第24話 永遠の終わり

 24


 声が聞こえる。


 僕の名前を呼ぶ声が。


「相葉さん! 相葉さん!」


 聞き慣れた声に起こされ、目を開ける。


 僕の上に一之瀬が乗っていた。


 彼女の瞳から零れた涙が、僕の頬に落ちてくる。


 状況が理解できないまま起き上がろうとしたが、一之瀬が泣きついてきて思いっきり後ろに頭をぶつける。


 頭を押さえながら、泣きじゃくる一之瀬を見ているうちに、自分の最期を思い出した。


 しかし、僕が今いるのは天国でもなければ地獄でもなく、ベッドの上。


 枕元に置いてあった携帯で日時を確認する。


 十二月二十五日の午後一時過ぎ。


 あれが夢だったとは思えないし、そもそも夢なら一之瀬は何故泣いている。


「時間を戻したのか?」


 一之瀬に尋ねるが、僕の胸元で首を横に振るだけだった。


 彼女の背中をさすり続けながら、時間が戻った原因を考える。


 いつまで経っても一之瀬は泣き止まない。


 そういえば、最期に彼女を慰めようとして、あと一日欲しいと願った気がする。


 だとすれば……。


 ベッドの下に手を伸ばして手探りで、ウロボロスの銀時計を探す。


 ウロボロスの銀時計を掴み取り、蓋を開けると思った通りだった。


 時間を戻せなくなってから消えていた時計の針が元に戻っていた。


 針は十一時五十九分五十七秒で止まった状態。


 僕が死ぬ直前で時間が戻ったのは間違いない。


 一之瀬の様子を見る限り、最期まで僕の手を握っていた彼女も記憶が引き継がれたようだ。


 何故、銀時計の力が復活したのかはわからない。


 考えられるのは後悔を払拭したことぐらいだが、もうそんなことはどうでもよかった。


 彼女の温もりを感じられる喜びだけで、今はいっぱいだった。


 今度こそ悔いが残らないように、僕はひたすら一之瀬を慰める。


 彼女が泣き止むまで三時間以上かかり、泣き止んだ後も僕の腕をぎゅっと掴んだまま離れようとはしなかった。


 あんな最期を体験してしまった後だ。


 今まで以上に二人で過ごしているこの時間が、この一秒一秒が、尊くて離れられない。このままずっと抱き合っていたかった。


 言葉を交わさずに二人で抱き合っている部屋の中は物静かで、時計の秒針音が聞こえてくる。


 ところが、耳を澄まして聞いていると部屋にある時計とは音が違うことに気づいた。


 聞き慣れた秒針音は一之瀬の鞄から聞こえてくる。


 鞄の中からウロボロスの銀時計を取り出した一之瀬は慌てながら駆け寄ってきた。


「相葉さん、私の時計……針が動いているんですけど」


 確かに針が動いている。


 二十六日の午前十一時半まで使えない銀時計の針が何故動いているのか。僕達は首を傾げながら考える。


「針が動いているのなら時間を戻せるってことですよね?」


「試さなきゃわからないだろ」


「……それじゃ、試してみます?」


 一之瀬の手を握った三秒後、一瞬にして風景が変わった。


 僕達はジェットコースターに乗っていて、隣に座る一之瀬の手がぎゅっと僕の手を掴んでいる。


「カタカタ」と音を立てて登っていくジェットコースターは、前日のクリスマスイブに乗ったものだ。


 僕達は互いの顔を見交わす。


「時間が戻――」


 次の瞬間、ジェットコースターが急降下し、一之瀬は悲鳴を上げた。


「どうして時間を戻せたんだ」


 ジェットコースターから降りて、真っ先に呟いた。


「うーん、ひょっとして持ち主の記憶と一緒に時計も引き継がれているんじゃないですか?」


 手に持ったウロボロスの銀時計を見ながら、一之瀬が言った。


「時計も引き継がれる?」


「前々から気になっていたんですけど」と前置きしつつ、話し出す。


「時間を戻してから三十六時間後に二十四時間戻したら、また三十六時間後まで使えなくなりますよね」


 僕は「そうだな」と肯く。


「でもそれって矛盾していませんか。そのまま二十四時間前の状態に戻るのなら、二十四時間後に時間を戻せてもいいはずですよね。それに時間を戻せる状態になるまで、最後に戻したときの時刻のまま針が止まっていますし、私達の記憶と同じように時計に関することも引き継がれているんじゃないですかね」


 確かに取引した人間しか使えなかったり、後悔したら使えないなど、まるで持ち主と紐付けされているかのような機能が、この時計にはある。記憶と一緒に引き継がれているというよりは記憶の一部なのかもしれない。


「これなら相葉さんの時計で一緒に記憶を引き継いだ私の時計も、最後に使用してから二十四時間近く経過した状態で戻ったことになりますよね」


 時間が戻った午後十一時五十九分の段階で、彼女の銀時計が二十四時間経過していた状態だった、とすれば僕達が起きた午後一時には三十六時間以上経過していたことになり、彼女の仮説は辻褄が合う。


「もし、その仮説が合っているのなら、二つの銀時計を使えば――」


「永遠に時間を戻せますね!」


 飛びついてくる一之瀬を、しっかり受け止める。


 ジェットコースターの入口近くで抱き合う僕達に、周囲の視線が集まった。


「だけど、そんな都合のいい話あるのか」


 僕は信じられずにいた。


 助かるかもしれない希望を信じられずにいたのは、この銀時計を渡してきた人物を思い浮かべたからだ。あいつが、このことに気づかないはずがない。


「んー、それは試さなきゃわかりませんよ」


 僕の手を、一之瀬は握る。


「私達はこれまで恵まれてこなかったんです。最後のチャンスくらい信じてみましょうよ」


 優しく微笑んだ一之瀬は自信に満ち溢れていて、安心感を与えてくれた。


 本当は期待して裏切られるのが怖かっただけなのかもしれない。


 まるで彼女に背中を押してもらって、一歩踏み出すかのように口を開く。


「そうだな、信じてみなきゃ始まらないもんな」


 僕がそう言うと、一之瀬は「そうですよ」と言って笑った。


 結果から言えば、彼女の仮説通りだった。


 記憶と一緒に引き継がれているらしく、手を繋がずに時間を戻した場合は、片方の銀時計に影響はなかった。


 ウロボロスの銀時計は名前負けなどしていなかった。僕達のように二つ揃って初めて一つになれる時計だったのだ。


 それから時間を戻し続ける日々が始まった。


 何度も時間を戻しては、二人でいろんな場所に出かけた。


 何十回繰り返しても、色褪せることのない日々が続く。


 一之瀬が死神と取引した日から十二月二十五日までの四ヵ月間を何百回と繰り返していくうちに、僕達は季節を一つ忘れた。


 延々と繰り返される四ヵ月間は傍から見れば抜け出せない迷宮みたいなものに映るかもしれない。


 けれど、僕達は一緒に過ごせるのならなんだってよかったし、何千、何万回と繰り返すつもりでいた。


 いつまでも二人で、永遠に。


 ――僕達の前に死神が現れるまでは。


 死神が現れたのは、何の変哲もない日だった。


 二人でいつもの橋の上を歩いていたときに、後ろから声が聞こえた。


「何回時間を戻したら気が済むんですかね」


 振り返ると死神が呆れた表情で、僕達を見ていた。


 もう僕達も何百回繰り返したのか覚えていなかった。もしかしたら四桁を超えていたのかもしれない。


「まだまだ戻し続けますよ」


 したり顔の一之瀬はピースしながら言う。


「それはどうでしょうね」


 死神の発言に「どういう意味だよ」と問いかける。


「今日は忠告しにきました」


 あの日と同じように死神は言った。


「あなた方、このままだと後悔しますよ」


「僕か一之瀬が後悔するとでも?」


「えぇ、今はお互いの為に時間を戻しあっていますが、生きるのを放棄したくなったとき、あなた方はどうなるでしょうか?」


 想像してみたが、いくらやっても生きるのを放棄した自分が想像できなかった。


 もし、そんな日が訪れるのだとしたら、一之瀬がいなくなったときだろう。


「ウロボロスの銀時計を二つ使わないとループは成立しません。片方でも使えなくなったら、それだけで終わりです。片方を生かす為にしぶしぶ時間を戻して延命するなんて責任感だけで生きるようなものです。いずれ面倒に感じてくるんじゃないですかね。その銀時計を手にしなければ、あなた方は出会わずに一人で気軽に死ねたのですから。寿命さえ譲らなければ、ね」


 それを聞いて、僕達は鼻で笑った。


「ありえないな」


「ありえませんね」


 彼女と出会えたことを後悔するなんて、絶対にありえない。


 二人の反応を見て、死神が問いかけてくる。


「わかりませんね。どうしてあなた方はそう言い切れるのですか? お二人はずっと死にたがっていたじゃないですか。この先も死にたくならないなんて言い切れないはずでしょう?」


 死神の問いかけに、一之瀬が答えた。


「死にたくなったとしても相葉さんが邪魔してくれるので、大丈夫なんですよ」


 笑顔でそう答えた一之瀬は僕の腕に抱きつき、「それに慰めてくれますしね」と付け足した。


 一之瀬に向けられていた死神の視線が、僕に向けられる。


「なぁ、死神。もうわかっているだろ」


 寿命を手放したときの僕ではない。


 今の僕には生きなければいけない理由がある。


 確かに死神の言う通り、この先もまた死にたくなるようなことがあるかもしれない。


 それでも隣に彼女がいてくれるのなら、僕はもう自分の命を粗末に扱ったりしないだろう。


「後悔するかどうかは心を読めばわかる。そう言ったのは、アンタだ」


 交わした視線を逸らすことなく、僕は死神の目をジッと見続けた。


 川のせせらぎが、心地よく聞こえる。


 僕達から視線を逸らした死神は、残念そうに口を開く。


「何を言っても無駄なようですね」


 一之瀬は僕の顔を見て、にっこり微笑んだ。僕は彼女に微笑み返す。


「ただし、このまま時間を戻し続けるのを見過ごすわけにもいきません」


 橋の上に風が吹き、一之瀬の長い黒髪がなびく。


「ウロボロスの銀時計は返してもらいます」


 死神の発言に、二人とも反射的に言葉が出た。


「返品?」


「それってつまり……」


 僕達は手を握り合いながら、死神が次に発する言葉を待った。


 死神は明後日の方を向いたまま、確かにこう言った。



「寿命をお返しするってことです」



 その一言が、僕達にとってどれだけ聞きたかった言葉か、今更語る必要はないだろう。

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