第19話 後悔

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 寿命を譲ってから三回目の七月十八日。日曜日。晴れ。


 この日、一人で公園の原っぱに来ていた。


 原っぱ中央にある大きな木の下でシャボン玉を吹く。ふわふわと飛んでいくシャボン玉をぼーっと見つめながら、ため息をつく。なにも楽しくない。


 今日は一之瀬が部屋に訪れない日。たしか友達と遊びにいくとか言っていた気がする。


 時間を巻き戻せなくなってから二週間、僕はまだ彼女との関係を断ち切れていなかった。


 あれから何度も時間を戻そうと試みたが、まったく反応がない。それどころか蓋を開けてみると、時計の針が消えていた。時計盤だけが残っている状態で、もはや懐中時計と呼べるかすら怪しい。


 時間を戻せなくなった原因はわかっていない。


 懐中時計は衝撃に弱い、となにかで見たことがある。乱暴に扱った覚えはないが、丁重に扱っていたわけでもなく、単純に壊れてしまっただけという可能性はありえる。


 とは言え、百円ショップで買ったような安物の時計とは違う。寿命と引き換えに手に入れた時計なのだから、簡単に壊れてしまっては困るなんてレベルじゃない。


 死神にクレームをつけたいが、向こうから現れないと文句の一つも言えない。観察をしているのなら、僕が会いたいことは向こうもわかっているはず。姿を現さない死神に苛立っていたが、これが狙いで姿を現さないとなると向こうの思う壺だ。


 ただ可能性は低いが、死神の身に何か起きたというのも考えられる。あんな奴だ、誰かに刺されたとしてもおかしくない。


 死神の身に何か起きたことが原因で、ウロボロスの銀時計が使えなくなったのだとしたら、ひょっとして寿命が戻ってきたり……などはちょっとだけ考えた。


 そんな虫のいい話があるはずがない。


 寿命を手放したときに襲いかかってきた喪失感が今も残っている。あの日から何かが欠けたままなのだ。だからきっと余命は半年未満のままだろう。


 死神がどうなっていようと、一之瀬との関係を断ち切ることには変わりない。


 レジャーシートの上で仰向けになり、木漏れ日を浴びながら考える。どうやって別れを切り出すか。いくら考えても良い案が思い浮かばない。


 あれだけ覚悟を決めたというのに、このザマだ。


 ただでさえシビアな問題だったのが時間を戻せなかったことで「消えたりしない」などと約束をしてしまう形になり、余計に悪化させてしまった。今の状況でハッキリ会えないなんて言ったら、間違いなく最悪の別れ方になるだろう。


 こんなことになるのなら、時間を戻せるうちに行動するべきだった、と今更後悔しても遅い。どうにかして一之瀬を傷つけずに彼女の前から姿を消す方法を見つけるほかない。


 何も思いつかないまま夕方になり、家に帰ると鍵が空いていた。


 鍵を閉め忘れたことを疑う前に、一之瀬が来ているんじゃないかと心躍った。部屋に入るも電気がついていない。鍵を閉め忘れただけかと落胆したが、うっすら人影が見えて、慌てながら部屋の電気をつける。


「来ちゃった」


 目の前にいたのは一之瀬……ではなく死神だった。


 いつもと声のトーンが違い、かわいらしい声だったが、死神の地声を知っている僕からすれば突然人形が喋りだすぐらい不気味で、恐怖でしかなかった。テーブルには買い溜めしておいたポテトチップスが袋だけの状態で置かれている。勝手に食うな。


「なにが来ちゃった、だ。不法侵入だろ」


「そんな怖い顔しないでください、予行練習ですよ」


「なんの予行練習だよ。そんなことより時間が戻ら……」


 死神の人差し指が、僕の口元に置かれる。


「話はあとです。今日は見せたいものがあります」


 そのままタクシーを呼べだの命令され、休む間もなく外に連れ出される。


 移動中に時間を戻せなくなった原因を訊きたかったが、運転手の前で「時間が戻らない」などと話したら行き先が病院になりかねないので、降りるまで会話することはなかった。


 家から少し離れたファミレスの前で降り、料金は僕が支払った。というかドアが開くと同時に死神が降りやがった。


「見せたいもんがあるんじゃないのか」


 急な階段を上りながら訊くと、「すぐにわかりますよ」と返ってきた。


 一階は駐車場、階段を上って二階の入り口から入るよくあるファミレスだ。こんなところで何を見せるというのだろうか。それに地元のファミレスに行った方が近かった。わざわざここを選んだのはタクシー料金を多く支払わせる為とかそんな理由だろう……と思っていた。


「いらっしゃいませ!」


 店内に入ると、元気な声と同時にウェイトレスが軽くお辞儀をした。


 ウェイトレスと目が合った瞬間、『見せたいもの』がなんなのか理解した。


「相葉さん……なんでここに……?」


 ウェイトレスの格好をした一之瀬が目の前にいた。


 フリルのついたピンクと白のウェイトレス制服を着た一之瀬は、僕を見て動揺している。動揺を隠せないのは僕も同じだった。


「お前、バイトしていたのか」


 バイトしているなんて聞いていなかったし、バイトしたいとも口にしていなかった。一体いつから働いていたんだ。それに今日は友達と遊んでいるんじゃなかったのか。


 一之瀬は小さく頷いた後、恥ずかしそうに「お席にご案内します」と言って歩き出した。


 テーブルへ案内するとき、一之瀬は何度も僕の方を見てきたが、死神と向かい合わせて座ると彼女の目線が死神に向いていることがわかった。


「ご注文がお決まりになりましたら……ボタンを押してください」


 逃げるように去っていくと、死神がクスクス笑いだした。


「知らなかったでしょう? 彼女、つい最近ここで働き始めたんです」


 一年前の彼女では考えられないことだ。しかし、何故バイトしていることを隠していたのだろうか。


 僕の心を見透かしていた死神が答える。


「貴方へのプレゼントを買う為にバイトを始めたのです。健気ですね」


 感心する素振りを見せつつ、「私がバラしちゃいましたけど」と品のない笑いをする死神。


 これから関係を断ち切ろうというのにそんなこと教えなくていい、と心の中で死神に言った。


「嫌がらせをする為にここへ連れてきたわけか」


「まさか、私は貴方を助けてあげようとしているだけです」


「助けに?」


「その通りです。寿命を譲ったことを後悔した貴方を助ける為に、です」


 死神は確かにそう言った。


 僕が後悔している? すぐさま否定しようとしたが「もう一度言います。貴方は後悔しています」とニヤニヤ笑いながら先に言われた。


「貴方はここ最近、何度も『寿命を譲ってなければ一之瀬月美とずっといられる』と考えていたでしょう? それは紛れもなく寿命を譲ったことへの後悔です」


 死神の言う通り、何度も考えはした。しかし、


「余命が半年でなければ、と思っただけだ。後悔するもなんも銀時計がなければ一之瀬とも出会えてなかっただろ」


「いいえ、貴方は割り切れていない。現に貴方はウロボロスの銀時計がなくても橋の上で出会えたかもしれない、という妄想をしたことがあるではないですか」


 記憶を勝手に漁られることを不快に思いながらも反論する。


「確かに考えたが、一度でもすれ違いになれば一之瀬が自殺して終わりだろ。今のような関係になっているとは到底思えない」


「でも、寿命を譲らなくても出会えた可能性を考えたことに変わりないのでは?」


「…………」


 言い返す言葉が見つからなかった。あんな妄想をしている時点で、後悔していると思われても仕方ない。いや、もしかしたら本当に……。


「私は貴方が後悔しているかどうかなんてどうでもいいんですがね。ただウロボロスの銀時計は『後悔した』と判断をしたのでしょう」


「銀時計が判断?」


「ウロボロスの銀時計は、寿命を譲ったことを後悔した人間には従わないんですよ」


「つまり、後悔したら時間を戻せなくなるということか?」


 そういうことです、と死神は平然と言う。


「もっと早く言えよ」と怒ったが、死神は「忠告はしましたし、貴方が絶対に後悔しないと自信満々でしたので、言わなかったんですよ」と悪びれる様子を見せずに言った。


「大抵の人間は肝心な場面で時間を戻せなくなってパニックになるんです。慌てふためく姿を観察するのが醍醐味なのですが、貴方のは本当つまらなくてガッカリでした」


「あのな……時間が戻せなくなったせいで、一之瀬と約束をしてしまったんだぞ」


 死神は呼び出しボタンを連打しながら、「だからお詫びとして助けにきたのです」と不敵な笑みを浮かべた。


 オーダーを受けにきた一之瀬は、死神をチラチラと見る。


 僕はハヤシライスを、死神はエスカルゴのオーブン焼きを注文し、一之瀬が「ご注文は以上で……」と言いかけていたときだった。


「ねえ、ダーリン。明日もお家に行っていい?」


 バカップルでも言わなさそうなことを口にしたのは目の前の死神だった。無理やりかわいらしい声を出しているが、やはり僕の目からはショッキング映像にしか映らない。


「はぁ? なに言って……いっつ!」


 テーブルの下で脛を思いっきり蹴られた。


「二日に一回しか会えないなんて私嫌だよ。もっと会いたいよ、ダーリン」


 いやいや、マジでやめろ。心を読めるんだから聞こえているだろ、やめろ。


 一之瀬は青ざめた表情をして、何も言わずにテーブルから離れていく。


「いきなりなに言い出すんだよ」


「彼女との縁を切る口実を与えてあげたんです。感謝してください」


 何を言っているのかわからなくなり、考える。そして凍りつく。


「……まさか、彼女ができたことを理由に別れを切り出せと?」


 その通りです、と死神は言う。


「…………」


「…………」


「……アンタが彼女なんて嘘でも嫌だ」


「私だって貴方みたいな人間、タイプじゃありませんよ」


 笑談している家族連れや学生の集団に囲まれる中、僕達のテーブルに異様な空気が流れる。


「大体、あんな三文芝居で一之瀬が信じるのか」


「信じてますよ。彼女、席に案内しているときから私のことを恋人じゃないかと疑っていましたからね。私の名演技と相まって、今は心の整理が出来ていないようです」


 本当かよ、と疑うが、青ざめた表情をしていたのは確かである。


「そもそも貴方が腰抜けだからこんな事態を招いたんです」


「腰抜け?」


「はい、貴方は腰抜けです。自分から関係を断ち切る勇気がないから彼女の方から離れていくようにフェードアウトする方針をとった。最初から彼女の好意をきっぱり拒んでおけば、こうはならなかったでしょう」


「早い段階できっぱり言わなかったことが悪手だったのは認める。だけどそれは結果論だ。一之瀬を傷つけないようにするには少しずつ距離を置いていくしかなかっただろ」


 死神が鼻で笑う。


「距離を置いて最終的にどうするつもりだったんです?」


 口をもごつかせながら、「引っ越すとかいろいろあるだろ」と答える。


「もしそのときに連絡先を訊かれたらどうしていたんです?」


「そのときは……」


「彼女を盾に使わないでください。どうやったって彼女が傷つくのはわかりきっていたはずです。連絡を取れなくなっても彼女はずっと貴方を待ち続けますよ」


 忠犬ハチ公みたいに、と一人で笑う死神を無視し、自分がどうするべきか考えた。本当にこんな別れ方にしていいのだろうか。もっと別の別れ方はないのか。


「まぁ、今ならまだ彼女との関係を修復できますし、残った時間を彼女と過ごしても誰も貴方を責めたりはしませんよ」


 死神は「ただし」と続ける。


「彼女は実の父を失っていますからね。貴方まで失ったら、きっと次は立ち直れないでしょう。自分の人生を救うか、彼女の人生を救うか、選択するのは貴方です」


 一之瀬ではなく、他のウェイトレスが料理を運んでくると、死神はのんきに食べ始めた。僕は食が進まず、食べ終わるまでに時間を要した。


 その後、死神とは別れ際まで会話がなかった。


 部屋に戻り、ベッドの上で仰向けになりながら自問自答を繰り返す。答えが出ている問題を何度も掘り返しては埋める。もう僕の中では結論が出ているのに何時間も続けた。


 午後八時頃、ドアが開く音が聞こえた。


 部屋に入ってきた一之瀬が「来ちゃいました」と呟くように言う。


「どうした?」と訊くと、一之瀬は「今日一緒にいた女性……」と口にするが、それ以上言葉が出てこなかった。


 僕は「あぁ、彼女だ」と伝える。


 その瞬間、一之瀬の瞳に涙が溜まっていく。


「恋人いたんですね……えっと、いつから……?」


 泣きそうになりながらも堪える一之瀬は以前よりも大人びているのに脆く見えた。


「お前が高校に通い始めてすぐだな」


「そんな前からだったんですね……」


 沈黙が流れ、彼女の鼻を啜る音だけが微かに聞こえる。


「あの、私はもうここに来ない方がいいですか?」


「そうしてもらえると助かる」


「……そう……ですよね。じゃあ、たまに電話しても……」


「電話も控えてほしい」


 心を無にして口だけを動かすが、溢れ出る罪悪感を抑えきれず、「悪い」と口から漏れた。


「相葉さんが謝ることないですよ。私こそ気づかなくてごめんなさい。私、こういうことに疎いから……」


 瞳から零れてくる涙を手で拭い、合鍵をテーブルの上に置き、かぼそい声で「変な勘違いしちゃってたみたい」と彼女は笑いながら言った。彼女が精一杯作った笑顔は痛々しく、すぐに目を背けた。


「今までお世話になりました、さようなら」


 玄関へ歩いていく一之瀬の後ろ姿を見ながら、僕は再び自問自答を繰り返す。


 これでいいのか、こんな別れ方で、本当に。


 今ならまだ間に合う。後ろから抱きしめて、今までのことを全て話せば、きっと一之瀬ならわかってくれるはず。


 走馬灯のように一之瀬との思い出が蘇ってくる。お姫様だっこしてファミレスまで運んだことを。一緒に映画を見たことを。ゲームセンターのゲームで対戦したことを。水族館の帰りに見せた満面の笑みを。公園でシャボン玉をしたことを。次々とフラッシュバックしていく。


 嫌だ、こんな別れ方なんて――


「一之瀬!」


 呼び止めてしまったことに気づいたのは、一之瀬が玄関の前で振り返ったときだった。


 彼女の泣き顔を見て、我に返った。僕はさらに彼女を泣かせようというのか。残り半年もない人生の為に、彼女の人生に傷をつけようとしたことが情けなかった。


「ちょっとそこで待っていろ」


 前々から用意していた封筒を取り出し、玄関の前で一之瀬に渡す。


 破れそうなほど分厚い封筒の中に入っているのは、札束だ。


「なにか困ったことがあったときに使ってくれ」


 しかし、一之瀬は受け取らない。あの日のように。


「こんな手切れ金みたいなお金いりません」


 嗚咽を漏らし始めた一之瀬の瞳からぽろぽろと涙が落ちていく。


「そういうんじゃなくて、今まで料理とか作ってくれただろ。そのお礼として……」


 なだめるように言うが、一之瀬の涙は止まらない。


「お金が欲しくて……料理していたわけじゃ……」


 そう言い残して、あの日と同じように手の甲で涙を拭いながら、僕の部屋から出ていった。


 力が抜けた僕の手からは封筒が落ち、玄関に札が何枚か散らばった。


 今すぐ一之瀬を追いかけて、慰めたい。


 でも僕にはその資格がない。


『余命半年でなければ』


 この胸の痛みこそが、寿命を譲ったことへの後悔なのだろう。

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