第7話 勝負
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「今日はどこに行くか」
「あの世に逝きたいです」
「そうか、ゲームセンターに行きたいか」
「一文字も合っていません」
寿命を譲ってから二回目の五月十八日。月曜日。晴れ。
この日、一之瀬が十七回目の自殺を決行した。
今日もいつもの橋での飛び降り自殺だった。前回も今回も彼女から電話はなく、渡したテレホンカードは観賞用になってしまっているようだ。
普段と同じように橋の手前で一之瀬を捕まえて、彼女の意思を尊重した結果、ゲームセンターに行くことになった。
「ゲームセンターに行っても何もできませんよ」
そよ風で、一之瀬の綺麗な長い黒髪が揺れる。
「普段はゲームセンターに行かないのか?」
「小学生の頃に何度か行ったことありますけど、もう何年も行ってないですね」
暇つぶしには最適な場所なんだけどな、と言いかけたが、金を持っていない一之瀬に言ったところでアドバイスにはならないだろう。
彼女が親から小遣いを貰えているとは到底思えない。
この間だって駅のホームで自殺を止めた後、少し遠くの町へ観光しに行こうとしたら「お金が足りなくて降りれません。なので自殺します」などと言い出し、「運賃が足りなくて自殺する人間がいてたまるか」と説得して代わりに支払った。
金がないと、行動できる範囲にも限りがある。僕も家にいたくない人間だったからわかるが、学生の財布では暇つぶしするのも一苦労だ。
今は春だからいいが、夏や冬の時期は工夫が必要である。一之瀬が自殺を始めたのはクリスマス、冬の間はどこにいたのだろうか。
「家にいたくない時は、いつもどこにいるんだ?」
一之瀬は少し考え込んだ後、答えた。
「公園やホームセンターにいますね」
「ホームセンター? 駅の近くにあるあそこか?」
入ったことはないが最寄り駅の近くにあったはずだ。ここら辺だとそこしか思いつかない。
「そうです。あそこのホームセンターに熱帯魚屋さんが入っているんですよ」
「なるほど。そこの魚を眺めて暇つぶししているわけか」
魚が好きなのか問うと、「はい」と笑顔で答えた。
「魚も好きですけど、すごく可愛いウーパールーパーがいるんですよ」
「ウーパールーパー?」
僕が訊ねると、嬉しそうにウーパールーパーの良さを語りだした。
何を考えているのか分からない顔、フサフサでピンクなエラ、前足は指が四本なのに後ろ足は五本、水槽の前にいるとこちらへ向かってきて壁に頭をぶつける鈍感さ。
熱心にウーパールーパーの良さを語る一之瀬は少し興奮気味だった。珍しい。
「変な生き物が好きなんだな」
正直、ウーパールーパーの良さが分からなくて、それしか言うことがなかった。
一之瀬は「変な生き物じゃないです」と口を膨らませながら反論する。
「相葉さんだってヘビとか変な生き物、好きじゃないですか」
「ヘビ? なんでヘビなんだ?」
「いつも持っている懐中時計に刻まれているアレ、ヘビですよね?」
ああ、と納得した。ただのヘビではないが。
「あれはヘビじゃなくてウロボロスっていうギリシャ神話に出てくる生き物だ」
一之瀬は「うろぼろす?」と首を傾げる。
死神から銀時計を受け取った後、ウロボロスについて調べたことがあった。
ウロボロスとは自分の尾を噛んで飲み込み、円環状になっているヘビ、または竜のことだ。銀時計には一匹しか刻まれていないが、二匹が相食んでいる絵も調べている時に見かけた。
ウロボロスは不老不死や永遠などの象徴とされているらしい。
だとすれば、ウロボロスの銀時計は名前負けしていることになる。最大二十四時間しか戻せず、一度使うと三十六時間後まで使えない。どうやっても十二時間進んでいく。
この銀時計が永遠の象徴であるウロボロスを名乗るには程遠い。
まあ、もし永遠に時間を戻し続けられるとしたら、大抵の人間が寿命と引き換えに手に入れるだろう。取引の意味がなくなってしまうから仕方ないことである。
一之瀬にはウロボロスのことだけ話したが、あまり興味がなさそうだった。
ちなみに自殺を邪魔した後、一之瀬を遊びにつれていくのは時間稼ぎが目的だ。
例えば、時間を戻してから十時間経過した段階で自殺を邪魔したとする。あと二十六時間経たないと時間を戻せない状態だ。
その状況で二時間以内に再び自殺を決行されたらどうなるか。
銀時計の力が復活したときには自殺から二十四時間以上経過していることになり、彼女が自殺した時刻まで戻せないということだ。
この戻せない時間帯が過ぎるまで、彼女を見張る必要がある。
だから遊びにつれていく。
ゲームセンターの前に着くと、一之瀬が立ち止まった。
どうしたのか訊ねると、「平日の朝からゲームセンターにいたら不自然じゃないです?」と答えた。どうやら補導されるのを恐れているようだ。
「平然としていれば大丈夫だ。びくびくしている方が怪しまれるぞ」
「大丈夫だ、って相葉さんは学校休んで来たことあるんですか?」
ある、と答えてゲームセンターに入ると、「不良だったんですね」と呆れながら後ろをついてきた。
昔からゲームセンターや映画館にはよく行っていた。別にやりたいゲームや見たい映画があったわけではない。時間を潰せて、最低限集中できる場所ならどこでもよかった。
簡単に言ってしまえば、現実逃避ってやつだ。
何かに集中して現実から目を背けられる時間が僕には必要だった。
学校をサボって平日の朝から人が少ないゲームセンターや映画館で時間を潰す。一之瀬同様、僕も親とは仲が悪く、そこまで小遣いを貰えていたわけではなかったから毎日通うのは難しかった。
現実逃避する日は学生時代の僕にとって特別な日であり、唯一の楽しみでもあった。
気軽に行けるようになったのはウロボロスの銀時計のおかげだ。名前負けしていると言っても、この銀時計には助けられている。
僕達が入ったゲームセンターは三階建ての昔からある店。
一階と二階にはクレーンゲーム、格闘ゲーム、メダルゲームなどの様々な筐体が置いてある。そこだけ見れば普通のゲームセンターなのだが、三階がバッティングセンターになっていて他の店とは雰囲気も少し違う。平日の昼間で客が少なく、僕達にとっては好都合だった。
一番最初に目に留まったのは、ガンシューティングゲーム。襲ってくるゾンビを銃で撃退する定番のゲームで、選んだのは協力プレイできるやつだ。
「見ていますから」と距離をとる一之瀬の前で二人分の硬貨を入れた。コードで筐体と繋がっている銃を二丁取り出して、「ほら、手伝え」と片方を彼女に押し付ける。
「渡されてもやったことないですし……」
一之瀬は困惑しながら、受け取った銃をいろんな角度から眺めた。
そんな彼女をよそにゲームは開始される。
「え? え? どうすればいいんですか!」
既にゲームが開始されていることに気づいて、慌てて銃を構える一之瀬。
「初めてやるからよく分からない! やりながら覚えろ!」
アドバイスとは呼べないアドバイスを送った。正直、僕も最初に操作方法の説明があるだろう、と考えていたから慌てている。
最初の方はゾンビも弱く、初心者の僕達でも簡単に倒せた。次第に二人とも操作方法が分かっていき、途中まではスムーズに進んでいた、と思う。
僕がゲームオーバーになるまでは。
「すまん、死んだ。あとは頑張ってくれ」
「ちょ、ちょっと! 一人じゃ無理です!」
一人では手数が足りなくて、どんどんゾンビが近づいてくる。
左のゾンビを倒したら右のゾンビを撃つ。
慌ただしくゾンビに銃口を向ける一之瀬を見て、僕は横で笑っていた。
「笑ってないで助けてください!」
必死な声で助けを求めてくるので、コンティニューしようとするが百円玉がもうない。
両替することを告げて一度離れたが、千円札を両替機に入れたところで「来ないでー」と悲鳴が聞こえてきて間に合わないことを察した。
「相葉さんが遅いから死んだ!」
両替から戻った後、肩をぽこぽこ叩かれた。
次は何度も経験があるダーツをやることにした。一之瀬はやったことがなく、最初に練習で投げさせた。
「えい!」と勢いよく投げたダーツが的を外して壁に当たり、芸術的な跳ね返り方をして僕の頭を直撃した。反射的に「いてっ!」と声を出してしまい、一之瀬が慌てながら「ごめんなさい。大丈夫ですか」と謝った。
これは勝負以前の問題なのでは、と心配になってくる。
対戦ルールは初心者でも分かりやすいカウントアップを選んだ。
ルールは簡単。ダーツを三本投げたら交代、これを八回繰り返して終了時にポイントが高いプレイヤーが勝ち。
単純にポイントの高い箇所を狙って、点数を競うだけだ。
僕が本気を出したら勝負にならないだろうから、あえて低い点数を狙った。経験があると言っても狙ったところに百発百中刺さるほど上手くはない。狙いを定める練習になって、これはこれで楽しい。
一之瀬はブルズアイと呼ばれる真ん中の高得点ゾーンを狙っているようだが、何度投げても別のところに刺さってしまう。
しかし、刺さった箇所がトリプルリングと呼ばれるポイントが三倍になる箇所ばかりで、どんどんポイントが増えていく。
このままでは大差で負ける。
本気を出して一之瀬に追いつこうとするが、焦って投げたダーツが右にブレる。
僕の投げたダーツはことごとく低い点数の箇所に吸い込まれるように刺さり、一之瀬のビギナーズラックとも言える刺さり方は止まる気配がない。
追いつけないままゲームが終わり、負けた。普通にやって、普通に負けて、普通に悔しい。
その一方で「やったー」と両手を上げて喜ぶ一之瀬。
今日の彼女はいつもより少しテンションが高いように見える。これが素の彼女なのかもしれない。喜ぶ彼女を見ていたら、勝敗なんてどうでもよく思えてきた。
ただ、その後も「私、ダーツの才能あるかもしれません」や「ちゃんと狙って投げました?」などと言って調子に乗り始めたから、僕も「調子に乗るな」と負けず嫌いな素の自分が出てしまった。
やはり負けたら、悔しいものである。
「もうすぐ死ぬので、今のうちに調子に乗っておきます」
一之瀬はピースしながら笑顔で勝ち誇った。誰がどう見ても僕の完敗だった。
リベンジする気力もなくなり、バッティングがある三階へ移動。
バッティングはあまりやったことがなく自信はないが、ダーツで負けた鬱憤を晴らすにはこれしかない。
実際にやると、思ったよりバットにボールが当たって安心した。だが、当たるだけでなかなか前に飛ばせず、不完全燃焼のまま終わった。
一之瀬はボールが飛んでくるのが怖いらしく、やらなかったが隣にあるストラックアウトを指さして「あれならできそう」と言うので百円玉を渡した。
ボールを投げて一から九の番号が書かれたボードを射抜くゲームだが、一之瀬の華奢な手から放たれたボールは、ボードの手前でコロコロと転がった。
何度投げてもボードには届かず、途中からは僕が投げた。結果的に一列射抜いて景品の駄菓子を貰い、彼女にあげた。
その後もエアホッケーやレースゲームなどの対戦ゲームで遊んだ。一之瀬はどれも楽しんでいた様子で、いつの間にか僕も熱中していた。ほとんど負けたが。
しばらく遊んだ後、対戦ゲームから逃げるようにメダルゲームがある階へ移動する。
左右に一つずつある投入口にメダルを入れて筐体内のメダルを落とす、どこにでもあるようなメダルゲームに座った。
落ちてきたメダルが中央の排出口にたまっていき、そこから拾っては入れて、またメダルを落とす作業を黙々と繰り返す。
何回かメダルを取ろうとした一之瀬の手が間違えて僕の手を掴み、その度に彼女は照れ笑いしていた。
手持ちのメダルが少なくなり、「落ちろ」と二人で神頼みしているうちに時間が過ぎていく。
残り数枚から予想以上に粘れて、メダルが尽きた頃には夕方になっていた。これ以上いると本当に補導されかねないので、この辺で帰ることに。
帰り道、一之瀬が何か見ていると思ったらクレープ屋だった。派手なメニューの看板には様々なクレープが載ってある。
お互い何も食べずに遊び続けて空腹状態だったこともあり、吸い寄せられるように入った。
クレープなんて滅多に食べない。何を頼むか悩んでしまい、一之瀬におススメを訊こうとしたが、逆に「何かおススメありますか?」と訊かれてしまった。
僕達が悩んでいると女子高生の集団が来て、一之瀬が僕の後ろに隠れた。
女子高生達の方が早く決まり、イチゴやブルーベリー、キャラメルなど好みの味を各自注文していた。
悩んだ挙句、僕達が頼んだのは普通のチョコ生クリームだった。なんとなくだが、さっきの女子高生達と比べると、こういう店に慣れていない僕達らしい注文に思えた。
店の前には女子高生やカップルが笑談していて、一之瀬は後ろに隠れたまま。僕も居心地がよいとは思えず、食べ歩いて帰ることになった。
「何が一番楽しかった?」
クレープを頬張りながら食べている一之瀬に訊いた。
「んー、どれも楽しかったですよ」
「そりゃお前、ほとんど勝っていたからな」
僕がそう言うと、「相葉さんが下手なだけです」としたり顔で返された。
「絶対にリベンジするからな。覚えておけよ」
「それは無理ですよ。私死にますから」
クレープを食べていても平常運転であった。
口には生クリームがついている。
「僕が勝つまでは死なせない」
ついでに生クリームが口についていることを教えると、一之瀬は口を拭きながら「そんな理由で邪魔されるのは嫌です」と拗ねた。
残ったクレープを口に放り投げながら聞く。
「どんな理由ならいいんだよ?」
「どんな理由でも嫌です」
一之瀬は悪戯っぽく笑った。
口にはまだ生クリームがついている。
「気をつけて帰れよ」
「気をつけないで帰ります」
食べ終えたクレープの紙をゴミ箱に捨てて、解散した。
今日の彼女はいつもより笑顔が多かった気がする。
この調子で一之瀬が自殺を考えずに純粋に楽しめる日がくれば、と思う。
解散した後、近くの本屋に寄ってから帰宅した。購入したのはレジャー関連のガイドブック。場所選びの参考にするつもりだ。
「今度はどこにつれていくか、どこなら喜んでくれるか」
次に邪魔したときのプランを考えながら、夜遅くまで読み続けた。
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