第4話 ひらひらと落ちていく
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「時間を巻き戻して、少女の自殺を邪魔する」
そんな馬鹿げたことを思いついたときは、本気で自殺を止めるつもりではなかった。
自殺を止めただけではハッピーエンドにならない。ゲームオーバーからコンティニューして、いじめという名のステージに戻るだけだ。クソゲーから降りたくて自殺した彼女からすれば、ありがた迷惑にしかならないのではないか。
自殺の原因がいじめだけだったのかも怪しい。
元から人付き合いが苦手だったとか、容姿にコンプレックスがあったり、それらが自殺に直接繋がった可能性も考えられる。僕と同じようにこれ以上傷つきたくなくて、自殺を選んだのなら却って苦しめることになるだろう。
かと言って、綺麗さっぱり忘れられるわけでもなかった。
あの四人の会話を聞いてしまったのが何よりの原因だ。僕の中で自殺した少女の人物像が「いじめで自殺した可哀想な女の子」として根強く残ってしまった。
僕の勝手な解釈なのはわかっている。
しかし、このまま何もしないのはいじめを見て見ぬふりをするのと何ら変わらない。後味が悪い、罪悪感が湧いてくる。死ぬまでに何度も思い出すのは確定的だ。
残りの二年間を罪悪感に苛まれながら過ごすのはどうしても避けたかった。
つまりだ。
自殺を邪魔する理由は、言い訳作りである。
このまま何もしなければ必ず後悔する。
だから一度だけ彼女の自殺を止める。
そのまま自殺を止めてくれれば理想的。
それでも自殺をするのなら「仕方ない」できっぱり諦められる。「やれることはやった」的な言い訳さえ作れればそれでいい。
彼女が自殺するか、しないかより自分が罪悪感に苛まれないかどうかが重要だった。
少女を救う為ではなく、自分の為。
「自殺を止める」ではなく、「自殺を邪魔する」が正しい。
二十四時間戻した後、すぐに橋へ向かった。時刻は午後三時過ぎで、雪が降りだす前。走りながら少女がまだ飛び降りていないことを祈った。次に戻せるのは三十六時間後、すでに飛び降りた後だったら手の施しようがない。
冷気が肌を突き刺し、千切れそうなほど痛む耳を我慢しながら走り続けた。
橋が視界に入り、真っ先に中洲を確認するも岩があって遠くからではよく見えない。視力も悪く、橋の上から見下ろして確認するしかなかった。
時間を戻す前の記憶を頼りに少女が飛び降りた付近の真上に辿り着く。
息が上がって視界が、足が、ぐらぐらする。冷たい欄干に両手をついて、乱れた呼吸を無理やり整えた。
下に少女が倒れていないことを祈りながら、
中洲を覗き込む。
血まみれで倒れている少女を一瞬想像したが、岩や石が転がっているだけだった。
安堵すると全身の力が抜けて欄干に凭れかかりながら座り込んだ。
「なに必死になっているんだ」
澄んだ青空を見上げながら口にした。既に死んでいるのなら諦めがついた。言い訳を作りにきただけなのだから、それでも構わないはずだった。
しばらく座り込んで休んだ後、川を眺めながら少女が来るのを待った。
欄干に腰を預けて携帯をいじりながら待っていたが寒さに耐えれず、携帯をしまってポケットに手を入れた。右ポケットに入れていたウロボロスの銀時計が氷のように冷たくて困った。
人も車も通らないまま午後五時を過ぎると、ひらひらと雪が降ってきた。空は夕闇が広がり、オレンジ色の街灯が橋をともす。傘を忘れたことに気づいたのは雪が降り始めてからだったが、小降りだったおかげで困るほどでもなかった。
手のひらに白い息を吐きかけていると、人が歩いてくるのが見えた。
目を細めて確認すると、女の子だった。
背丈は中学生ぐらいで自殺した少女だと確信する。
歩いてくる少女も傘を差してなく、暗くても顔を確認することができた……のだが、
少女の顔を確認した瞬間、確信は砕け散った。
とても綺麗な女の子だった。
長い黒髪、対照的な白い肌。華奢な体型で顔も整っている。どこか幸薄そうな雰囲気もあったが、儚げだとかメリットに変えてしまうような美しさ。
「こんな子が自殺するわけがない」
雪の中、こちらへ歩いてくる少女に目を奪われながらそう思った。
自殺する少女は僕と同じように負の要素が顔に出ているものだと予想していた。表情が暗かったり、元から身体コンプレックスを持っていたり、見た目で分かるはずだと。
歩いてきた少女は僕の少し手前で立ち止まってしばらく景色を眺めた後、歩いてきた方向へ帰っていった。
それから数人通ったが、他に自殺した少女らしき人物は通らなかった。
午後八時を過ぎた頃から雪が強くなっていき、寒さを我慢するのにも限界がきていた。
少女が来る前に自分が凍死してもおかしくない、と頭を過った。シャレにならない。
ふと、「本当に少女は来るのだろうか」と疑問に思う。
下を覗いても真っ暗で何も見えず、遺体を見つけるのは奇跡に近い。これから少女が自殺して、それを誰かが発見して、午後十一時に報道されるのは……無理がある。
ひょっとしたら、
『未来が変わったんじゃないだろうか』
宝くじの抽選番号が変わったように未来が変わったとしてもおかしくはない。
その推測は的中していた。
寒さに耐えれず、帰宅するとニュースの内容が時間を戻す前と異なっていた。
自殺の報道が流れないまま天気予報が始まり、未来が変わっているのは間違いなかった。
何が原因かは分からないが、橋に自殺した少女が訪れなかった。
この日はそう結論付けた。
橋に訪れた少女が、自殺した少女だと疑わずに。
翌日、本当に少女が自殺していないか調べた。あの橋で自殺しなかっただけで、他の場所で自殺していた可能性もあるからだ。
何時間もかけてニュースやネットを入念に調べたが、少女に関係するような報道は見つからず、自殺はしていないようだった。
しかし、その後も少女が自殺していないか調べる日々が続いた。
自殺した少女は普通の中学生だ。芸能人ならともかく一般人の自殺は基本的に報道されない。
橋からの飛び降りは事故や事件の可能性があったから報道されたんだと思う。プライバシーの問題もあるし、年間二万人以上自殺する日本で全員報道するのは不可能だ。「中学生がいじめを原因に自殺していたことが判明しました」と後日になって報道が流れることもあるが、それでも全体の極一部しか報道されていないのだろう。
あの少女もどこかで自殺したけど、まだ報道されていないだけでそのうちニュースで流れるんじゃないか。そんなことを考えていた。
僕が調べ続けた理由は他にもある。
『あの少女は再び自殺を決行する』
そう予想していたからだ。
強い意思があれば未来は変わらない。
例えば、僕は服装にこだわりがない。いつも出掛ける時は一番最初に目に留まった服を着ていく。「この服を着ていく」という意思はなく、『偶然』選ばれた服を着ていくわけで時間を戻した後も同じ服を選ぶとは限らない。
これは宝くじの抽選番号が変わるのと同様、再抽選したようなものだ。
逆に言えば、もし僕が服装にこだわりを持っていて前日から着ていく服を考えておくタイプなら特別な理由がない限り、時間を戻した後も同じ服を選ぶだろう。
当たり前のことだ。
時間を戻したことが原因で何かが変わらない限り、サラリーマンは会社に行くし、学生は学校に行く。
未来が変わるのは偶然といった運が絡むことだけだ。
それなら少女が自殺しなかったのも『偶然』かもしれない。
少女は普段から自殺するかどうか悩んでいた、と仮定しよう。僕があと一歩が踏み出せないまま何年も自殺できなかったように、少女もいつ自殺してもおかしくない状態が続いていた。そしてクリスマスに『偶然』自殺するを選んで、時間を戻した後は『偶然』自殺しないを選んだ、というのは十分あり得る。
もしそうだとすれば問題が解決しない限り、いつかまた『偶然』自殺する日が訪れるはずだ。
それにこのまま終わるわけにはいかなかった。
少女と会えていたら声をかける予定だった。気休め程度の言葉だけではなく、いじめの解決策も用意していた。言い訳作りのために最低限のサポートはするつもりでいた。
だが、会えなかった。
今回の結果は運よく死ななかっただけで、いじめが解決したわけではない。
少女が救われたわけでもなく、「やれることはやった」と言えるような結末でもない。
僕にとっても、自殺した少女にとっても、最悪な結末だ。
このまま終わるぐらいなら時間を戻さなかった方がマシだった。
自殺を「止める」のではなく、「邪魔」しないと意味がない。
意地になった僕はひたすら報道関連を調べ続けた。
それから一週間後。予想は的中し、再び自殺の報道が流れた。
「橋から」「中学生の少女が」「転落して死亡」使いまわしたような報道が流れ、同一人物で間違いないようだった。
今度は情報を集めてから時間を戻すことにした。
近くの交番で「前日、橋の近くで中学生ぐらいの女の子を見かけた気がする。何時だったかは憶えていないが、服装など特徴がわかれば何か思い出すかもしれない」と情報提供者を偽り、遺体が見つかった時間や服装を聞き出すことに成功した。
時間を巻き戻し、昼過ぎから橋の上で少女が通るのを待った。
第一発見者が通報してきたのは午後六時頃。それまでに少女が来るかどうかで未来が変わったか判断できる。情報収集しておいたおかげで前回より気が楽だった。
午後五時過ぎ。
辺りが暗くなってきた頃、一人の少女がこちらへ歩いてきた。
暗くて遠くからでは顔を確認しづらかったが、情報と同じ服装で自殺した少女なのは間違いなかった。
しかし、歩いてきたのはあの綺麗な少女だった。
少女はこの間と同じように僕の少し手前で景色を眺め始めた。前回自殺しなかったのは気まぐれといった偶然ではなく、僕がいたから自殺できなかったという可能性も考えられる。
景色を眺めている少女の横顔を見ながら疑問に思う。
「何故、あんな子が自殺するのだろうか」
整った顔立ち、サラサラの長い黒髪、白い肌、華奢な体つき、外見からは何一つマイナスな要素が見当たらない。
だったら性格が悪いといった内面の問題を考えるが、中学生にしては大人びている落ち着いた雰囲気からは想像がつかない。
そうなると「妬みを買った」ぐらいしか考えられなかった。
あんな子がクラスにいたら黙っていても目立つだろう。間違いなく浮いている存在になっていただろうし、男子達にも人気があるはずだ。他の女子から嫉妬のターゲットになっても何らおかしくはない。
彼女自身には非がなく、ただいじめられているだけ、と想定する。
仮に当たっているのなら好都合だった。
コンプレックスがあるとか、人付き合いが苦手といった問題だったら手詰まりだったが、いじめさえ解決すればいいのなら希望が残されている。
うまくやれると自分に言い聞かせ、少女に近づいた。
「浮かない顔をして何か嫌なことでもあったのか?」
そう声をかけると、少女は辺りを見回した後に自身を指さした。
「他にいないだろ」と笑うと「大丈夫です」と小さな声が返ってきた。
「いや、大丈夫ですって返事が一番大丈夫じゃないと思うんだが」
「…………」
少女は黙り込んでしまい、警戒しているようだった。
「こんな寒い日にここへ来るなんて、この橋が好きなのか?」
「…………」
適当に会話して警戒心を解こうとするも無言で頷くだけで会話にならない。
このままでは埒が明かないので思い切って本題をぶつけることにした。
「今、何を悩んでいるか当ててみせよう」
少女はこちらを見向きもせず、遠くの景色を眺めていたが僅かながら体が揺れたように見えた。
一瞬動揺したがすぐに平然を装った、といったところか。
「ここから飛び降りるかどうかで悩んでいるんじゃないのか」
その一言でようやく少女の顔がこちらを向いた。
平然を装っていた面影はもうどこにもない。彼女の顔からは、驚き、困惑、疑問、戸惑いといった感情が渦巻いているのが窺えた。
「違うか?」と確認すると小さく頷いた。
「自殺しようとする原因はいじめ。これも当たっているだろ?」
困惑しながらも少女は口を開いた。
「なんでわかるんですか?」
その質問には「それは言えない」と誤魔化した。
逆に「誰か相談できる相手はいなかったのか。親でも先生でも」と訊いたが、無言で首を横に振るだけだった。
「そうか、今まで一人で耐えてきたんだな」
僕からすれば警戒心を解く為の一言に過ぎなかった。
だが、予想以上に効果があった。
少女の瞳に涙が溢れかけているのはすぐに分かった。パッチリと大きな瞳がキラキラと輝く様を見て確信する。
少女は誰かに助けてもらいたかったんじゃないか、と。
ホッとした。
彼女の中に助けてほしい気持ちがあるのなら救いようがいくらでもある。僕の自己満足で終わることはなく、円満に解決できそうに思えた。
この流れならいけるはずだと作戦は最終段階へ突入した。
「そんなお前にアドバイスをやろう」
「アドバイス……?」
理想通りに何もかもが進んでいる。順調だと思っていたからこそ、何も考えずにあんな悪手を踏んでしまったのだろう。
「ま、アドバイスと言ってもお前が強くなる必要はない」
そう言って少女に分厚い封筒を差し出した。
「それは……?」
少女が訊ねる。
僕はこう答えた。
「百万円だ」
「…………?」
何を言っているのか分からないといった表情の少女に、使い道を説明する。
「いいか、発言力が強いクラスの中心人物にこの金を握らせるんだ。そうすれば、いじめられた時に助けてくれるかもしれない。そいつさえ動いてくれれば周りも助けてくれるはずだ。あいつら集団になると強いから。ただし、いじめてくる奴には絶対渡すな。金づるになってしまうのがオチだからな」
いじめをなくすにはこれしかないと本気で思っていた。ところが少女は俯いて封筒を受け取ろうとしない。
そんな彼女を気にもせず、僕はやらかす。
「遠慮するな。お前は貰うに値するぐらい嫌な思いをしてきたんだ。金が余ったら好きな物に使えばいい。そしていじめられたことを綺麗さっぱり忘れるんだ。いつか笑い話に……」
その時だった。
「……ません」
聞き逃しそうになるほど小さな声だった。
「ん?」
僕が喋るのをやめると、少女は大きく口を開いた。
「いりません!」
耳に響くような大きな声だった。
彼女の様子から地雷を踏んだのはすぐに分かったが、動揺して原因を察するまでには至らなかった。
にもかかわらず、当時の僕は悪手を踏み続ける。
「いや、いりませんじゃなくて、この金を使ってクラスの連中を」
再び差し出された封筒を見て、少女の目から涙がぽろぽろと溢れ始めた。
「お金を貰ったからって! なかったことにできるわけないじゃないですか!」
少女の手が封筒をはじき、僕の手から落ちた。
落ちた衝撃で封筒から札束がはみ出る。
そこへ風が吹き、はみ出た札束が宙に舞う。
「お、おい!」
札を慌てて回収する僕をよそに、少女は手の甲で涙を拭いながら逃げるように走っていった。
ひらひらと宙へ舞った札を摑み取りしている間にも風が吹き続けて、もの凄い勢いで札束が封筒から消えていく。
本来なら少女が飛び降りていた中洲に札がひらひらと落ちていった。
その光景を見ながら橋の上で、一人呟いた。
「もったいねー……」
その日、自殺の報道は流れず、代わりに「橋の下に数十万円散らばっていた」といった心当たりしかない報道が流れた。
何はともあれ少女の自殺を邪魔することに成功した。
これでめでたし……になるわけないだろ。どう考えても。十八年間(当時)生きてきて初めて女の子を泣かせた。それがここまで精神的にくるとは思わなかった。しかも年下だ、この罪悪感はなんなんだ。
今思えば彼女が怒ったのも当たり前だ。散々嫌な思いをしてきた彼女に「金で帳消しにしろ」と言ったようなものだ。ようやく差し伸べられた手がこれでは絶望もするだろう。
彼女が自殺をしたら、僕がトドメを刺したようなものじゃないか。
おいおい、それだけは勘弁してくれよ。
時間を戻す前よりも、一回目の自殺を邪魔した時よりも状況は悪化している。
彼女に自殺されるのはまずい。
残り二年間を穏やかに過ごすにはなんとしても罪悪感を払拭しなければならない。
その為にも彼女には生きていてもらわないと駄目なんだ。
『自殺しなくなるまで邪魔し続けるしかない』
こうして死にたがりな少女、
一之瀬月美の自殺を邪魔する日々が始まった。
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