第2章 薬草を作ろう ~進行あるいは深更~

第4話 三社三様

若林わかばやし


 工業団地の一角にある小さな会社、古ぼけた看板にはとどろき製薬会社と書いてある。製薬会社とは名乗っているが、近年では主に効果のあやふやな健康食品を取り扱っている、よくある地方の弱小企業だ。


「課長課長、若林課長! なんか凄いの見つけちゃいましたー!」


 出社早々、狭い事務所に甲高い声を響かせてドタバタと駆け寄ってきたのは入社3年目の古賀こがさんだ。私が3年目の時はどうだったろうか、もうぼんやりして思い出せないが、いやまぁ元々彼女とはもって生まれたキャラが違う、比較しても詮無きことだ。


「おはよう古賀さん。今日も元気で何よりだ」

「おはようございます課長! とにかくこれを見てください!」


 そう言って彼女が私の机に置いたのは、緑の液体の入った小瓶だった。


「これは?」


 沈殿した緑の繊維状の物体。パッと見にはこれでもかと雑に淹れた緑茶か、夏の日差しに放置された水槽の水か何かにしか見えない。

 粘性はそれほどでもなく、振って見るとちゃぷちゃぷと水面が揺れた。


「それがですねー、すごいんですよ!」


 彼女はカバンからスマートフォンを取り出し操作し始めた。そして彼女が見せてくれたのは幾つかの犬の写真だった。その犬はかなりの老犬の大型犬だった。

 寝たきり生活が要因であろうか、腰部に広範囲の褥瘡が出来ている。痛ましいがこればっかりは大型犬の宿命と言えるかもしれない。

 だが次の写真ではその傷はふさがっていた、しかも瘢痕形成もほとんど見られない。何だろう、別個体の同部位? それとも、褥瘡が出来る前と後の比較写真?

 ……それともまさか、この液体を使って、その褥瘡を治したとでもいうのだろうか。


 今のところ傷薬にこれと言った決め手はない。今ある傷薬は二次感染を防止するための消毒薬か、自然治癒力をほんの僅かでも向上させる手助けをするための物だ。

 傷、特に広範囲の皮膚の欠損を伴う二次治癒には長期的なケアが必要だ。さらに人と違い清潔に保つことが難しく、コストも抑えざるを得ない動物相手では尚更悩ましいことだろう。

 そんなことを考えていたら彼女はこんな寝言を言い放った。


「この傷にこれを塗ったら5分もたたないうちに治っちゃったんですよ!」


 何を馬鹿なと一蹴したい所だが、生憎と彼女の目は本気の目だ。


「古賀さん……それ本気で言ってる?」


 私が訝しげに尋ねると、彼女は目を輝かせながら何度も頷いた。そんな馬鹿なと笑い飛ばそうとしたのを、彼女の後ろから覗き込んできた本城ほんじょうさんがこうつぶやいた。


「あらあら、課長に恵子けいこちゃん。なんだか面白そうなこと言ってますね」

「ああ、本城さん、どうもこうもないよ。古賀さんが何でもすぐに直しちゃう魔法の薬を見つけたんだって」

「へぇ、それは興味深い」


 本城さんは暫く考え込むとこう提案して来た。


「課長。恵子ちゃんが折角手にしたチャンスです。ここはダメもとで調べてみるのはどうですか?」


 彼女、本城彩ほんじょう あやは我が社きってのやり手社員。彼女のお眼鏡にかなったのなら、もしやこいつは本物かもしれない。

 私は駄目元ながら、この胡散臭い品物を研究所に廻してみる事にした。


<老婆>


「はいおばあちゃん、仕上がったよ」

「ああどうもねぇ」


 若いころなら率先して出来た庭仕事も、年を取って腰が曲がってくるとそう自由には出来はしない。


 私はピカピカに仕上がった自分の庭を見てついつい眉根を下げた。


「ありがとうね真治しんじちゃん。はいこれ今日の」


 封筒に入った報酬を手渡す。何でも屋の真治ちゃんは、それを恭しく両手で受け取ると、『失礼します』と言ってから中身を確認した。


「はい確かに、ありがとうございます」


 真治ちゃんは、はきはきとした笑顔でそう言った。今時珍しい好青年だ。彼は少し前に近所のお寺に住み込んできた青年だ、最初はみんな訝しい目で見ていたものの、今ではすっかり町の住人として溶け込んでいる。


「あら真治ちゃん、擦り傷できてるじゃないの」

「ああちょっと引っ掛けちゃいましてね、僕もまだまだですよ」


 真治ちゃんはそう言って手の甲を見る。ウチの庭にはバラや柚子と言った棘のある庭木が植えてある。おそらくそれに引っ掛けたのだろう。


「まぁこの程度どうってことないですよ」


 真治ちゃんはそう言って笑った。植木仕事なら擦り傷切り傷などは日常茶飯事だろう。だが見つけてしまったものを、そのままにしておくのは気が引ける。

 なにか手当を、と思った時に、例の薬を思い出した。貰い物だが何やら凄い効果があるらしい。


「ちょっと待ってね、真治ちゃん」


 私はそう言って、家に戻って緑の液体の入った小瓶を持ってきた。


「なんですかそれ?」

「いいから、ちょっと傷見せて」


 私は真治ちゃんの若くて張りがある手を取った。しわくちゃになった自分の手とは真反対の手だ。


「これを塗るとね」


 サラサラとした液体をガーゼに含んでその傷口に塗り込む。すると見る見るうちにその傷は消えていった。


「ねっ、凄いでしょう。知り合いからの貰い物だけど、よく効くのよこの塗り薬」


 どこかの蚤の市で買ってきたと言うこの薬。歳をとって少しの事でも傷がつくこの体には重宝している。

 持病の腰痛には効果が無いのは残念だが、簡単な打ち身や切り傷程度はこの薬があれば医者いらずだ。


「これは……」


 真治ちゃんは目を凝らして自分の手を見る。

 久しぶりに若い人を驚かせてやった。私は少しの満足感と、真治ちゃんへの感謝の気持ちを込めて、傷跡があった手を一緒に眺めていた。


<早乙女>


 何とか本家まで話を持って行けた。昔やんちゃしてた頃の名残とブツ、いや薬草とやらの胡散臭さで、あの手この手で手柄を横取りしようとする奴らの手を払いつつの全速力だ。


「お久しぶりですね、早乙女さん」

「よしてくれ。今のお前さんは押しも押されぬ若頭補佐だ、俺みたいな下っ端にさん付けなんて貫目がさがる」


 何時もの喧しい居酒屋では無く、上等の個室で俺は久しぶりに奴の顔を拝んだ。奴は上等なスーツをパリッと着込んで、それでいて嫌みなく俺を上座に案内した。


「ふふっ、相変わらずですね、けれど俺の極道としての基礎は早乙女さんから頂いたもんですかなね、こればっかりは幾ら月が経とうと変わらない」

「はっ、言ってろ。お前は俺の下に収まるような器じゃなかった、とっとと引き抜かれて正解だったってことだ」

「ごねる自分の背中を押してくれたのは貴方だったじゃないですか」

「昔のことだ、それよりも今日は新しいシノギについて話に来た。お前さんも暇じゃないだろ?とっとと始めようぜ」

「そうですね、まぁ今晩は時間を空けてます。続きは後で一杯やりながらとしましょう」


 本家の応接室、俺と机を挟んで座る郷田ごうだは笑みを滲ませながらそう言った。こいつを拾ったのは俺だが、俺の下にいたのは1年ちょいだ。まぁその頃の俺は場末の闇金社長じゃなくてもう少し上等な席に座っていた……いやそうじゃないな。本家の周辺でちょろちょろ使いっ走をやってるやんちゃ盛りのころだった。


 繁華街の路地裏でまだガキだったこいつを見つけた時には、ゴミ捨て場に転がっている札束を見つけた気分だった。面も恰好もボロボロだったが、まとっている雰囲気が違っていた。気絶していたこいつを馴染みの闇医者に持ってたが目を覚ますのに2日かかった。目を覚ましても数日は口もきけないほど消耗してて、正直拾い損をしたかもしれないと後悔し始めた。

 だが、使ってみると奴はやっぱり本物だった、口数は少なく愛想はないが、その代わりに頭も切れるが拳も切れる、器用貧乏じゃなく器用万能だった。半年もすれば俺が教えることなんか何にもなくなった。俺が指示する前に段取りを完璧に整えており、突発的なトラブルの時はどうやってか奴が先回りし、猟犬みたいに獲物を俺の手の届く範囲に追い込んでくれる。ここまで来ると嫉妬なんか浮かびやしない、持っているものが違いすぎる。


 見てる人は見てるもんだ、いやどんな盆暗だって奴の光は目につくだろう。そうこうしているうちに、上からの引き抜きの話があった。ところが驚いたことに奴はその話を本気で蹴りやがった、高値で売るための交渉術でなく、仁義や恩義とやらによる拒否だった。捨てられる前の子犬のような目で俺を見つめてきやがった。

 河川敷で草野球してる時に、たまたまメジャーのスカウトが通りがかって即決で数年契約のスタメン起用が約束されたようなもんなんだってのに、こいつはその話を振りやがった。


 説得に3日かかった。騎士は二君に使えずってのは、いったいどの時代のおとぎ話なんだか。学のない俺でも戦国時代は裏切り・不忠・下剋上の全盛期だって事ぐらい知ってる。ともかく頑固な奴だった。最終的には何とか折り合いを付けれたが、幸いその親分も古い人で余計に郷田を気に入ってくれたのは結果オーライってやつだった。

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