第12話 夏休み

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 寿命を譲ってから二回目の七月三十一日。土曜日。雨。


 一之瀬が遊びに来るようになって三週間以上経った。


 この三週間で僕の家は彼女の避難場所と化していた。


 本格的な夏に突入し、猛暑が続く。飲み物を買う金すら持っていない一之瀬が外に長時間いるのは不安だ。加えて、夏休み期間に入ったことで平日でも学生が町中を歩いている。同年代を避けている彼女にとって最悪な時期と言えるだろう。


 その為、僕の家が避難場所として使われるのは必然的なことだった。


 七夕祭りに行った日から毎日欠かさず訪れ、基本的に朝から夕方までいる。


 一之瀬は家族より先に起きて、顔を合わさないように家を出ているようだ。僕がまだ寝ている六時頃に来るから、自由に出入りできるように合鍵を渡した。


 朝飯も食べずに来る一之瀬には「テーブルの上に置いてある菓子パンやカップラーメンなどを勝手に食べるように」と伝えてある。


 他にもポテトチップスやチョコレート、アイスなども買い揃えていて、テレビやパソコン、シャワーなども自由に使わせている。


 避難場所と呼ぶより娯楽施設の方が正しいかもしれない。


 最初は遠慮して部屋の隅っこで三角座りしていた一之瀬も今では娯楽施設を堪能している。


 明らかに菓子類の消費量がおかしいし、最近はパソコンにも慣れてきたようだ。ネット閲覧をしているようで、一度だけ「自殺の仕方を調べているんじゃないか」と不安になり閲覧履歴を見たが、ウーパールーパーの飼育ブログなどしか出てこなかった。疑って悪かった。


 僕が起きだすと勉強を始めて、わからないところを訊いてくる。どうやら学校から送られてくるプリントはしっかりやっているらしく、提出すれば単位も貰えるようだ。


 正直、一之瀬が自主的に勉強していたのは驚いた。


 彼女のことだから「もうすぐ死ぬ人間が勉強しても意味ありません」とかそういう思考になるのかと思っていた。少なくても僕はそういうタイプの人間だった。高校はほとんどサボっていたし、里親や先生から何も言われないのなら卒業しなかっただろう。


 やはり似ているだけで、僕とは違うところもあるのだ。


 勉強の方も最初は「字が汚いので見ないでください」と言ってプリントを手で隠していた。本人は汚いと言うが実際は汚くなく、丸っこくて可愛らしい字だった。


 しかし、恐ろしいほど正解率が低く、指摘していくうちに向こうから訊いてくるようになった。


 勉強を終えると、夕方までテレビゲームをしたり、映画を見たりして過ごした。


 僕も一之瀬も夏休み期間中はできるだけ外出したくなかったから、ほとんど家にいた。それでも何度か遊びに出かけた。ボウリングで低レベルな戦いをしたり、川に魚を釣りに行ったり、ダーツのリベンジをしたり、どこも人が多かったが一之瀬と過ごす時間は楽しかった。ダーツはまた負けたが。


 そんな日々を過ごしているうちに、気づけば七月も終わりを迎えていた。



 ********************************



 寿命を譲ってから二回目の八月十八日。火曜日。晴れ。


 この日は一段と暑かった。暑さと蝉の鳴き声で起こされ、エアコンの設定をいじっても部屋は蒸し暑いまま。一之瀬も汗だくで訪れて水をごくごく飲んでいた。


 一之瀬がシャワーを浴びている間、うちわを扇ぎながらテレビをつけると、レジャープールの特集がやっていた。画面には人で賑わうプールが映し出される。


 普段なら混雑しているような場所に行きたくなかったが、この暑さだと涼しげに見えて行きたくなってくる。


 シャワーを浴び終えた一之瀬が出てくると、僕は言った。


「プールに行くぞ」


「はい?」


 困惑する一之瀬をつれてタクシーに乗り込み、地元から離れた場所にあるレジャープール施設へ向かった。少しだけ酔ったが、タクシーの窓からゆらゆらと揺れる陽炎を見て「あの中を歩くよりはマシだ」と思った。


 辿り着いた場所は有名なところで、屋内と野外の両方にプールがある大きなレジャー施設だ。


「今更ですけど、水着はどうするんですか?」


 タクシーを降りると、一之瀬が訊いてきた。


「中で売っているらしいから好きなの買ってやるよ」


 夏休みなこともあって来場者が多く、その中に紛れるように建物へ入った。


 エントランスでチケットを購入し、持ち物検査を通ると、様々な水着が並んでいた。

 フロア全体が水着ショップで、複数の店が隣接しているようだ。水着の他にも浮き輪、ビーチボール、サンダル、ゴーグルなども売られている。


 一之瀬に水着やタオル、着替えを入れるバックなど揃えておくように、と金を渡して、僕も水着を探す。


 僕はサイズの合った黒のルーズスパッツを購入したが、一之瀬は水着選びに悩んでいる様子だった。しばらくすると「帰るのが遅くなるかもしれないので、家に電話を入れておきたいです」と僕から携帯を借りて電話しに行った。


 しかし、彼女が電話から戻ってきたのは十分以上もあとで、その後も水着選びに悩んでいた。


 水着選びが終わるまで携帯をいじって待っていたが、よく見ると通話履歴がなかった。代わりに「かわいい水着」「水着 おすすめ」などといった検索履歴が出てきた。自殺したり、大食いだったりする一之瀬もそういうところは気にするようだ。


「遅くなってすみません」


 袋を持った一之瀬が早歩きで戻ってきたのは、さらに十五分くらいあとだった。


 更衣室前で待ち合わせ場所を決めて別れる。


 着替え終わり、水着と一緒に購入した防水ポーチに金を入れて首から下げた。肌身離さず持っていたウロボロスの銀時計をロッカーに預けるのは少し心細く感じる。


 待ち合わせ場所である屋内プールの入口はむわっとして暑い。目の前に広がる巨大なプールでは数えきれないほどの来場者が水遊びをしていた。ドーム状の室内には所々にヤシの木が生えていて南国のビーチをイメージしているようだ。


「相葉さん」


 振り返ると、水着姿の一之瀬が恥ずかしそうに立っていた。


 白いホルターネックタイプのビキニで、一之瀬の清楚らしいイメージと合っている。フリルが付いていてかわいらしさもあり、彼女自身も白い肌、長い足やくびれでスラっと見せて水着の魅力を引き出している。


 水着姿の彼女を見ていると、恥ずかしがりながら「変じゃないですか?」と訊いてきた。


「変じゃない。見惚れていたんだ」


「……お世辞はいいです」


 からかわれたと思ったのか拗ねるように言った。乙女心は難しい。


 シャワーを通るとき、一之瀬が笑いながら小さく「冷たい」と叫んだ。


 入口から見えていた巨大なプールは、ビーチをイメージしたプールで奥にいくほど深くなっていくようだ。浅瀬部分は転倒防止の為なのか、下がざらざらしていた。プールの水は適度に冷たく、少しずつ体を水温に馴染ませながら奥へ歩いていく。


 腰辺りまで水が浸かったところで、一之瀬に軽く水をかけた。


「きゃっ!」


 一之瀬も反撃とばかりに水をバシャバシャとかけてくる。思いっきり水を飲んでしまい、咳きこんでいる間も容赦なく水を飛ばしてくる彼女に僕も負けじと反撃する。


 お互い息があがるほど水をかけあった後、プール横のはしごから上がって別のエリアに移動した。


 近くのエリアでは水深が浅めのプールの中にアスレチックがあり、小さな子供達が遊んでいた。


 様々な仕掛けが施されたアスレチックからは至るところから水が飛び出ている。上部には巨大なバケツが設置されていて水が溜まるとひっくり返り、大量の水が降ってくる仕組みだ。水が降ってくる箇所には人が大勢集まっていた。


「相葉さん、そこに立っていてください」


 一之瀬が吊るされてある紐を引っ張ると、僕の頭上から水が降ってきた。


「さっきのお返しです」


 悪戯っぽく笑いながら早歩きで逃げる一之瀬。そのあとを追って彼女を捕まえる。


「きゃあ!」


 一之瀬をお姫様だっこし、バケツの水が降ってくる箇所へ運ぶ。


 手足をジタバタさせる一之瀬を降ろすと、「こんなところでやめてください!」と怒ってきたが、同時にバケツがひっくり返った。


 バケツに背を向けていた彼女が水に押され、僕の方へ倒れてきて反射的に支える。


 ずぶ濡れになったカップルが笑い合っていたり、小さな子供達がはしゃいでいる中、一之瀬は僕に抱き支えられて顔を真っ赤にしていた。「さっきのお返しだ」と言うと、不服そうに頬を膨らませた。


 その後、いじけて口をきいてくれなかったが、昼飯にラーメンとアメリカンドッグとポテトを食べて、タピオカを飲んでいるうちに機嫌を取り戻してくれた。食欲旺盛である。


 屋外に出ると、日差しがじりじりと照りつけていて、体についていた水滴がすぐに渇く。地面も熱く、左右の足を瞬時に入れ替えながら移動した。


 アーチ状の噴水を掻い潜り、川のように長い流れるプールに入った。

 一之瀬は流れるプール専用の大きな浮き輪を借りて、それに乗ってぷかぷかと流れに身を任せていた。日差しが水面に反射してキラキラと光り、一之瀬の白い肌も光り輝いている。


 彼女の乗った浮き輪を引っ張って進むと「相葉さん、はやいですって」とはしゃぎ、浮き輪を回すと笑いながら悲鳴をあげ、僕がなにかするごとに子供っぽいリアクションをした。親子連れに囲まれていたにもかかわらず、僕は一之瀬を喜ばすことに夢中になっていた。


 流れるプールを一周し、次は浮き橋渡りに挑戦することに。

 水面に浮いている不安定な足場を進んで向こう岸を目指すが、思っていたよりバランスを保つのが難しい。なかなか前に進めないまま後ろでバランスを崩した一之瀬に押されて二人とも落下した。


「ビックリしたぁ……」


 目を擦りながら照れ笑いする一之瀬。


「ビックリしたのはこっちだ」


 水を飲んで咳きこみながら言った。


 あまり乗り気でない一之瀬を引っ張りながら向かったのは、ウォータースライダー。

 二人乗りのゴムボートに乗り、うねうねと揺られながら猛スピードで滑っていく。前に座っている一之瀬からは悲鳴が聞こえ、ずっと後ろで笑っていた。


「なんで笑っていたんですか!」


 ウォータースライダーを降りると、軽く体当たりされた。


 波のプールでは一之瀬を連れて奥の方まで入っていったが、打ち寄せてくる波が予想よりも高く、僕の背を超えていた。波が打ち寄せる度に歓声が湧いていたが、それどころではない。


 短い間隔で打ち寄せてくるから息継ぎするのが大変で、一之瀬は僕にしがみつきながら息継ぎをしていた。彼女の水着越しから柔らかい感触が伝わってくる……などと悠長なことを言っている余裕もなく、足が絡み合い、うまくジャンプができない。


 このまま溺死するんじゃないかと覚悟を決め始める。


 しかし、次第に波が弱くなっていった。


「死んじゃうかと思いました……」


 一之瀬が弱々しく呟いた。すぐに「溺死が嫌なだけで、死にたくないわけじゃないですからね」と慌てながら訂正し、僕は「はいはい」と言ってしがみついている彼女を降ろした。


 様々なプールで遊んでいるうちに暗くなっていき、帰る前に温水プールで体を温めた。


 冷たくなった体が優しく温まり、気持ちいい。一之瀬の白い肌も火照っていた。


「私、ここにずっといたいです」


 気持ちよさそうに一之瀬が言う。


「ふやけるぞ」


 同感ではあったが、冷静にツッコんでおく。


 僕も一之瀬も惜しみながら温水プールを後にし、着替えて出口で合流した。


 半渇きの髪のままタクシーに乗ったまでは憶えているが、すぐに寝てしまったようだ。


 タクシーの運転手に起こされると、僕の肩に一之瀬が寄りかかりながら寝ていた。


 地元の駅で解散する頃には、空が真っ暗になっていた。


「気をつけて帰れよ」


 あくびをすると、一之瀬は目を擦りながら「はい」と小さく返事をした。


 その後の記憶も曖昧でほとんど憶えていない。


 ただ、冷たい夜風に当たりながらくしゃみをして帰ったことだけは憶えている。

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