第18話 寂しくないですか?
18
「昨日は一人で寂しかったんじゃないですか?」
夕飯を食べながら一之瀬が訊いてくる。
「別に」
平然とした態度で答える。
一之瀬は不満げに「そうですか」と呟いて味噌汁を飲んだ。
寿命を譲ってから三回目の六月三十日。水曜日。晴れ。
一之瀬が部屋に訪れる回数を減らし始めてから四週間が経ち、六月も終わりを迎えようとしていた。
最初の頃は朝食だけ毎日作りに来ていたが、今は一日置きに来ている。部屋に来る日でも放課後は友達と遊んでから来るようになり、前より一緒に過ごす時間が減っていた。
このまま徐々に来る回数が減っていき、僕達の関係は終わりを迎える。
それが本来、僕の考えていた中で最も理想の展開だった。
しかし、簡単にいかないのが現実である。
確かに来る回数は減っているが、定期的に来るようになっただけだった。
平日は月曜、水曜、金曜に必ず来る、というより「月水金に来ます」と彼女本人が言っていて習慣化している。土日も毎週どちらかは来ている。
習慣化してしまっている現状から見れば、ここからさらに来る回数が減るとは考えにくい。
それに「寂しくないですか」や「一人だと大変じゃないですか」などと訊いてくることが多い。当然、言葉の真意を理解しているし、彼女も伝わっていることくらいわかっているはずだ。
早い話、一之瀬は減らすどころか増やしたがっている。
頼みの綱であった『友達との時間を大切に云々』はもう使えない。
僕の口から「もっと友達を優先するべきだ」なんて言えば、一之瀬はまた嫌われているんじゃないかと思うだろう。
夕飯を食べ終えて、ベッドの上で横になりながら携帯ゲームをしていると、横に一之瀬が寝転がってきた。
「何のゲームをやっているんですか」
顔を近づけ、画面を覗き込む。彼女の体が当たり、反射的に離れるが「見えない」と言って体を寄せてくる。
「明日も学校だろ。そろそろ帰った方がいいんじゃないか」
「まだ帰りたくないです」
すぐ真横で白い歯を見せながら悪戯っぽく笑う。
「最近、この部屋にあるゲーム増えましたよね」
無言でゲームを続ける。
「ちょうど私が友達と遊び始めてから増えてきたような」と彼女が言ったところで、普段ならやらかさないような凡ミスをしてゲームオーバーになった。
ゲームオーバーと文字が出ている画面を見ながら、一之瀬は「やっぱり寂しいんじゃないんですか」と掻き立てるように微笑む。
「んなわけないだろ」
否定してコンティニューする。
「対戦相手になってあげようと思ったのに」
さっきより操作が雑になり、どんどん体力が削られていく。
図星だった。一之瀬が来ない日は何もすることがなく、彼女と出会う前の退屈な生活に逆戻りしていた。
最近は評判の良いゲームを手当たり次第に買って遊んでいるが、満たされることはない。ただの暇つぶしだ。電車の中で寝たふりするくらいならゲームしておくか、とかそういうのと同じ。
一日中、ゲームをしながら何回も時計を確認し、一之瀬が訪れる翌日まで時間を先送りできないものかとため息をつく。
これが彼女が来ない日の僕であった。
本音を言ってしまえば、僕も毎日会いたかった。一之瀬を連れてどこか遊びに行きたかったし、一緒にゲームもしたかった。
だからこそフェードアウトを狙う僕にとって、彼女の言動は甘い誘惑でしかなく、聞き流すだけで精一杯だった。
早いところなにか手を打たなければと思いつつも、どうせ半年以内に死ぬのだから最後くらい欲望に身を任せてもいいんじゃないかと考えてしまうときがある。なんとか今は持ちこたえているが、それも時間の問題だ。
つい最近も危ない出来事があった。
テレビを見ていると、一之瀬が横に座ってきて僕の手を握った。少し頬が赤くなっている彼女と目が合い、吸い寄せられるように見入る。
そして気づいたときには互いに顔を近づけ合っていた。寸前のところで我に返り、慌てて彼女の手を解いて水を取りに台所へ避難した。口惜しそうに自分の唇をなぞっている一之瀬の顔は忘れられそうにない。
一之瀬との時間を少しずつ減らしていけばフェードアウトできると思ったのが間違いだった。
会えない日が出てきたおかげで、どれだけ彼女の存在が大きかったか身に染みて理解した。
おそらく彼女も同じだ。一緒にいられる時間が制限されたことによって、僕も彼女も二人でいる時間を貴重なものとして扱うようになり、それ以外の時間を粗末に扱うようになっていた。
今では一之瀬と会える日がクリスマス以上に特別な日と化している。一日置きに会っていてもこれだ。織姫と彦星のやっていることは正気の沙汰ではない。
以前より互いを意識し合うようになった僕達は、焦らされるような日々を送ることで一触即発の事態になりかねないほど急接近していた。なにがフェードアウトだ。逆に近づいているじゃないか。
限られた時間を伸ばそうと一之瀬は「まだ帰りたくない」と言い出す。僕は顔に出さないように平静を装う。二人ともこんなの茶番だと理解している。探りを入れ合う段階はとっくに過ぎ去っているのだ。あとほんの少しどちらかが踏み込むだけで、僕達の間にある薄くて脆い壁は破れるだろう。
素直になれたらどれだけ幸せだろうか。
『僕の余命が半年でさえなければ』
********************************
寿命を譲ってから三回目の七月四日。日曜日。晴れ。
この日、駅で一之瀬が来るのを待っていた。
「今度の日曜日、どこか遊びに行きましょうよ」
そう言って一之瀬の方から誘ってきた。彼女との距離を詰めるような真似はもうしない方がいいと理解しておきながら、僕はあっさり誘いに乗ってしまった。
思い返せば、彼女が高校に通いだしてから、遊びに出かけることは少なかった。「これを最後の思い出作りだと思って楽しめばいい」と自分に言い聞かす。しかし、言い聞かされる方の自分は、また誘われたときに断れる自信がない。
「相葉さん、遅れてすみません」
駆け寄ってきた一之瀬を見て、少し驚いた。
いつもに増して彼女が魅力的だったからだ。明るめの青いカーディガン、白のキャミソールとロングスカート。普段の服装とは違い、新鮮で大人っぽく見える。
「どうしたんですか?」
無言で見惚れていたせいか、不安げに訊いてくる。
「いや、なんか今日はいつもより綺麗だなって」
「昨日、友達と買いに行って選んでもらったんです。今日は久しぶりに相葉さんとデー……お出かけなので」
照れながら笑う彼女は、今の僕には目の毒だった。
電車で向かったのは動物園。入場ゲートには大きな象のモニュメントが置かれている。「ダジャレかよ」と思ったが、一之瀬は「象の像ですね」と笑っていた。
入口から道なりに歩いていき、シカ、イノシシ、クマ、インコ、キジを見て回った。
くねくね曲がった道を歩いている間、他の来園者の視線が一之瀬に集まっていた。当の一之瀬本人は気づいていなかったが、デートに来ていたカップルの彼氏が一之瀬をまじまじと見ていて、横にいる彼女に頭を叩かれていた。
園内には昆虫園もあり、蝶の形をしたドームの前に着くと「やっぱりやめましょうよ」と僕の服を掴みながら一之瀬が言った。彼女の制止を無視し、伸びた服が犬のリードのように一之瀬を引っ張る。
ドームの中には所々に大きな木や花が植えられていて、熱帯植物園のようだった。
この昆虫園は温室で、蝶が放し飼いにされている。どこを見回しても様々な種類の蝶が飛び回っていて、花の蜜をストローのような口で吸っているところも見られた。
妙に人懐っこい蝶は時折、肩に止まることもあった。見ているだけなら問題なかった一之瀬は、肩に止まる度に体を硬直させていた。
一之瀬の周りを無数の蝶が飛び交う光景は神秘的に見えた。
もう彼女は羽のない蝶なんかではない。どこまでも一人で飛んでいけるはずだ。僕がいなくても。
昆虫園を出た後もゾウ、キリン、ペリカン、フラミンゴなどのアフリカに生息する動物を見て回った。チーターやサーバルといったネコ科の動物は人気らしく、檻の前に人が沢山いた。
ライオンを間近で見る為、シマウマの模様をしたバスに乗り込む。車体を見るまでライオンをモチーフにしているのかと思っていたが、シマウマ模様の方が近寄ってきやすいのだろうか。
バスが走りだすと、車内放送でライオンの習性や豆知識といった説明が流れ始めた。一日の睡眠時間が十五時間らしく、一之瀬は「相葉さんみたい」と小さく笑う。「十五時間も寝てないだろ」とツッコんでおいた。
遠くで横になっているライオンもいれば、近くに寄ってくるライオンもいた。これがシマウマ模様の効果なのかと心を躍らせたが、バスにぶら下がっている肉片を食べにきただけだった。
一之瀬は近づいてくるライオンに手を振ったりしていたが、間近に迫ってくると手を引っ込めて少し怖がりながら見ていた。
そんな彼女を指で突くと、飛び跳ねて乗客の視線を集めた。バスを降りてからしばらく口を聞いてくれなかったのは言うまでもない。
その後もオオカミ、ユキヒョウ、トラ、レッサーパンダ、カンガルー、エミュー、タスマニアデビルなどを見て回り、最後にコアラを見に行った。
コアラ館と書かれた建物に入り、薄暗い通路を歩いていく。
コアラが展示されている広い空間をガラス越しに覗き見るが、姿が見えない。
よく探してみると、一頭だけ木に掴まって背を向けていた。
近くにいた飼育員らしき男性の話によると、少し前まで二頭いたが最近仲間が死んでしまい、一頭だけになってしまったとのこと。
広い空間に一頭しかいない光景からは寂寥を感じる。
「今日見たコアラ、一人ぼっちで寂しそうでしたね」
帰り道、一之瀬がぽつりと言った。
国内にいるコアラの個体数は少なく、補充は難しい、と飼育員は心苦しそうに話していた。
あのコアラはずっと一頭で過ごすことになるのかもしれない。あの広い空間で、死ぬまで。
そんなことを考えていると、一之瀬が手を握ってきた。
「いきなりどうした」
「私はもう一人じゃないんだなぁって急に嬉しく思って」
微笑みながら、手をぎゅっと握ってくる。
「良かったよ、お前に友達ができて」
「どういうことですか?」
「もし僕が死んでも、あのコアラみたいに一人ぼっちにならな……」
喋っている途中、一之瀬は「相葉さん」と止めるように言った。
「冗談でもそういうこと言わないでください」
夕焼けに照らされた一之瀬は今にも泣きだしそうなくらい不安に満ちた表情だった。
「もしもの話だ。本気にするなって」と笑うが、一之瀬は俯いてしまう。
「相葉さんがいなくなるなんて……考えるだけで怖いです」
「大袈裟だな。僕がいなくたってもうやっていけるだろ」
一之瀬は首を横に振り、否定する。
「もう大切な人を失うのは嫌なんです。それに私は相葉さんのことが……」
その先を言おうか迷っている彼女の頭を撫でたとき、僕は後悔していた。
もっと早く関係を断ち切るべきだった。
余命半年も残っていないのだからもう少しだけ一緒に過ごしていたっていいじゃないか、と逃げていた。
最後くらい欲望に身を任せてもいい? 馬鹿か、僕が死んだら彼女がどれだけ悲しむかなんてわかっていただろ。最後の最後で汚点を増やすつもりだったのか、僕は。
「何があってもお前の前から消えたりしない」
一之瀬は「……約束ですよ」と僕を見つめながら言う。
「あぁ、約束だ」
嘘ではなく、本当に言えたらどれだけ良かったか。
このまま一緒にいられたら、どれだけ幸せだったか。
ありえたかもしれない日々を想像したところで、虚しさしか残らない。
僕は一之瀬の手を解いて、ウロボロスの銀時計を取り出す。
時間を戻して、今日の出来事をなかったことにする。
そして次に会ったとき、ちゃんと別れを告げよう。
どんな別れ方をしたって一之瀬は悲しむだろうし、今のまま長引けば余計に辛い思いをする。何より死に別れだけは絶対に駄目だ。父親を亡くしたときと同じ悲しみを再び背負わせたくない。
きっぱり言うべきだったんだ。そんなことは最初からわかっていた。なのに言えなかった。怖かったのだ。唯一繋がりがある彼女との関係を断ち切るのが。
もう時間はない。
もう逃げるわけにはいかない。
――今度こそ彼女との関係を断ち切る。
目を瞑り、心の中で彼女に謝りながら、時間を戻した。
「相葉さん……?」
目を開けると、一之瀬が目の前にいる。
景色も変わっていない。
どういうことだ。
何度やっても、
時間が戻らない。
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