第11話 ブラコンと嵐の前の静けさ①
3
――朝起きると、いつもの長瀬家と雰囲気が違っていた。
「…あ、おはようございます。お兄ちゃん」
キッチンで鍋を振るいながら妹が笑っている。
「おはよう、明日香」
「今日は早起きですね、お兄ちゃん。よく眠れました?」
「ああ…、昨日は早く寝ちゃったみたいだしな。朝までぐっすりだったよ」
「ふふ、それは良かったです」
緩く結ったポニーテールを揺らし、にこやかに微笑む明日香。
朝の光が滑り落ちる微笑みは清楚で、凛とした『高嶺の花オーラ』を纏っている。穏やかな口調も仕草もいつもの度の過ぎたブラコンっぷりとはかけ離れていた。
「お兄ちゃんはお寝坊さんですから、今日くらい早起きだと私も助かっちゃいます」
しとやかに微笑む妹。甘ったるい声が悠人の耳を擽る。
「昔は早く起きてたぞ、その、最近は油断してだな…」
「ふふっ、そうでしたね。失礼しました――うふふ」
「笑うなってのに、明日香だって寝坊してたんだぞ?昔は」
「ふふ、そうでしたね。ごめんなさいお兄ちゃん」
自宅ではなかなか見られない『優等生モード』の明日香だが、しかし制服の上にエプロン姿は妹というよりは新婚さんだ。こちらを見つめる瞳も優しい慈愛の光に満ちていて、まるでダメな夫を優しくたしなめるよう。
「あれ? 秋穂さんは?」
「仕事先から急な連絡があったようで、先に出ちゃいました。お兄ちゃんに宜しくだそうです」
「そうか…」
「一旦は向こうに戻るそうですけど、またすぐに帰ってくるみたいですよ」
「ふーん…、了解」
「あ、お兄ちゃんは先に顔を洗ってきて下さい。もうすぐご飯できますから」
「あいよ」
優しく言いつける妹に悠人は曖昧に頬を掻く。海外で研究をしている秋穂は常日頃から多忙であり、次にいつ会えるかは分からない。秋穂が長瀬家に滞在するときはいつもこんな別れになってしまう。
(…秋穂さんに昨日のことを確かめたかったんだけどな…)
もやもやした気持ちを抱えながら、顔を洗って歯を磨いて――悠人が朝一連の動作を終える頃には、朝食の準備は完全に整っていた。
「はい、どうぞお兄ちゃん。今日は炊き込みご飯ですよ」
「サンキュ。それじゃあ、いただきまーす」
「おかわりもありますからね」
穏やかに微笑む妹と二人の食卓。これまで毎日繰り返してきた光景だが、明日香の妙に穏やかな良い女っぷりがちょっと落ち着かない。
(このブラコン妹…なんか企んでんのか? だとしたら一体何を――――ん?)
「ん? この魚うまいな。買ってきたのか?」
「あ、それはシロギスですよ。」
「へー…、あんまり見ないよな?美味い」
「ふふ、お兄ちゃんが昨日『魚を食べたい』と言っていたので、朝に釣ってきたんです」
「妹の愛情がさり気に重い…っ!」
ニコニコ笑う妹の愛の重さもある意味いつも通りだが、秋穂不在で昨夜の件を確認できない悠人はどうも不安が募ってしまう。
「なぁ、明日香。何か変わったところはない…よな?」
「…変わったこと、ですか?」
「ああ、身体に異常とか…まぁ、無かったら良いんだけど」
「そうですね…実は、昨日の夜に不思議な事が……」
「昨日の夜?」
「はい、そうです」
ドキリ、悠人の鼓動が跳ねる。朧気ながら記憶している自身の鬼畜な所業が脳裏をよぎった。風呂場で倒れてただけと聞いたが、どうも腑に落ちないところがあるのだ。
一人緊張する兄に対し、妹は深刻そうに視線を落としてぽつりぽつり語り始めた。
「昨日の夜、ベッドで寝ていたときに…その、身体の奥が熱くなって…
「身体の中で暴れる…?」
「はい。自分でも良く分からないんですけど、暴れるというか産まれると言いますか――とにかく、身体が熱くて」
「そうか……、大丈夫なのか?」
「はい、今はもう大丈夫です」
思っていた内容とは違う展開に悠人は首をかしげる。病気だろうかと心配するが、妹は身体が丈夫な方で持病なども特にない。(※ただし
「念のために病院に行ったほうが――」
「お兄ちゃん、これを見てください」
食い気味に遮って、明日香は鞄からノートを取り出す。
「ん? これは?」
「気づいたら私は一冊の本を書き上げていたんです。それが、コレです!」
ずいっと悠人の眼前へ突き出されるノート。明日香はちょっと興奮しているのか頬が赤い。
「本って…明日香が小説かなんか書いたってこと?」
「ええ、私も無我夢中で…突然素晴らしいアイディアが浮かんでしまって」
「ああ、熱とか産まれるってそういう――」
「はい、はじめての体験でした」
うっとりしながら書き上げた作品を抱きしめる明日香。瞳は涙で潤み、赤い頬のまま、虚空を見つめて恍惚としている。なんだかエロい表情だが、余程満足いくものが書けたらしい。
「私のはじめての本を、ぜひぜひお兄ちゃんに読んでもらいたいです!私の
「………。明日香の書いた本かぁ、優等生のお前が書いたんなら難しそうだな…」 「そんなことないです。私のはじめてを貰ってほしいです!」
「………。飯食ったあとで読むよ。明日香の初めて書いた本を」
「私のはじめてを――あげます!」
「言い方に悪意あるよね? はじめては分かったっちゅうん」
「ではでは、お兄ちゃんには一刻も早く感想を聞きたいので、私が朗読させていただきますね!」
「え、今か?」
「ダメ、でしょうか…?お兄ちゃん…」
「いや、まぁ…別にいいけどさ」
成績自慢など一切しない妹が、心なしか自信ありげだ。華やいだ顔は心から楽しそうで、ちょっと早口になっているところも可愛いと思う。朗読を聞いてやるくらいいいだろう。
「それでは読んでいきますね。タイトルは『妹しか存在しない異世界に飛ばされたので妹でハーレムを作りました』」
「タイトルでもうオチが見える!!」
*****
***
*
「はああんっ! にっ、お兄ちゃんっ!本当にダメですっ! ふあっ!んふっ!も、もう我慢できなっ……あああああっっっ!!!」
「明日香…っ!」
「はぁっ、はぁっ、はぁ……お兄ちゃんは今日も激しかったです……お兄ちゃん?」
「……………………」
「し、死んでる…」
――ある夜、妹と子作りに励んでいた長瀬悠人はあまりの行為の激しさに腹上死してしまった。
しかし、それは
妹を心から愛する長瀬悠人は神の手違いで『妹』しかいない異世界、
「…明日香!」
「? 何者だ貴様は……私の名はアスナだ!」
とある街で悠人は目を覚ました。眼前に白い
「不審な男がいると通報があったが、貴様で間違いないようだな。………なぜ全裸なんだ」
最愛の妹である明日香によく似た騎士が頬を赤らめている。白い騎士服に白い
「し、しかし…股間になんて凶悪なモノを装備しているんだ…」
「明日香…」
「私はアスナだと言っただろう!ひとまず城へ連行する前にOパワーを測定…な、なんだと!"お兄ちゃん力"56万だと!?そんなバカな!?」
「しかもあと3回も変身を残しているだと!?」
「…ッ!保持スキルが桁違いだ!1京2858兆0519億6763万3865個だなんて!」
「コイツ、一体何者なんだ!ちょっと腕をか――んああああああああっ!!イクーッ!」
悠人の手に触れた瞬間、女騎士の肢体を甘い電気が駆け抜ける。
魔王妹を倒せる唯一の存在、この男は長年探していた『伝説のお兄ちゃん』なのかもしれない――甘く痺れる快楽の渦の中、女騎士は確信めいた予感を抱いていた。
「はぁ、はぁっ…はぁっ…、な、なんなんだコイツは…とにかく、城へ…んゆーっ!クッ…なんてことだ!触れるだけでアヘ顔になってしまう!」
快感をなんとか堪えながら、女騎士は悠人の手を取って城へと走る。
『ONI-CHAN THE ONI-CHAN』である長瀬悠人の冒険が、今、始まる――
*
***
******
「――第一話、完。ご清聴ありがとうございました。」
そう言って明日香はやり遂げたような表情で頭を下げた。悠人の厳しい視線も全く意に介していない。
「いかがでしたでしょうか?身内ではありますが、贔屓のない評価をお願い致します」
「バカなの?」
悠人は一瞬で斬って捨てた。それ以外に感想が見つからなかった。
「ウチの妹は頭に何か湧いちゃったの? ツッコミどころが多すぎて1つに絞れないんですけど?」
「フフフ、あまりの感動大作っぷりにコメントが見つからないなんて…褒め過ぎですお兄ちゃん」
「そんなコト言ってねぇよ!こんなの有害図書に認定されるわ!」
「興奮してオカズに有効認定だなんて、お兄ちゃんったら朝からハレンチです♡きゃっ♡」
「お前の耳はどうなってんの!?切り取った捏造報道でもそうはならないだろ!」
照れる妹に兄のツッコミは刺さらない。明日香は可憐な照れ笑いを浮かべたままイヤンイヤンと身を揺すっている。一人で幸せな世界へトリップしていた。
「まったく…、夜遅くにこんなくだらない物を……」
「く、くだらない…? 今、『くだらない』と言いましたかお兄ちゃん」
「ああ、言ったぞ」
明日香が愕然と見つめるが、対する悠人は憮然とした顔で頷く。期待していた優等生妹の作品が狂った方向に大覚醒だったのだ。当然、兄としての落胆は計り知れない。
「それにだな、俺は女の子の
「異議ありです!えっちな小説はくだらなくなんてありません!この作品は活字離れの進む少年少女に言葉を覚えてもらう良い機会になります!文学は芸術です!」
「却下。」
「お兄ちゃん!?」
「こんなものが芸術であるものか!こんなイカれた本を読むようになったら、心が壊れて人間ではなくなってしまうぞ!」
「いいえ、お兄ちゃん。オーストリアの哲学者、ウィトゲンシュタインは言いました。『私の言語の限界が私の世界の限界を意味する』――と。つまり、多くの言葉を知ることが私達の世界と可能性を広げるんです!」
「ぐっ…!あんな小説を書くヤツとは思えない程まともなセリフを…っ!」
立ち上がってまで力説する明日香に悠人はげんなりした顔だ。ブラコン妹はムダに優秀なので口ではとても敵わない。
「それに私はこういう知識はちゃんと年齢制限のない書籍から得ています。なので、どこにも問題はないはずです」
「はぁ、そうですか…」
「決して青年雑誌、ましてや発禁製のものからは得ていません!業界に迷惑がかかりますから!」
「なぜ業界の心配を…」
「ですから、未熟者の私としましてはお兄ちゃんがその手の知識を獲得して、それを私に還元してくれると嬉しいです!少しずつハードルを飛び越えたいです!」
「偏差値のハードルはやすやすと飛び越えるのに、なぜここで躓くのか…!」
「私はお兄ちゃんが大好きです!ブラコンは合法です!」
「結局はそこに落ち着くのかよ! …マジで心配したってのに、お前ってやつは…」
悠人は呆れながら深々と溜息をつく。
スイッチの入った妹は先程まで纏っていた『高嶺の花オーラ』を脱ぎ捨て、手遅れ一歩手前のブラコンパワー全開で楽しそうだ。こっちの姿の方が落ち着くのはなぜなんだろう。
「ふふ…、いよいよ真のお兄ちゃんが目覚めるわけですね」
「…あん?」
朝から疲れ果てる悠人に、ブラコン妹は目を細めて妖しげに笑っている。
「ウフフ、お兄ちゃんってば怒っちゃうんですかぁ?怒っちゃうんですよね?」
「…怒ってるというか、呆れてるんだけど?」
「フフフ、またまたぁ…いいんですよ? 怒っていただいて」
ニヤニヤと挑発的に笑うブラコン妹。煽られる悠人も段々とムカムカしてくるがそれだけだ。むしろ妹が平常運転で安心するくらいである。
しかし、妹はあざ笑うように目を細めて
「んふふー、お兄ちゃんったらハレンチな小説を書いた妹をお仕置きしちゃうんですよね?」
「ハレンチって自覚はあったのかよ…」
「お仕置きはいつでも大丈夫ですよ!受け入れ準備OKです!」
「勝手に準備OKされてもな…」
「テレビ台の下にはちょっとエッチなグッズが色々入ってますから!うふふ!」
「おいこら、いつの間にそんなもの買ったんだ」
「こんな事もあろうかと、昨年の年末に購入しました!アレで色々されるかと思うと…今からワクワクが止まりません!期待を込めて星3つです!」
「どこのカスタマーレビューだよ。期待を込めるな、商品そのものを評価しろっての」
「あれぇ~、お兄ちゃんってば日和っちゃったんですかぁ?案外情けないですね」
「…カチンときたぞ。そんなにお望みなら久しぶりに―――――躾けてやる。」
妹のあからさまな挑発に兄は反撃の覚悟を決める。なぜか顔を赤らめる妹をその場に放置して自室へと戻る。
そして、押入れの奥に封印していた『対ブラコン汎用決戦兵器』を装備し――朝の食卓へと舞い戻った。
「ふふふ、お兄ちゃんは私にどんなエッチなお仕置きを――って貴方は!?」
「…ブラコンは貴様か」
安っぽい鉄兜の男がドアの隙間から明日香を見据えている。平和な朝には似合わない禍々しい雰囲気の男は、そのままリビングを横切り――ブラコン妹を正面から見下ろした。
「貴方は私を物理的に苦しめてきた…――ブラコンスレイヤーさん!」
「…ブラコンは貴様か」
「これは思ってた展開と違います!お兄ちゃんは怒ったら――あいたぁっ!」
ブラコンスレイヤーの問答無用の一撃。IQ190とも言われる妹は
「っ! 痛いじゃないですか!これは明らかなDVです!ヒドイです!」
「…貴様はブラコンか?」
無機質に問いかける兜の男。不満を全く受け入れない男を明日香はキッと睨みながら
「昔はこの手のお仕置きにギャン泣きさせられた私ですが、もう立派なオトナです!そう簡単には屈しな――あいいたたたたたっ!?指が曲がってはいけない方向にぃっ!?」
「…ブラコンは駆除だ」
ブラコンスレイヤーの無慈悲な攻撃。明日香は指を身体の中心線から外に捻られ、カエルのように机に張り付けられる。関節は鍛えようがないのだ。
「あだだだっ!?痛いですよお兄ちゃん!!どうしてお兄ちゃんは人体の的確な急所をっ!?」
「…ブラコンか?」
「紛うことなきブラコンです!お兄ちゃんを愛して――いたたたたっ!!?ギブですギブッ!」
「…ブラコンなのか?」
「ブラコンは私に与えられた天命!肯定の言葉を発することに些かの躊躇も持ちません!!」
「…ブラコンは駆除だ」
「あいたたたたっ!じわじわ苦しいですっ!でも…、けど…っ、悔しいけどキモチ――ふええええっ!ごめんなさい!あたたたっ!?ごめんなさいいいぃっ!」
兜男に関節技をキメられ涙目になりつつも、長瀬明日香の顔はどこか嬉しそうだったという――
結局、悠人の妹はいつも通りのブラコン妹だった。
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