第7話 エジソンの仲人

 訃報が続いた。

 8月の末、漫画家のさくらももこさんが亡くなったというニュースが流れた。

 小さい頃、ちびまるこちゃんのアニメが大好きで、アニメのOP・EDの曲のピアノアレンジの楽譜を母に買ってもらい、練習していたものだ。

 ここ数年のアニメのOP曲は、「おどるポンポコリン」を様々なアーティストがカバーしたバージョンとなっているようだが、昔はクールごとに新しい曲が採用されていた。オープニングはほのぼのした優しい雰囲気の歌で、エンディングはコミカルな曲、みたいな法則になっていた気がする。今聞いても、どれも名曲だと思う。

 おどるポンポコリンは最初のクールのエンディング・テーマだった。その中に「いつだって忘れない エジソンは偉い人 そんなの常識」というフレーズがあったが、幼い頃の私はエジソンが何者か知らなかった。小学校に入って図書館の漫画伝記を読むまで、なんかわかんないけど偉い人なんだな、と思っていた。そして多分、おどるポンポコリンがなかったら、私は図書館でエジソンの漫画伝記に興味を持って手に取ることはなかっただろう。

 さくらももこやちびまる子ちゃんについて、語りたくなることはいっぱいあるし、多くのツイッター・ユーザーにとってもそうだったと思う。様々な、個人の思い出エピソードや、さくらももこさんご本人や作品にまつわるエピソードのツイートがタイムラインに流れてきた。

 それと同時に、乳がんに関するツイートが激増した。

 彼女の死因が、乳がんだったからである。

 「私の友人も乳がんでした。みなさん、はやめの検診を」という呼びかけや、逆に医療関係者による「マンモグラフィーはただ受ければ良いというものではない」「乳がんを正しく知ることで自衛を!」という呼びかけだ。

 誰が悪いわけでもないのだが、この状況に言いようのない不安感が募った。

 私はおそらく、乳がんではない。その診断を信じている。でも、乳腺の病気は乳がんだけではない。今、めっちゃおっぱいが痛くてつらい。だが腫瘍細胞がないからという理由で宙ぶらりんになっている。マイナーな病になると、誰もから雑な扱いを受けている気がする。世の中の人は乳がんにしか興味がないのだ。

 半分以上被害妄想なのだが、そういう思考になるくらい、若干気が滅入っていた。

 自分の身は自分で守らなければ、と思い、インターネッツで色々調べまくった。結局、自分の中では、どマイナーな謎の疾患「肉芽腫性乳腺炎」というのが怪しいのではないかという結論になった。

 J-stageというサイトの論文を読みまくった。

 この疾患の特徴は

 ・乳房の片方もしくは両方に、巨大な硬結(しこり)が出来る

 ・腫大部分に発熱・発赤などの炎症様症状が出る

 ・病変部分を病理検査すると、リンパ球がいっぱい出てくる

 ・中から膿が吹き出てくることがある

 あたりであることがわかった。

 4つ目の「膿が吹き出てくることがある」が、このときはまだちょっとよくわからなかったが、少なくとも、この病気をお医者さんに疑ってもらう価値はあると思ったのだ。

 私はJ-stageの記事を印刷して握りしめ、乳腺外科のクリニックY医院に向かった。印刷したのは、「肉芽腫性乳腺炎」でグーグル検索して一番上に出て来たJ-stageの記事だ。タイトルは「全身関節痛を伴った肉芽腫性乳腺炎の1例」、2011年の報告だ。

 全身関節痛を伴うこともあるのか、私はそうじゃなくてまだ良かったな、などとこのときは思っていた。

 事前に一度、「3ヶ月後にまた来てって言われたんですけど、どうしても痛くて……」と電話してあったので、今回もプレ診察なしで診察室に呼ばれ、そして、部屋は何故かまたも無人だった。

 前回と同じ、病理検査結果がパソコンのモニターに表示されていた。病理医からのコメント欄をガン見した。肉芽腫、という言葉が目に入った。前回は見逃していたようだ。

「肉芽腫性病変は見つかりませんでした。必要に応じて再検してください」

 針生検は、針で病変の一部を切り取って検査するので、切り取った場所がたまたまピンポイントで「肉芽腫」の部分を外していた可能性があるかもしれない、という意味合いだと思う。病理医の先生は、もしかしたら「肉芽腫性乳腺炎」を疑っているのではないだろうか。

 そう思ったと同時に、先生が現れた。

「碧さん、よくなりませんか」

「痛みがあって、しこりも大きくなっているような気がして」

 胸を見せると、先生は悩ましげに顔をしかめた。

「ドグマチールは……もう、飲んでないんでしょう」

「はい、もう飲むのやめて1ヶ月ぐらい経ちました」

「……大きい病院で、見てもらいますか」

 先生の方から言われると思わなかったので、ちょっとびっくりすると同時に、安心した。

「あの、はい、お願いします」

「どこか行きたい病院ありますか。どこでも紹介状書けますから」

「あ……K病院が一番近いので、都合が良いんですが」

 先生は頷くと、看護師さんに、その病院の外来スケジュールをチェックして私に説明するように言うと、その場で紹介状を書き始めた。

「えー、ぜん、りゃく、……先生、かんじゃは、しちがつに、とういんへ、らいいん……」

 めっちゃゆっくり、何故か声に出しながらタイプする先生……。

「碧さん、K病院の乳腺の先生は、この先生なんですけど、外来に出られる日が決まっているので、この表を見て都合の良い日に行って下さい。うちから予約を取ることもできるんだけど、多分、予約なしで朝一で並んだ方が逆に早いと思うんだよね」

 看護師さんの説明を聞き、何故だったか忘れたのだが、このとき私はこの紹介先の先生が県内の乳腺外科のすごい権威の先生なのかと思い込み、以降ツイッターで「権威先生」と呼ぶことになった。ので、以降この連載でも「権威先生」と呼ぼうと思うが、実際にどれぐらいの権威をお持ちなのか未だよくわからない(多分偉い先生ではある)。

「えーと、碧さん、痛みがあるんだよね。あと、しこりは大きくなっている?」

「はい、そうですね」

「いたみが……あり……増大……」

 私に確認しながら、そして何故か声を出しながら、時間をかけて、字数的にはそんなに多くもないような気がする紹介状を書き終え、Y先生の最後の診察が終わった。

「うちでやった検査の結果も同封するので、これを渡してね」

 世の中には、自分の手に余るのに意地を張って患者の病気を悪化させるような医者もいると聞くので、スムーズに大きい病院に紹介してくれる運びになったのは、とても安心だった。一時、不信感を抱いてしまったのを反省した。

 お礼を言って、私は病院を後にする。

 乳腺外科の先生は、平日の午前にしか外来をしていなかった。総合病院の外来は常に込んでいるから丸1日拘束されるのを覚悟してね、と言われていたので、有給を申請し、紹介状をもらった2日後、K病院へ向かった。入院している親戚の見舞いで訪れたことはあるが、患者として来るのは初めてである。

 この大病院にかかれば、すべてが解決するのだと、ピュアーな私は信じ切っていた。

 だがこの後、予想外の展開が連続する。

 そして今になって思えば、この時点ですべての伏線は既に完璧に張られていたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る