第10話 喪女式部秒記
前回の記事「第9話 カイツブリ、家を建てる」のラストは2018年09月03日の状況を綴っており、この記事を書いている現在は、年の瀬の2018年12月28日である。この連載は、毎日、当時の記憶を掘り起こしながらしこしこ書いているのだが、前々からもったいぶって予告している通り、ここから急に連続して様々なことが起こるため、自分でも細かい出来事の時系列がよくわからなくなってきた。
というわけで、twlogという、ツイッターで自分が呟いた内容を全部記録してくれているアプリで、当時の状況をおさらいしてみた。
私は実はこのご時世に未だスマート・フォンを持っていないため、ツイッターで呟くのは自宅でパソコンに触っていられるときだけである。出勤しているときは日中は昼休みでも一切呟かない。
このことから、9月4日火曜日は、何故か前日に発熱と軽度な下肢の痛みを感じたにも関わらず、普通に朝から出勤していたことが推察された。何故病院に行かなかったのかは思い出せない。
なので多分、直属の上司に、自分の体調のことを報告したのはこの日のことだったと思う。課長は、40代半ばと思われる(中途入社2年めの私、上司の正確な歳に興味が無く未だに知らない)男性で、「おっぱいが痛くてつらい」だけの状況ではとても相談はする気になれなかったが、今後検査等で度々休むことになることと、他にも妙な不調が出ており、いつ突発的に休むことになるかわからないことを考えると、一度報告しておいた方が良いと思ったのだ。
「ちょっと色々あって、乳腺の検診を受けたら、しこりが見つかり、先週末にいただいた有給休暇で大きな病院で精密検査を受けました。他にもMRIとか受けなくちゃ行けなくて、再来週までに何度かお休みをいただきたく……。それと、先週の検査のときに、大きな針を刺されて、それと関係があるのかわかりませんが、土曜日から深夜に高熱が出ては下がるというのを繰り返していて、昨日からは足が痛くて歩きづらい状況になっています。病院でもう一度診てもらおうと思うんですが、今後もしかしたら、突発的に休んでしまうかもしれなくて、仕事のフォローを……」
「熱が出るのは大変だね!」
「は」
「何度ぐらいになるの?」
なんでそんな細かいところまで報告しなきゃいけない? と思いながら、深夜に38℃まで上がったけど、今は平熱まで戻っている、と答える。
「熱は朝になると下がるんですが、足がいt」
「38℃はしんどいね! 俺、平熱低い派だから、37℃でもすごいきついし、わかるよ! わかった! 部長には俺から言っとくね!」
なんか、会話がかみ合ってないけど、めんどくさい、もういいや、と思って、お願いします、とその場を終了にした。
多分この日、微熱が出て来て早退したような気がする。帰り際に、すれ違った同僚に
「なんか歩き方変じゃないですか?」
と聞かれ、
「なんか、足が痛いんです……熱もあって……」
「熱で関節痛ってインフルエンザっぽくないですかー 最近夏でもかかるらしいですよー」
なんて会話をした記憶があるのだ。
その時痛かったのは、前日から続いている、両太ももの外側の部分に加え、右膝と、右手首だった。右手首は、以前腱鞘炎になったときの痛みに似ていた。そのときに整形外科でもらったヘパリンスプレー(血行をよくすることで症状を緩和するらしい)を塗ってみたが、あまり効果は感じられなかった。
twlogを見ると、同日、おっぱいにも激痛が走っていたらしく、とても痛い、とても痛いと繰り返し呟いている(そしてカモの写真をリプられている)。「びりびりっとした痛み」という表現だ。
そういえば、このときから「痛みのタイプ」が変化したような気もする。どくんどくん、というのか、ビリビリ、というのか、何かが流れるような感じで、鋭い痛みが瞬間的に走るのだ。
それにしても、ツイッターは便利である。何気なく呟いたことが、こうして後から病気の経過のまとめにも役立つのだ。
時系列を正確に思い出せずに、「日記つけておけば良かったなあ」と一瞬思ったのだが、ツイッターで十分な気もする。というか、ツイッターはもはや、平安時代で言う「日記文学」的なポジションにあるのではないだろうか。いや、ツイートは日単位じゃなく秒単位ぐらいの勢いで量産されているので、「秒記文学」とでも言うべきか。まあ、これが何世紀か後の文化・文学史研究の対象になるのかはわからないけれど。
発熱はその夜もあった。朝起きると、下肢の痛みの中で、右膝が特にひどくなっていた。寝間着のズボンをまくってみると、膝頭が赤く腫れていた。胸もとにかく痛い。権威先生からはロキソニンは4日分しかもらっていなかったし、とにかくそれだけでももらわなければ、と、翌日は有給をとり病院に行った。
予約外診療受付の担当さんに、権威先生にかかっており、今日は予約がないのだけど診察してもらいたい、と言う。
「権威先生は今日お休みで……代診の先生で大丈夫ですか?」
「大丈夫です、お願いします」
代診の先生は、権威先生よりは少し若い感じの人だった。
「針生検した翌日の夜から、熱が出て、あと、胸と膝がめっちゃ痛いんです」
「えっ 膝? ちょっと見せてくれる?」
見せやすいようにロングスカートを履いていったので、その場でブワッとまくって見せた。
「うーん、これ、まるで痛風みたいだねえ」
「えっ 痛風ですか?」
「痛風は、男の人がなりやすい、生活習慣病なんだけど、偽痛風っていって、似た様な症状になる病気があるんだよねー」
「はあ」
「偽痛風だとうちじゃなくて整形外科になるんだけどなー。整形、今日中には多分診察回せないよね?」
先生が、背後に控えていた看護師さんに訪ねる。看護師さんがノートPCをカタカタやっている。
「そうですね、今日は予約でいっぱい……今週中、でも厳しいですねえ」
整形外科はめちゃくちゃ患者が多く、この病院の受付や色んなところに「予約外診療・紹介状なしの患者さんは受け入れできません」と掲げてあるのだ。
「とりあえず血液検査しようか。あ、あと、胸も見せてもらえる?」
痛いのでノーブラである。Tシャツをまくればおっぱいぽろんだ。
「ほほー」
迂闊な代診先生はおっぱいを触りながら言った。
「これが権威先生が切ろうって言ってるやつね」
権威先生! もう検査結果見る前から切る気満々で夏休みに入る前に医局で言いふらしおったな! まあええけど!
「あ、てか病理の検査もう出てるね」
「もう出てるんですか」
「うん。腫瘍細胞なし……なんか、糖尿病の疑いって書いてあるよ」
「え、糖尿病って胸の病理検査でわかるもんなんですか」
「んー、なんか、書いてあるから、とりあえず血糖値も測定しておこうか」
大丈夫かこの先生、と思いながら、逆に権威のある大御所の先生より、切り出しやすいかも、と思い、私は奮い立って鞄から紙切れを取り出した。
「あ、あの、先生、私、不安になって色々ネットで調べちゃって……」
「そりゃそうだよね」
「こ、この病気ってことはないんですかね?!」
J-stageの、肉芽腫性乳腺炎の記事だった。前回Y医院に握りしめていったヤツは一回捨ててしまったので、この日の朝に慌てて印刷したやつだった。それがたまたまた、前回とは別の記事になってしまった。タイトルは「結節性紅斑を合併した肉芽腫性乳腺炎の1例」、2013年の報告である。斜め読みしかしていないが、患者が私と同じ「出産歴がない」「うつ病の治療中であった」という点が共通していた。
「えー、なにこれ、こんな病名、初めて見たよー」
と言われる。まあ、かなり稀な病だとは思っていたし、権威先生と違って、乳腺の専門の先生ではないのはわかっていたので、驚かなかった。
「しかも、国内で8例しかないって書いてあるよー」
てか、読むの速いな。流石にお医者さんは、こういう論文の読み方に慣れているからなのか。確かに、最後の方にそう書いてあった。
「まあ、難しい診断は権威先生に任せるとして、とりあえず血液検査しましょう」
というわけで、検査ファイルを持たされ、若干足を引きずりながら、血液検査室へ向かった。
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