第3話 理想の生活

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 翌日、ウロボロスの銀時計を試してみた。


 結論から言えば時間を戻せるのは本当だった。


 銀時計を手に持ちながら戻りたい時間を思い浮かべると意識が途切れ、気づいたときには時間が戻っている。


 一瞬だ、テレビのチャンネルを変えるのと大差ない。最初に試したときは魔法陣でも現れたりするのかと馬鹿みたいに身構えていたから、あっけなさに拍子抜けした。


 一度使用すると三十六時間後まで使えなくなる。


 時間を戻せなくなるだけではなく、秒針が止まって普通の時計としても機能しない。三十六時間経つと秒針が再び動き始め、自動で時刻合わせもする。つまり、秒針が動いているときしか時間を戻せないということである。


 実際に時間を巻き戻すまで、死神の話を信じ切っていたわけではなかった。もし時間が戻らず、ビックリと書かれたプラカードを持った死神が出てきたら、銀時計を投げつけてやろうと考えていた。


 それに半信半疑だったのは銀時計だけではない。


 寿命の話もだ。


 自分が三年後に死ぬと実感したのも時間を戻してからだった。


「絶対に寿命を譲ったことを後悔しないでください……か」


 最後に死神が口にした忠告を思い出して、ほくそ笑んだ。


 後悔していなかった。


 清々しいほどに。


「どうせあと三年で死ぬ」


 そう口にするだけで、開放的な気分になれた。余命三年になってから「今日はどう過ごすか」と考えるようになり、それまでの自殺を考える日々と比べれば前向きになっていた。


 当時はこの心境の変化に驚いたし、寿命を手放してから前向きになるのはおかしくないかと思う人もいるだろう。


 しかし、今となってはおかしくないことだと思っている。


 そう思っているのには理由がある。


 自殺を考え始めた頃、安楽死について調べたことが何度かあった。


 安楽死が認められている国はいくつか存在する。基本的には末期がんといった助かる見込みがない病を抱えている患者にしか許可が下りない。国によって除痛できないほど耐え難い痛みが出てからしか許可が下りないなどの違いもあるが、どの国にしても苦しみからの解放を理由とした最終手段である。


 以前、『末期患者の中には安楽死のおかげで、最期まで生きる意欲を保てた患者もいる』といった記事を読んだことがあった。


 安楽死制度のメリットを紹介する記事で、「除痛できずに苦痛な最期を迎えるのなら『苦しまないうちに死にたい』と考える患者もいる。そう考える患者からすれば、自分の意志で最期を決められる安楽死は心強い存在となる」と書かれていた。


 安楽死を美化して書いている印象が強かったが、記事の内容には頷けた。


 誰だって先の見えない未来は怖いものだ。目の前にうっすらと崖が見えているのなら尚更である。


 僕だってそうだ。


 他人を好きになれない僕が生き続けたところで針の上を突っ走るようなものだ。明るい結末が待っているとは到底思えないし、ゴールまで辿り着ける自信もない。だからこれ以上苦しまないために、自分を守るために、自殺を考える。


 余命三年というゴールが見えているのは、僕にとって心強かった。夢や目標がないまま闇雲に生きているよりも、ずっと楽に思えたのだ。


 当然、ウロボロスの銀時計の存在も大きかった。「せっかく摩訶不思議な時計を手に入れたんだ。死ぬまで酷使してやろう」と様々なことをした。


 最初に思いついたのは誰もが考えるような使い方だった。


 好きなだけ散財して金が尽きたら時間を戻す。


 ゲームセンターで何時間遊ぼうが、映画館で朝から晩まで過ごそうが、好きなものを食べ続けようが、時間を戻せば金が減ることはない。


 ただし、最終的には金を使う前に時間を戻すことになる。気分転換はできても暇つぶしにはならない。


 他にも「時間を戻したら買った物は手元に残らない」や「高校生の所持金では一度に使える額が少ない」など、時間を戻す度に不満な点が出てきた。


 そこで次は金を増やすことにした。


 二十四時間戻せば一日先の未来を僕だけが知っている状態になる。


 これならギャンブルで、いくらでも金を増やせると考えた。


 最初に宝くじの当選番号を暗記してから時間を戻し、当選番号が同じかどうか試した。この方法が最も手っ取り早く稼げると期待していたが、結果は時間を戻す前と当選番号が違っていた。


 競馬も試してみたが、こちらも時間を戻す前と順位が変わることが多く、金を増やせるほど常勝するのは困難だった。


 このことから『時間を巻き戻しても同じ未来にはならない』ことが分かった。


 やり直すだけである。


 サイコロを振り直しても同じ目が出るとは限らないのと一緒だ。宝くじは再抽選、競馬はレースをやり直しただけで、時間を戻す前と同じ結果になるわけではない。


 唯一、結果が変わりにくかったのは株だった。


 株でも結果が何度も変わったが完全にランダムな宝くじとは違って人の思考が関与している分、他より結果が変わりにくい。何度かシミュレーションして常勝できると判断し、株を代理購入してくれる協力者を探した。


 本来なら自分で買いたかったが未成年は親権者の同意が必要となる。親とは仲が悪く、同意を得られるかどうか以前に頼みたくもなかった。


 まずは何度も時間を戻して未来の変動をネット掲示板に書き続けた。次第に「的中する」と噂になっていき、注目を集めたところで未来の変動を書き込むのをやめた。代理購入の報酬として分け前を渡すことを餌に協力者を募ると、あっさり見つかった。


 メールで指示を送って的中させていき、あっという間に大金を手にすることができた。それも三年間では使いきれないほどだ。


 その金を使って、真っ先に買ったのはマンションの一室だった。


 十二階建てのマンションで偶然空いていた最上階の一室を選んだ。高級マンションとは程遠いが、仲が悪かった親とは一秒でも早く離れたかった僕は一人暮らしできるのならどこでもよかった。


 親との関係は「仲が悪い」といった単純な話ではなく、里親であることが原因である。引き取られた時から馴染めずに距離を置き続けた結果、互いに毛嫌いするようになった。


 家族らしい思い出など一度もなく、常に他人だと思って過ごしてきた。他人と同じ家にいて落ち着ける人間は少ないだろう。僕にとって一人暮らしが実現できたのはとても大きな出来事だった。


 そしてサボりがちだった高校を卒業したことで、完全に自由の身になれた。


 働かなくても好きな物を買えて好きな物を食べられる。どこかで時間を潰さなくても一人きりになれる家がある。誰とも会わなくても生きていける。


 まさに理想の生活であった。


 この時期ばかりは「寿命を譲ったことを後悔して、もっと生きていたいと思うんじゃないか」と不安になるほど、浮かれていた。


 だが、浮かれていたのは最初だけだった。


 いくら理想の生活だろうと、同じような日々を繰り返していくうちにマンネリ化してくる。


 ゲームは長続きせず、毎日頼んでいたピザや寿司も食べ飽きてきた。気分転換に外出したところで他人嫌いが治っているわけもでもなく、すぐにマンションへ引き返す。新しく始められるようなことを探すが、何も興味が湧かない。


 理想の生活から退屈な生活になるまで、半年もかからなかった。


 寿命を譲らずに普通の人生を送っていたらどうなっていたのだろうか、と想像する。


 何十年働いても今の生活には遠く及ばないだろう。それどころかもっと早く自殺をしていてもおかしくない。奇跡的に今の生活に辿り着けたとしてもこの有様だ。


 これが最善の人生に違いない。


 寿命を譲って後悔する、しないどころの話ではない。


 どうやったらここから後悔できる?


 後悔できるものなら教えてほしいぐらいだ。


 死神と取引して正解だった。


 当時の僕は、そう確信した。


 しかし、退屈な日々を過ごしていることには変わりない。ただ時間が過ぎるのを待つしかない日々に悶々としていた。


 そんな状況を変える出来事が、死神と取引してからちょうど一年後のクリスマスに起きる。


 この年も一人でクリスマスを過ごしていた。去年と違うのは橋の上ではなく、家にいることだけ。


 ふと夕方から降り始めた雪がいつまで降り続けるのか気になり、天気予報を見る為にテレビをつけた。天気予報までの間、夜のニュース番組を見ていたが翌日から余命二年を切る自分からすればどうでもいい情報ばかりだった。


 その中で唯一気になる報道があった。


「中学生の少女が橋の下で死亡しているのが見つかった」という報道だった。


 遺体が見つかったのはその日で名前や顔写真は公表されなかった。事件と自殺の両面で捜査しているとのことだったが「飛び降り自殺で間違いない」と言いたげな内容であった。


 いくら余命僅かで世間にたいして無関心になろうと、自殺と聞けば気にはなる。


 だが、気になったのはそこではない。


 少女が転落した橋は、死神と取引をした橋だった。


 僕が通っていたあの橋がテレビに映し出される。


 同じ橋で自殺を企てた人間が他にもいて、しかも実行した。そう解釈した瞬間、あろうことか歓喜に近い感情が込み上げた。


 他人の自殺を喜ぶなんてどうかしていると自分でも思う。それでも同類の人間がいたことを知り、抑えきれない胸の高鳴りを感じた。


 自殺した少女はどんな人物で、どんな思いで飛び降りたのだろうか。天気予報を見ることも忘れ、一晩中頭から離れることはなかった。


 翌日になっても頭から離れなかった僕は気晴らしもかねて橋へ行くことにした。


 橋には何ヵ月も行っていなかった。元々一人になりたい時にしか行かず、一人暮らしを始めてからは行く必要がなくなっていたからだ。


 引っ越した後も歩いていける距離だったが深夜まで降り続けた雪が所々で除雪されてなく、辿り着くまでに時間がかかった。


 久々に訪れる橋は記憶より殺風景に思えた。


 橋のちょうど真ん中辺りから飛び降りたらしく、真下の中洲には規制テープが張られていた。飛び降りたと思われる付近には花束などが供えられていたが献花台といったものはなく、花束の数も少ない。


 橋の上から規制テープが張られている落下地点を覗き込む。


 下にはごつごつとした岩や石が無数に広がっている。夜は真っ暗で底なし穴のようだが、実際は頭から落下しないと即死するのは難しそうな微妙な高さ。飛び降りてからしばらくの間、意識があったとしたら……ゾッとする。


 見下ろしていると、中学生ぐらいの女子四人組がこちらへ歩いてきた。


 最初は自殺した少女のクラスメイトが、なにか供えにきたのだろうと思っていた。ところが四人は嬉々とした表情で携帯を手に持ち、自殺現場を撮り始める。


 会話を盗み聞きすると「やっといなくなってくれた」や「もう二度とあいつの顔を見なくて済むね」など、少女の自殺を歓喜しているのがわかった。


 自殺した原因がいじめだというのは予想していたが、わざわざ自殺現場にまで加害者が来るとは予想していなかった。


 四人の会話を横で聞いている間、「胸糞悪い」「反吐が出る」といった黒い感情が渦巻いていたが、少女の自殺を同類だと喜んでいた僕が心の中で非難したところで罪悪感しか残らない。


 四人はしばらく自殺現場で笑談した後、まるで遊園地に行った帰り道のような満足気な顔をして帰っていった。


 一人きりになった橋の上は以前と変わらず静寂だった。


 聞こえるのはせせらぎと風の音だけ。


 自殺現場を見下ろすと規制テープが風に煽られてピシピシと音を立てていたが、せせらぎを遮るほどではない。


 通っていた頃と変わらない空間、僕以外の人間が消えた世界。


 自殺した少女のことを考えると、本当に一人だけ世界に取り残された気分になった。


 喪失感に近い。


 滅多に人と関わらない僕でも過去に何度か喪失感に苛まれた経験はある。


 それに近い心境だった。


 家族も友人もいない僕からすれば他人は「いても、いなくても変わらない人間」か、「不愉快にさせる人間」かのどちらかしかいない。


 一度も会ったことがなくても、顔を知らなくても、自殺志願者というだけで親近感を抱くには十分だった。


 だから情が移ってしまい、


「時間を巻き戻して、少女の自殺を邪魔する」


 そんな馬鹿げたことに発展してしまったのだろう。

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