第6話 純粋ではありません

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 寿命を譲ってから二回目の五月五日。火曜日。晴れ。


 この日、一之瀬が十六回目の自殺を決行した。


 今回は『いつもの橋』からの飛び降り自殺だった。


 いつもの橋とは、死神と出会った場所であり、彼女が最初に自殺をした場所でもある、あの橋のことだ。大きな橋のわりに名前がついておらず、いつもの橋としか言いようがない。


 一之瀬の自殺はいつもの橋から飛び降りるか、電車に飛び込むかのどちらかだ。回数で言えば橋から飛び降りる方が多く、彼女がどこから来るのかは熟知している。


 橋の手前で会う約束をしていたかのように手を振ると、一之瀬は露骨に嫌な顔をしながら「こんにちは」と挨拶した。


「今日は生きていることの素晴らしさを教えてやろう」


「そうですか、さようなら」


「待て待て」


 逃げようとする一之瀬の腕を掴んで止める。


「今日だって家に帰りたくないんだろ」


「……まぁ、そうですけど」


「なら暇つぶしだと思ってついてこい。ついてこない場合は……」


「またお姫様だっこするとか言い出すんですね」


 諦めたように言う一之瀬。


 以心伝心とはこのことか。多分違う。


 橋から歩いて目的地へ向かう。


 一之瀬は僕の少し後ろをついて歩く。歩くスピードが早いのかと思ったが、ただ後ろに隠れていたいだけのようだった。


「着いた。今日はここだ」


「着いたってここ映画館じゃないですか」


 今日は映画館で暇つぶしすることに決めた。


「人が死ぬ映画を見れば、生きていることの素晴らしさが分かるかもしれない」


 などと意味不明な供述をしたが、いつも通り適当なことを言っただけである。


 中学、高校と孤立した学生生活を送ってきた僕には会話のバリエーションが少ない。共通の話題を簡単に作れる映画館を選んだのは……つまりそういうことだ。


「なるほど。絶対にありえませんね」


 真っ向から否定する彼女の手を掴んで映画館に入る。


「私、お金持っていませんよ」


「今日も奢りだから心配するな」


「もうすぐ死ぬ人間に奢ったってお金が減るだけですよ」


「もうすぐ死ぬ人間なら遠慮する必要もないだろ」


 映画館に入ると、薄暗いロビーにチケット売り場、グッズ売り場、フード売店などが並んでおり、上に設置されている大きなスクリーンには映画の予告が流れていた。


 この映画館に来たことは何度もあるが今日はいつもより混んでいる。


「平日なのに何故こんなに混んでいるんだ」と困惑したが、すぐ解決した。


 今日は子供の日だった。


 銀時計を手に入れてからは曜日感覚を保つだけの生活をしてきたせいで、ゴールデンウィークに突入していたことに気づかなかった。


 近場にある映画館はここだけで、すぐそばにはショッピングモールがある。ゴールデンウィークとなれば、子供連れの家族や学生の集団が集まるのは必然だった。


 人混みが嫌いな僕、同年代の視線を気にする一之瀬からすれば、好ましくない状況である。


 それにしても子供の日に自殺するとは。


 横にいる一見純粋そうな一之瀬を見ながら思った。


 視線に気づいた一之瀬が「なにか?」と言いたげな顔をする。そんな人の心配をまったく気にしていない一之瀬にため息をつくと「言いたいことがあるなら言ってください!」と軽く怒ってきた。


 察しろ。


「人が死ぬ映画を見るなんて言ったが、見たい映画があるならそれでもいい」


「そう言われても、何が上映されているのか知りません」


「……自殺以外のことも興味持ってほしいんだけどな」


 僕が苦笑いすると、「無理難題言わないでください」と残念すぎる返事が返ってきた。


 上映スケジュールが書かれているポスターの前には人だかりができている。


 上映スケジュールが書かれたチラシを手に取り、人混みから逃げるように一度外へ出た。


 チラシの中から一之瀬に見る映画を選んでもらう。


 まず最初に提案したのは、よくテレビなどで見かけていた恋愛映画。


 主演はイケメン俳優で女子なら恋愛映画とか好きそうという軽薄な考えで提案した。人が死ぬ映画にこだわるつもりはなかったが、どうやら難病物らしく恋人が死ぬのは目に見えていた。評判的にもこれで決まりかと思ったが、一之瀬の反応は微妙だった。


「うーん、恋とかそういうのよく分からないので、どうなんでしょう」


 学校に通っていたら彼氏がいてもおかしくない一之瀬が、そう言うのには少し違和感があったが彼女らしいとも思えた。


 次に提案したのは、リアルな戦争を描いた映画。


 人が死ぬを通り過ぎて、人が死にまくる映画だ。これを見て「私達は戦争がない時代に生まれたことを感謝しなければなりませんね。自殺するのはやめます」と考えを改める一之瀬を想像する。


 想像できなかった。


 一之瀬は難しそうな顔をして言う。


「血が流れるのはちょっと苦手です……」


 いつも自殺している人間が言うことか!


 とツッコミかけたが、なんとか抑えた。


 三番目に提案したのは変わった映画で、飼い主の女の子とクリスマスを過ごしたいカブトムシの話。


 夏の生き物であるカブトムシがクリスマスまで生きるのは難しい。どうやら命の儚さをテーマとした作品のようだ。


 これなら少しぐらい考えを、


「虫は苦手なので無理です。他のにしてください」


 カブトムシの映画は瞬殺だった。儚い。


 その次に提案したのは、幽霊が出てくるホラー映画である。


 人が死ぬというよりは既に死んでいる映画。単純に一之瀬が驚くところを見たかったのは内緒だ。


「逆にこういう映画の方が生きている実感が湧いていいんじゃないのか」


「なんだか怖そうな映画ですね……」


「幽霊とか苦手なのか?」


「作り物だと分かっていれば怖くないですし、大丈夫ですけど」


「大丈夫ならいいじゃないか」


「でも、本物のお化けが映っていた場合、見分けるのが……」


「それは大丈夫とは言わない。重症と言うんだ」


 その後、小さい子供が見るような魔法少女のアニメを提案して「子供扱いしないでください!」と怒られたりしたが、どれもイマイチな反応だった。


 最終的に「無難そう」という理由で、一番最初に提案した恋愛映画を見ることにした。


 チケットを購入してロビー中央で待っている一之瀬の元へ戻る途中、高校生ぐらいの男子達が一之瀬を指さして「あの子かわいくね?」「お前声かけてみろよ」と話し合っているのが聞こえた。当の本人は予告が流れているスクリーンを見ていて気づいていないようだった。


 上映時間まで待っていると、フード売店から甘い匂いが漂ってくる。


 キャラメル味のポップコーンの匂いだろうか。一之瀬も匂いにつられたのかフード売店の方へ視線を向けていた。


「何か食べたいものあるか?」と訊くと、一之瀬は遠慮するように「大丈夫です」と答えた。しかし、ちびっ子が持っているチュリトスに羨望の眼差しを向けている一之瀬を見て、列に並ぶことにした。


 チュリトスの他にもポップコーンを購入し、彼女に手渡す。最初は「いりません」と強がっていたが「会員だから貰っただけで、僕はいらない」と嘘をついたら「仕方ないですね」と頬を緩めながら受け取った。


 両手でチュリトスを持って食べる一之瀬の姿はリスとか小動物を連想させる。


 チュリトスを食べ終わる頃にはちょうどいい時間になっており、スクリーンへ移動して席に座った。


 照明が消えて予告が流れ始める。ホラー映画の予告が流れたとき、横に座っている一之瀬は必死に目を瞑っていた。


 肝心の映画は恋愛難病物のテンプレといった内容だった。


 女子高校生の主人公と余命半年と宣告された彼氏が、様々なハプニングを乗り越えていく。最後は残された主人公が彼氏の分まで生きていくと強く決心するところで終わる。


 正直、最初から最後まで予想通りの展開で泣けなかった。映画よりもポップコーンの塩味とキャラメル味を交互に食べたときの相乗効果に感動していた。


 しかし、終盤からあちらこちらですすり泣きしている声が聞こえてきた。どうやら感動しなかった方が少数のようだ。


「恋とかよく分からない」などと言っていた一之瀬も最後はぽろぽろと涙を流していた。ちなみにキスシーンではソワソワしながら手で顔を隠していた。


「生きているのは素晴らしいと思えたか?」


 映画が終わり、まだ泣いている一之瀬に訊いた。


「……少しだけ」


 ハンカチで涙を拭いながら答えた。


「それは良かった。ならば、もう自殺するのは……」


「やめません」


 即答だった。


「映画を見ても変わらないか」


「当たり前です」


「映画のように、とは言わないがもう少し生にしがみついてほしいんだけどな」


 残念そうに言うと、一之瀬は「現実と映画は違います。さっきの映画はあそこで終わっているから良い話で済んでいるんですよ」と拗ねながら言った。


 てっきり「ありえません」とか、軽く返されるとばかり思っていたから発言の意図をすぐに読めなかった。


「それに映画と違って、私には『生きてほしい』と応援してくれる人もいませんしね」


「いや、目の前にいるだろ。お前には生きてほしいし、死んだら悲しむ」


 一之瀬は「返事に困るようなこと言わないでくださいよ」と困惑しながら言った。


 僕は「困るな。泣いて喜べ」と返す。


「嘘で喜べるほど、私は純粋ではありません」


「さっきまで泣いていた純粋さはどこへ消えた」


 その後、映画の感想を言い合ってこの日は解散することになった。


「気をつけて帰れよ」


「気をつけないで帰ります」


 いつものやり取りをして別れた後、ようやくさっき発言したことの意図を理解した。


 おそらく病気で父親を亡くした自分と彼氏を失った主人公を重ねたのだ。


 父を亡くし、再婚して居場所がなくなった自分のように、大切な人を亡くした主人公の未来も暗いものになる。それが本当の結末だと一之瀬は考えているのだろう。


 確かに、前を向いただけで明るい未来が待っているとは考えにくい。


 あの主人公がその後、純粋に恋を楽しめるのだろうか。


 亡くなった恋人以上に大切な人ができるのだろうか。


 恋人を亡くしたことがない順風満帆な人間を見て嫉妬しないのだろうか。


 生きづらそうに過ごす姿しか頭に浮かばない。


 父親を亡くし、友達にいじめられ、見て見ぬふりをするようになった母親。大切な人を失い、変わっていく様を見てきた一之瀬だからこそ、そんな結末に辿り着いたんだろう。


 死んだ彼氏の方が幸せだったとすれば、僕と一之瀬の関係に似ている気もする。


 生きづらそうにしている一之瀬を生かして、自分だけ死のうとしている僕。


 彼女の想像したような結末を望んでいるわけではないが、今のままでは同じことだ。


 せめて死ぬ前に一之瀬の抱える問題ぐらいは解決してやりたい。


 帰り道に真っ赤な夕焼け空を見上げながら、そんなことを考えた。

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