誤魔化した。スルースキルが上がった。




「ところでお兄ちゃんはどんな私が、妹が好みなんですか?」

「いきなりですな」

「いいから答えてください!今日に限ってはとっても大事なことなんです!」

「前にも言ったような気がするけどな…。『平凡過ぎて平凡すぎる、掃いて捨てる程ドコにでもいそうな妹』がいいと思うぞ」




それが長年欲しかった理想の妹像だ。


当たり前のことだと思うが、少なくとも全力で性的アピールしてこない妹がいいのだ。せめて自宅の風呂場とかトイレとかではリラックスして過ごしたい、そんな平凡すぎる願いが叶えられればいいのだ。ラッキースケベに遭遇しないよう全力で警戒する、なんてもうしたくないのだ(NEVER)




「それって、例えばどんな女の子なんです?」

「そうだな…、『お兄ぃの服と一緒に洗濯しないで!』とか言っちゃう女の子だな」

「分かりました!私はお兄ちゃんを一生選択したいです!」

「………………………………。俺を攻略するゲームじゃないよ?」

「では、お兄ちゃんの性根を洗濯したいです!」

「急に猟奇的展開に……もっと普通のやつで頼むな」




しかし、兄の理想は伝わりそうになかった。

『理想の妹』とはかけ離れている明日香は会話をしながら手際よく食材の鮮度をチェックし、カゴへと放り込んでいる。『お買い物メモ』も頭に入っているのか、手に取る品に迷いはない。こういうところだけ見てもハイスペックな妹だと思うのだが、




「お兄ちゃんがハァハァしてガバッ!としちゃうような女の子…うーん…」




立ち止まった明日香は細いおとがいに指を当て、虚空を微かに睨んでいる。『悩む人』のポーズで唸っている姿は妹ながら見惚れてしまうほど可憐だと思うのだが、




「困りました…私は男子の欲望への理解が足りないのかもしれませんね。その手のものを購入して情報を集めないと…」




言葉遣いも上品で、立ち居振る舞いも文句なしのお嬢さまだとも思うのだが、




「男の子が好きなものは…やっぱり胸とか、お尻などでしょうか」




精肉コーナーで自分の身体を軽く触っている明日香。細い肩には不釣り合いの大きな胸。腕の中にすっぽり包めそうなウエスト。女性らしい滑らかなラインを描く脚の曲線。ドコを切り取って見たとしてもオイシそうだと思うのだが、




「思いつきましたお兄ちゃん!『学校ではお固い優等生だけど、家ではちょっとエッチな妹』はどうですか!?」




――ホントにどうしてこうなったんだ。無駄に瞳をキラキラさせるんじゃないっての。




「ありがちな設定だけど、自分の妹にしてはちょっとな…」

「では『清楚で無口で読書好きのちょっとエッチな妹』はどうでしょう?」

「平凡な妹から遠のいたな…チェンジで」

「では『からかい上手でちょっとエッチな妹』はどうですか?」

「………ちょっとエッチが毎回余計なんだよ………」



優秀な妹はアイディアが次々出てくるのだが、女の子としてもうちょっと手前で悩んでほしい。



「いやらしくない妹でお願いします、明日香さん」

「もう、そこが良いところじゃないですか!お兄ちゃんはワガママさんです!」

「…俺が悪い、だと…?ツイッターでアンケとってもいい?」

「世論は美少女に味方します。止めたほうが良いですよ、お兄ちゃん」

「…ぐうの音も出ない…」




ブラコン妹に一瞬で論破されてしまう。残念だが明日香が言う通りだと思うし、自分でもそうするだろう。悲しい世界。




「それではお兄ちゃん、『口を開けば文句ばかりの強気妹』というのはどうですか?」

「やっとマトモなの来たな!普通っぽい!」




待ち望んだ提案に思わず声を上げてしまう。明日香は「そうですかそうですか」とにこやかに頷き、コホンコホンと息を整える。どうやら実践してくれるらしい。




「お兄ちゃん!」

「な、なんだよ…?」



強い意志がこもった眼差しを向けられドキリとする。ブラコン妹がこんな凛々しい顔を見せるのは珍しい。



「お兄ちゃんはだらしないし、靴下も脱ぎ散らかすし、野菜も食べないので困ります」

「う…」




汚いものから目を逸らすように顔を背ける明日香。

今まで聞いたこともない冷たい声音がハッキリと拒絶を示し、きりりとした切れ長の目で蔑まれるのも初めての体験で――今の明日香は完全に気の強い妹だ。




「それでいてカワイイ女の子ばかり見てるし、家でも秋穂さんにデレデレしてイヤらしいです!」

「むぐぐ…」

「私は妹として家族としてお兄ちゃんを恥ずかしく思います。一刻も早く人並みになってもらいたいと思います」

「うぐぐ…」

「ホントに最低です!お兄ちゃんなんて信じられません!」

「あ、おい!待てよ!」



くるりと背を向けて歩き出す妹を慌てて追う。こんな風に邪険に扱う明日香を追うなど初めてのことだ。



「入学式の日、信じて送り出したお兄ちゃんがモデル美女の調教にドハマリしてアヘ顔Wピースビデオを送ってくるなんて――ホントに気持ち悪いです!」

「おい!俺がいつそんなことを…」




でもね、と明日香はこちらを振り返りながら




「えへへ~、いっぱいちゅきです~♡」




とろけるチーズがとろけた後のようなデレ顔。甘えた声はマカロンよりもでろでろに蕩けている。




「…そんなオチだろうと思いましたよ」

「えへへ~♡」




思ったとおりの激甘展開に悠人は深々と溜息をつく。もしも妹がブラコンでなくなったら――と夢想する日々だが、それが実現した試しはない。




(明日香がフツーの女の子になる日がくるのだろうか、そもそもどうして――)




明日香は成績優秀・スポーツ万能のパーフェクト妹。悠人にとって唯一の家族であり、同居人。これまで兄として妹の面倒をみてはきたが、むしろ助けられることの方が多かった。当然ながらスマホアプリを使っての洗脳もしていない(※薄い本的展開)




(一体どうして………まさに謎だよな)



「ウフフ、ストレートな告白にいよいよお兄ちゃんもノックアウトされたようですね…ふふふ」




ぼんやり顔を眺めていれば、妹が笑っていた。何やら悪い顔をしているが、どこか抜けてるように感じるのは気のせいだろうか。




「こうなったら語尾にも工夫をしていきましょう。お兄ちゃん大好きぜなぁ~!」

「それはやめろ明日香ッ!!炎上するぞ!!」

「私の心はいつだって萌えてますぜなぁ!!結婚して下さいぜなぁ!!」

「不適切な発言は止めなさい!!安易なキャラ付けはよくないぞ!」

「不適切上等です!世の中には絶対に負けられない戦いがあるんです!」




明日香が拳を天に突き上げて燃えている。なんだか世紀末覇者の最期のようなポーズだが、この後雷は落ちたりしなかった。




「私はお兄ちゃんのことが大好きですが、お兄ちゃんの唯一の欠点は常識が過ぎるところです」

「常識が過ぎる…?」




どういう事だと訝しめばブラコン妹は眉をきりりと釣り上げながら




「お兄ちゃんは一向に兄と妹という垣根を越えてくれません。そのせいでお風呂も最近では一緒にはいりませんし、お布団も別々というまるで家庭内別居したような悲しい現状です」

「いや、それはまともな事だろ。他のどの家庭だってきっと同じ状況だぞ」

「他の家庭のことなんか知りません!そもそも家庭内には家族ごとの独自ルールがあって良いはずです!STOP兄妹仲寒冷化です!」

「お前は何を言ってるんだ…」



レジ前まで来て急に活動家になるのは止めて頂きたい。おばさま方にめっちゃ見られてるし…



「お兄ちゃんも早く目覚めてください!常識という曇ったメガネを捨てて、背徳と快感に満ち満ちた愛の世界へ逝ってください!」

「え。俺、死んじゃうの?」

「もう!どうしてお兄ちゃんは常識的な事しか言えないんですか!ハングリーな若者らしく『俺が…俺達が! 兄妹だ!』くらいブッ飛んだこと言って下さい!」

「割とマトモなセリフだよねソレ」




ブラコン妹の思考など理解できるはずもなかった。考えが甘かった。


きっと明日香のやつも入学の興奮がまだ冷めやらず、単にはしゃいでいるだけなのかもしれない。今のもちょっとした冗談であり、実在の生活とは一切関係のないことを口走っているだけなのだろう。




「あ、お兄ちゃん。今思い浮かんじゃいました!『エッチなことに興味津々のちょっとエッチな妹』はどうでしょう?」

「理想の話は終了しましたぁああああ!」




いつもよりテンションの高い妹に悠人はいつも以上に疲れた日だった。



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