第21話 狂犬は雨に吠える

<陸上自衛隊・小倉駐屯地>


「以上が偵察の結果です」


 陸上自衛隊・小倉駐屯地。現場より最も近いこの駐屯地には、PX対策本部の前線基地が設置されている。

 偵察任務を終えた藤宮と新庄は、駐屯地司令に第一報を現場映像を添えて口頭連絡していた。


 米空軍の戦略爆撃機による北九州空爆後一か月。昼夜問わず幾度とない偵察が行われており、当該地域に高度な危険性を有する生命体は存在していない筈だった。


「炎はまだ分からんでもない、しかしこの氷柱は一体なんだ。ますますゲームじみて来たな」


 今は夏の盛りだ、そんな時期にこんな立派な氷柱を見る羽目になるとは。司令官の八坂やさかはため息まじりにそう呟いた。


「だが、事実であります」

「分かっている藤宮三佐。しかし、あのサーモバリックの炎の中を生き抜いて来た生命体が居るとはな」

「あれから一月です。あるいは爆撃後に誕生した生物なのかもしれません」


 土壌の除染作業はまだ始まったばかりで、あちこちにPXの根は張り巡らされている。それどころか、PXが芽吹き始めた所すら確認されていた。


「藤宮さん。それでは、新たに侵入して来た生物が、たった数日で化け物に変わったと言う事になりませんか」

「唯の所感だ、新庄。とは言え、幾ら自分たちが警備を続けていても、あり一匹通さない警備網などは不可能だ。その可能性も捨てきれないと言うだけだ」

「それでは、完全なる除染作業が終わるまでは、この様な事を想定しつつ動かなくてはいけないと言う事ですか」


 新庄はプリントされた航空画像を横目で見ながら頬を引きつらせる。


「その事について考えるのは、私達の仕事だ」


 今にも討論を始めそうな2人を前に、八坂は重たい声でそう言った。


「ともあれ藤宮三佐、新庄一佐、2人とも任務ご苦労だった。このデータについては私の方からPX研と米軍に回しておく」


 B-1B戦略爆撃機を借りた手前、米軍には色々と融通せざるを得ないと言うのが現状だ。


「奴らはわが国を実験場にしか思っていまい」


 2人の出て行った指令室で、八坂は独りそう呟いた。

 下の連中は兎も角、上の考えはそうだろう。その程度のドライさが無くては、上官は務まらない。


 世界を変える可能性を持つ植物は、文字通り世界を一変させる植物なのかもしれない。おそらくは国内外に大量に流出してしまったであろうPXの行く末について、八坂は最悪の未来を想像した。

 それはまるでゲームの中の世界。街の外に一歩でも出ればモンスターとの遭遇に怯えなければならない世界。剣と魔法の支配するファンタジーな世界だ。その中では命の価値はとことん軽くなる。そんな暗黒の世界だった。


郷田ゴード


「畜生!」


 俺は、ルーナの奴に転移魔法でどこか遠くへ吹っ飛ばされちまった。ここは何処だ、人気のなさから言って、封鎖区域の中なのは間違いないだろうが……。

 兎も角俺は邪魔をされた、シージやつとの戦いに決着を付けようとする間近でだ。

 空からは雨が降ってきた、さっきまでは晴れていたのに、これこそまさしく水入りだ。


 ここは何処だと、GPSを稼働させようとするその時だ。目の前の風景が歪み、そこからルーナが現れた。


「ルーナ、てめぇ」

「ふふふ、お久しぶりねゴード」


 記憶にある奴の姿よりは10は年齢が上がっているが、まぁそれはお互い様だ。

 そう、お互い、国の操り人形であった頃とは時間も世界も違うと言う事だ。


「てめぇ、なんで邪魔しやがった! もう少しで決着を付けれたんだぞ!」

「はぁ、全く貴方たちは何時まで経っても男の子よね。世界が変わっちゃったんだから、過去の因縁なんて忘れちゃえばいいのに」


 ルーナはそう言って肩をすくめる。そのなんてことない仕草さえも、俺をイラつかせるのには十分だ。


「上等だ、てめぇから先に――」


 ムカつく、何もかもがムカついて仕方がない。魔力は残り少ないが、この間合いなら関係ない。一瞬で間合いを詰めて、その細い首を叩き折ってしまえばそれで終わりだ。

 そうして一歩踏み出そうとした瞬間、背筋に寒気が走る。ルーナは俺のそんな様を見て、にこりと唇をゆがめた。


「貴方みたいな狂犬とサシで話をするわけがないでしょ」


 狙われている、何処からか狙われている殺気を感じる。


「てめぇ……」

「ふふふ、話をしましょうゴード、私は貴方の敵ではないわ」


<古賀>


「はわ、はわわわわ」


 いったい何でこんな事になっちゃったんだろう。高塔山から降りた後、私は麓の駐車場に止めていた自家用車乗って後は家に帰るだけだったはずだ。


「なんだ、嬢ちゃん。とっとと行けよ信号青だぞ」

「ひゃわ! はっはい!」


 助手席に座るのは、小さな私の車には、とても似合わない背の高い金髪坊主の人。

その人相の悪さは、一目見たら忘れない、高塔山でマスコミの人を睨みつけていた人だ。


「おいおい、嬢ちゃん。ちゃんと免許持ってんのか? フラフラしてんぞ?」

「はっはい! これでも頑張ってます!」


 ああ、ああ、私の馬鹿! 車が動かなくて困っている人に声を掛けたのが間違いだった。まさかこんなおっかない人が出て来るなんてことが分かっていたらスルーしてたのに!


「ちっ、しかし混んでやがんな、若松なんてクソ田舎にこんなに押しかけてくんじゃねーよ」


 同意を求められても困ります。私の家はそのクソ田舎にあるんですよー。


「おい、嬢ちゃん、抜け道だ、199通らずに、抜け道行け」

「はっ、はいー」


 某吸血鬼を乗せた上院議員もこんな感じだったのだろう。私は彼、早坂さんの指示通り、国道199号線から外れて、脇道へと進路を変える。


 雨が降ってきて視界の悪い中、曲がりくねった坂道を早坂さんの事を気にしつつも、のろのろ運転で進んでいた時だ。突然目の前に光が差した。

 わっ、眩しい対向車のヘッドライトかと思ったその時だ。

 ドンと、嫌な衝撃が車に響いて来た。


「はわ、はわわわわわわわ」

「おーおー、なんだ嬢ちゃん。やっちまったか、まぁ気にスンナ」


 早坂さんは助手席であくびをしながらそう言うが、そんな呑気に構えてる場合ではない」


「ど、どどどどどどどうしましょう早坂さん!」

「あー?気にしてないでとっとと行けよ。バンパーがちょっとへこんだ位どーって事ねぇだろ?」


 あーもう、これも全部早坂さんの所為だ! 唯でさえ私は運転が苦手なのに!

 私は震える手で運転席のドアを開け、転がるようにしながらそこから降りた。


「だっ、大丈夫ですか!?」


 小鹿の様に震える足を、車を支えに何とか立つ。ヘッドライトに照らされたその先、車の前には、ぼろっぼろのボロ雑巾の様になった人が横たわっていた。


「ひわわわわわわわ」


 嘘!? 嘘! 嘘? 嘘!?

 のろのろ運転だったから時速は10km程度だったはずだ。どうしてこんな大型トラックに何度かひかれちゃったみたいな状況になってるの!?


「おい、嬢ちゃん。早く行こうぜ」


 呆然自失と立ち尽くす私を前に、助手席から早坂さんが出て来てそう言った。そんな訳分からない事を言ってないで、この訳の分からない状況を何とかしてほしい。


「ん? んだこれは? おい、兄ちゃん邪魔だ、とっとと起きろ」

「はわ!はわわわわん」


 あろうことか、早坂さんは、そのボロ雑巾の人を足蹴にする。


「ん?」

「え?」


 転がされたその人の顔に、私は見覚えがあった。傷だらけのボロ雑巾になってはいるが、この人は、あの時高塔山で私達を見つめていた人。とても悲しそうな眼をしたあの人だった。

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