第3章

第11話 願いごと

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 寿命を譲ってから二回目の七月七日。火曜日。晴れ。


 この日、携帯電話から音が鳴り響いた。


 寝ていたところを着信音で起こされ、最初はアラームかと思った。


 今までネット閲覧、アラーム、カレンダーとしてしか使ってこなかった携帯電話が初めて本来の役目を果たす。


 寝ぼけながら電話に出ると、一之瀬だった。


 というか僕の電話番号を知っているのは彼女しかいない。


 寝起きのガラガラ声で「どうした」と訊く。


「死にたいです」


 ストレートに一言。


 現在地を訊いたが寝起きの頭では場所がわからず、いつもの橋で待ち合わせすることにした。


 電話を終えて時刻を確認しようとするが、視界がぼんやりしていて画面が見えない。意識と体がバラバラのまま洗面所に向かい、冷水を思いっきり顔にぶつけた。


 急いで支度して、橋へ向かった。「絶対に自殺するなよ」と念入りに言っておいたが不安になってくる。


 寝起きの体を無理やり動かして走るも、当の本人は橋の上でのんきにシャボン玉を吹いていた。公園の帰りに渡した袋を持っているところから、この間の残りだろう。


「もしかして、寝てました?」


 一之瀬の目線がいつもより少し上だった。自分の影を見ると、寝ぐせらしきものがある。


 あくびをしながら「朝は苦手だ」と言うと、「もう二時ですよ」と呆れられた。


 今日はどこに行くか、と考えたが、急いで家を飛び出たから財布を持ってきていない。


 仕方なく一之瀬を連れてマンションへ引き返す。


 マンションの前に着くと、一之瀬が立ち止まった。


「こんな時間に私がいるのっておかしく思われませんか?」


 憂わしげな表情だった。どうやら部屋に僕の家族がいると思っているらしい。


 一人暮らしなことを教えると、安堵の表情を浮かべた。


「おじゃまします」


 きょろきょろと部屋を見回して入っていく。


「なんかイメージと違いますね」


「違うってどんなイメージだったんだ」


「いろんなものが散乱しているイメージでした」


「ゴミ屋敷かなんかだと思っていたのかよ」


 部屋には必要最低限の物しかない。ウロボロスの銀時計で金を増やした後は好きなものを好きなだけ購入したが、結局飽きて捨ててしまった。


 残されたのはベッド、テーブル、テレビ、お気に入りの本やゲーム、その他生活に必要な物くらい。元から一人暮らしするには広い部屋だったから殺風景に思える。


「こんなに広いのに一人で暮らしているんですね」


「使ってない部屋もあるから家にいたくないときは使っていいぞ」


「それだと毎日来ますよ」


「毎日来ればいい」


 一之瀬はきょとんとした顔をして「本当に毎日来ますからね」と念入りに言った。


 僕としては毎日来てくれた方がありがたい。彼女の安否がわかれば、毎日ニュース等を調べる必要がなくなる。だから毎日来てほしい。お菓子あげるから。


 その後も窓の景色を見て「高いですね。ここから飛び降りれば楽に死ねそうです」などと感想を述べたり、ゴミ袋に山積みになっているコンビニ弁当の容器を見て「ちゃんとしたもの食べないと体壊しますよ」と心配してきた。ベランダに出るのは禁止にした。


 寝ぐせを直した頃には十五時を過ぎていた。起きてから何も食べてないから空腹だ。


「昼飯食べたか?」


 首を横に振る一之瀬。


「なにか食べに行くか」


 どこに行くか、と携帯で調べたとき、今日が七夕なことに気づいた。


 同時に近場で毎年七夕祭りが開催されていることを思い出す。


 携帯で検索すると、すぐに情報が出てきて今年も開催されているようだ。屋台が出ているだろうし、食べ歩きするのも悪くない。


 一之瀬をつれて電車で十五分、七夕祭りの最寄り駅に着いた。


 七夕祭りは駅前の商店街で開催されている。


 駅を出てすぐに人混みに流され、様々な屋台が出店されている商店街を進んだ。


 浴衣姿の男女やヨーヨーを持った子供などに囲まれながら進んでいると、むわっと香ばしいソースの匂いが漂ってくる。空腹感を刺激され、「やきそば」とでかでか書かれた屋台の列に並ぶ。


 透明のフードパックに入った焼きそばは、どこか懐かしかった。


 そういえば、小学生のときに友達と祭りに行って食べたことがあった。


 とくに欲しい景品がなかったのに僕も友達も雰囲気に流されてくじを引きまくり、腹が減り始めた頃には財布の中にほとんど金が残っていなかった。


 どうしても食べたかった僕達は僅かに残っていた小銭を出しあって買った一つの焼きそばを分けて食べた。


 自分にもそんな思い出があったな、と少し不思議な気持ちで懐古する。


 紅ショウガがちょこんと乗っているだけで、普通の焼きそばだったが美味しかった。


 あの日、食べた焼きそばも美味しかった気がする。祭りの焼きそばはそういうものなのかもしれない。


「すごい人の数ですね」


 一之瀬が焼きそばを食べながら言った。


「これだけ人が多いと戻るのも大変だな。気になる屋台があったら通り過ぎる前に言えよ」


「でも、今日もお金持ってないですよ」


「焼きそば食っておいて今更なに言っているんだ。祭りなんだから遠慮する必要ない」


 軽い気持ちで言ったこの発言が、悲劇を生んだ。


「相葉さん、焼き鳥食べたいです」


 焼き鳥を指さす。タレが美味しい。


「今度はあれが食べたいです」


 フランクフルトを指さす。マスタードをかけすぎた。


「相葉さん、こっちこっち」


 お好み焼きを指さす。ペロリと完食する一之瀬。


「次はあそこに!」


 イカ焼きを指さす。美味しい……が、そろそろ限界だ。


「並びましょう!」


 タコ焼きを指さす。限界を迎えて一之瀬だけ食べた。


「そろそろ甘いものが食べたいですね」


 チョコバナナを指さす。甘いものなら、と僕も食べるがやはりきつかった。


「甘いものを食べた後は……」


 焼きとうもろこしを指さす。リスを連想させる食べっぷりだった。


「相葉さん、あれやりたいです」


 金魚すくいを指さす。二人とも下手くそで逃げられた。


「金魚すくいの後はやっぱりあれですよね」


 たい焼きを指さす。金魚すくいの後に食べたくなるものなのか。


「塩とバターがかけ放題らしいですよ!」


 じゃがバターを指さす。最初は猫舌で苦戦しているようだったが食べきっていた。


「また食べたくなってきました」


 お好み焼きを指さす。もういいだろ、とツッコんだ。


「お前……よく食うな……」


 人間ではない何かを見るように言った。


「まだまだいけますよ」


 左手にわたあめ、右手にリンゴ飴を持ちながら素知らぬ顔で言う。


 金魚すくい以外、ずっと食べ歩いている。


 まさかここまで大食いだとは思わなかった。


 思い返せば、一之瀬はファミレスで食べ終わった後もメニュー表を見ることが多かった。あの細い体にこれ以上入るわけがない、とただメニュー表を見ているだけだと思っていたが、どうやら違ったようだ。


 食べたものがどこに消えていくのか不思議である。


 一之瀬が食べ終わるまで戦利品のヨーヨーで遊びながら待った。正確には「小さい子供でも取れているのだから余裕だろう」となめていたら返り討ちにあい、哀れみの目で見てくる屋台のおじさんに貰ったものである。


「君達! ちょっと来てくれないか」


 祭りを満喫していると、法被を着た中年の男性に声をかけられた。


 法被には「七夕祭り実行委員会」と書かれている。


 有無を言う暇なく僕達の腕を掴み、連行されるように引っ張られる。


 つれていかれた先には大きな笹が飾られていた。笹には様々な色の短冊が吊るされていて、クリスマスツリーと見間違えるような派手さがある。近くの台では短冊に願いごとを書いている人が大勢いた。


「君達にも短冊に願いごとを書いてほしいんだ」


 男性はそう言って、僕達に短冊とマジックペンを渡した。


 勢いに押されて受け取ってしまったが、短冊に書くような願いごとなんてない。


 一之瀬も何を書けばいいのか困っているようで周囲が続々と書き終わる中、ずっと二人で短冊とにらめっこしていた。


 ふと、小学生時代の苦い思い出がよみがえる。


 僕が小学一年生だったとき、七夕の短冊を書く授業があった。


 なんの授業だったか憶えていないが、道徳とかそこらへんだったと思う。短冊でなにかするわけでもなく、ただ担任は入学したばかりでわからないことが多い僕達の夢や願いごとを把握しておきたかったのだろう。


 周りを見ると、「サッカーせんしゅになれますように」とか「ゲームがほしい」など、小学生らしい願いごとが書かれていた。


 そんな中で僕が書いた願いごとは、「おやにあいたい」だった。


 産みの親に会いたかった。その頃の僕は捨てられたとは思ってなく、なにか事情があって迎えに来れないだけで待っていればいつか両親が迎えに来てくれるはずだと期待していた。


 しかし、短冊を見た担任は「他の願いごとはないの?」としつこく聞いてきた。


 当時の僕でもわかるほど露骨だった。


 先生は他の願いごとを書かせたいんだな、とすぐに看破した。


 でも何故、他の願いごとを書かせようとするのかはわからなかった。


 その願いごとは周りと何一つ変わらない普通の願いだと思っていたからだ。


 普通の願いごとを書いただけだし、クラスメイトの中には当時放送されていた特撮ヒーローになりたいと書いている奴もいた。叶えられっこない願いごとではなく、何故自分の願いごとがダメなのか納得がいかなかった。


 それに願いごとを消したら、本当の親に会えなくなる気がした。


 僕は書き直すことを拒否し続けた。しかし、無理やりに近い形で書き直させられた。消しゴムで消した跡が残る短冊はすぐに捨てたのを憶えている。


 今思えば、これが周りとの違いを感じた最初の出来事だった。


「相葉さん、『死にたい』って書いたら怒られますかね」


 一之瀬が周りに聞こえないように小声で訊いてきた。


「それが本当に叶えたい願いごとなら書けばいい」


「……冗談ですよ。いつもみたいに止めないんですね」


 予想外の返事だったようで、面白くなさそうな顔をしながら願いごとを書き始めた。このままだと一人で短冊とにらめっこする羽目になる。僕も急いで願いごとを考えて書いた。


『一之瀬月美が幸せになれますように』


 何時間考えたところでこれしか思いつかないだろう。余命一年半の人間が自分のために書く願いごとなんてなにもない。


 僕の短冊を一之瀬はむすっとした顔で見ながら言う。


「あの相葉さん」


「ん?」


「それ恥ずかしいんですけど」


「知らん」


 逆に一之瀬の短冊を見た僕は驚いた。


 彼女の短冊に『高校受験、受かりますように』と書かれていたからだ。


 信じられず、手に持って確認するが見間違いではなかった。


「高校に行きたいのか」


「死にたい以外だとこれしか思いつかなかっただけですよ」


 もうすぐ死ぬ人間には関係ない話ですけどね、と卑屈なことも口にしていたが、ただ無難なことを書いたわけでもなさそうな反応だった。


 法被を着た男性に書いた短冊を渡し、笹に飾り付けてもらった。


「僕の願いごとはどうやったら叶うんだろうな」


 笹に吊るされた短冊がひらひらと揺れている。


「どうやっても叶わないと思いますよ」


 他人事のように一之瀬は言った。


 短冊から解放された頃には空が暗くなりかけていた。あちらこちらに吊るされている提灯が商店街を赤く照らし、小さい子供が持っているおもちゃの剣やサイリウムブレスレットも光り輝いていた。


 帰りに二人でかき氷を食べた。

 僕はメロン、一之瀬はブルーハワイを頼んだ。数年ぶりに食べるかき氷はとても冷たく、小学生時代に食べたときの記憶と一致した。


「青くなっています?」と笑って舌を見せる一之瀬は、今日も無邪気な女の子に見えた。


 帰りの電車で一之瀬が「あっ」と声をあげた。


 どうやら僕の部屋にシャボン玉を置いてきてしまったらしい。「明日取りに行きますので」と言うので、その場でアラームを設定しておいた。


 翌日の早朝、一之瀬が部屋に訪れた。


 アラームより先にチャイムが鳴り、寝ぼけながら彼女を部屋に入れた。


 朝飯を食べていないと言うから、コンビニで買った菓子パンとインスタントのコーンスープを出して、僕はベッドに戻った。


 ベッドで横になりながらコーンスープに息を吹きかける猫舌の彼女を見ていたが、いつの間にか二度寝をしていたようだ。


 目が覚めると、ベッドの横で一之瀬が丸まって寝ていて危うく踏みかけた。起こさないように抱え、ベッドに乗せて布団をかぶせる。


 彼女の穏やかな寝顔を見て、安否を確認し続ける生活から解放されたことを実感した。


 この日を境に一之瀬が遊びに来るようになった。

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