第2章

第5話 お姫様だっこ

 5


「奢りだ。好きなのを好きなだけ頼んでいいぞ」


 僕はファミレスのメニュー表を見ながら言った。


「いりません。このまま食べずに餓死します」


 一之瀬は断る。腹を鳴らしながら。


「決めないのならお子様ランチを頼むぞ」


「やめてください」


 寿命を譲ってから二回目の四月二十三日。木曜日。晴れ。


 この日、一之瀬が十五回目の自殺を決行した。


 駅のホームから飛び込み自殺を続けていた一之瀬が、初めて踏切から飛び込み自殺をした悪い意味で記念すべき日だった。


 最初で最後にしてほしい。


 時間を戻して踏切の前にいた一之瀬を説得するも、「嫌です。ここで自殺します。さようなら」と言って聞く耳を持たない。


 仕方なく彼女の腕を掴んで踏切から離れようとするも「病院に行くことを断固拒否する犬」みたいに踏切から離れようとしない。


 最終手段として、彼女をお姫様だっこして猛ダッシュした。


 運んでいる最中に「降ろしてください」と二十六回ぐらい悲願されたが、降ろした瞬間に線路へリターンしそうだったから無視した。


 予想していたよりも彼女は軽く、予想していたよりも手足をジタバタさせて抵抗された。ジタバタさせた手が顔にヒットして、地味に痛かった。


 踏切からだいぶ離れたところで、下校途中の小学生に指差されながら笑われ、「今日は自殺しません。本当ですから降ろしてください」と顔を真っ赤にしながら観念したので降ろした。


 その後、目の前にあったファミレスに入って、今に至る。


「あのですね、相葉さん。自殺を邪魔するのはいい……いや、よくないですけど、今日みたいなことはもう二度としないでください」


 彼女にしては珍しく必死な言い方に「注目の的だったな」と笑って返した。


「笑いごとじゃないです! 恥ずかしかったんですよ!」


「貴重な体験ができてよかったじゃないか。小学生もビックリしていたし」


「そうです、小学生にも見られて……忘れようとしていたのに」


 真っ赤になった顔を隠すように、テーブルに伏せた。


「僕だって恥ずかしかったんだ。お互い様だろ」


「恥ずかしかったって……私を降ろすとき、ずっと笑っていましたよね」


 図星である。


「ま、とにかくまたお姫様だっこされたくなかったら自殺を諦めるんだな」


  顔を伏せたままの彼女から「諦めません」と弱々しい声が返ってくる。


 自殺を邪魔し始めてから約四ヵ月。会話が増えたものの諦める気配は未だにない。ただ自殺を邪魔しているだけで、手詰まりな状況だった。なんとかしたいと考えるが、打開策が思い浮かばない。


「そろそろ注文したいから早く決めてくれ」と促すが、相変わらず「だから何もいりません」と腹を鳴らしながら拒否を続ける。


 いつまでも顔を伏せたままで、先に自分の分だけでも注文しようと店員を呼ぶと慌てて顔を上げた。


 メニュー表で顔を隠している辺り、だらしないところをウェイトレスに見られたくなかった、と推測される。なので、ハヤシライスを頼んだ後に「まだ決まらないのか?」と訊くと、気まずそうに「まだ決まりません」と言った。ウェイトレスの前では「何も食べません」なんて駄々をこねる子供みたいなことは言えないのだろう。


 若い女性のウェイトレスが「ゆっくりで大丈夫だよ」と微笑みかけると、「同じのでお願いします」と渋々注文した。


 ウェイトレスが離れていくと、ムッとした表情で「これが最後の食事ですから」と言った。僕は「はいはい」とメニュー表を片付けながら彼女の発言を流す。


 一緒に行動する機会が増えてから気づいたことだが、彼女は周りの視線を気にする。


 視線を気にすると言っても様々な種類があるが、彼女のは恐怖心や警戒心といったものだ。例えば、目の前から同年代だと思われる女子の集団が歩いてくると僕の後ろに隠れる。同じクラスメイトやいじめっ子と遭遇したくないのが理由だろう。他にも平日の朝から出歩いていることを気にしているのか、警官や店員など大人の視線も気にしているようだった。


 警戒しながら歩いている彼女の姿はまるで厳しい自然界で生きる野生動物みたいで、人間としては生きづらそうに見える。もっとも、人目を惹きつけるような容姿をしている彼女から連想する動物はどれも目立つものばかりで、どちらにしても生きづらいと思うが。


 最近は視線にびくびくしている一之瀬があまりに痛々しく見えて、言い訳作りのために延命させているこの状況が新たな罪悪感を湧かせた。


 本末転倒である。


 どの選択を選んでも罪悪感からは逃れられないのかもしれない。


 どうやったら彼女を救えるのだろうか。


 窓の外を眺めている一之瀬をジッと見ながら考えた。窓から入ってくる日差しが彼女の白い肌に反射して少しだけ眩しい。


 しばらく見ていると彼女に気づかれた。


「私の顔に何かついていますか?」


「どうすれば自殺を諦めてくれるのか考えていた」


 一之瀬はため息をつきながら「自殺は諦めませんって」とテンプレートな返事をする。


「もし、お前をいじめている奴がいじめをやめたり、謝ってきたら自殺をやめるか?」


 僕の問いに首を横に振って返した。


「今更謝られても困るだけです」


 自殺志願者らしい諦観した口調だった。


「向こうが謝ってくるとは思えませんけど、もし『ごめんなさい』の一言で、今までのことを帳消しにしなきゃいけないのなら謝ってほしくないです。このまま被害者でいた方が気持ちが楽です。もう彼女達に会いたくもないですし、顔を思い出すのも嫌なんですよ」


 僕は黙り込んだ。


 いじめが解決することで自殺をやめるのなら、いじめている奴らに金を渡して形だけでも謝らせたり、あらゆる手段を駆使して無理やり謝らせるといった反則的な手段もあった。


 だが、一之瀬本人はいじめの解決を望んでいない。


 それもそうだ。


 今更謝られたところでもう手遅れとしか言いようがない。


「ごめんなさい」の一言で解決する段階はとっくに過ぎている。


 もう円満に解決する方法が残されていないのなら、謝ってもらうより会いたくない気持ちの方が勝るのは当然である。


「お待たせしました」


 テーブルにハヤシライスが二つ置かれ、一之瀬がジッと僕を見てくる。先に僕が口にして「早く食べないと冷めるぞ」と促すと、彼女も食べ始めた。思っていたより熱かったのか涙目になりながら水を口に含み、二口目からは何回も息を吹きかけて冷ましながら食べていた。


 どうやら彼女は猫舌らしい。


「なにかやり残したことはないのか?」


 ハヤシライスを食べながら質問する。


「それはやり残したことがなければ、自殺を認めてくれるということですか?」


「いや、違う。やり残したことをやって考え直してほしいんだ。なんかないのか」


「あるわけないじゃないですか」


 平然と言ってのける彼女にため息をついた。


「逆に相葉さんはなんで私の邪魔をするんですか?」


 スプーンに息を吹きかけながらジト目で見てくる。


「そりゃ自殺すると分かっている人間を放っておくわけにはいかないだろ」


「私自身が死にたがっているのだからいいじゃないですか」


 不満気な顔のまま、「普通は誰が自殺するかなんて分かりませんけどね」と付け足す。


「いいわけないだろ。それに顔を見れば自殺するかどうかなんてすぐ分かるもんだ」


 僕は店内で笑談しているおばさん集団を指差して「あのおばさん達は自殺しないだろうな」と適当に予想した。


「それくらい私にも分かりますよ」と呆れ顔で返される。


「というか周りに自殺願望を察してくれる人はいないのか?」


「そんな人いませんよ。家族だって冗談だと思っていますし」


「冗談だと思っている?」と口にすると、一之瀬は慌てながら「今のは聞かなかったことにしてください」と手を小さく振った。


「家族に自殺願望を打ち明けたことあるのか?」とお構いなしに踏み込むと小さく頷いた。


「打ち明けたと言っても、ただ『死にたいなぁ』と呟いただけですけどね」


「それで家族の反応はどうだったんだ?」


 一之瀬は俯き、首を左右に振る。


「私、家族に嫌われているので」


「嫌われている?」


 一之瀬は言葉を詰まらせながら家族の話をした。


 彼女の話によると、中学に入学してすぐに実父が病で亡くなり、一年後に母親が再婚。現在は両親と再婚相手の連れ子である姉二人と五人で暮らしている。


 家族全員、一之瀬が学校でいじめられていることを知っているが義理の父親はとても厳しく、何があっても学校を休ませない主義の持ち主だった。


 当然、学校へ行きたくない一之瀬とは毎日のように言い争いになる。最終的に力づくで学校へ連れていこうとする父親から逃げる為に朝から家を出て、夕方まで外で時間を潰す生活になった。


 父親に反抗的な一之瀬を快く思わない姉達は嫌味を言うようになっていき、酷いときには暴力まで振るった。


 最初は味方だった母親も次第に父親側の肩を持つようになり、今では一人だけ蚊帳の外に置かれている。


 その状況に疲弊した一之瀬が、家族の前で思わず発した言葉が『死にたいなぁ』であった。


 しかし、誰も同情はしてくれず、父親には「そんなこと言うなら今すぐ死ね」と怒鳴られ、姉達には「悲劇のヒロインぶって」と罵られ、母親は見て見ぬふりをするだけだった。


 僕は家族との関係を話し終えて俯いたままの一之瀬に問う。


「自殺しようとしているのは、家族に『自殺する勇気があった』と思い知らせる為なのか? もしそうなら、そんな奴らの言葉で自殺するのはもったいなすぎる」


 一之瀬は「それもあるかもしれませんが」と前置きしつつ答えた。


「もう疲れました、何もかも。友達がいなければ父親には怒鳴られてばかり、姉達には馬鹿にされて母親は助けてくれない。学校にいても家にいても嫌な事しか起きない。もうこんな人生早く終わらせたいんです」


 そして、「だから、相葉さん」と彼女は続ける。


「私の死を喜ぶ人はいても悲しむ人はいないんです。私自身も死ぬことを望んでいる。困る人なんて誰もいないんですから、もう終わりにしてもいいじゃないですか」


 返す言葉がなかった。何を言っても気休めにしかならない。一之瀬の自殺願望を覆す言葉が出てこないのは当たり前だ。僕は寿命を手放した人間なのだから。


 それでも一之瀬の自殺を認めるわけにはいかず。


「駄目だ」


 たった三文字。彼女の自殺願望に立ち向かうにはあまりに弱々しい。一之瀬からすれば聞こえていても、聞こえていなくても同じようなものだっただろう。自分でも情けなく思う。普通の人だったら、こういうときにどんな言葉をかけるのだろうか。


 一之瀬は不満気な顔をして黙り込んだ。


 それから食べ終わるまで会話することはなかった。


 二人とも食べ終わり、会計を済ませようと財布を取りだしたところで思い出す。


「そうだ、これ」


 子犬が描かれたテレホンカードを渡した。


 以前、一之瀬に携帯電話の番号を書いた紙を渡したことがあった。


 なかなか受け取ろうとはせず、一回目は受け取りを拒否され、二回目は破かれ、三回目でようやく受け取った。「死にたくなった時や何かあった時に電話しろ」と言っておいたが、よく考えれば彼女は携帯電話を持っていなければ所持金も少ないはず。


 いつでも公衆電話からかけられるように用意していたテレホンカードを数日前から財布の中に入れていた。


「かわいい……じゃなくて、なんですかこれ?」


 テレホンカードに描かれた子犬をまじまじと見ている。


「何かあったら、これを使って前に渡した番号に電話しろ」


「あの紙なら捨てちゃいました。電話する手段がなかったので」


「お前なぁ……」と呆れかえりながら、レシートの裏に電話番号を書いてテレホンカードと一緒に差し出した。


「早朝でも夜中でもいつでもいい。死にたくなったり、困ったときにかけろ」


「電話する前に死にますよ」


「いいから受け取れ」


 受け取ろうとしない彼女に無理やり握らせ、その日は解散した。


「さようなら、もう二度と会うことはないと思いますけど」


「また今度な。気をつけて帰れよ」


「気をつけないで帰ります」


 小さくなっていく彼女の後ろ姿を見届けながら、不安に思った。


 いじめを解決しても意味がない。


 家庭内でも問題が起きている。


 なにをどうすればいいのかわからない。


 全て綺麗に解決する方法なんてあるのだろうか。人生から逃げ出した僕が考えたところでヒントすら出てこなかった。


 しかし、まったく進展がないわけでもない。一之瀬があっさり家族の話をしたのは意外だった。出会った頃の会話すらまともにできなかった彼女からでは考えられない。


 少しずつだが彼女の警戒心が解けてきているのは間違いない。


 時間はまだ残されている。


 このまま邪魔し続けて、もう少し様子を見るのも悪くないはずだ。

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