第16話 出来もしない約束

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 ベッドの上で目を覚ますと、体に異変を感じた。


 熱があるわけでも、体がだるいわけでもない。


 腕に重みを感じて、布団を捲る。


 一之瀬が僕の腕に頭を乗せて眠っていた。


 寿命を譲ってから二回目の十二月二十四日。木曜日。雪。


 花火大会から四ヵ月以上経っていた。


 一之瀬はあの日から一度も自殺をしていない。


 自殺しなくなった後も部屋に毎日通い続けている。おかげで彼女の安否を調べる必要がなくなり、僕も平穏に過ごしている。


 自殺しなくなったことを除けば前と同じ……というわけでもなかったりする。


 この四ヵ月間で一之瀬は変わり、生活にも影響が出ている。


 まず一つ目は、受験勉強を始めたこと。


 あれはたしか、花火大会が終わった二週間後のことだった。


 部屋に訪れた一之瀬が真剣な顔つきで、「勉強を教えてください」と頼んできた。最初は学校のプリントを手伝わされるのかと思ったが、鞄から出てきたのは高校入試と大きく書かれた参考書だった。


 本人に尋ねると、高校受験に備えて勉強するとのこと。


 元々、自殺をやめたら高校へ進学するよう勧めるつもりではいた。普通の生活に戻るきっかけとしては最適だし、当の本人も七夕祭りの短冊に書いていた。


 ただ、不登校を続けていた彼女からすれば抵抗もあるんじゃないかと不安もあった。僕からすれば進学しなくても自殺をやめてくれただけで十分である。下手に刺激するような真似はせず、もう少し落ち着いてから話し合うつもりだった。


 それで彼女が乗り気でなければ、別の道を探すつもりでいた。


 そんなことを考えていた矢先に、一之瀬の口から進学の話が出てきたから正直驚いた。


 急に言い出したことを不安に思い、「無理して高校へ通わなくてもいいんだぞ」と声をかけたが、「私が決めたことですから」と彼女は答えた。


「相葉さんは今のままでいいと言ってくれましたけど、やっぱり私は自分を変えたいんです」


 そのとき見せた彼女の表情は二週間前まで自殺志願者だったとは思えないほど明るく生き生きとしていた。これなら僕がいなくなった後でもやっていけるだろう、と安心したほどだ。


 その日からほぼ毎日、彼女に勉強を教えている。


 教えていると言っても中学時代から落第ギリギリの低空飛行だった僕が教えられる箇所は少なく、一緒に首を傾げる回数の方が多かった。


 さらに言えば、説明が下手な僕に訊くよりネットで調べた方が効率が良く、足を引っ張っていた。それなのに一之瀬はわからない箇所があると、僕を呼んで訊いてくる。


 学校に通っていなかった分の遅れを取り戻すのは大変かと思われたが、学校のプリントをやっていたおかげで下地を理解していたのは大きかった。


 このままのペースならなんとかなりそう……だと思う。


 二つ目は、手料理を作ってくれるようになったこと。


 コンビニ弁当やカップラーメンばかり食べている僕の体を案じて、毎日手料理を作ってくれている。


「私が作りますから」と言いながら僕を引っ張り、調理器具や食器を買いに行ったのが始まりだった。


 小学校では調理部に入っていたと豪語する彼女は張り切って料理するが、最初は失敗作の連続で落ち込むことが多かった。俯きながら謝る一之瀬の前で、「これはこれでうまいから落ち込むなよ」と口に放り込んで完食したことが何度もある。もちろん味覚を遮断する能力等は持っておらず、キツいときは本当にキツかった。


 ネットでレシピを調べるようになってからは腕が上達していき、料理のレパートリーも増えていった。


 肉じゃが、カレー、ハンバーグ、豚汁、オムライスなど家庭的な料理が得意で、僕が一口食べると「どうですか?」と必ず訊いてくる。「うまい」と答えると、「よかった」と胸を撫で下ろすように微笑む。


 コンビニに立ち寄る回数も、外食する回数も激減し、今は彼女と食材を買いにいく方が多い。


 そして三つ目は、今まさに僕の横で一之瀬が寝ている、この状況のことだ。


 僕の腕を枕代わりにして、起こすのがもったいなく思うほど気持ちよさそうに寝ている。


 花火大会以来、僕の部屋に一之瀬が度々泊まるようになっていた。


 自殺をやめたとはいえ、問題が解決したわけではない。今でも家族との仲が悪い一之瀬は、大喧嘩するとプチ家出をして僕の部屋に泊まりに来る。


 しかし、流石に年頃の少女と同じベッドで寝るのは気が引ける。


 彼女の為に布団を用意したが、プチ家出をしてくるときは話を聞いてほしいようで、結局ベッドに並んで話を聞いている。普通に話を聞くんじゃダメなのか訊いたが、暗くないと恥ずかしくて話しづらいとのこと。


 つまり、あの一之瀬が甘えてくるようになったのだ。


 プチ家出をすると三回に一回は泣きついてくるし、勉強中には「疲れました」と言いながら僕の肩に寄りかかってくる。外では「寒い」と言って手を繋いできたり、僕にくっついてくることが多くなった。


「力になりたい」と言った以上、拒むわけにもいかず、彼女が頼ってくるのは僕としても嬉しいことではあるのだが、少し困っている。


 最近の彼女は妙に色っぽいのだ。


 中学生と言っても大人びているし、背が伸びてきて身長差が少し縮まった。華奢な体も女性らしい膨らみ方をしてきている。笑い方は前より明るく、小さな唇はふっくらして潤っている。


 僕も男だ。一之瀬が無邪気に無警戒でくっついてくるようになって、煩悩と向き合う寺修行みたいな日々と化していた。


 一度だけ彼女に「同じベッドで寝るのはやめた方がいいんじゃないか」と言ったこともあったが、大変だった。


 一之瀬は何もわかっていない様子で「どうしてですか?」と首を傾げた。「お前も来年には高校生になるだろ。男と同じベッドに寝るのは……その、どうなんだ」と返すと、考える素振りを見せた後に「相葉さんは私のこと異性として見ているんですか?」とモジモジしながら訊き返してきた。


「いや、そんなわけないだろ」と慌てて嘘をつくと、頬を膨らませて「……ならいいじゃないですか」と機嫌を悪くし、しばらく口を聞いてくれなかった。


 それ以来は彼女の好きにさせているが、この有り様だ。


 今日も横で眠っている一之瀬の肩を揺さぶって起こす。


 クリスマスイブであるこの日は、朝から雪が降り続いていた。


「相葉さん、雪積もってますよ」


 窓に両手をついて子供のようにはしゃぐ一之瀬。窓の外は白銀の世界が広がり、ベランダにも雪が積もっていた。


 誰も住んでいないような殺風景だった部屋も物が増えていき、生活感のある部屋に様変わりしていた。調理器具や食器はもちろん、窓際には観葉植物、テーブルには一之瀬が選んだよくわからない小物が置かれている。おもちゃ屋で一之瀬と選んで買ったボードゲームの箱もインテリアとして機能しているようだった。


 一之瀬が作ってくれた朝食を食べ終えた後、二人でクリスマスツリーの飾り付けをする。


 腰ほどの高さがあるクリスマスツリーは、一之瀬に「飾りましょうよ」と言われて通販で買ったものだ。


 サンタの人形、雪だるまの人形、リボンが巻いてあるプレゼント箱、赤い靴下、デコレーションボールなど、紐がついた小さな飾りを付けていく。


 ふさふさした金と銀のパーティモールと小さな電球が並ぶコードを巻き、最後にツリーの一番上に大きな星を取り付けて完成した。


 電源をつけると電球が光り、ピカピカと点滅する。


「クリスマスって感じがしますね」


 一之瀬が微笑み、僕も肯く。


 光り輝くクリスマスツリーを眺めつつ、ゲームをして過ごした。


 雪が降り止んだ夕方頃、一之瀬を連れてケーキなどを買いに外へ出た。


 既に除雪されている歩道を通って駅へ歩いていく。駅へ向かう途中にある並木道はクリスマス用にイルミネーションされていて光り輝いていた。


「綺麗……」


 文字通り、目を輝かせて一之瀬が呟く。


 クリスマスイブなこともあって並木道には多くの人が歩いていたが、ほとんどカップルだった。どのカップルも手を握り合っている。


 そんな中に僕達がいるのは場違いだな、と思っていると、一之瀬が「寒いから手を繋ぎましょう」と言って手を繋いできた。


 彼女の手の方が温かったが、手を繋いだまま幻想的な世界を進んだ。横を歩く一之瀬は白い息を吐きながら、無邪気な笑顔を見せる。


 このままずっと並木道が続けばいいのに、などと考えていたが、抱き合ってキスをしているカップルを直視した一之瀬は早歩きになり、僕の手を引っ張るように並木道を抜けた。


 駅前の店でケーキやチキン、ノンアルコールのシャンパンなどを買って帰宅し、部屋でミニパーティを開いた。テーブルにケーキ、チキン、パスタ、ピザといった様々な食べ物を並べ、クラッカーを鳴らす。


 二人で食べるには量が多かった気もしたが、食欲旺盛な一之瀬がいたおかげで問題なかった。


「相葉さんもイチゴは最後に食べる派なんですね」


 僕の皿に残っているイチゴを見ながら一之瀬が言った。彼女の皿にもイチゴが残っている。


「家では残しておくと姉達に横取りされるので、先に食べているんですけど、今日は気にしないで食べれます」


 にっこり笑う彼女の皿に乗ったイチゴを掴んで食べると、「私のイチゴ!」と嘆いた。


「油断している方が悪い」


 一之瀬はムスッとした顔で僕を見てくる。


 代わりに僕のイチゴを差し出すと、一之瀬は「食べさせてください」と言って口を開いた。彼女の口にイチゴを運び、食べさせると「いつもより美味しいです」と笑みを浮かべた。


「やっぱり最後に食べた方が美味しいだろ」


「そういう意味じゃないです」


 片づけをした後、部屋の電気を消してピカピカ点滅するクリスマスツリーを眺めた。


「今更ですけど、私なんかと一緒にいてよかったんですか?」


「なにが?」


 彼女の方を向いて訊くと、困った表情を浮かべていた。


「クリスマスなのに私といて平気なのかなって……その、恋人とかいたり……」


 徐々に声が小さくなっていき、最後の方は聞き取れなかった。


「毎日お前と一緒にいるんだから恋人なんてできるわけないだろ」


 一緒にいなかったら恋人を作れた、とは言っていない。


「じゃあ、来年も恋人いなかったら、また一緒にクリスマスパーティーしませんか」


 来年という言葉を聞いて戸惑った。


 来年の十二月二十六日に寿命が尽きる。四十八時間以内に死ぬ状況でクリスマスパーティーは無理だろう。


 一之瀬が高校に馴染んだ頃に、僕は姿を消すつもりだ。


「相葉さん?」


「一年後のことなんてわからないだろ。お前だって彼氏作っているかもしれないし」


 そう言うと、一之瀬は首を何回も横に振って「彼氏なんてできないですよ」と否定した。


「とか言いつつ来年の今頃は彼氏と過ごしているんだろうな」


「そんなことないですって!」


 彼氏じゃないにしても高校で友達ができればそっちを選ぶのは目に見えている。寂しく思うが、別にこういうのは初めてってわけでもない。


「絶対に恋人なんて作れないので、来年もクリスマスパーティーしましょうよ」


「お互い恋人ができなかったらな」


「本当ですか! 絶対ですよ。私は作りませんからね」


「はいはい、わかったって」


 出来もしない約束をした二日後、僕の余命は一年を切った。


 余命一年を切った後も月日は過ぎ去っていく。


 受験当日、一之瀬の背中を強く押して送り出した。


 一之瀬は無事に合格し、制服姿を見せに僕の部屋を訪れた。


 制服姿の彼女を見たときの気持ちは死ぬまで忘れないだろう。


 そして四月、一之瀬は高校へ通いだした。


 僕の役目が終わる日も近い。

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