第22話 ○※▲$@×の行方

 目が覚めたのが寒気からなのか痛みからなのかはわからなかった。気付いたときには激しい痛みと寒気で、身体が動かなくなっていた。猛烈な悪寒がして震えが止まらない。枕元にあった体温計で体温を測ってみると、38℃を超えていた。これまでにもそれぐらいの熱が出て目が覚めたことはあったが、こんな風に悪寒があったり震えたりしたことはなかった。

 このとき、自宅が100坪の豪邸とかじゃなくて良かったと心底思える出来事が起きた。深夜4時、偶然この瞬間に、年を取って眠りが浅くなったらしい父がトイレに起きたのである。私の寝室はトイレの目の前にあった。私は大声で叫んだ。

「父さん! 父さんだよね? 父さん!」

「えっ……えっ……えっ?!」

 今、父の立場になって冷静に考えれば、めちゃくちゃ怖い状況である。

 激しく動揺していたが、そのときの私はそれどころではなかった。

「お願いがあるんだけど、リビングにある薬の棚から、私の引き出しを持ってきて欲しい……あと、水を」

 うちの家族は高脂血症だの高血圧だの何かしら持病を持っているので、それぞれの薬の入っている棚があるのである。それをもってきて欲しいと言ったのだが、結局どれかわからなかったらしく、父は母をたたき起こしてきた。

「なに、どうしたの」

「熱があって動けない……とりあえずロキソニンとステロイドを飲みたい……あとめっちゃ寒いから毛布が一枚余ってたら欲しい……」

 持ってきてもらったロキソニンとステロイドを飲んで追加の毛布にくるまり、それから3時間程度経って、動けるようにはなったが熱は全然下がらなかった。これまで夜に38℃の熱が出たときは、何もしなくても明け方には平熱か、そうじゃなくても1℃ぐらいは下がっていたので、明らかに何かが違った。


 ところで、このエピソードを書くに当たって例によってtwlogを見てみたところ、前回の記述に勘違いがあり、この金曜日は午前中の皮膚科の診療予約しか入っておらず、私は午後から出勤する予定でいたようだった。というのも、私の所属している部署は月に一回、当番になった社員が、自分の担当している業務に関する進捗をプレゼンしてディスカッションするというセッションが開かれており、まさかのその日は私が担当になっていたのである。この状況の私をプレゼンの当番に指名した課長の配慮のなさには絶望しか抱けない。

 とか思いながら、今日とても会社に行けそうな体調じゃないです、と電話したところ、

「今日、もともと午前半休で申請してたよね? 勤怠システムってどう書き換えれば良いの?」

「え……それ週明けに自分でやるんでほっといてもらって良いですか……」

「だって放っておいたら総務からなんか電話かかってくるかもしれないじゃん」

「じゃあそのときに課長が総務に自分で聞いて対応してもらえます? 私もわかんないんで」

 イライラしながら電話を切り、病院に向かった。


 もう流石に、今回はステロイド増量一択だろう、と思いながら診察室に入った私だったが、熱と痛み、そして膿も出ていると報告したところ、皮膚科の先生は困ったように数秒考えた後、思いもかけないことを言い出した。

「一度、切ってみますか」

「きっ……き、き……る……?」

「外科で一度針生検してますけど、それからちょっと症状も変わってきますし、もう一度病理検査をしてみましょう。メスで、こういう風に」

 例によって、赤い色鉛筆で謎の小さな丸が描かれる。

「切り取って。あと、出て来た膿でも検査をしましょう」

 確かに、この膿の中身は気になるところではある。

「膿が出て来てる、もう穴が空いてしまっているところを取りましょう。そしたら後で綺麗にしやすいですから」

 一応、おっぱいのことなので、後々の見た目のこととかも気にかけてくれているんだなあ、と、申し訳ない気持ちになった。私、結婚とか恋愛の予定もないしあんま気にしないからざくざく切ってもらってもかまいませんけどね、ぐらいの気持ちでいた。この時点では膿が出て来ているのは一カ所で、そこに穴が空いているぐらいで、大きくおっぱいの形が崩れているという状況ではなかったので、本当にあまり気にしていなかった。


 処置室に通されると、看護師さんが血圧計と体温計を持ってきた。最初の皮膚生検の時に書き忘れたが、メスを入れるときは必ず血圧と体温を測定するらしい。いつも診察室で先生のアシストをしているのとは別の、初めて会う若い看護師さんだった。診察担当の人と処置室担当の人がいるのだろうか?

 血圧は正常、体温は37℃ジャストになっていた。流石に解熱鎮痛剤とステロイドが多少は効いてきたようだった。

「えー……普段から平熱高い方ですか?」

「いや、むしろ低いんですけど、今日、明け方に発熱してて……」

「うーん、今、気持ち悪いとか頭痛いとかってないですか? じゃ、大丈夫でしょう!」

 看護師さんが豪快に言い切って準備に入った。何のための測定なんだ、まあいいけど。

 上半身の服を脱ぎ、タオルにくるまりながら処置台の上で待っていると、まもなく先生がやってきて、医療ドラマの手術シーンとかに出て来そうな、青くて真ん中に大きな穴が空いている紙? ゴワゴワの布? みたいなのを持ってきた。その穴部分が私のおっぱい部分に当てはまるようにかぶせる。布が大きすぎて顔にペシッと当たり、雑に私の視界は塞がれた。カメラで患部を撮影する気配がする。

「麻酔打ちますね、ちょっと痛いですよー」

 元々痛いのでもはや無である。ほどなくして触られても感触がわからなくなってきた。メスを入れたっぽいな、と思った。

「○※▲$@×ちょうだい」

「はいっ!」

 なんか、聞き取れない専門用語っぽいのが交わされている。頑張って目ん玉を横の方にずらしてみると、青い紙の隙間から銀色の容器のようなものがちらっと見えた。医療ドラマでよく血を吸い取った綿とかを入れてるようなやつだ。

「うーん、膿、多いですねえ」

 なるほど、切ったら膿が出て来たから受け皿を出したんだな! と勝手に想像する。

「○※▲$@×を」

「はいっ」

「……おい、これじゃあ汚いじゃないか」

「あっ、そうですね、すみません! 別の持ってきます」

 ちょっとまって、今の会話めっちゃ怖いが大丈夫か?

「○※▲$@×は」

「○※▲$@×?! はい、探してきます!」

 皮膚科でもあまりやらない処置とかケースで、イレギュラーなものを沢山要求されているのだろうか。看護師さんが慌ただしく部屋の外に行って何かを運んできた。

「碧さん、穴が空いている状態なので、少し詰め物のようなものをしますね」

 そう言われると同時に、麻酔の効いている状態でもわかるぐらい、何かをぎゅーぎゅーと押し込まれる感覚がした。ちょっとだけ痛かったが、すぐに慣れた。

「終わりましたよー」

 看護師さんの声とともに視界が開ける。まぶしさに目を細めた。

 処置の後にもう一度血圧を測り、処置前と大きく変わっていないことを確認すると、看護師さんが「処置後の傷痕の手当について」という説明の紙を渡してくる。内容は、膝の生検をしたときと同じものだった。

「1日目はお風呂には入らないで、2日目以降は、シャワーを優しく当てる感じで、患部を清潔にしてくださいね」

「シャワー当てる時って、さっき言ってた「詰め物」とか言うやつを取ってシャワーするんですか?」

「いやいや! あれは大事なものなので、そのままにしといてください」

「あ、そうなんですね! 危ない、聞いといてよかった」

 そんな会話をした後、もう一度診察室に呼び出された。

「抗生物質はやめて、ステロイドを一旦戻しましょう」

 ステロイドが増量になったのは一安心だったが、細菌検査の結果も気になった。

「細菌はやっぱり出なかったんでしょうか?」

「一般細菌はなかったようです。残り、特殊抗酸菌(ちょっと名前が曖昧。とりあえず、特殊な抗酸菌、みたいなことを言っていた)の検査結果がまだ時間かかるんですけど、もしそれが原因だった場合、今処方してる抗生物質はどちらにしろ効かないんですよ」

「なるほど」

「あと、今日切った傷口に塗る軟膏を出しておきますね。今日はお風呂ダメですけど、明日以降はシャワーぐらいなら浴びて大丈夫なので、その後に塗って下さい」

「軟膏……それって、さっき詰めてた詰め物とか言うヤツの上から塗るんですか?」

「いや、詰め物は多分シャワー浴びたら勝手にポロっと落ちちゃうと思いますよ。膿が多かったから詰めただけのものなので……まあ取れなかったら無理に取ることはないですけど」

 ええ……ちょっと、どっちなんだよ。


 ちなみに詰め物は、後日風呂に前にガーゼを取ろうとしたとき、ガーゼにこびりついていて勝手に取れた。

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