第20話 忘れてくれますように

 20


 寿命を譲ってから三回目の八月二日。月曜日。雨。


 一之瀬が部屋に来なくなってから二週間が過ぎた。


 あの日から家に引きこもっている。


 外出したのは一回だけで、それも食料を買い溜めする為に、近所のコンビニに行っただけ。


 食事はカップラーメンや冷凍食品で済まし、ベッドの上でぼーっと天井を見て一日が終わる。


 何もやる気が起きない。


 玄関にはまだ札束が落ちたままだし、ウロボロスの銀時計が使えたとしてもきっと時間を戻さないだろう。時間を戻したところで、一之瀬と会えない時間が増えるだけだ。


 ぽつぽつと雨音が聞こえてくる。


 ここ最近、毎日のように昔のことを思い出している。


 まだ小さかった頃、自分のことを強い人間だと勘違いしていた。


 生まれてすぐに捨てられた僕は、幼少期を児童養護施設で過ごしていた。


 施設では周りと比べて泣かなかったし、わがままも言った記憶がない。指導員である先生を困らせている児童を見る度に、自分の方が大人に近い存在だと自負していたのを憶えている。


 でも、実際は誰よりも夢見がちで、馬鹿な子供だった。


 創作物に影響されやすかった。ヒーローや不思議な力の存在を信じていたわけではないが、努力や我慢は必ず報われる世界で、家族の絆とか親子愛には特別な何かがあると信じていた。


 孤児に配慮していたのか、施設には家族をテーマにした絵本が置いてなく、後者については本来なら無縁だったと思う。


 しかし、親子愛をテーマにしたアニメを偶然見てしまったのが原因で、憧れに近い形で信じ込んでしまった。


 家族の絆は切っても切れないほど強く繋がっているものだと信じきった僕は、いつか親が迎えに来てくれるんじゃないかと期待するようになっていく。


 周りにいた大人も「君は捨てられた子なんだよ」なんて教えてくれるはずもなく、馬鹿みたいに妄想を膨らませた。


 ある日、同い年の児童が泣いていた。


 その児童と先生の会話から親に会いたくなったことが原因で泣いているようだった。泣いていた児童には親がいたようで、おそらく入院中だったり、なんらかの理由で施設に預けられていたのだろう。


 なかなか泣き止まない児童に困り果てた若い女の先生はなだめながら、こう言った。


「良い子にしていたら、お母さんが迎えにきてくれるから我慢しようね」


 そのとき、あろうことか泣いている児童に向けられた言葉を僕が受け取ってしまった。


 ただ待ち続けるだけの生活に悶々としていた僕は、何もしないまま待つより何かしていたかったのかもしれない。


 良い子になることも一種の努力だと思い込んでいた僕は報われるはずだと、その日から先生の荷物持ちを手伝ったり、泣いている子を慰めたりした。


 こうしていればいつか必ず親に会えると、その日を待ち焦がれていた。


 しかし、迎えにきたのは親ではなく、里親だった。


「これからよろしくね」


 優しく微笑みかけてきた里親に当時五歳だった僕は戸惑った。


 この人達と仲良くなったら、本当の親を裏切るような、悲しませるような、そんな気がした。


 それに当時の僕でも子供が出来ないから、養子として僕を迎え入れたことぐらいはなんとなく察していた。


 察せるほど期待に溢れた笑顔で接してくる里親が怖くなり、距離を置いた。


 本当の親が迎えに来たとき、この人達が悲しまないように。


 家に来た当初はしつこいぐらい話しかけられたが、返事をしなかったり、別の部屋に行ったりしているうちに向こうも距離を置くようになっていった。全然懐かない僕に困り果てていたのだろう。


 小学校に入学すると、すぐに友達ができて学校生活は至って普通だった。


 むしろ小学校でも先生の手伝いをしたり、休んだクラスメイトの家にプリントを届けに行ったり、善行を積み続けていたからクラスでも人気のある方だったのかもしれない。短冊の一件を除けば二年生まで問題なく過ごせていたと思う。


 問題が起きたのは、三年生に上がってすぐのことだった。


 友達の間でピンポンダッシュが流行り始めた。


 僕を含めた五人の中から押す係を一人決めて、知らない家のインターホンを鳴らして逃げる悪戯を毎日のようにやった。僕は正直やりたくなかったが、グループの中で一人だけ反対する勇気もなく、流されるまま嫌々やっていた。


 インターホンを押した瞬間の心理的抵抗感は忘れられない。例えるなら、道端に落ちていた蝉を踏んだ瞬間に近かった。


 今までの善行が水の泡になるんじゃないかと、まるで殺人を犯したかのような罪悪感が湧いてきて、押す係だった日の夜は布団の中でひたすら後悔した。


 再び押す係になる前になんとかしなければと考え、あることを思いつく。


 翌日、押す係を決めるときに自らを手を挙げた。


 僕達がやっていたやり方は、押す係以外の四人がある程度離れたのを確認してからインターホンを鳴らして逃げていた。


 だから最初に四人を走らせて、押したフリをすればメンツを守りつつ、悪戯もしないで済むんじゃないかと考えた。


 実際、このやり方はうまくいった。


 元々、集団で走るから足音が大きく響き、先を走る四人にはインターホンの音は聞こえていなかった。


 誰もインターホンが鳴っていないことに気づかず、皆が飽きるまで続けようと毎日押す係に立候補した。


 しかし、すぐにエアピンポンダッシュは終わりを迎える。


 原因は律儀に押すフリをしていたことだった。エアピンポンダッシュしているところを他のクラスメイトに目撃されてしまい、担任にチクられたのだ。


 職員室に呼ばれて、そりゃもう怒られた。連日押す係だった僕は重点的に叱られたが、皆の前で押すフリをしていただけとは言えず、ひたすら時間が過ぎるのを待つだけだった。


 このことは里親の耳にも入り、家に帰ると真っ先に叱られた。


 顔を真っ赤にして叱る里親を前に僕はただ黙り込んでいた。頭ごなしに説教する里親に、腹の底から黒い感情が沸々と湧き上がってくる。


「本当の親じゃないくせに。もし本当の親だったら、叱る前に訳を訊いていたに違いない。そもそも本当の親だったら相談できていた」


 子供だったんだ。ここで本当のことを言って、それでも「最初から止めなかったのが悪い」などと叱られたら、僕に残されたカードは無くなり、心を保てなくなる。


 何も言わずに理解してほしかった。だからせめて、やり場のない気持ちを家庭環境のせいにすることで、自分を保とうとした。


 多分、僕の他にも大勢いると思う。


 言い訳できる余地が少しでもあれば、それを大きな盾にカモフラージュさせて自分の心だけでも守ろうとする人間。


 ただ僕はその盾を過信しすぎたし、尊重しすぎた。


 盾が錆びつかないように自分が周りより不幸な人間でなければいけないと思い始めたのだ。


 その日からだった。里親に反抗的な態度をとるようになったのも、家族連れを見る度に嫉妬に駆られるようになったのも。


 不幸な人間を演じているうちに、本当に不幸な人間になっていた。


 友達の家に行く度に思った。


「何故、なにもしていない彼らには親がいて、僕は報われないのだろうか」


 当たり前の日常を当たり前のように過ごしている彼らが妬ましく思い、その度に自己嫌悪に苛まれた。


 当然、学年が上がる度に周りの会話も変わっていく。


 五年生の頃から親の愚痴を言い合うようになり、僕からすれば自虐風自慢にしか聞えなかった。親がいるだけいいだろ、と何度口にしかけたことやら。


 次第に友達とも距離を置くようになり、気づいたときには孤立していた。


 六年生の夏休みが始まる前、孤立していることに危機感を覚え始めた。


 とは言え、このままではいけないと焦ったところで、今更里親と仲良くなれるわけでも、友達が戻ってくるわけでもない。


 こっちから歩み寄ればなんとかなったのかもしれないが、どうせまた嫉妬するのだから親に会う以外に打開する方法はないと意地になっていた。


 その頃には自分が捨てられたことに気づき始めていた。ただ現実から目を背けることで精一杯だった。


 中学に進学した頃には、流石に親のことは諦めて現実と向き合い始めていた。


 だが、既に手遅れであった。長い間、孤立していたせいで友達の作り方がわからず、中学でも孤立し続けることになる。


 別にギャーギャー騒ぐクラスメイトと仲良くなりたかったわけでもないし、一人でいることにも慣れてきていたから孤立したままでいいか、と入学して間もない頃は開き直っていた。


 ところが、しばらくして無性に寂しく思うようになり、孤独感を抱き始める。


 孤立したままでいい、なんてただの強がりでしかない。心許せる相手が欲しかった。友達が大勢欲しいわけではない。今までのことを全て話せるような唯一無二の存在に助けてほしかった。


 しかし、心の中で哀れんでほしいと願ったところで、誰も気にかけてくれない。


 中学での三年間も何一つ思い出がないまま過ごし、高校に進学する。


 高校生活が始まったところでなにか変化があるわけもなく、友達がいないまま月日が過ぎ去っていく。


 しぶしぶ行った校外学習では移動中に酔ってしまい、ほとんどバスの中で過ごすことになる。


「団体行動するよりは一人になれて楽なのかもしれない」と吐き気に抗いながら思ったが、もう一人バスの中で休んでいる生徒がいた。


 同じクラスの女子で、彼女も乗り物に弱かった。


 移動する度に二人とも酔っていたから一緒に行動してた時間も長く、何度か会話を交わして互いに励まし合った。


 彼女とは校外学習をきっかけに学校でも会話するようになり、数年ぶりに話し相手が出来た。


 彼女も高校進学と同時に引っ越してきたばかりで友達がいなかった。引っ込み思案なところもあったが、別に根暗というわけでもなく、友達が沢山いてもおかしくないと思った。


 孤立していた僕達は休み時間になると身を寄せ合うように顔を合わせて些細な会話をする。


 会話と言っても僕は話のタネがなく、彼女の話を聞いていただけだったが、笑いながら話す彼女を見ているだけで満足だった。


 一之瀬にしても僕は笑顔に弱いのかもしれない。


 彼女と会話していくうちに徐々に心を惹かれていった。我ながらちょろいなと思うが、中学での三年間を考えれば惹かれない方が無理な話である。


 この二人だけの関係が心地よかった。


 彼女と会話するようになってから二ヵ月、僕は馬鹿なことを考えだす。


 彼女になら僕の生い立ちを話してもいいんじゃないか、と考え始めたのだ。


 親に捨てられた自分を同情してほしかったし、気を引きたかった。自分でも情けない話だと思う。


 でも抑えきれないほど愛情に飢えていた。本心を明かしたことは一度もない。一度くらい誰かに打ち明けてもいいじゃないか。


 彼女と一緒にいる間、何度も喉まで出かかった。その回数は数えきれない。


 しかし、打ち明けるか悩んでいる間に彼女の周りに人が増えていった。彼女の魅力に周りがようやく気づいたのだ。


 休み時間になると彼女の席を囲むようにクラスメイトが屯している。


 その光景を遠くから眺めて彼女が遠くの存在になったと実感した。それから間もなく彼女の方から話しかけてくることはなくなる。


 今まで彼女も教室の隅っこでひっそり過ごしたいタイプなんだと勘違いしていた。


 彼女はずっとクラスに溶け込みたかったのだろう。僕と会話をしたかったわけではない。なにもかも勘違いだった。


 よくある話だ。こっちからしたら一番でも、相手からしたら何番でもない関係なんて。


 僕が一番になることなんてありえなかった。聞えてくる会話の内容でわかる。皆、家族の話だったり、中学時代の話だったり、思い出話でも明るい話ばかり。それに比べて僕は彼女の話をただ聞いていただけで、あと少しで暗いだけの生い立ちを話そうとしていた。


 僕が再び孤立したのは、当然の結末に思えた。


 外を歩いていると、親に手を引かれた子供が目に入った。


 何の取り柄がなくても一番になれる関係。僕はそんな無償の愛にずっと憧れていた。しかし、もう手に入る気配はない。今から努力する余力も残されていない。


 唯一残っていたのは新品同様に光り輝く盾だけ。なにかに使えるわけではない。


 ――こんな人生続ける意味あるのか。


 高一の夏、僕は自殺を考え始める。


 橋に訪れる度に飛び降りようとしたが、あと一歩が踏み出せない。生きていれば何か起きるかも、と心の底で僅かに期待はするが、何も起きない。ただ退屈で、苦痛な時間だけが過ぎていく。


 そして高三のクリスマス、死神と出会う。


 寿命と引き換えにウロボロスの銀時計を手に入れた僕は理想の生活を実現させた。


 でも長くは続かなかった。理想の生活を実現させても心が満たされなかったのは、孤独を埋めることができなかったからだろう。時間を巻き戻せたとしても、絶対に埋めることができないものだと諦めかけていたのだ。


 一之瀬と出会うまでは。


 最初は大変だった。百万円の一件で完全に嫌われた僕はひたすら一之瀬の後を追い続けた。まともに話を聞いてくれず、ひたすら追うだけ。


 一之瀬が歩き疲れて公園のブランコに座れば、僕も横に座って説得を続ける。


「……なんで私の行動がわかるんです?」


「自殺をやめたら教えてやるよ」


「じゃあ、教えなくていいので邪魔しないでください」


 やっと口を開いてくれたと思ったら、これだ。


 こんな調子で本当に自殺を邪魔できるのか不安だったし、何度も邪魔するのはやめようかと考えた。しかし、救急車が橋の方へ走っていくのを見かけると安否が気になって調べてしまう。


 一之瀬の自殺が書かれた記事のコメント欄では、「親不孝者」だとか「最近の若者は命を粗末にしすぎ」など好き放題書かれていた。その一方で「相談できる相手がいなかったのかな」とか「逃げてもよかったのに」といったコメントも見られた。


 僕からすればどれも的外れな意見に思えた。


『誰かに相談して解決するような問題なら、すでに僕が解決している』


『そもそも逃げれる場所があると思うな』


 コメント欄に書き込んで時間を戻そうとしたときだった。


 ――逃げる場所がないのなら作ればいい。


「また貴方ですか」


「今日はどこか遊びに行かないか」


「……はい?」


 せめて少しの間でも嫌なことを忘れられるように、一之瀬をつれて遊びにいくことにした。


 一番最初は静かな場所がいいと考え、山登りを選んだが不評だった。


 それからも様々な場所につれていき、自然と会話が増えていった。


 彼女の為と思いつつ、一之瀬と過ごしている間は僕も嫌なことを忘れられた。


 僕も一之瀬に救われていたのだ。


 当時の彼女からすれば迷惑だっただろうが、恩返しがしたかった。


 だから僕は二十一回自殺を止めた。


 一之瀬が全て打ち明けて自殺をやめたときは本当に嬉しかったし、二人で過ごした時間は僕の人生で、唯一誇れる宝物なのは間違いない。


 ただ残念だったのは、あんな別れ方をしたことだ。


 誤算だった。高一のときのように一之瀬も簡単に離れていくと思っていた。


 なのにいつまで経っても離れようとしない彼女のことが愛おしくなり、手放したくなくなった。


 僕の弱さがあのような結末を生んでしまった。


 最後の最後までかっこ悪い人生だった、と思う。


 もう彼女にしてやれることはなにもない。


 だから、ひたすら祈り続ける。


 僕が恋した一之瀬月美が、これからずっと平穏に暮らせますように。


 そして、僕のことを忘れてくれますように。

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