第4話 中居くんのソロパート
診療所の医師に、「葉状肉腫」改め「葉状腫瘍」の可能性が高いと告げられた私。帰宅後、早速インターネッツで「葉状腫瘍」について検索しているうちに、段々と胸が痛くなってきた。これまでの、「張っているような、圧迫感のあるような痛み」とは違って、傷口がズキズキと痛むような痛みだった。局所麻酔が切れて、針を刺された痛みが出て来たのかな? と思った。痛みは段々と増してくる。痛み止めを飲もうかと思ったが、処置後に30分も寝かされたりと、診療所では局所麻酔の注射に関してやたら仰々しい扱いをしていたのが気になった。
時刻は午後2時を数分過ぎていて、診療所の診察時間は終了していた。ダメ元で電話をかけてみると、受付の人が電話に出た。
「すみません、今日の午前の診療で針を刺す病理検査? みたいなのをしたら、今すごく痛んで来たんですが、痛み止めを飲んでもいいのか、先生に確認したくて……」
「あー、どうしよう、すみません、先生もう帰ってしまわれて……」
診療時間終了から数分で退所する先生! すばらしいホワイト企業だ!
受付のお姉さんに恐縮されながら、いや、仕方ないし大丈夫です、と言って電話を切る。
処方されている薬とは関係ないのに申し訳ないなと思いながら、例の行きつけの薬局へ電話をした。
「碧さんですか。ちょっと今、薬剤師が手を離せなくて、折り返し……あ、今代わりますね」
月曜の電話以来、私のおっぱいのことを気にかけて下さっていたらしく、薬剤師さんが何か作業を止めて電話に出て下さった。本当にいい人である。
教えてもらった病院で診察を受けられたことの報告と、お礼を述べてから、痛み止めを飲んでも良いか相談した。またも薬剤師さんはちょっと戸惑ったように一度、うなった。
「ちなみに、どんな検査だったんですか? 何回も刺しました?」
「なんか、3回刺してました。あと、麻酔をしたんですけど」
「ああ……じゃあ、太い針だから、痛むのかなあ……。あ、薬の件ですけど、とりあえず、市販の痛み止めを飲む分には問題ありません。いつも飲んでる薬とかあります?」
「頭痛とか生理痛のときはナロンエースを」
「じゃあ、それを飲んで下さい。もし痛みが強いようでしたら、ロキソニンというのも市販されてますよ。痛みは一時的なもので、1、2日でなくなるとは思いますが……」
重ねてお礼を述べて電話を切ると、電話中に着信が入っていた。かけ直すと、診療所だった。
「碧さん! 今、先生と連絡が取れたんですが、痛み止め、飲んでも良いそうです!」
帰宅後の先生に受付の方が連絡をとって下さったのだ。なんとありがたい。私は重ねてお礼を述べ、みんな優しいなあと、ほくほくしながら、ナロンエースを服用した。
痛みは服用後程なくしてなくなる。なんだ、最初から痛み止め、処方してくれれば良かったのに、と思いながら、乳腺疾患や検査についてのネットサーフィンを再開した。
その日私が受けた病理検査は「針生検」というやつで、太い針で組織をごそっと切り出すものらしい。他に、細い注射針で細胞をちゅるっと吸い出す、負担の少ない検査もあるらしいが、それだと、先生の疑う「葉状腫瘍」が見逃されることがしばしばある、とのことだった。あんだけ痛い思いして3回がっちゃんがっちゃんやられたんだし、これで違うという結果が出れば、確実に腫瘍の可能性は否定されるのだろう、と思う。
それにしても、「針生検 痛い」で検索しても、「針生検は痛い検査ではありません」という啓蒙ばかりが出て来たのが、多少気にかかった。私の場合は、痛み止めを飲まないと耐えられないぐらいの痛みだった。まあ、検査の後「痛いです!」なんて医者に相談せず、勝手に痛み止めを飲む人も多いのだろうから、医者が知らないだけなのだろう、と私は勝手に結論づけた。
後にわかるのだが、やはり、普通は針生検は「痛くない」検査なのだった。薬剤師さんが不思議がっていたのもそのせいだった。このときの私の状態が一つの病態だったのである。
「乳がん」で検索すると、玉石混淆、膨大な量のページがヒットする。お医者さんが発信している、信頼出来そうなサイトから、やたらきらきらした怪しげな啓蒙サイトとか、様々だ。「葉状腫瘍」は先生の言ったとおり稀な疾患らしく、情報が少ない反面、妙なサイトもあまりヒットしなかった。ちゃんとした病院が発信している真面目な情報や、実際に発症した人のブログが主である。
葉状腫瘍の特徴は、急速にしこりが大きくなることで、先生が疑ったのもそのせいらしい。乳がんのしこりはそんなに急に大きくはならない。通常は、腫瘍細胞自体が何か悪さをすることはないが、めちゃくちゃでかくなってしまうこと、稀に悪性になって転移をすることから、基本的に外科的手術で切り取ってしまう、とのことだった。
それにしても、乳腺疾患のうちの0.5%。そんな稀な病気に、自分がなるものだろうか。にわかに信じられない気分でもあった。とはいえ、どう考えても何かの病気だろうという全長7cmのしこりに、赤い腫れ、そして痛みがあるのは紛れもない事実だ。
悶々としながら、私は金曜日を待った。
前日の木曜日になって、手術になったら入院するのかな、手術も入院も初めてだな、会社休まなきゃならないな、などと考え、「葉状腫瘍 手術」で検索をしてみた。
検索トップに、手術の体験について綴っているnoteの記事が出て来た。生湯葉シホさんという、プロのライターの方のものだ。とりあえず皆さん読んで欲しい。
【手術レポ】今日、胸の腫瘍をとった。
https://note.mu/chiffon_06/n/nf7df6b201963
流石プロのライターだけあって、生々しく具体的なレポ、かつほっこりもする、面白い記事である。尚、noteに上がっている他の通常のエッセイも大変面白いのでおすすめです。
が、そのときの私はそれどころではなく、とにかくこのnote記事を見て激しく狼狽した。
「え、ちょっと待って、Y先生手術するなら全身麻酔って言うとったやん! この人めっちゃ局所麻酔で意識あるまま胸切られた上、日帰りやん!」
しかも、しかもだ。切られている間、有線のJ-popがBGMとして流されていると言うではないか。
始まりはGLAY。これはまだギリギリ良いだろう。
>左胸が冷たくなった。アルコールが染みる。「細い針で麻酔打ちます、痛いですよー」。怖くて「うわあ」と右を向いた。細い針が肌に触れた。たしかに痛い。「もう一回痛いですよー。」必死に有線に耳を澄ます。SMAP。中居くんパートだった。
嫌じゃない?! 一番肝心な、怖いときに、中居くんのソロパート! どうなん?! いや、中居くんは、とても素晴らしい、一流のエンターテイナーですよ。子どもの頃から親しんだ、国民的アイドルですよ。尊敬していますよ。でも彼の歌を聴きながら、命に関わるかもしれない処置されるの嫌じゃない?! いや、逆に良いのか?! どうなの?!
私の脳内に中居くんの歌声がエンドレスで流れた。
♪はんなやの~みせっさき~になら~んだ~
♪はんなやの~みせっさき~になら~んだ~
♪はんなやの~みせっさき~になら~んだ~
♪はんなやの~みせっさき~になら~んだ~
ひとつだけの花、最初のところ、はんなやの~ って聞こえない? そんな中居くんの歌声(脳内)を聞いていたら、急に、涙が出て来た。ていうか、なんでこんな、0.5%の確率の病になんかなったんだろう。うちの家系は色々細々と変な病気にはかかるけど、がんとか、手術が必要になるような大病はしないはずじゃなかったのか。
クリネックスのティッシュで涙を拭い、鼻をかんでから、一瞬我に返った。
ていうか、腫瘍かもしれないと思って泣くなんて、私、小説書いてるくせに、すごく、普通だ。普通だな! 絶望的な凡人感だ! ちくしょう!
もう何にショックを受けているのかもわからないまま、痛み止めと抗うつ剤と睡眠導入剤を飲んで、私は夜が明けるのを待った。
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