第29話 飽和
<速水>
車外から悲鳴が聞こえて来る。パニくって外に出た奴らの悲鳴だ。酷えもんだ。夏場に放置した生肉みたいに、ハエだか何だか分からねぇもんにたかられて、生きたまま肉を食われてやがる。
青い光に照らされて地面には赤黒いしみが広がって来た。
そこで俺は気づいた。
「俺は……なんなんだ」
さっきから虫けらにたかられちゃいるが、チクチクとアリにたかられている程度の傷みしかねぇ。
馬鹿力と同時に、とびっきり頑丈な体も手に入れたのか?
同じだ、あの時の蓮屋の奴と同じだ。奴も俺を一撃で弾き飛ばす馬鹿力とボンベでぶん殴られてもビクともしない頑丈な体を手に入れていた。
ブンブンブンブン虫がたかる。
「あーうっとおしい! こっちゃ考え中なんだよ!」
考え事は、今は置いとけ。今重要なのは俺たちの無事だ。
俺は気絶しちまった嬢ちゃんを脇にかかえる。俺は兎も角嬢ちゃんは俺ほどの頑丈さは無いようだ、虫にたかられたあちこちから血がにじんでいやがる。
「くそだら!」
ドゴンと言う爆音共に、車のドアが真横に吹っ飛んでいった。間違いねぇ、とんでもない馬鹿力だ。
「問題は何時まで正気でいられるか……だな」
あの時の蓮屋は、人間的な反応は一切示さずに、むしゃむしゃ上手そうにプランターの草を土ごと食っていやがった。人間堕ちるとしてああはなりたくないものだが、今できるのは祈る事と……。
「ダッシュで逃げる事だ!」
グンッと、力強く地面を蹴りだす。馬鹿力は伊達じゃねぇ、走る速度だってけた違いだ。
群がる虫どもを置き去りにして、俺はドンドン速度を上げていく。逃げる方向は東、ピカピカ輝く折尾体育館とは逆方向だ。
「くっそ、俺は中国語なんて麻雀用語しか知らねぇぞ!」
その方向にあるのは中国軍の駐屯地。あんまり良い予感はしねぇが、無人の町中を、化けもん共におびえながら、逃げ回るよりゃましだろう。
<人民解放軍>
「黄大佐! 大変です!」
「どうした、何が起こった」
部下からの焦りを帯びた報告に、厄介ごとの気配を感じながら受話器を握る手を強める。
「化け物です! 化け物が発生しました!」
それは、ここに赴任してから初めての報告だった。米軍による爆撃によって全てのPXと化け物は焼き尽くされたはず。
土壌洗浄はまだまだ途中段階だが、散発的に生えて来るPXも見つけ次第対処している筈だ。
「何処に現れた」
私は幾つものシミュレーションを脳内で行いつつも、部下の報告を促す。
「例の変異種を栽培している体育館周辺です!」
あの体育館の内部には、厳重に密閉を重ねた栽培室を増設してある。それでも外部に影響すると言うのか!
「落ち着け、化け物が出た場合のシミュレーションは行っている筈だ。落ち着いて対処しろ」
「それが! 敵は無数の羽虫です! 銃器では対処できません!」
「ならば燃やせ! 何のために火炎放射器を配備していると言うのだ!」
「やっています! ですが敵は速く硬い! まるで自由に飛び回る銃弾です!」
受話器の向こうから部下の悲鳴が聞こえて来る、そして轟く爆発音。
「おい! どうした! おい!」
爆発音を最後に、通話は終了した。ここからでは見えないが、おそらくは火炎放射器が爆発したのかもしれない。
「くっ!」
受話器を叩きつけて、指令室へと向かう。戦闘準備が必要だ。
「異界がいよいよ牙をむいたか」
否、今までがぬるま湯過ぎたのだ。敵は異界の生態系。これはどちらの生態系が勝利するかの生存競争だったのだ。
<合衆国陸軍>
駐屯地では至る所に設置されているアラームたちが鳴り響いていた。
「くそ! なんだってこんな事に!」
ゴホゴホと咳き込む同僚がいた、そいつが急に倒れた後、のろのろと起き上ってきたら別人だった。
「何なんだこりゃ! ゾンビ映画かよ!」
起き上ってきたやつらはあーとかうーとか言いながら手当たり次第動く奴に襲い掛かって来た。
しかもその力は尋常なものでは無い。スチール製のドアだって容易くへこましちまうほどの剛力だ。
タンタンとあちこちで銃声が鳴り響く。現場は正にパニック状態だった。
「大変です!」
「大変なのはこっちだ! 何があった!」
「モンスターです! モンスターの襲撃です!」
「なんだと!?」
そう答えた瞬間だ、派手な音がして窓が叩き割れた。
「馬鹿なここは10階だ――」
腕に重い衝撃が走り吹き飛ばされる。
「う……あ……」
腕が……腕が無い……なんだ、何を……。
消えゆく意識の片隅で、耳に残ったのはブンブンと五月蠅い虫の音だった。
<
「マナが……溢れている」
マナは目には見えない不可視のエネルギー、だが皮膚感覚でそれを察知することは出来る。
幾ら屈強な勇者の肉体を持っていたとしても、大きな流れにはあらがえない。
あれから幾度となく、ゴードに接触しようとしたが、彼は決して表に出ず、封鎖された北九州の最奥で行動していた。
僕に出来るのはモンスターの湧き潰し。木々が燃やされ炭山となった皿倉山や、瓦礫の廃墟となった都市の片隅に湧いて出たモンスターを、誰にもばれずに退治していた。
しかし、マナは飽和した。
今や街中にマナが溢れ、小さな虫たちまでがモンスターと化した。
「何かが……何かが間違っていたのか?」
僕たちの世界ではマナとは何処にでもある空気の様な存在だ、こちらの世界で空気が何処から来るなど考える人は少ないだろう。それは僕たちも同じこと、当たり前の様に存在する物に、注意を向ける人は居なかった。
薬草は念入りに始末していた。僕も、この世界の住人達も。なら、なぜこんな事になった?
全ては薬草が原因ではなかったのか?
<藤田>
「大原さん! 大変です!」
「くそ! 何でも僕は何時も後手後手何だ!」
大原さんはそう言って頭を掻きむしる。
「このアラーム音が聞こえないんですか! 早く逃げましょう!」
だが、大原さんは顕微鏡から目を離さない。
「大原さん!」
「藤田さん……我々は結晶を甘く見ていた」
「……大原さん?」
「見てくださいこれを」
彼は泣きそうな顔で、顕微鏡とつながったディスプレイの電源を付ける。
「こっ……これは」
それは、電子顕微鏡の映像だった。
そこには、青く染まったウイルスが映っていた。
「まさか、この結晶は、ウイルスにも影響を与えると言うんですか!?」
「そのまさかですよ、汚染されているのは土壌だけではない、私達が今吸っている空気を始め、何もかもが汚染されている
ほらそこも、そこもだ」
青い目をした大原さんは、そう言って研究室のあちらこちらを指さした。
そして笑う、笑う、笑う。
「そうか! そうだったんだ! 違う、違うんですよ藤田さん!」
「なっ……何がですか?」
「我々は、PXこそが全ての元凶だと思っていた! そうどんな傷でも瞬時に治してしまう、あの魔法の植物だ!
でも違うんです! 違ったんです!
PXは青い結晶によって変異した植物なんです! 変異種こそが大本なのです!」
「なっ、なぜそのような事が……」
分かるのだろう、遺伝子を調べて系統樹を作成すれば、その手掛かりはつかめる。だが、この植物に通常の遺伝子検査は不可能だ。
「分かるんですよ」
大原さんは青い目を見開いてそう言った。
「私には見えるんです、この結晶、この結晶は生きている! 生きているんだ!」
「生きている!?」
「ええ、そうです!こ れは結晶でありウイルスでもある。いや、そんな概念を超えた新たな生物だ!」
結晶とは、原子や分子が規則正しく配列した物質だ。
ウイルスは蛋白質で構成された最小の生物だ。
そして生物の定義は増える事、命を次代に受け継ぐことだ。
「生きている……結晶?」
「そうです! 結晶は大きくなることは在れど、分裂することは無い。雪の結晶が二つに増えますか!? ダイヤモンドが子孫を残しますか!? だがこれは違う、違うんです!
この結晶は、増殖する、無機物有機物関係なく、全てを自分の糧として増殖するのです!」
「そんな……馬鹿な」
「私には見えるんです!」
そう言って大原さんは変異体の苗を掴む。
「これは、この変異体は、結晶にとっての宿主に過ぎない。最も過ごし易い部屋にしか過ぎない。
ですが、多少は過ごしにくかろうが、この結晶は全ての物質の中で過ごすことが出来る!
全ての物質を糧にして生きていくことが出来る!」
「全ての……物質」
「ええそうです! 私の目には見えるんです! 変異体に住む結晶は休眠状態、それが外部に出る事で活性化している様が!
見てくださいくすんだ青の結晶が――」
そう言って大原さんは変異体を引き千切る
「蒼天の如き輝きを持って宙に舞う事を!」
彼はそう言って狂った様に笑い出す。だが私にはそんなものは見えやしない。一体彼の青い瞳には何が映っていると言うのか。
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