第13話 おせっかい焼き

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 寿命を譲ってから二回目の八月十九日。水曜日。曇り。


 一之瀬とプールに行った翌日、ベッドの上で目を覚ますと体に異変を感じた。


 熱があるようで起き上がると全身が重く、だるい。


 どうやら風邪をひいたようだ。


 困った。引っ越してから風邪薬なんて買っていない。「どうせ三年後には死ぬ。病気を気にする必要なんてないだろう」と思って買わなかったのだ。


 つまり、この家には風邪薬がなければ、体温計もないし、絆創膏の一つもない。


 ゴホゴホ、と咳きこむ。喉が痛い。


 もう少し買い揃えておくべきだった、と今更後悔した。


 風邪薬を買いに行くほどの気力はない。だが、ウロボロスの銀時計がある。


 一之瀬と別れた直後に戻って風邪薬を……いや、どうせ時間を戻すのなら風邪自体ひかないようにした方がいいんじゃないか。遅くまでプールで遊んでいたことが原因で、風邪をひいたとするのならプールに行かなければ大丈夫かもしれない。


 …………。


 ウロボロスの銀時計を手に持ちながら考えたが、プールでの出来事をなかったことにするのは気が進まなかった。


 やっぱり一之瀬と別れた直後に戻って風邪薬を買うべきだ。あの時点で既にくしゃみをしていたが、葛根湯とか飲んでおけば少しはマシになるかもしれない。


 そのとき、ドアが開く音がした。一之瀬が来たようだ。


「相葉さんがもう起きているなんて……」


 部屋に入って早々、朝から起きている僕を見て驚いていた。


 風邪がうつらないように他の部屋に行くようジェスチャーを送る。ジェスチャーという言葉を使っているが、犬をあしらうときのアレと同じだ。しっしっ。


 しかし、逆に「どうしたんですか?」と好奇心に満ちた顔で近づいてくる。


「風邪をひいたみたいだ」


 自分でも驚くほど、掠れた声だった。


「どれどれ」と一之瀬の手が僕の額に置かれる。熱のせいか彼女の手はひんやり冷たかった。


「確かに熱っぽいですね。風邪薬は飲んだんですか?」


 首を横に振る。


「タオルとかはどこにあるんですか?」


 咳きこみながら首を横に振る。


「うーん……病院に行った方がいいんじゃないですか?」


 掠れた声で呟くように「行きたくない」と答えた。


「そんなこと言わないで行きましょうよ」と子供をなだめるように説得してくるが、僕は首を横に降り続ける。弱っているときに人が多いところに行きたくない。


 一之瀬は困った顔をしながら、「仕方ないですね」と言って台所へ向かった。


 台所から戻ってくると、濡れた白いハンカチを僕の額に乗せた。


「そのハンカチ、今日はまだ使ってなくて綺麗なので、今はそれで我慢してください」


 濡れたハンカチが熱を吸収してくれているようで、少し楽になった気がする。


「病院に行きたくないのなら、せめて薬くらいは飲んでください。買ってきますので」


 時間を戻すか考えたが、戻したところで改善するとは限らない。熱と咳で考えるのも面倒になっていき、金を渡して薬など買ってきてもらうように頼んだ。


「行ってきますね」と言って一之瀬が出ていくと、部屋の中はシーンと静かになった。ウロボロスの銀時計から微かに聞こえてくる秒針の音を数えながら、一之瀬の帰りを待った。


 気づいたときには校庭にいた。日差しが強い。


 すぐに夢だと気づいた。何度も見たことがある夢だ。


 通っていた小学校の校庭で運動会がやっていて、体操着姿の僕は当時と同じくらいの身長だった。万国旗が掲げられている校庭には体操着姿の児童と保護者で埋め尽くされている。


 僕はその中から親を探そうとする。探しているのは里親ではなく、産みの親だ。実際に低学年のときは運動会が開かれる度に来ていないかと探していた。特別にこの日だけ会いにきてくれるんじゃないかと馬鹿みたいに期待していたんだ。


 そのことが影響しているのか、同じような夢を何度も見る。夢の中で僕は両親を見つける。父親も母親も靄がかかって顔はわからない。二人に近づこうとすると、先生が僕の腕を掴み、「次は相葉くんの番だよ」と言ってつれていこうとする。「少し待って」と慌てて抵抗するが、先生は聞く耳をもたない。次第に二人の姿が消えていき、大体はそこで目が覚める。


 今回も顔に靄がかかった二人を見つける。でも近づこうとはしない。これは夢だ。足元にあった石を投げつけて、僕は校庭を出る。すると、後ろから声が聞こえた。


 振り返ると、死神がいた。


 ――貴方は必ず寿命を譲ったことを後悔する。


「相葉さん! 相葉さん!」


 目が覚めると、覗き込むように一之瀬が立っていた。


「うなされていたみたいですけど、大丈夫ですか?」


 心配そうに僕の顔についている汗をハンカチで拭いた。


 大丈夫だ、と全然大丈夫そうではない声を出して返事をする。


「薬を飲む前になにか食べないと。今、おかゆ作ってきますね」


 そう言って台所へ向かったが、思い出したかのように「その前に」と言って引き返してきた。買い物袋から取り出した冷却シートを僕の額に貼り付け、「待っていてくださいね」と言ってシートの上から優しく撫でた。僕は弱々しく手を振って答える。


 まさか自殺志願者の少女に、余命一年半未満の僕が看病されることになるとは……。天井をぼんやり眺めながら思った。冷却シートが熱と格闘を繰り広げている。


 しばらくすると、台所から一之瀬が戻ってきた。


「出来ましたよ」


 一之瀬が作ってくれたのは玉子がゆだった。「インスタントのですけど」と彼女は付け足していたが、それよりも見慣れない茶碗が気になった。


 この家には茶碗もない。食事はコンビニ弁当、カップラーメン、出前、外食のどれかで済ましているから、茶碗が必要になったことが一度もなく、買わなかったのだ。茶碗をジッと見ていると、一之瀬が視線に気づいた。


「これですか? 今買ってきたんですよ」


 そういえば、彼女がこの家に訪れるようになった頃、冷蔵庫、やかん、コップ、洗剤とスポンジしかない台所を見て「食器が見当たらないんですけど」「そんなものはない。使わないし」「カップラーメンばかり食べていたら体壊しますよ」とやり取りをした記憶がある。茶碗だけでなく、スプーンも買ってきたようだ。


「本当はちゃんとしたおかゆを食べさせてあげたかったんですけど、やかんしかないですし」


「やかんさえあれば生活できるからな」


「そんな不健康な生活をしているから風邪ひいちゃうんですよ」


 体を起こし、彼女が買ってきたストローが付いた紙パックのりんごジュースを飲む。


「はい、口を開けてください」


 一之瀬が玉子がゆをスプーンですくって、僕の口元へ近づける。


「自分で食べる」と言おうとした瞬間、スプーンを口の中に押し込まれた。


「熱ッ!」


 玉子がゆの熱さに叫ぶ。一之瀬は慌ててりんごジュースを差し出してきた。急いで飲む。


「ごめんなさい。大丈夫ですか?」


 もう一度、スプーンですくって今度はふーふーと息を吹きかけて冷ましていた。


「今度はきっと大丈夫です」


 再び僕の口元に玉子がゆが運ばれてくる。


 口を開かないでいると、「どうしたんですか?」と首を傾げた。


「自分で食べられる」


 呟くように言った。


 しかし、一之瀬は「遠慮しないでください」と言ってスプーンを渡してくれない。


「遠慮しているわけじゃない。中学生に食べさせてもらうとか恥ずかしいだろ」


 それを聞いた一之瀬はきょとんとした顔で訊いてくる。


「恥ずかしいんですか?」


「当たり前だ」


 僕がそう答えると、一之瀬は笑みを浮かべた。


「じゃあ、食べさせてあげますね」


 スプーンを口元に押し付けてきた。


 押し付けてくるスプーンを回避しながら「なんでだよ」と小さく叫ぶ。


「お姫様だっこしたりして散々人を辱めてきたんです。相葉さんも思い知るべきです」


 彼女の目は本気だった。僕の体を押さえながらスプーンを押し込んでくる。二十六秒間くらい抗ったが、大人しく食べさせてもらった。


「餌付けしているみたいで楽しいです」


「病人で遊ぶな」


 玉子がゆを食べ終えて、風邪薬を飲む。粉薬で苦く、りんごジュースで押し流そうとするが、逆に苦味が強調されて顔をしかめた。飲み終えると一之瀬が笑いながら「よく飲めました」と言ってティッシュで僕の口を拭いた。


「子供扱いするなよ」


 彼女に背を向けて横になった。後ろからクスクスと笑う声が聞こえる。


 その後も一之瀬は冷却シートを取り替えたり、ゼリーを(無理やり)食べさせてくれたり、ずっと僕の看病を続けた。


「風邪がうつるかもしれないから他の部屋にいっていろ」と何度も説得したが、ベッドの前から離れようとしない。仕方なく布団で口を隠して咳をするが、咳きこむ度に近づいてきて僕の背中をさする。


「そんなに近づいたら、本当にうつるぞ」


「死にたいと思っているんです。風邪ぐらいなんともないですよ」


 平然と言ってのける。その発言が彼女らしく思えて少し頬を緩めた。


「花火大会が終わったら自殺するつもりなのか?」


 咳き込みながら訊いた。一之瀬は僕の背中をさすりながら答える。


「えぇ、今度こそ自殺します。だからもうすぐ死ぬ人間に風邪とか関係ないんです」


「もうすぐ死ぬ人間なら病人を看病する必要もないと思うけどな」


 逆ですよ、と彼女は言う。


「もうすぐ死ぬ人間だから最後くらい恩返ししたいんです」


「恩返し?」と訊き返す。


「私だって心配してもらっていることには感謝しているんですよ。私には相葉さんしか味方いませんから……なにかお返しがしたかったんです。公園の入園料も払わせてくれませんでしたし、これくらいでしか恩返しできないじゃないですか」


「そんなこと気にしなくていい」


 僕は「ただ……」と付け足す。


「どうしても恩返ししたいと言うのなら生きてほしい」


 一之瀬はしばらく黙り込んで、「それはできません」と呟く。


「相葉さんはどうしてそこまでして私の自殺を止めようとするんですか?」


「生きていてほしいからって前から言っているだろう」


「そうじゃなくて、なんで私に生きていてほしいのか、が知りたいんですよ」


 もう僕の中では「罪悪感を払拭したい」とか「言い訳を作りたい」という気持ちは消えていた。公園でシャボン玉をしたとき……いや、もっと前からだ。いつの間にか純粋にただ生きてほしいと思うようになっていた。でも具体的な理由は思い浮かばない。


 僕は考えた末、こう答えた。


「自分でもわからない」


「わからないって……わからないのにあんなにお金や時間を使えるものなんですか?」


「なにか理由があるんだろうな」


 他人事のように言うと、一之瀬はジッと僕を見つめて再び黙り込んだ。


 でも、と僕は心の中で続ける。


『きっと、僕も彼女と似たような理由なんだろうな』


 一之瀬の看病のおかげか、翌日にはだいぶ楽になっていた。


 この日もおせっかい焼きにリンゴを食べさせてもらったが、昨日と比べると体が軽く、熱も下がっているようだった。


「もう大丈夫そうですね」


「これなら明後日の花火大会も問題ないな」


 結局、花火大会までに自殺を諦めさせることはできなかった。また自殺を繰り返す日々に戻るのだろうか。このまま看病し続けてもらった方が楽なんじゃないか、と少しだけ風邪が治りかけていることを残念に思う。


「花火大会と言えば、台風と被らなそうでよかったですね」


「台風?」


「台風向かってきているじゃないですか。明日上陸らしいですよ」


「風邪で寝込んでいたから知らなかった」と言い訳すると、「プール行く前からテレビで散々言われてましたよ」と呆れられた。


「じゃあ、明日は来れそうにないのか」


「……家にいると思います。相葉さんも安静にして休んでいてください」


「言われなくても明日は一日寝てる。風邪がぶり返したらまずいしな」


 そう答えると、彼女は静かに微笑んだ。


「相葉さん、少しは恩返しできたでしょうか?」


「あぁ、お前がいてくれて助かった」


 一之瀬の頭を撫でると、髪がくしゃくしゃになりながらも照れ笑いをした。


 実際、彼女がいてくれたのは心強かった。今まで風邪をひいても里親に頼らず、自力で治していた。「心細くなかった」と言えば嘘になる。誰かが傍にいてくれるだけで、こんなにも違うものだったんだな。余命一年半を切るまで、そんなことも知らなかった。


 目の前で微笑む彼女を見て、やはり彼女には生きていてほしい、と強く思った。


 彼女が自殺を再開したとしても止めてみせる。必ず。


「気をつけて帰れよ」


「はい、また明後日来ます」


 帰り際、一之瀬は言った。


「相葉さん、さようなら」


 ドアが閉まる音が聞こえ、その日は眠りについた。



 翌日、一之瀬が二十一回目の自殺を決行した。

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