第23話 ワンオペINハンバーグ

 金曜日早朝の発熱と疼痛は私のメンタルに激しいダメージを与えた。

 この数ヶ月の間、必死に頑張ってきたのが、ぷっつんと糸が切れてしまうみたいに、気力がなくなってしまう感じだった。

 10月の第一週目の終末は文化の日が挟まれた3連休だった。ステロイド増量でひどい発熱、疼痛はなくなったが、何もやる気がおきない。唯一、土曜日だけはボーカルの先生のディナーショーのチケットを買ってしまっていたので、おめかしして出かけていったが、これも、出かけるまでがしんどかった。ちょっとお高いディナーショーだったので、そこそこ小綺麗な格好をしていかければいけなかったのだが、何を着れば良いのか全く思いつかなくて時間ギリギリまでオロオロしてしまう。元々あまりおしゃれに興味のない私が、いつものようにグズグズしているのだと思ったらしい母と妹がお節介を焼いてくれて、無事に妹の結婚式二次会用ドレスを着て出かけた。今思えばメンタルがやられていたのだと思う。

 残りの2日はぐったりして家に引きこもった。日曜日は本当なら私が出る発表会の日で、自分は結局出演はしないが、他の姉弟子たちを見に行くつもりだったのだが、これも結局出かける気力が湧かずにスルーしてしまった。


 火曜日、水曜日の仕事は、社外の施設に一人で行くことになっていた。これだけは自分でこなさないと、と思いなんとか気力を振り絞って出勤した。

「課長、金曜日は突然お休みいただきご迷惑おかけしました」

 この台詞を言うことに、本当に疲れてしまった。

「今日明日はほぼ社内にいませんので、よろしくお願いします」

 社用車で、ちょっと離れた場所の公共施設に向かう。

 気力もなく頭がぼーっとしていたが、この2日の仕事は、一人で単調作業をする、比較的頭を使わなくて済むものだったので、なんとかこなすことが出来た。

 お昼の時間になると、周辺の手軽に入れそうな飲食店に向かう。1日目は、某ラーメンのローカルチェーン店に、翌日は某全国チェーンのファミレスに入った。

 ファミレス、お昼だから混んでいるかな、あ、でも駐車場も窓から覗いた感じも大丈夫そう、と入ったのだが、入った瞬間に何かがおかしいな、と思った。入り口にまず老夫婦みたいなのが所在なくオロオロしている。そして、店内からは、ぴぽぴぽぴぽぴ~という、あの呼び出しボタンみたいなのが途切れることなく流れている。しばらく待たされた後、40前後と思われる男性の店員さんが、走るようにして我々の方へやってきた。おいおい、店内を走るなよ、と言いそうになったが、あまりに余裕のなさそうな表情を見て、なんとも言えなくなった。どうやら人手が足りていないらしい。しかも、席に着きメニューを見て、チーズINハンバーグにしようかな、と決めてからもう一度顔を上げ、気付いた。人手が足りないって、大勢の客に対してバランスが悪いとか、そんなレベルじゃない。平日とはいえ、お昼時にまさかのホールスタッフ1名である。地獄かよ。

 テーブルが空いても片付ける隙を与えずオーダーや会計の客が発生する、片付けられないうちに新しい客が来るので通せないという地獄のスパイラルが発生している。気の毒過ぎて、入店やめとけば良かった……というか人がいないのなら本日閉店でも良かったんじゃないかと思ってしまう始末だ。申し訳ないなと思いながら頃合いを見計らい呼び出しボタンを押すが、別のおばあちゃん客に店員さん、捕まる。なんか、セットメニューのシステムがわからなくてしつこく質問攻めにあっている。店員さん、おそらく余裕がなくなっている故に上手く煙に巻くことが出来ず、本当に地獄のスパイラル。なんか手伝ってあげたくなるぐらいの気持ちだったが何も出来ない。せめて会計のタイミングを他の人と一緒とにして負担を減らせれば……とお昼ギリギリまで日替わりスープ(卵とコーンのコンソメ)を何度もお替わりしながら様子を見計らっていた。あの店員さん、社員さんなのだろうか。店長さんだろうか。その後、メンタルとかやられていないか、心配である。


 帰社した時にはくたくたで、残業などする余裕もなかった。その日中に処理しなければいけない書類だけ片付けようとしていると、

「今日の業務どうだったの、報告して」

 と課長が迫ってくる。

「すみません、特に大きな問題はなかったので、詳細は明日にさせてもらっていいですか、ちょっと、体調がよくなくて定時で帰りたくて」

「ていうか、病院のことも報告してよ」

「それも明日で良いですか、申し訳ないです」

 胸が少しずつ痛くなってきていた。家に帰って確認すると、おっぱいに、二カ所、赤い痣のようなものが出来ていた。既に穴が空いているところとは別のものである。直径5mmぐらいの大きさだろうか。色味は、どこかにぶつけた直後の痣みたいな色だたが、触るとぷくっと膨れているようだった。また、膿が出てくるのかもしれない、と思った。


 もう、限界だ、と思った。


 翌日、課長を呼び出し、状況を説明した。

「乳房の病気について、病名はついたけど、外科部長の先生も見たことがなく、治療法がないと言われていて、」

 頭の中がどうしてもぐちゃぐちゃしていて、上手く説明できないかもしれないと、ここ数日必死に色々言い方を考えていたのだが、いざ口に出すとやっぱりスムーズにいかなかった。

「たまたまステロイドで一時的に調子が良くなったのでここ数週間、何日か出社できていましたが、結局金曜日みたいに急に具合が悪くなってしまうので」

「でもステロイドで良くなったんでしょう?」

 話の腰を折られる。これだけで結構気が滅入って頭がごちゃごちゃしてしまう。

「一時的には良くなったんですけど、続かないので、正直、何度も急に休んでしまって、皆さんにご迷惑かけてるのもわかるし、私自身もしんd」

「いや、迷惑とかじゃなくてさ、仕事のことは俺がサポートするからさ」

 何を言っているんだこいつは、と思ったら、声が出なくなった。サポートどころか、この1ヶ月の間に、急病で病院にいるって言ってるのに緊急性のない電話かけてくるわ、4日休むって事前に言ってあるのに出社したら4日間私のデスクの上で寝かせてあった、私じゃなくても作れる資料を「今日の午後まで必要なやつだから!」とか言って押しつけられるし、お前のその思慮も配慮もないやり方でどんだけ追い詰められたと思ってんだ。

 と怒鳴り散らしたいけど、言葉にならなかった。

「それで、金曜日は病院で何したの」

 だから、なにもわかんないんだっつってんだろうが、なんでそればっかり聞くんだ。

「追加の検査をして結果待ちです」

「なんの検査」

「メスで皮膚を切って」

「皮膚を切って!?」

「でも、治療法がわかるわけじゃないと思うので、私、この状態が続くなら、以前、部長にも言われましたけど、まとまったお休みをいただきt」

「いやいやいや、」

 課長が遮るように声を上げた。

「休職なんかしてもさ、メリットないよ、わかってる? 給料が出ないだけだからさ、収入がなくなるだけなんだよ」

 だからなんなんだよ、と思って言葉も出ない。

「ほら、そんなの得すること何もないじゃん。あ、ご両親はなんて言ってるの、この前会社まで車で来てたよね?」

 なんで30過ぎた女が就業形態について親と相談した結果を上司に報告しなきゃなんねえんだよ、と思う。ちなみに書いていなかったが、母は大分前からぼんぼんに腫れたおっぱいを見て「うわ~痛そう~、ねえ、休職できないの~?」と言っている。

「……いえ、別に、親は、なにも」

「○○さんもさ、」

 急に、ここにはいない同僚の名前が出て来た。先月末に謎の体調不良で仕事中に倒れた彼女だ。

「急に倒れたじゃん、だからすごい焦ってんだよね、病院でCTとか撮っても原因わかんないとかでさ」

「……はあ」

 それは個人情報で、勝手に人にべらべら話すことではないし、私になんの関係もない、と思う。

「俺もさ、昔、うつ病になったんだけどさ、そんときも休職しなかったよ、家建てたばっかりだから休職できなくて、でも毎日出社しても何もできない日が続いてさ。あれは本当に辛いんだよね」

 だからなんなんだよ、と思うし、お前の事情は知らねえが普通に周りに迷惑かけてんだろ、と思う。

「あの、わかりました、すみませんでした、もう業務に戻るんで」

「うん、うん、今までみたいにさ、急に休むとかなったら俺がサポートするからさ。そうそう、メールアドレス教えてよ、ショートメールだと短い文章しか送れないから不便でさ、○○さんとはラインでやりとりしてるんだけど、碧さんやってないんでしょ?」

 ガラケーだからね。ガラケーで本当に良かった。この勢いでラインなんて送られたらマジで心が死ぬ。

「……後で会社のメールに送っときます」

 私は面談室からトイレに直行して個室にこもった。涙がボロボロ出て来て止まらなかった。こんなことをしている場合じゃない、明日も通院で1日休みだから、昨日の報告書とかをまとめたりしないと、と思うが、涙が止まったと思えば横隔膜が痙攣する、ようやく止まったと思って洗面所に行くと、目が真っ赤になっていて、とてもオフィスに戻れる顔をしていない。と思うと、またしゃっくりが出てしまう。必死に目を冷やし、息を止めて、なんとか平静に戻るまでに30分以上はかかってしまった。トイレから出ると、ちょうど、面談室に部長と課長が入っていくのが見えた。

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